それは一夜の夢だったのだろうか?

真剣に疑う少女。何せ自分は『科学の発展』に囚われた可哀想な女なのだから。現に今、こうして手には鎖が繋がれている。

どんなにあがいても、緩みもしない手枷。動かしても、枷の中の棘がいつも彼女の心までずたずたにする。得られない自由なんて―――

・・・・・・なのに、やっぱり夢なんかじゃない。ナデシコBも、高杉三郎太他優しい大人達、それに・・・・・・あの人の温かい体温。

でも、夢でないとしても―――もうその日々は遠いのだ。自分は結局人形。自由になどなれない、見えない糸に操られるだけの存在。

苦痛だけ。一度知ってしまったからには、もう我慢できそうにない。何にも感じていない振りすら出来そうにない。

―――どうせなら、死んでしまいたい。苦しみだけなら・・・・・・

(どんな事があっても自分から死ぬ馬鹿がいるかっ!)

声がする。そう、最後まで諦めてはいけない。わかってる、わかってるけど―――実験室での生活は、心に恐怖を呼び起こさずにはいられない。

(・・・・・・アキト、助けて。もう駄目、一人になるなんて、ずっと孤独なんて・・・・・・怖いよぉ)



























Bride of darkness



第18話 『花嫁修業』











ネルガルシークレットサービスと連合宇宙軍情報部の捜査網は敵拠点をほとんど特定するに到っていた。

港湾、5隻のうちどれか。あるいは全て。簡単に大部隊を差し向けると逃げられるので単純にそうはいかないが、後は精査のみである。

『こちらマーキュリー1、"セントヴィンセント・グレナディーン"号に敵火点を確認。20mm機関砲2基』

「"セントヴィンセント・グレナディーン"と"マダガスカル"。多分後者というところですか、ゴート君」

近くの倉庫の中、バスに偽装された指揮車両。モニターに次々目を通しながら、赤ベストの男がめがねをくいくいっとあげつつ推測する。

「"セントヴィンセント"は反撃用の拠点でしょう、ミスター。あるいは、いざという時に"マダガスカル"を始末する為の武装か」

「ボソンジャンプで奇襲して火点をつぶしておきたいものですねぇ。ルリさんのエステバリスが必要ですか。彼らも機体を隠しているでしょうからなぁ」

「・・・・・・例の七機については?」

「それは宇宙軍部隊の大群でご退場願いましょう。それまでにラピスさんを救出し粘れればこちらの勝利です」

正しい推測だ。夜天光他の機体は運動性は高いがライフルを装備しない。故に集団で押しかければそれほど問題にはならない。

「それよりゴート君。大型トラクターを多数用意しておいてください。撃破した機体を運び出さなければなりませんから」

「火遊びの後は後始末、ですな」

特に面白くもなくそう呟く大男ににやりと笑みを見せると、プロスペクターは手にした宇宙算盤でなにやら計算をはじめたのだった。





「・・・・・・ラピス、待ってて。母さん、絶対に助けにいくから」

いつもの彼女を知っているのなら、目を疑う光景だろう。いつもきっちりとスーツを着こなして有能な女性を演じている彼女が、ジャケット。

その下は、パイロットスーツよりフィードバックされた技術の応用されたインナー。ぴっちりと手首の先まで身につけて、鏡の前で確認する。

勿論、止められた。足手まといなのはわかっている。でも―――親の責任だ、こうしなければ後悔する・・・・・・だから、そうする。

(ずっと傍にいれなくて、宇宙軍なんかに放り出してごめんなさい。でも・・・一人で寂しい思いなんて、絶対させない)

―――どれほど他人を嵌めてきた彼女でも、守るべきなにかはあるのだ。それを譲る事は、ありえない。






























運命は変えられない―――僅かながら、最近運命論者になりつつある事を自覚するルリである。

どうしてそうなったのか、そう思っているのか―――他人に説明するのは難しい。ただ・・・・・・何となく"見える"のだ。

"見える"から、アキトも助けられた。"見える"から・・・・・・そして何度もそれで助かったから。信じる気になれる。

でも、今回はそれはマイナスにしか働かない。ラピスを助けるのは至難、そして―――紙一重。その為には、犠牲が必要。

(・・・・・・アキトさんが助けたいって言ってます。なら、私は全力を尽くすべき。でも・・・全部喪われるのは嫌ですね)

