「表裏一体」。よく言われる言葉である。

物事には複数の側面があり、関係無いようでいてそれぞれの要素が影響しあっている。

誰でもわかる事であり、当然の事だ。だがしかし、当然でありながら、実際こうも多く言われているのは、

人間にとって"裏"というものが触れ難く、他人はおろか当人にも見えてこないからだろう。




そしてここに大きな隠し事をしている少女が一人・・・いや、二人。彼女達も闇というか、裏を持つ人間だ。

人に言えない事をいくつか―――他人には一切匂わせる事無く、今日もまた演じている。

他人より必要とされる彼女、"ナデシコB艦長代理"を。あるいは、"復讐者の道具"を。




だがそんな彼女達も裏を捨て去る事は出来ないようだ。演技は何処まで言っても演技、真実にはなりがたい。

そしてその隠しておくべき裏に、彼女達がもう一度引き込まれる事になるのも、あるいは自明だったのかもしれない。

・・・・・・少なくとも、当人達にとっては。



























Bride of darkness



第17話 『Real Facts』











「この頃"さま"になってきたんじゃないかな」

この頃彼女の精神状況はすこぶるよかった。というのも、仕事が上手くいっているからである。

結局のところ彼女も職業軍人であり、仕事すなわち任務が上手くいく事こそ、彼女の心象を改善させるわけだ。

今日も虚空。亡霊騒ぎが起こったコロニーに訪れて、尚稼働する280機の旧式バッタを退治してきたところだ。

「"代理"の字がとれるのも、そう遠い事じゃないかもしれないね」

艦長アオイ・ジュンからの褒め言葉である。彼はよく彼女を立ててくれる。本当の艦長が誰なのか、分をわきまえていた。

「・・・・・・まもなくターミナルコロニー"タギツ"です」

管制オペレーターマキビ・ハリも最近は大人しいようだ。彼女の実力を認めざるを得ないのだろう。

「さてと、ちゃっちゃと次の仕事も済ませて休暇に入るとするかなぁって」

いつも前向きな高杉三郎太は、存在自体彼女の精神にプラスだった。もっとも、時たま女性関係で問題を起こすようだが。

そのくらいは許容範囲というものだろう―――少なくとも彼女は、艦橋彼女の背後の席で留守番サービスで女性の声が

ひっきりなしに聞こえてくるからといって何も感じるものは無い。むしろ多数の女性に愛されるというのは大したものだとも思う。

「ルート確認、タギツ・サヨリ、タカマガを通ってホスセリへ」

「各ブロック、報告よろしく」

彼女の目の前で、ターミナルコロニーに付属しているチューリップのガードが外されてゆく。

実はターミナルコロニーそのものにはジャンプに関する機能は存在しないのだ。

非常時はガードを吹き飛ばせば、利用する艦にジャンパーと航路指定装置さえあれば問題ない。

「ディストーションフィールド、出力最大」

「生活ブロック、確認終了」

「通信、切断します」

「光学障壁展開」

艦橋を覆う全周囲モニターに暗いフィルターが覆われる。虹色に光るジャンプ航路の光の彩度があせる。

「ルート確定、いつでもいけます」

航路指定装置こそが連合にとって木連との和平で得た、最高の成果であったかもしれない。

これさえあれば、チューリップ利用という条件付で、B級ジャンパーでも自由に航路を利用する事が出来るのだ。

微かに、ほんの微かに彼女の身体が光を帯び始める。淡い光が薄桃色の髪を覆った時、彼女は呟く。

「ジャンプ」

次の瞬間、通常空間に復帰する。"ホスセリ"側のガードを内側から開けて、虚空へと白亜の艦が進む。

『ようこそ、ターミナルコロニー"ホスセリ"へ』

例の如くコンピューターが彼らを出迎える。向こうにもオペレーターが存在するのだが、将来一般艦艇がこの

ヒサゴプランの航路を利用する事を見越して、コンピューター応答システムのチェックが軍人達によって行われているのだ。

