「既知人類最高の艦、ユーチャリスよ」

そう告げるエリナの後ろ、500m以上もある広さの空間に鎮座する、白亜の戦艦。

これほど綺麗な戦艦をルリは見た事が無かった。ナデシコは"変な形"だったが、この艦は純粋に美しい。

すらりとした、レイピアやランスに近いような細身。優美な曲線が多用されたスタイル。白い翼のようなディストーションブレード。

人類は空想でも現実でも多数の宇宙戦艦を考えてきた。だがその中で間違いなく、この艦は五つの指に入る―――

「これが、ユーチャリス・・・・・・"清らかな心"」

呟くルリ。ユーチャリスという花は純白かつ清楚。ラテン語では「大変目を惹く」という意味で、ブライダルブーケにも使われる。

まさに「大変目を惹く」艦だった。はっきり言ってテロリストや影に生きる者が持つような艦では無い。

「計画は中止されたんじゃなかったんですか?」

「ナデシコフリート計画は続行中よ。そしてこの艦はその第1番艦、グラビティブラスト・強行偵察両用高速戦艦」

「・・・・・・"第4世代の戦艦"、ですか」

彼女の手に与えられた剣、それはまさに持ち手を選ぶものだった―――



























Bride of darkness



第16話 『Eucharis grandiflora』











「新型円形真空吸引口を上下シールド部に装備して、真空の取り込み効率がナデシコB型に比べて

約3倍になってるわ。そして上下それぞれ2基の相転移エンジンと重力波スラスター、

計4基を備えてエネルギーを確保している。それで4基分の高出力グラビティブラストを運用可能にしているわ」

艦内通路。すっきりと不必要な出っ張りの無い空間をエリナを先頭として3人は進む。

「勿論各部ディストーションブロック採用、円形ブレードからのフィールドもナデシコB比で2.7倍の堅さを持ってる。

でも何よりも、イネス博士が力を入れたものに単独ボソンジャンプが可能だという事があげられるわね」

それこそがこの艦のコンセプトがナデシコフリートの量産艦から特注艦へと変わる上で、最も重視されたものだった。

A級ジャンパーさえいればどこにでも現れ、ほぼいつでも撤収可能という能力。

交戦状況と時間をこちらがほとんどイニシアティブをとれるというのは、言うまでも無くこちらの戦力価値を大きく引き上げる。

そして4基のグラビティブラスト。重力波砲を艦首に2門備えた新リアトリス級相手でも単純計算で3倍以上の打撃力を持つ。

・・・・・・最強である。少なくとも1個護衛艦隊相手なら互角に渡り合えるほどに。無人機動兵器も多数運用できるのだ。

蜥蜴戦争初期のリアトリス級を第1世代とするなら、木連艦や新リアトリス級は重力波砲とディストーションフィールド、

相転移エンジンを備えた第2世代、オモイカネ級電算機を備えた初代ナデシコは第3世代、ワンマンオペレーションシステム実験艦の

ナデシコBは過渡期の第3.5世代戦艦とそれぞれ言えるが、この艦は更にそれらの上を行く第4世代戦艦と呼べる代物だった。

「単独の、ボソンジャンプ・・・・・・」

「ルリちゃんはアキト君とリンクしているお陰で実質A級ジャンパーとしての能力を獲得しているから、有用な手段のはずよ。

CCを使わずに4基分の相転移エンジンの大出力でジャンプする事になるわ。一応1回分のCCも積んであるけど」

4基の相転移エンジンの供給するパワーは伊達では無かった。エンジン自体の性能も良いから、双胴戦闘空母すら上回る。

エンジンの後方につけられたスラスターの他にも主胴体に4基のハイパワースラスターが付いているユーチャリス。

単独ボソンジャンプと併せてのこの展開力、機動力、そして運動性は既存の戦艦の概念ではもはや語れないものだった。

「そして4基の展開式クローキングユニット。とりあえず索敵に特化しているけど、将来はハッキングディバイスに付け替える予定よ」

「ハッキングディバイス?ナデシコCに付くと言われるものですか?」

「そう。そしてどうせナデシコCにつけるなら、ルリちゃんの使うユーチャリスにも付けちゃった方がいいわね」

とりあえずハッキングディバイスについては、この時のルリは良く知らなかった。ただの強化通信機ぐらいに思っている。

「索敵範囲は旧来型のレドームセンサーを更に伸ばしたもの。電子兵装は普通に将来の旗艦型のモデルが使われてる。

満遍なくナデシコフリートに使われる予定の諸技術を盛り込んだ艦だと思ってくれて構わないわ」

「正直、私なんかが使っていいんですか?」





その時、縮こまった空間に出る。座席は2つ、精々5人ぐらいしか入らない空間である。

「あなたじゃないと駄目なのよ、ルリちゃん。こんな艦橋、完全なワンマンオペレーションシステム艦を動かせるのは、

ラピスを除いたらあなたしかいないのよ。少なくとも、現在は・・・・・・」

ラピス、その単語を呟いた瞬間、微かにエリナの顔が歪んだように見えた。

「わかりました。ありがとう、とは言いません。ネルガルにも目的があっての事でしょうから」

それ以上エリナの顔を見ないようにして―――座席に着く。IFSボールの上に両手を乗せる。





(・・・・・・ルリ!久しぶり!!)