利己的な動機。人は結局それでしか動かないものかもしれない。彼女はラピスよりも、アキトとの今の関係、生活の方が大事だった。

復讐の手伝いを理由にしているけれど、復讐よりもアキトの方が大事。アキトと肌を合わせている現状を、喪いたくない。

これは欲望―――わかっている。ただ行為のみならず、心からユリカを裏切り・・・・・・そして同輩の生命すら、切り捨てようとしている。

「・・・・・・だからって、何なんです?未来は決まっているんです、私はこうするしか。こうなるしか」

呟いて―――胸に痛み。何か、間違っている気がする。するけれども、流されている。自分自身の幸せに。

迷いに迷い続ける。鏡の向こう側の浮かない顔を不機嫌に睨み付けながら、黒コートに袖を通す彼女だった。





「・・・・・・」

先程から湧き上がってくるほんの少しの不安。自分の弱気を嗤いながら、黒の王子は拳銃を手に取る。

50口径、無骨な構造。サブアームではあるが、彼を守る最後の武装。ナイフの取り扱いにそれほど長けていない彼からすれば、

この弾が尽きたり拳銃そのものが喪われる事態になれば生還は一筋縄ではいかなくなる。ボソンジャンプはあるけれども。

(ラピスを助けるんだ、なのに心がいまいち乗り切らない・・・・・・おかしいのか、俺は?)

どこからか伝わってくる、沈鬱な感情。それに無意識下で翻弄される彼。それがリンクによるものだとは思いもしていない。

拳銃を握って、構える。鏡の自分の眉間に突きつけて―――暗示する。低く呟いた。

「ラピスが助けられなければ、俺は死ぬ。そうすればユリカも死ぬ。ラピスを助けろ、助けろ、助けろ・・・・・・よし」

何となくかかった気がする。血の巡りがよくなった全身、腰のホルダーに拳銃を収める。バイザーもつけて、マントを羽織る。

(俺がやらなきゃ、誰がラピスの事を・・・・・・もう一刻たりとも許せない。人体実験する奴らなど、この俺が!)







「うふふ。ヨシオ、喜んでくれるかしらねぇ。ま、あの人はあんまりマシンチャイルドに興味ないんだけど。でも、研究の手助けにはなるし」

ぶつぶつ呟きながら。カプセルの中に収めた薄桃色の髪の少女の周りをぐるぐると回る女科学者。手にしたファイルに目を落とし続けながら

「ふふっ。少し私も勘違いしていたようね、このデータからすると・・・・・・。教育は必要か」

急上昇を示すグラフ。くすくすっと笑って、テーブルの上にファイルを投げ出す。笑いが次第に大きくなって、やがて哄笑に。

「あははははっ、うふふふっ・・・・・・ああーっ、おかしい。科学者じゃわかんない事もあるもんね。これは感謝しないといけないわね、ネルガルにも」

とはいえ、方針を変える予定は無い。食うか食われるかなのだ、この世界は。その為に、この素材には本来の役割に戻ってもらわなければ。

「・・・・・・くくっ。さぁて、この娘をどうしましょう。まずは肉体なんていらないし、思い切って脳髄だけにしちゃおうかしら」

狂おしい笑みを浮かべたまま、カプセルに右手をあてる彼女。科学の進歩の為には悪魔にもなる。いや、悪魔でいるのが楽しくて仕方が無い。

「どうして欲しい、私の可愛い試験体さん?もう生きてたって仕方ないんじゃないの?ほら、言ってみなさい」







同時刻、ネルガル本社ビル会長室。暮れてゆく夕日を見つめながら、スーツをなぜか無意味なまでにびしっと決めた男アカツキは通信越しの男に呼びかける。

「そうかい。それじゃ、今日の夜のうちにちゃっちゃと片付けてくれたまえ。そろそろ地上の事は片付けておきたいからね」

『はっ。つきましては、参加を要望しているエリナ女史の扱いについてですが』

「彼女の好きにさせるしかないだろうねぇ、この件は。けれど無理しそうだったら、例のぶつを試してみていいから」

『例のぶつ・・・フレサンジュ博士の新型睡眠薬ですか・・・・・・必要に応じ、処置を行います』

「今は誰も失う訳にはいかないんだよ、正直。でも、この作戦が成功すればだいぶ楽になると思う。君達にはがんばってもらわないと」

『・・・・・・はっ』

右手でクイーンの駒を弄びながら。彼は部下の能力を信頼していた。何しろ、あれほど鮮やかにナデシコを彼の手から奪っていった者達である。

(あれからもう随分時間が経ったんだねぇ。ルリ君もすっかり大人だ・・・・・・こいつは、たとえ目覚めたとしても艦長にとっては恐るべきライバルだね)