「このまま指定された補給コロニーに向かいます。第1巡航速度」

凛々しい声で宣言する彼女。こうして春の風が吹き込むその日々まで、彼女は宇宙で活動していた。






























変わっていく機動兵器、ブラックサレナ。

ともかく時期によって形も装備も異なってくるこのエステバリス追加装甲板。その形態の判別には略号を利用する。

一番最初の宇宙での襲撃に使われていたのがS型(ストライクタイプ)。ミサイルをつけて、大型カノン砲。宇宙で利用するにあたって

間に合わせで装備をそろえていたという部分はまったく否定できない部分がある。案の上攻撃力だけ大味な機体だった。

大破した機体を見て、すぐにルリもアキトも手を打った。彼らに必要なのは北辰達を仕留められる機体。要するに運動性に富んだもの。

出来れば継戦力確保の為に装甲も欲しい―――そうして出来たのがA型(アーマードタイプ)。ハンドカノン装備タイプだ。

そしてそれも数度の戦いを重ね、進歩を刻みつつある。今はA1型と呼ばれているが、A2型の設計図が起こされているのだ。

「段々まともに戦える機体になってきましたね、ブラックサレナも」

ルリの言葉に頷くアキト。あれから数ヶ月のうちに2度ほど北辰に遭遇したが、初回のS型のように一瞬で無力化されるという事は無くなった。

「問題は・・・・・・やっぱり数ですね。北辰の腕もさる事ながら、7対1じゃどうしようもありません」

「ルリちゃんも出るのかい?でもそうなったら、ユーリャリスは」

「無人戦闘システムを構築してます。すぐには無理でしょうけど、数ヶ月後にはいざって時に出れると思います。

ただ、今の私のエステバリスだと力不足ですから・・・・・・今度のA2型は私の分も建造してもらう予定です」

いつも不安そうな瞳で送り出し、心底安堵した表情で出迎えてくれる彼女。一人艦にいるのは辛いものなのだろう。

「そうか。でも、無理をして欲しくないんだ、ルリちゃんには」

"ルリちゃん"。その呼び方は、未だ変わらない。もっとも、"アキトさん"もだが。既に愛し合っているはず、なのに。

だが、この時の2人はそれほどその事に気を割いていなかった。毎日襲撃とその為の準備、忙しくて夜の営みを除けば時間も無い。

「平気です。私、もう子供じゃありませんから」





白亜の艦、ユーチャリス。この艦のポテンシャルについては言うまでも無いが、今のところその武装が火を噴いた事は無い。

というのも正体を悟られる訳にはいかないからで、そうなると自然とこの艦も潜みに徹する他無い。

幸いステルス性が高く、かつルリの熟慮もあって発見された事も無いし、あるいは撒けるだけの準備も怠りない。

・・・・・・そうなると、ルリの立場は少し難しい。少なくとも、彼女の感情はあまり満足していないようで、

ユーチャリスの片隅に設けられたトレーニングルームで暇さえあれば汗を流し、戦闘能力が低下しないように務めている。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。守らないと、私が、アキトさんを・・・・・・」

付いていく。そう決めた時から、彼女の身体は彼女のものではなくなった。いや、唯一こうしてトレーニングで痛めつける時、

それと夜、彼を離さない時だけ"実感"を許されている。それ以外の時は、ほとんど心の入れ物に過ぎなかった。

「くぅっ・・・・・・はぁはぁ、まだまだっ」

トレッドミルの上で走り続ける。こうして色々とあって―――今はあの男にも感謝していた。戦う術を教えてくれて。

限界まで、文字通り倒れるまで戦えるだけの強さを彼女は得ていた。だけど、それでも足りない。あの修羅を倒すには。

(北辰・・・・・・絶対に倒します)

こうして限界まで疲れきって―――それでも、彼と相対する。陶酔する。もう二度と離せなくなってしまった、そう言いたげなまでに。

(アキトさんなしじゃ生きていけない・・・・・・月並みな台詞ですね、でも)