―――オモイカネ。まだ4ヶ月ぐらいしか経っていませんよ。ま、貴方にとって4ヶ月はとても長い時なんでしょうけど・・・・・・

オモイカネはとても頭のいい子である。だがそれだからこそ、ほんのしばらくあってないだけでも長く時間を感じるらしい。

最初アキトの復讐の手伝いを決意して、オモイカネに再会した時。1年以上も別れていた為、本当にオモイカネは"泣いていた"。

AIなので本当には泣かないが、ルリには彼の気持ちが判るのだ。

―――オモイカネ。ユーチャリスのデータを表示。同時に各種システムチェック。

(了解!)

「それにしてもどうしてこんな地下にドッグがあるんだ?」

「13は不吉な数字。だから元々欠番なのよね。で、こういう秘密の艦をつくるのに港の近くではばれてしまう。

幸いあなた達はA級ジャンパーで、艦も単独ジャンプ可能、だから第13番ドッグはこんな地下にあるの」

同時に地下深くであるので、月表面に設置されている機器からはボソン反応も検出されにくい。

(終わったよ。新品の艦だから、調子が悪いところも無いね)

―――初期不良って事もあります。一度は飛ばさないとわかりませんか・・・・・・。チェックありがとう、オモイカネ。

(ルリの為だったらなんでもするよ)

本当に人間くさいAIである。いや、生命体でこそ無いものの確実に自我を持っているのだ、彼は。

彼女の気持ちを汲み取り、適切に受け答えをする。そんなプログラムなど、誰も組んでいないにも関わらず。





他に色々巡ってから。3人は帰りはボソンジャンプでネルガル本社まで跳んだ。

エリナも一応耐えられるようにジャンパー手術を受けている。それがこうして生かされたわけだ。

ユーチャリスへの入口はほとんど閉ざされ、これからは全てボソンジャンプで中に入る事になる。

こうして彼らの復讐は新しいステージへ移行していく―――






























「・・・・・・はぁ」

自分でも音が聞こえるほどの溜息をついて。彼女はベッドの上に身を投げ出す。

まったくやってられなかった。一口で言えば、今日も対人関係が上手くいかなかったのだ。

勝手に仕事を進めてしまうオペレーター達。あれはナデシコBの能力調査も兼ねているから、まあいいとしよう。

だが食堂で彼女を見るなり避けて、部屋の一角のテーブルでひそひそ話をいつもするのは、流石に気になる。

次に操舵士。彼はいい人なのだが、気を利かせてか次の補給コロニーへの最短ルートを算出していれていた。

だが、その航路上で統合軍の哨戒集団と接触したのだ。こうなるとわざわざ通信を交わすのがルールになっていて、面倒くさかった。

こうなる事は予測できたのだから、若干10分程度の迂回ルートを算出してくれていればよかったのだが。

まあ、これらはいいとしよう。だが最悪なのは、やはりあのオペレーターだった―――





今日もどこかとげとげしくよそよそしい会話を若干交わしてから、彼女は今自室に戻ってくるところだった。

その最中、つい話し声が聞こえたのだ。相手は艦橋士官の一員だろうか?

「艦長代行って・・・・・なんですよ。ホントまいっちゃってます」

「大変だね、ハーリー君も」





要は彼女の悪い噂、ある事無い事を広めているのはあの少年だったのだ。だから、食堂でもああなる。

それを知って、今日の疲れが150%ほどその場で増して。今、彼女、ラピス・ラズリはベッドの上にいる。

(嫉妬するのはわかる。でも、どうしてそこまでするの?)

別に彼女とて彼の上官になりたかったわけでは無い。ただ、仕方の無いことなのだ。

でも、彼はそれが気に入らない。同年代で軍人やっていて、更に彼よりも地位が上で優秀な人間がいる事を、

容易には認められないらしい。そして、それだけなら彼女も気にならないし、あたり前だと思っていた。

別にハリに限った事ではないが、彼女の周りで彼女の存在に悪感情を持つ者達はどうしてか彼女を何かしら傷つけようとする。

それが嫌だった。一度なんぞは自殺未遂の一要因にすらなったのだ。ある事ない事言われる事に耐性はまだそれほど強くない。

(特別になりたくてなってるわけじゃない。お望みなら下僕だっていいのに。なのに、どうして)