残念ながら彼はルリとアキトの間で既にある事はまだ知らなかった。その要素を考慮にいれていなかった事を多少悔やむ時が来るとは思いもしていない。

「・・・・・・さぁ。そろそろ鬼ごっこも終わりにしようか。元社長派でクリムゾンの産業スパイのキサラギ博士」





























夜の静寂を突き破る爆発音。連鎖して続く音とぱぁっと明るくなる空。つかの間の暁を突いて、男達が動く。

「ストライカー1、"マダガスカル"に攻撃開始」

『了解。ストライカー分隊、水中より船体破断を開始します』

大男、ゴート・ホーリーの左手に握られたインカム。次々と指示を下していく彼の横で、赤ベストをいつものようにびしっと決めたプロスペクターは状況表を眺めている。

「・・・・・・まだなの?」

更にプロスペクターの横。不安を隠せないエリナの問いかけに、けれどプロスペクターは悠然とした微笑で応える。

「まだですな。ご説明申し上げた通り、この作戦は空陸水三面からの立体攻勢で敵を圧殺する計画です。もう少し正面からは待たないと」

「そう・・・・・・」

「大丈夫です。テンカワ君とルリさんはプロですから」

「・・・・・・」

それでも不安を覆い隠す要素にはならない。けれどそれも結構な事―――プロスペクターは思う。不安に思うだけ、エリナは"母親"なのだろう。

「ミスター、ストライカーが船内に侵入した。敵との銃撃戦に突入」

「ムーンドック氏に動いてもらいますか。火力支援要請、目標の喫水線を狙って下さい。着底させましょう」

「了解。フェイズ2に移行した。ムーンドック小隊、行動開始」

『承知。源次郎、AP弾発射。目標、両船の喫水線上』

ぱんぱんぱんっ。甲高い音が連続して響き、やがてがくっと船が傾く。船の上に警戒に出ようとした敵工作員の足がとられたのがわかる。

『ムーンドック、空挺強襲開始する』

そして上空に現れるヘリコプターからシークレットサービスが降り立つ。甲板上で銃撃戦が生起し、緑色の煙幕が焚かれたのを見てゴートが振り返る。

「ミスター」

「行きますか。エリナさん、私の後ろに」





ボソンの淡い輝きと共に現れる、黒尽くめの男。戦闘が行われている甲板、月臣達が降下した前半部の反対側、船橋裏に現れるアキト。

ほとんど人影の無い周囲。シークレットサービスがひきつけている間に、彼は予定通り船橋裏のハッチから船内への侵入に成功する。

「ネルガルか!?」

「わからん、ともかく急げ!船内への侵入を許すな!」

「船が傾いているぞ、誰か船底を見て来い!」

走り寄ってくる数人の火星の後継者工作員を近くの部屋に隠れてやり過ごし、階下への階段を探す。恐らく船橋の近くにあるはずだが。

(問題はどこにラピスがいるか。ヘリコプターの事も考えて、そう深いところにいるとは思えない)

客船のように案内図がある訳でもない貨物船。2万トンの巨大な船体のどこに、彼だったら隠すだろうか。やがて、階段を見つけると共に決意する。

(よし、あそこだ)





「きゃあっ!」

突然の揺れにうめく女科学者。どーんどーんと連鎖する爆発音、ぐらぐらと揺れて戸棚から地面に落ちる書籍の数々。

悠然とコーヒーを飲んで休憩のひと時を過ごすつもりだったが、当てが外れた。というより、信じられない気分で一杯である。まさか・・・・・・

「そんな、ネルガル!?どうしてここがわかったの」

火星の後継者の担当者は完璧だと保障していたはず。何しろこの船は来るべき計画の際に武器庫として使用されるはずで、だから―――

「・・・・・・っ。しくじったわね、けれど!」

デスクに駆け寄り引き出しを開ける。中にしまわれた拳銃を手にとって部屋を出て走りだそうとした時、またも大きなめりめりっという音。振動に足をとられる。

「きゃっ・・・渡しはしないわよ。私の為だけの試験体なんだから!」





天空から降り注ぐラピッドライフルの弾は過たず"セントヴィンセント・グレナディーン"の武装と"マダガスカル"のヘリを貫いていた。

黒いエステバリスが降下する。その中、スクリーン越しに"マダガスカル"を見つめる蒼銀色の長髪の少女、ルリは迷いを抱えていた。

(これで私の役割は終わり。後はアキトさんが出てくるのを待っていればいいじゃない)