得てしまえば、後は見えない何かとの競争だった。喪わない為だけに、彼女は戦い始めているのだ。






























「ナデシコBは大活躍のようだねぇ。結構結構」

陰謀の一方の中心地、ネルガル本社会長室。春風吹き荒れるこの季節、お気楽会長はいつも通りに春な能天気だった。

「もっとまともに仕事してくだ・・・ったく、しなさいって言ってるでしょう!?」

散らかった机の上、書類をまとめて確認しながら、一対一では対等となってしまった敏腕女秘書エリナが手厳しく彼の態度を注意する。

「今は休憩中なのさ、エリナ君」

「その休憩中という言葉、何回目なのやら・・・・・・でもって、ラピスが地上に帰ってくるんでしょう?」

「おやおや離れてる間も親権者である事を忘れなかったみたいだねぇ。うんうん・・・・・・休暇でね。

それにナデシコBの点検もしなけりゃならない。まあ、そんなに不具合抱え込んでるって事は無いだろうから・・・・・・エリナ君?」

彼らの戦略は一日一日進んでいる。そう、こんなお気楽な状況でも、彼の頭の中ではチェス盤の上を駒が駆け巡っているのだ。

「わかってます。ラピスの会見にインタビュー、まったく、アイドルなんてさせるんじゃなかった」

「ついでに一曲CDでも出してもらおうかな。『電子の天使』なんて・・・・・・あたっ」

軽く分銅が飛んでくる。このあたり、確かに彼は『落ち目』のようだ。

「どんな剽窃よ、それ・・・・・・ともかく、スケジュールは明日の2時までにあげておきます」

「はいはい。いよいよ勝負の時が近づいてきたみたいだからねぇ・・・・・・夏や秋あたり、来るよ」

彼の読みは正確だった。もっとも、この件についてはエリナも同じで

「夏ね、ヒサゴプランのほとんどの航路が開通するし、それに夏に向けて統合軍の大増員があるみたいだし」

「東京さえ押さえられればこっちの勝ちさ。後は来るべきナデシコCとユーチャリスでケリがつく。問題はそれ以降でね」

「イネス・フレサンジュ博士も八面六臂の活躍ってところね。懸案のバリア部門と機動兵器部門も道筋がついたわ」

製品そのものの質も問題だが、顧客も選らばなければならない。この場合―――統合軍の規模そのものを小さくするに限る。

「ミスマル大将は物分りがよくて助かるよ。ま、宇宙軍とは一蓮托生だからね。一応統合軍向けにも売り込むけど」

更にその後。宇宙軍が復権を果たし、統合軍の威光が地に落ちたとして・・・・・・統合軍の出方だ。

「しかし精一杯踊ってもらわないとね、彼らには。僕達の利益の為に」

「・・・・・・それと、ルリちゃん達の為にもね」

2人の間で温めている、『その後』の大戦略。これ次第で、あらゆるものが変わってくる―――反響を予測して顔がにやけてしまうアカツキだった。







「ラピスさん、お手柄ですね!」

「亡霊事件で数十人の民間船員が亡くなってしまっていたとの事ですが」

「ラピスさん、こっち向いてください!」

フラッシュの中、精一杯作り笑いを浮かべて。ラピスは衆人環視の中を堂々と、だが多少初々しい女の子らしく歩いてみせた。

気にならない訳ではない。むしろ、こんなに人がいる中を歩くのは息苦しささえする。だけど、これも使命なのだ。

(アキト・・・・・・私、見てる?私、精一杯頑張ってるよ。頑張って、アキトに褒められるような大人になるから)