心のどこかではもう一人の彼女がそう呟く。もう自分に期待された仕事は終えたのだ。このまま待機していても、誰も文句を言わないだろう。けど・・・・・・

(それだと、ラピスが。相手も馬鹿じゃありません。逃げられないと知ったら、きっと)

IFSインターフェースを強くぎゅっと握る彼女。たぶん自分にしか出来ない―――わかっていた。けれど、踏ん切りがつかない。脳裏に浮かぶ光景のせいで。

(・・・・・・。それでも、アキトさんの為なら。ラピスがいなくなったら、きっとアキトさんは。やっぱり、それは)

悩みに悩み続けた果て。ぐいっと機体を動かし、船の横につける。イミディエットナイフを取り出して船腹に突きたて、切り裂く。

空いた穴にナックルを叩き込んで広げて、更に商船の薄い鉄の板を握って引っぺがす。そうしてから、アンカーを打ち込んで機体を固定して

「・・・・・・。私は」

エステバリスから"マダガスカル"に飛び移り、狭い船内を駆け抜けてゆく彼女だった。






























「うっ・・・・・・」

頭がくらくらする。むりやり眠りから覚めさせられて、身体も浮いているようで気持ち悪い―――浮いている?

(!)

彼女、ラピス・ラズリが気づいた時。目の前に例の女科学者がいた。おもむろにその手が伸びて、身体の重い彼女の首筋を捉える。

(うっ。やめてやめてやめて!殺さないで、いやぁっ・・・・・・アキト!)

ぎゅっと締め付けられて、血のめぐりが無くなる。酸素も無くなって、覚醒したばかりの意識がまた闇の淵に立たされた。ひどく怖い。

暴れて足で蹴り飛ばそうとするけれど、非力以前にまだ拘束されていた。腕も同じ。為すがままになって、苦しさがどんどんましてゆく・・・・・・

(痛い痛い・・・・・・死ぬのは、やっぱり嫌。死ぬのは怖い。どうして前の自分は簡単に死のうと出来たのだろう?)

不意に浮かんでくる疑問。間違いなく今の自分は死ぬのが嫌だ。生きていたい。こう生に執着しようとするのは、どうして?

(・・・・・・アキトに会いたい。会うまで、死にたくないから)

ずっとそう思っていた。でも、前は会えない現実だけで絶望してしまえた。こういう風に思うようになったのは、自分が変わったからではないだろうか?

視界がほとんど薄ぼけて何も見えなくなってくる。相手の左手の拳銃が胸に当てられたのが、かすかだがわかった。ここままでは・・・・・・。




(どんな事があっても、自分から死ぬ馬鹿が―――)

その時浮かんだ光景に、自分でも衝撃を覚える。死の淵に思い出したものが、アキトではなかったなんて。

(・・・・・・。ナデシコB)

生の理由。その理由が純粋にアキトに対する想いそのものから出た訳では無い事に否応なしに気付かされる。けれど、それは別に恥ずべき事でもなかった。

(・・・・・・私の成長?ほんの少しだけ、やっぱり変わってきている・・・死ぬ前に自分の事、わかっただけでもいい・・・のかな)

それこそ、彼女が彼女として生きてきた記憶。大事なもの。気に入らないものもたくさんあったけれど、彼女だけが彼女自身の中に持っているものだった。

いよいよ苦しくなってきた。視界が暗転する。どこか遠くで撃鉄が起こされた音。ああ、もう・・・・・・







ぱんぱんぱんっ!連鎖した発砲音が響き、女科学者の身体がカプセルからずり落ちた。

苦しい意識の中、緩められた気道から必死に空気を取り入れる彼女。ごほごほっと咳き込んで、かあっと頭が熱くなって―――目の前が見えるようになる。

「・・・・・・アキトじゃない」

「王子様じゃなくて悪かったですね」

蒼銀色の髪を靡かせて、彼女のところまで駆け寄ってくる少女。彼女とよく似た黄金色の瞳は冷静に周囲を見回しながら、彼女の拘束を解く。

「・・・・・・。でも、これが現実」

思わず呟いていた。自分でも何を言いたいのかよくわからない。いろいろとぐちゃぐちゃになって―――けれど、これがたぶん真実なのだ。

白馬の王子様と思い定めても、彼だけが彼女の事を想っている訳ではない。本当は・・・・・・もっと多くの人が、彼女と共に生きている。それだけなのだ。

でも、それだけだけれど―――それが一番いい事。そう自然に思える彼女がいた。彼女一人の持つ情愛全てを一点に注ぎ込む事は、少しく不健康だった。

(もっと他の人と一緒に生きてもいい。それが私にとって大人になる事・・・・・・アキト以外の人を知って、はじめてアキトの事だってわかるんだから)

「・・・・・・このコートを着て、あの部屋の隅に。来ます、彼らが」

スペアの黒コートを渡しながら部屋の片隅を指さすもう一人の自分に頷いて、おとなしく縮こまる。これから起こるだろう事態で、自分は足手まといだから。

(あの目、あの男・・・・・・北辰。来るから)





足元に転がる女科学者。背中から血を噴き出して、目を見開いて事切れている。これは、見た事のある光景だ。

そして今一度。拳銃の弾を装填しなおした彼女の前に現れるいくつかのボソンの波頭も、見た事のある光景。歯をぎゅっと噛み締めながら、構える。

現れた瞬間に拳銃弾を放つ。一発が編み笠の男をえぐって斃すが、もう一発を放つ前に引き倒される―――北辰。倒しながら室内を見回している。

「遅かったか。復讐の妖精よ、お主がやったのか」

「それ以外にありますか、うっ」

物凄い膂力。首筋を掴まれて高々と掲げられる。足が宙を舞って、どんどん絞まる。暴れて相手の身体を蹴るものの、かえって自分が苦しいだけ・・・・・・

「・・・・・・!来るぞ、部屋の外で応戦せよ」

「「「「「承知」」」」」

倒れた一人を除く5人の編み笠が部屋の外に消える。まもなく銃撃戦、アキトの吼える声が、エリナの悲鳴が聞こえてくる。けれど―――

「今日はお主を殺しに来た。お主の為に我らは散々な目に遭わされ、計画は修正を余儀なくされている。中将はいたく憤っておられた」

ぎりぎりっ。堅いごつごつとした手が彼女の首に食い込む。もうひどい痕がついている事だろう。それでもとまらない。

「っ!」

持ち上げられたまま、壁にぶつけられる。左手で持ち上げられながら、右手で装備を剥ぎ取られた。

それでも暴れようとする彼女の右手に奔る痛み。ナイフに鋭く切り裂かれて、血がどくどくと溢れる。

(これが運命ですか。でも・・・・・・運命でも、死神に逆らっても死ぬ訳にいかないんです。私も、ラピスも)

「我ら多くの同志が奪われた。まことに修羅は恐るべし、だ。だが、それも今日で終わりだ」

意外に多弁な男。薄れゆく意識の中で、それでも彼女はまだ室内を冷静に見回していた。今、この男は自分に意識が集中している―――

「試験体・・・ラピスと共に死ね。世界は我らがあるべき姿へと変える。心置きなくあの世に逝くがいい」

背中ががら空きだ。そして何より、室内には他に誰もいない。味方は近い。後一人いれば―――ラピス!

その時、またも灼熱。左足に奔る熱は血の塊となって床に零れ落ちる。もうもちそうにない。空いた左手で、薄桃色の髪の少女に目を向けて。





とんとん、とんとん。ルリが壁を叩く音は、確かに彼女にも聞こえた。それに、向けられる苦しそうな黄金の瞳も。

時間稼ぎが必要―――そう読み解くまで、なお数瞬が必要だった。けれど、わかったからにはもう足手まといをやっている訳にもいかなかった。

(・・・・・・何か無いの?拳銃はちょっと無理。ルリにあたっちゃう)

まず一番最初に目に入ったのが、女科学者の握っている拳銃。けれど、一応訓練しているとはいえ、満足に扱える自身は無い。

(勝てなくても、時間さえあれば。ここままじゃ2人とも死んじゃう・・・・・・外はだめ。アキト達がんばってるけど。じゃあ)

天井を見上げる。あれを突き破ってエステバリスが飛び込んでくる空間を作れないだろうか?甲板までそう距離はないけれど。

(ちょっと空想的?うん、無理かな・・・・・・じゃあ、これっ)

ダクトが繋がっている。煙を使って微かに意図を知らせる事が出来ないだろうか。そう思った時、彼女は動いていた。デスクの上、ライターを手にとって。





「・・・・・・何!」

気付いて、やっとルリの身体を突き放す北辰。ごほごほっと咳をして、それでも立ち上がろうとして―――出来なかった。情けなく血の池に足を取られる。

左足の傷は思ったよりも深かった。動かそうにも痛いのと感覚が無いのとでどうしようもない。無力な彼女の目の先で、火のついた紙を放り捨てるラピス。

北辰がまず突進したのはラピスに向けてだった。突き飛ばされて、壁に叩きつけられる少女。しかしその間に、思ったよりも早く火の回りが来ていた。

(・・・・・・汚い部屋ですね)