彼の為になると思えば、彼女は何でも出来た。どんなに苦しくても、あるいは意地の悪い大人達に傷つけられても。

それに、そんなに孤独でもなかった。2人も気のいい大人がいる。今も彼女の後ろに寄り添って―――高杉三郎太とアオイジュン。

「もう少し下がってください!会見後、質問にお答えします」

ジュンの必死の言葉。マスコミからのブーイングを一身に浴びる。真面目な人格というものは本当に苦労するようだ。

彼らのお陰で、彼女はその実それほどメディアに愛想がよくないのに、市井ではそれなりに好感を持って受け止められている。

中には労働基準法違反だとか色々五月蝿い市民団体もあるが・・・・・・ともかく、ここでは彼女はただ微笑みを絶やさないだけでよかった。





「今日は特別ゲストをお呼びしています。ラピス・ラズリさんです!」

「ラピスさんの役職は、艦長さんにメインオペレーター?それって美味しいの?」「何の食べ物だよ!」

「ラピス・ラズリさんはスウェーデン生まれ、孤児院で育ち、IFS強化体質者としての資質が認められ・・・・・・」

ニュースからバラエティ、ドキュメンタリーまで。ネルガルのメディアミックス部門が打ち出した広告戦略で、彼女は大いにプッシュされた。

「ラピスさんのお好きな食べ物は?」

「えっと・・・・・・ラーメン」(でも、アキトが作ってた奴だけ。食べた事ないけど)

「ラピスさん、結構頭いいんでしょう?スウェーデン生まれだって言うし、どのくらい言葉しゃべれるの?」

「機械語含めて42ヶ国語・・・です」(スウェーデン生まれはルリの経歴。私のじゃない)

「ラピスさんって素敵な名前ね。それにとってもキュート。男の子にはモテモテでしょう?」

「いえ、それほどでも」(男の子は嫌い。張り合うだけだから)

「もしかして好きな子とかいる?とっても可愛い子?」

「今はいません」(アキトは会わないって言ってる・・・・・・好きだけど、好きだって言ってはいけない)

結局地上に戻ってきても休暇などあるはずもなく。毎日メディアをたらいまわし、必死に作ったキャラクターを売り込む。

(幸薄そうな、それでいて丁寧なお嬢さま。なんにでも一生懸命で、それでいて初心で、適度にいじられるキャラ。保護欲をかきたたせて)

市場でのリサーチ結果も忘れない。どんなキャラクターが求められているのか、どんな反応をすべきなのか。

熊さんのぬいぐるみを買ってきて、パジャマ姿で抱いて。僅かに胸元を緩めて撮影。データを匿名でネット上にあげて喜ばせる。

あるいは着替えの瞬間。怪しまれないように、「盗撮魔逮捕」という事実無根の情報をちゃんと出回らせるのも忘れない。

(大人はみんな可愛らしいキャラクターを私に求めている。でも、ほんの少し大人びた部分を見せた方が飽きさせない)

冷徹に観察し、そして新しい戦略を練る。自分自身の切り売りを、なるべくプレミアをつけて。





(誰が気付くだろう?私が売り込みの計画の多くを担っているなんて。エリナだけじゃない、他ならない私が)

疲れた様子でくすりと微笑む彼女。官舎のベッドの上、ぐったりと横たわりながら、今日も自分自身の成果を確認する。

ちょっとした悪女の気分だった。自分いじめもここまでいくとかえって心地よくさえなる。わざと自分を"汚した"画像さえ作ってやった。

「・・・・・・出航まであと1週間」

それまでに継続的な評判を確立しておきたい。とりあえず、宇宙軍だけを取り上げた週刊誌が出来るところまでは漕ぎつけた。

(エリナやアキトが知ったらどう思うかな?でも・・・・・・これがアキトの為。ネルガルに利益を齎すのが、立派な大人への道)

いつしか彼女は凝り固まった信念の持ち主になりつつあった。いや、そうでなければ・・・・・・"自分でいる"事が難しかった。

今自分がしている事が正しい―――そう思い込まなければ、いかに何人かが支えてくれていても辛い。

世間の冷たさの中で、彼女自身が体温を維持するには・・・・・・耐えず血を沸き立たせる必要があったのだ。"アキトの為"、という。

(ラピス、頑張る。頑張って頑張って、絶対にいい大人になる)

そうして春の夜は更けてゆく。






























「ラピスも地上に戻ってきてるんだ・・・・・・」

ネルガル本社地下。彼ら復讐者達の為に与えられた一角で、アキトはテレビの中の少女を見つめていた。

「ナデシコBの点検だそうです。それにしても、ラピスの露出は過剰なぐらいに多いですね」

こうしている間にもバーベルで尚折れてしまいそうなぐらいに細い二の腕を鍛えながら答えるルリ。彼女がじっとしているという事はほとんど無い。

「まあ、広告戦略に努力のお陰で、ラピスは今や最も有名な軍人ですけれども。ネルガルの戦略は多少あざとすぎます」

「あざとくても、これだけだとアカツキが本当は何をしたいのか、わからないんだろうな」

アキトの感想。この裏の世界に関わってから、彼の知能レベルは上昇している。元々優れた博士を両親に持つ男なのだ。

「むしろ必死さが滲み出ているようにさえ感じられる・・・・・・実際、ラピスはよく頑張ってると思うよ」

例外を除き誰にでも優しい彼。その彼の優しさを時折独り占めしたくなる彼女。勿論、無理だとわかっている。

「でも、あれじゃ休暇もなくて大変だろう・・・・・・平穏無事って訳にはいかないだろうけど、もう少しなんとかならないか」

「ラピス自身が望んでしている事だと思います」

そう、ルリと同じように。アキトの為だけを思って・・・・・・そう思い込めれば、どこまでもやれる。ルリにはラピスの気持ちがわかっていた。

「生きがいがある。そんな今の彼女からむしろ忙しさをとりあげるのは可哀想。私はそう思います」

それに働いていてくれた方がラピスとアキトとの接点が減る―――心のどこかでそう思ってしまう彼女。

「・・・・・・そうだね」

彼女の内心には気付かずに映像の中の少女を優しく見つめる視線。この時は、まだ何も起こっていなかった。





「・・・・・・ラピスがいない?」

ある昼下がり。報告を受けたエリナの瞼が釣りあがる。

「どういう事?今日のこの時間帯はNTVの中でしょう?」

「お手洗いに行っている間にいなくなったんです。いったい何が起きてるのか・・・・・・」

報告者自体困惑の表情を隠しきれない。いやな予感がして、彼女は身を翻して会長室に向かった。

(あの娘が突然自分から失踪するなんて事、あるのかしら・・・・・・前、自殺未遂を起こしたそうだけども、今こんな事する?)

考えられない。だからといって―――そんなに簡単に誘拐や拉致などされるものだろうか?あれほど護衛がいるのに?

「ラピスがいなくなったそうよ」

「ラピス君が?アイスクリームでも買いにいったんじゃないのかな、年頃の娘だし」

「・・・・・・よくふざけてられるわよね、あなたって。ともかく、NTVの周囲にいないそうだから、もっと調査しないと」

「ああ、調査ね。とりあえずシークレットサービスは動かしてと・・・・・・宇宙軍の情報部、結構信頼置けるから頼んどこうか」

平穏無事という人生は、どうしてもその少女は歩めないものらしかった。






























「うぅ・・・・・・」

関知できない深淵より薄い闇、そして一面の光へ。くらくらする頭、はっきりしない、ぼやけた意識。

(私・・・・・・身体が痛い)

「後は輸送・・・これでよろしいか、女史?」

「ふふっ、よくやったわね・・、これであたしの研究も進むわよ。ヤマサキに負けっぱなしなのは癪だし」

知らない単語の数々が次第に耳の中に飛び込んでくる。彼女は完全に覚醒しようとして―――苦痛。これは・・・・・・!

「ふん、やっと目覚めたみたいねぇ。うふふ・・・・・・本当はホシノ・ルリがよかったけれど、あんたはその代替としては十分よね。

可愛いわ、被験体23番・・・いえ、今は宇宙軍大尉ラピス・ラズリかしらね。どうだった、人間の真似事は?」

「!」

目の前の黒の瞳。舐めるように彼女の身体を見回している―――思い出した。もう深い記憶の奥に押し込めていたはずの、女科学者。

「・・・・・・どうして」

「ホントはここでさっそく可愛いあんたの事をばらしちゃいたいけど・・・まっ、お迎えが来るまで寝ときなさい」

そういって彼女の右手に何か薬剤の入った注射器を押し付ける。鉛のように重い腕は、ぴくりとも動かなかった。

(どうしてっ!?どうして・・・・・・助けてっ、アキト!!)