埃と機械の油かすと散らばったレポートと。消し止めようといくらか努力を重ねる北辰だったが、ばっと部屋中に火が回ってしまってはどうしようもない。

「・・・・・・おしまいです、北辰」

「何と?」

「貴方はここで死ぬんです。私と一緒に。それが運命なんです」

苦しい息を我慢しながら。必死に演技を重ねる彼女。ともかく内容は支離滅裂でもしゃべり続けなければならない。時間稼ぎさえうまく行けば、あるいは。

「一番最初に会った時に捕らえないで殺しておくべきでしたね。本当に、時代錯誤にかっこつけてるだけで、貴方はとんだ無能です、うっ!」

思いっきり首筋が悲鳴を上げる。舌を噛んで、血が口の中からどくどくと流れて、顎から地面にぽたぽたと落ちて―――髪を握って振り回される。

「・・・・・・忘れたか、愚かなり妖精よ。我もまた、科学班の優れた研究の成果により跳躍できる事を?戯言はほどほどにするがいい」

「ぐっ!きゃあ・・・・・・いっ」

頭を何度も壁に叩きつけられて。やがてぐったりとした彼女に向かって小刀を構える。もう今度こそ、駄目―――































「はやく、急いで!ラピスが、ラピスが・・・・・・」

エリナの悲鳴が響く。シークレットサービス、更に裏側から回り込もうとして失敗したアキトも加わってその部屋に向けて攻撃を仕掛けるが、まだ突破できなかった。

「エリナさん・・・・・・。今飛び出すのは得策ではありません。ここはテンカワ君に任せて」

自身も拳銃を握って時折発砲しながら。乱戦の中でも一切乱れない赤ベストの男が暴発しそうな彼女をたしなめる。

「言ってられる状況!?もう3分も経ったのよ、今頃撃たれて。早く行かないと、助からないわ」

エリナの言い分ももっともである。だいたいさっきから部屋の中から黒煙が噴出していて、今にも危うい感じがひしひしとするのだ。

だからといって、無駄に敵の弾幕の中に部下を飛び込ませる訳にもいかない。焦りが募り、それがとうとう耐えられそうになくなったその時―――振動。

「何、何が・・・・・・?」

みしみし。天井から照明が落ち、続けて亀裂が奔る。やがてぱっくりと割れて、一部から夜空が覗く―――巨大な手。一瞬だが、視界をさえぎる。

「エステバリスか」

ゴートの呟き。確かにエステバリス、それもナデシコBの青いスーパーエステバリスに他ならなかった。それが壁を強引に叩き割り、部屋の中を蹂躙する。

「・・・・・・。いやぁあああっ!」

とてもでは無いが外見では人質救出に優れている方法には思えなかった。絶叫して飛び出そうとする彼女を必死に抑えるプロスペクターだった。

「テンカワ君!」

「・・・・・・ああっ」

敵も当然混乱している。やがて、何か合図があったのか部屋の中に消える5人を追って、アキトが飛び込んでゆく―――





「ラピス、ラピス!」

絶叫しながら室内に転がり込む彼。しかし、既に北辰達の姿は無い。形勢不利な戦をするほど愚かではないのだ、プロフェッショナルは。

部屋の中。ダクト沿いに甲板をラピッドライフルを併用して叩き割り、強引に突破口を作ったスーパーエステバリスが鎮座している。そのコクピットから現れる青年。

「・・・・・・おい、お前!」

思わず声を荒げてしまう彼。そんな彼を当面は無視して、部屋の片隅で建材に埋もれるのを辛うじて回避したラピスに駆け寄る、三郎太。

「艦長代理、ご無事ですか?って、こりゃさすがにやりすぎだったかな・・・・・・よっと」

一応敬礼してから、黒コートに包まれた痩せた身体を持ち上げる彼。そのままエステバリスのコクピットに消えようとするところを、その肩を掴む。

「おいっ。どうしてこんな強引な事をしたんだ!船ごとラピスを圧殺したかもしれないじゃないか」

「・・・・・・煙を噴き出す船を見て。危地に陥っているのは明らかなのに、あんただったら何もしないのか」

振り向いて。男の力強い瞳に思わず声を失うアキト。確かに―――そうかもしれない。そういう状況では、理性判断よりも感性が優先されるかも。けれど

「・・・・・・でも、それでも自分の手で殺してしまうかもしれない。それでも、お前はいいのか」

「人に黙って殺されるぐらいなら、そうさ。俺は何もしないのが嫌だった、そして・・・・・・あんたもそうじゃないのか。テンカワ・アキト?」

自分の名前を知っている―――思わず表情がこわばる彼の手をはずして、彼の艦長代理をコクピットの中に横たえてから。更に告げる。

「それより周り見てくれよ。あんたのお連れ、可愛い妖精さん。乗せてくから。早いところ病院まで運ぼう」

彼の後ろ、建材の塵を被って気絶している、彼の愛するパートナーがいた。






























「うっ・・・・・・」

なんだか長い夢を見ていた気がする。あまりに混濁しすぎた意識から完全に覚めるまでには、少し時間が必要だった。

「お目覚めのようね。はぁ、まったく。長く寝すぎだわ、もう子供でもないのに」

と彼女の治療の為に仕事が進まない、愚痴をこぼすイネス。その横で、頭を動かして時計を探す。あった、日付は―――あれ?