「!?」

床を跳ねるバイザー。あまりの急な話、恐ろしい事実に彼は凍り付いていた。

「もう一度言うわ。ラピスが攫われたの・・・・・・今のところ犯人グループの目的は不明。それ以上にラピスの居場所もわからない」

彼にそう告げるエリナの表情も声も、もし知らない人間がそれを耳にしたのであれば平静であるように思われた。

だが、微かな擦れ・・・・・・感情の昂ぶりを必死に押さえ込んでいる。2人を尚冷静に見比べながら、ルリはそう判断していた。

「ラピスが・・・・・・っ!警備は・・・いや、そんな事言ってもどうしようも無いのか。くそっ!」

「アキト君、本当にごめんなさい。私達の力が至らないばかりに。ともかく、その・・・あなた達の地球での予定は全部キャンセル。いいわね?」

言い換えれば、ラピスの捜索に全力を挙げるという事になる。それだけその少女には価値があるという事であり―――敵が手練だという事だった。

「・・・・・・ああ、勿論だ。ちくしょう、きっと奴らだっ・・・待ってろよ、ラピス」

(ラピスがそんなに大切・・・・・・当然ですね。うん、きっと当然なんです)

熱くなりやすい部分はちっとも変わっていない―――それが誰にとって、そして彼女にとってもいい事だと―――ルリは思い込もうと努力していた。







「マキビ少尉」

ナデシコBの艦橋から去って、自室に戻ろうとした矢先。少年は呼び止められた理由がなんとなくわかっていた。

「・・・・・・僕に何をしろって言うんです?僕はどうせナデシコBのオペレーターに過ぎません。艦長の為に出来ることなんて」

正直、気に入らなかった。同じ『ライバル』でも憧れのホシノ・ルリだったらどんなによかった事だろう、そう何度も内心で恨み言を溢していた。

ほとんど同い年なのに、彼よりずっと優秀。彼より役職も階級も上。彼よりも世間の憐憫なり歓心なり―――ともかく有名人。

そして・・・・・・彼よりずっと目の前の青年、高杉三郎太やジュンに目を掛けられている。そんなあの少女が憎かった。嫉妬していた。

(どうせ僕なんか・・・・・・定められた役目だけやってればいいんでしょ?それが世の中が決めた僕の人生なんでしょう?)

「出来る事?そんな事、誰が決めたんだ、ハーリー?軍か、俺か?それともラピス艦長代理?・・・・・・お前さん自身の問題だろ」

いつもの女性に向ける斜め上で不真面目な視線とは打って変わった、彼の心を貫いて離さないようなそれ。

・・・・・・わかっている。彼だってわかっているのだ。自分がどんなに情けない事を思って、実際に今それをしようとしているのか。でも・・・・・・!

「嫉妬するなとは言わんさ。まあ、張り合ってみたくもなるだろうし。だけどな・・・・・・本当にいいのか、彼女がいなくなって?」

(いなければいいんだ、いなければ僕がメインオペレーターになれる。そうじゃないか、違うのか?違う!?そんなに・・・・・・悪い事なのかな)