「6月、ですか」

「貴女は重傷を負って1ヶ月以上も気絶していた。右腕と左足と、あと腹部。それに頭を強く打って脳内出血と、まるでナチュラルライチ級のコンボね」

たとえが滅茶苦茶だが、なんとなく事情はつかめた。お陰で寝ている間に完治したようだが、リハビリが結構大変そうである。

「・・・・・・そういえば。ラピスはどうなったんです?」

「彼女は特に問題なかった。今は宇宙でナデシコクルージングってところかしら。それで、あなたの各症状についてだけれど」

説明が1時間ほど続く。まったく、どうして怪我そのものをこれほど壮大に学術的に説明できるのだろう―――いつものように話半分で聞いていた彼女だったが

「・・・・・・という訳ね。でも・・・貴女、またも奇跡を起こしたのね。いえ、未来が見えるから・・・かしら」

ぴくり。やはりお見通しらしい。身体を定期的に検査しているのだから、天才なのだから当然かもしれない。けれど、よくそこまで―――

「遺跡からのテクノロジーは神秘に満ちているけれど、だいたい方向性は一緒かしら。つまり、時空間に関わるものが見つかるという原則。

相転移エンジンも時間には影響しないけれども空間における通常の物理学を無視するという意味では変わりないわね。

あなたの身体に何が起きているのか、そう考えればだいたい推測がつく。貴女は間違いなく未来が見えている、そうでしょうホシノ・ルリ?」

「・・・・・・はい」

けれど、それは決して幸せな事でも何でもない。むしろ、彼女に痛みしかもたらさないのだ。絶望的な未来ばかりで・・・・・・

「・・・・・・これではっきりとしたのが、未来はやはり不定って事かしら。意志の集積が可能性から未来を選択する。

先進波に漏れ出してくる未来の形は基本的に複数ある多次元宇宙のどれかから来たものに過ぎない。これは、大統一理論含めて見直さないと」

そうぶつぶつ言った後、金髪の女性はふと寂しげに微笑んだ。ルリの長い髪を撫でながら呟く。

「いずれにせよ、ちょっとお兄ちゃんのライバルとしては貴女は強敵になりすぎたかしらね。立派な花嫁よ、あなたはもう」





「すっかり元気だねぇ、エリナ君」

陽気な声で呟きながら、昼間にも関わらず悠然とワインを飲み干そうとする道楽会長の手からさっそくグラスをひったくる秘書。

「昼間から酒なんて飲まない!・・・・・・たく。もう少し自分の立場ってものを理解して欲しいものよね」

と、グラスとワインボトルの代わりにどっさりと決裁の必要な書類の束をデスクに載せる。ため息をつきながら、一枚一枚とってゆく男。

「・・・・・・しかし、いい親っぷりだ。ラピス君が帰ってくる度に欠かさず会いにいくなんて。まぁ、構わないんだけど書類ぐらいさ」

「私が片付けてもどうせ目を通さないといけないのだから二度手間です・・・・・・ラピスを大切にしてくれる人は他にもいるわ。

けれど、それでも私は義理でも母親。だいたいいつもこんな道楽会長のお守りをやっているんだから、彼女にかける手間はむしろ少ないぐらい」

「悪かったね。けれど、君にはそういうのを期待しているのだから、これからも大いにやってくれたまえ・・・・・・っと。この書類は」

極秘とプリントされた一枚の書類を取り上げて熟読する彼。やがて、くくくっと抑えきれない笑いが出てくる。

「相変わらず気持ち悪いわね、あなたの笑い。もう少し上品に笑えないの?」

「いやいや失敬。これが生まれつきでね・・・・・・とうとう動くか、火星の後継者。予想通りの夏だね」

「ええ、予想通りの夏。艦長を媒体としたジャンプシステムの一応の完成が成った以上、もう延期する理由はありません。

既に統合軍の2割に火星の後継者は食い込み、積尸気の配備も一定数完了したようです。その戦力は2個大隊に及びます」

「今のところ74機か。まぁまぁってところだね、けれど・・・・・・こちらも準備がもうほとんど揃った。はじめるとしようかな、そろそろ」

不敵に笑う彼。一度挫折した事があるからこそ、今回はもう間違えない。人の執念、意思と選択の恐ろしさを味あわせてやる番だった。






