少年は自分の中で膨れ上がる醜い一部分を必死に身体のうちにとどめようと努力した。そう・・・言ってしまえば、それでおしまいだ。

『おしまい』になってしまう事がわかっていた。一生後悔せずにはいられないだろうと。それでも―――感情は荒れ狂う。波濤が堤防に迫る。

「・・・・・・僕が結局何を出来るって言うんですか?僕は居ても居なくてもいいんでしょう?みんな誰もが・・・うっ!」

平手打ち。ひりひり痛む右頬―――何するんだ、きっと思わず青年を見上げて・・・はっと彼は息を飲んだ。何かが、違ったのだ。彼の予想と。

「男なら、情けない事言うんじゃない。誰がお前さんなんてどうだっていいと思った?そんな事、誰も思っちゃいねぇんだよ。

軍は、艦は・・・こういった集団はな、誰一人無駄はいないんだ。そりゃ仕事に量も質も違いがあるかもしれねぇし、評価は異なってくるさ。

艦長代理は確かに才能がある。世間からの評価も。だけどな・・・責任とか、そういうのもあるんだぜ?寂しいとか・・・思ってるかもしれないだろ。

そういうのを支えたり、癒しあったりするのを含めてさ、そいつがチームで艦なんだ。なら、何故お前さんを誰も必要としないなんて事がある?」

男の真剣な顔。甘くは無い。だけどただ厳しいとか、そんなものでもない―――少年ははじめて"大人"を知った。

見せ掛けだけの関係が大人の社会―――そういう訳では無い事を、それはただ"大人びている"に過ぎない事を。彼は刻み付けられた。

(・・・・・・中尉が必要としているなら、今回は免じて)

そして応えないのは―――"大人"から見捨てられかねなかった。彼はチャンスを拾ったのだ。






























「この泥棒猫!あなたなんか・・・・・・死んじゃえっ!!」

「ルリが私を見捨てた。アキトを奪った・・・許せない。壊してやる・・・・・・」

刹那に通り過ぎる光。心臓が跳ね上がり、同時に身体がびくびくっと震える。目を見開いて―――私室の白い天井。

「っ!・・・・・・夢、ですか。本当に?」

その問いかけに答える者はいない。それに―――自明だった。少なくとも、彼女、ルリ自身にとっては。

(恐れは悪夢を現実にする・・・・・・恐れるだけの理由、ありますから)

誰にも相談できないこの思い。アキトにすら―――いや。アキトだからこそ、彼女は自分自身全てをさらけ出せなかった。

頼るのとさらけ出すのは違う・・・その一線を引こうとしていた。さもなくば―――"この夢"から醒めてしまうだろうから。

(馬鹿な私。きっとナデシコ乗る前の私だったら、軽蔑したんでしょう。でも・・・・・・もう、この人なしでは)

隣の青年の胸板に指を這わせる。その行為そのものが、罪の穢れに満ちたもの。その贖罪の時が来る事を―――彼女だけが知っている。

(でも今は、せめて・・・・・・いい夢を見てください。アキトさん)





未来は現在の延長線上で作る(作られる)もの―――そういう当たり前の概念が、今のルリにはひどく根拠薄弱なものに思えていた。

だって見えているから―――朝。半ばぼうっとする意識の中、黒コートを身に着けながら何となくそんな事を考えてしまっている。

「ルリちゃん」

部屋の中に駆け込んでくる青年。どことなく決意に満ちた色―――心がきゅんと痛む。ああ、わかっているのだ・・・・・・

「なんですか、アキトさん?」

「ネルガルが捜査範囲をこの東京、港湾部に絞ったらしい。ラピスは・・・・・・今日か明日あたり、見つかると思う」

とめられない。わかっている、彼女自身、彼を独占したくなる自分を恥じているのだから。倫理的にも、親が娘を助けるのは当然だ。

それでも・・・・・・彼女は自問自答する。戦うべきか、否か―――重みは、少女一人分の生命と未来。

それと等価に引き換えられるのか、引き換えていいものなのだろうか?彼女自身の幸せとを。得られたとして・・・ひどく後ろめたくないか?