そして時は着実に、決着の時に向けて進んでゆく。

7月上旬、月地下500mの第13ドック。ユーチャリスを前にして、エリナは黒衣の2人に説明をはじめる。

「火星の後継者達がとうとう動き出した、その事はもうご存知だと思うけれど。チャンス到来よ、私達にとっても、あなた達にとっても」

久しぶりの勝利を確信する口ぶり。ここまでの苦境を乗り切ってきたからには、もう負けはない。三者の間の共通認識であった。

「計画は第2案に移行するわ。火星の後継者を蜂起させて、階段を外す作戦ね。もう中枢を叩いている時間もないし、準備万端だし。

基本的には火星の後継者と連合との戦争の間を縫って、あなた達には目的の艦長の救出に専念してもらうわ。

ただ・・・来るべき最終決戦で、ナデシコCを側面援護してもらうのは、ちょっと外せないわね。たぶんその場に艦長もいるでしょうし」

「ええ、そうですね」

ルリが頷く。見える光景―――白い地面、ぽっかりと開いた地面の穴。遺跡だ。たぶん、間違いない。

「それで。ユーチャリスには前から言っておいたようにクローキングユニットに替えてハッキングディバイスを装備したわ。

見た目は変わっていないけれど、ルリちゃんの力を以ってすれば火星の後継者の戦力価値はゼロになる。

使い道はよく考えて欲しいけれど。もしナデシコCが失敗した時には」

「はい。援護します」

そう、この戦い自体は大した事がない。今までに2人を防げなかった、既に北辰達の負けだ。けれど、彼女が不安に思うのは・・・・・・

(艦長。私を・・・許してくれないでしょうね)

その事だけが心の中で痛む。どういう顔をされるだろうか?けれど、逃げようとは思わない。それが、彼への愛の代償なら。

「アキト君が言っていたブラックサレナだけれど、A2型に更新したわ。追加ユニットの装着が自由になっているから、後で確かめなさい。

それともう一機、ルリちゃん用にもブラックサレナを乗せておいたから。使わないなら、部品取りでも何にでも自由にするといいわ」

「ありがとうございます」

ぺこりと礼をする少女に、首を振るエリナ。明るい声色で弾むように言う。

「ただの契約だから気にする事ないわ。じゃあ、そろそろはじめましょうか。艦長を迎えに行く為に」



Bride of darknessの部屋// りべれーたーさんの部屋// 投稿SSの部屋// トップ2




































あとがき




ふぅ。なんとか第18話を書き上げたりべれーたーです。

なんというか、かなりお待たせしています。まぁ、初期の頃の勢いは流石にスペシャルってものでして特殊というやつでして(しつこい)

実際このくらいの速度でも続いているので、その点はぜひ大目に見たいただきたいなとかくかくしかじか(うるさい)。

あんまりあとがきを長く書くのはなんなので、とりあえず。





例の如くの次話予告。

とうとう劇場版へ。とはいえ、ヒロインの地位にいるのは電子の妖精ならぬ天使。

黒衣の妖精は歴史の裏舞台にて暗躍し、表では戦争が勃発。一方で悪魔の笑みを浮かべている謎の会長。

蝉の鳴く音が響く墓場にて全周包囲された、闇の処刑人こと北辰の運命やいかに。

次話、第19話。熱くてだらだらしてしまうような夏の季節で生ぬるい戦争がはじまります。ぜひぜひお楽しみに!






それじゃ。次回もアキト×ルリで行こう!




今回は黒塗りは無しって事で(おい)10分であとがき仕上げたぞ、いぇい!(馬鹿)





b83yrの感想

>夜天光他の機体は運動性は高いがライフルを装備しない。故に集団で押しかければそれほど問題にはならない。

北辰達を、やたら最強として扱うよりも、こういう扱いの方が好きでして

やっぱ、物事には、『適材適所』ってものがあるんですよ

たんなるパワー合戦は、『ただそれだけ』の話になっちゃいますから

Bride of darknessの部屋// りべれーたーさんの部屋// 投稿SSの部屋// トップ2



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送