(私が特段に努力しなければ、ラピスは死ぬ・・・予感に過ぎないけれど、でもたぶんきっと)

―――彼女の決断の時間は迫ってきていた。戦場に立つか否かではない、また"別の決断"についての・・・・・・






























その日の夜。世界の辺境にして、中心。"落ち目のネルガル"の会長室、その窓辺。

テーブルの上、チェス盤。彼、アカツキ・ナガレはこう見えて将棋が趣味だが、しかしチェスなどを引っ張りだしたのは久しぶりの事だった。

そんな珍しいこの夜、満月一歩手前の淡い光が照らし出す空間で、彼はさっきからナイトを摘み上げてゆらゆらと振っている―――

(・・・・・・やっと揃った駒、美しい棋譜をルールなく乱すなんて、そんなのは実に挑戦的じゃないか)

軽くゆがんだ笑みを浮かべて。彼はナイトをビショップに向けて近づける。そう、彼は―――怒りを抱いていた。

「・・・・・・でも、詰めが甘かったようだね。せっかくポーンからクイーンになった駒を取り除くチャンスがあったのに」

たとえ話のつもりらしい。だが、誰も聞いていない―――聞いていなくてよかった。彼は自分自身の思考の結果を再確認しているのだから。

「その為に"跳べない"ビショップをこちらのフィールドに持ち出すなんて・・・・・・これで、チェックまであと2手か、あるいは3手か」

ビショップを取り除き、ナイトがその地歩を占める。キングは3マス、ちょうどナイトの真上。近くて・・・遠い距離だ。

もう一度微笑んで、彼は「よいしょ」とつぶやいて立ち上がる。この頃は会長室に泊まりだった―――それも明日の夜で終わる。

それだけの"カード"を、情報を得た。勿論、それだからといって結果が常に最善とは限らないが・・・・・・彼のやるべき事はもうほとんどない。

「・・・・・・ったく。僕にチェスはちっとも似合わないんだけどねぇ」

厄介な手間だけを増やした"敵"に恨み言をこぼしつつ、彼はシャワーを浴びるべく会長室付属の更衣室に向かったのだった。





次話へ進む

Bride of darknessの部屋// りべれーたーさんの部屋// 投稿SSの部屋// トップ2

































あとがき




一陣の風が駆け抜けませんでした(おい)。お久しぶりです、りべれーたーです。

まあいろいろとやっていて、自作の小説も書いていて(おい)、『Bride of darkness』は更新が遅れてしまいました。

・・・・・・いやホントすまんです。でもまあ、それでも最終的には回帰してきたって事で許してくださいまし(苦笑)

この話は本来活劇まで入れる予定でしたが、ラピスの葛藤含めて次話に分割しました。

でもって更に飛ばしまくって第19・20話は劇場版ナデシコ相当の場面です。でも、話はそこでは終わりません(にやり)

まあ、それからが本番で―――この話も実は全26話の本番6話の為に組み立てられたものでして。

それがどういう事なのか・・・ヒントはたっぷりいれまくっちゃった感が否めませんので、続きをどうかご期待下さい。





とりあえず、例の如く次話予告。

攫われたラピス。マッドな女科学者を前に彼女の中で色々な思いが渦巻きます。

幸せ奪う悪魔、それからか弱い少女の元に駆けつける白騎士(ホワイトナイト)ならぬ黒の王子様。

その横に侍る魔女の心中。眠れる王女様の前で「アキトさんは私のものよ!」、宣戦布告です(大嘘)

次話、第18話。春を駆け抜ける嵐の中心にいるのは誰なのか。ぜひぜひお楽しみに!






それじゃ。次回もアキト×ルリで行こう!




自作の小説・・・って言ってもまったく無駄だった訳じゃないですよ?(にやり)

以上意味ありげですが、とても意味ありげなまま微笑みの貴公子をかましつつ、今回の黒塗りはこのくらいにしときます。

さっさと続き書かないとやばいですし。一応受験もあるのだけど(爆)まあ、だからこそ集中的に・・・(以下削除されました)



b83yrの感想

ラピスが頑張ってるなあ、多少の黒さはあるが、まあ、奇麗事ばかりよりもよっぽど好きですけど

この分だと、ラピスが救出された後に、アキト絡みでルリVSラピスもあるのか? とか考えたりして



次話へ進む

Bride of darknessの部屋// りべれーたーさんの部屋// 投稿SSの部屋// トップ2



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送