もっと世界は明るいものだと思っていたのだが。実際、そうでもないものらしい。

こうして組織の中で生きていく事にしても、然り。あの頃に比べれば天国でも、ただそれだけである。

嫌な事は多いし、新しく傷つく事を多く経験する分だけ、実はあの頃の方が気は休まっていたのだ。

(・・・・・・いけない。アキトにもらった生命、大事にしないと)

流石に自殺しようとはもう思わない。だけど、心を閉ざそうというのも、多分アキトの意志に反する事だった。

彼は自分が内向きになって精神的に引き篭もってしまう事など望まないだろう。

それに―――苦しくても、頑張らなければいけない。そう、高杉三郎太が彼女に教えてくれた。

彼と後は艦長のジュンだけだ。彼女の事を気にかけてくれるのは。後はただ仕事上の関係か、よくない関係である。





のっそりと起き出して。軍服に手をかけ、床に脱ぎ捨てる。

・・・・・・盛大に捨ててから、結局拾って折りたたむあたり、どうしても丁寧な性格だ。

ロッカーからパジャマを出して、軍服をしまって。ナデシコ級には全個室にシステムバスが完備されている。

下着を脱いで籠の中に入れてから、中へ。既に部屋に帰ってきたときにバスはお湯が張られていた。

オモイカネ・ダッシュのお陰だ。彼は人間でこそ無いが、ずっと彼女の事を見てくれている。

お風呂は好きなものの一つだ。エリナとも一緒に入った。本当なら大衆浴場を使いたいのだが、仕方ない。

入っていて楽しくない人達と入っていても仕方の無い事だ。一人でバスの中に白っぽい裸体を沈める。

身体を洗うのがおっくうだった。結構疲れてしまっていて、お風呂の中で眠りそうだ。

もっともそうなったら、ダッシュが彼女を起こしてくれるだろうが。なるべくちゃんと寝る時はベッドの上でいたかった。

「・・・・・・ふぅ」

10分後、いつもよりずっと早めに浴槽を出る。シャワーを浴びて汗を流してから、更衣スペースに戻る。

下着は全部エリナの選んだものである。子供っぽいものではなく、無地の白なのは仕方の無い事情である。

身につけて、鏡で軽く自分の姿をチェックして―――全部エリナにするように言われた事である―――居間に戻る。





机へ向かって、電子錠のかかった引き出しを開く。中にあるのは、一枚の写真。

「アキト・・・・・・」

黒いスーツを身につけた男。余所から見れば、怪しい人物が彼女を羽交い絞めしているようにも見えるかもしれない。

だがその実、一番温かい、気持ちのいい抱きしめだった。唯一心から身体を預けてもいい人だった。

「アキト、私頑張るから。ずっとずっと頑張る。でも・・・・・・」

頭を軽く振る。悲しいような、辛いような。この写真を見る度に感じるのに。どうしても毎日見てしまうのだ。

「アキトがいないと、やっぱり嫌。だから、絶対にだから・・・・・・いつか迎えに来て」

追いかける、とは言わなかった。追いかける資格を持っていない事を、彼女自身よくわかっていた。

だから、待っている。彼が自分を迎えに来てくれる為に、ちゃんと立派になって、待っている。





小さな、まだ幼いとさえいえるその身に決意する彼女。

大人になるまでに彼女が味わうであろうその苦労を、報いる想い人は果たして現れるのだろうか。






























「ゴート君、久しぶりだねぇ」

会長室、およそ1ヶ月ぶりにスーツを律儀に着こなした大男が長大なテーブルの向こう側に立っている。

「は、およそ一ヶ月ぶりです。とりあえず会長、これに目を通していただきたく」

会長と呼ばれた男、アカツキ・ナガレの前に並べられた幾枚かのプリント。それにさっと目を通す彼。

「ふぅん・・・・・・わかった。とうとうステージは宇宙へ、だね」

「敵火星の後継者は宇宙に幾つもの拠点を持ち合わせています。また、以下の通り統合軍組織内部にも。

そのうち我々が現状手を打つ事が出来るものは、ここに現れている火星の後継者独自戦力に対するもののみです」

2人の周りを巡る幾つものフライウインドウ。いくつか紅くマーキングされたものを、アカツキは注目した。

「よし、わかった。宇宙に関しては全てテンカワ君達に任せよう。こちらは本社を中心に戦力を充実させる。

アルストロメリア及びスーパーエステバリスの秘匿生産ラインの整備に全力を尽くす。この事に関してはプロス君に任せるとして。

君には早急にシークレットサービスの再編を任せよう。正確には増員だけどね、機動兵器班をいくつか増やして欲しい」

巨大なウインドウが浮かび上がり、関東地方の地図が現れる。そのいくつかに小隊を表す記号が記入された。

「それと、連合宇宙軍に根回しして、横須賀、平塚、君津、成田、熊谷にそれぞれ2個中隊分の即応機動部隊を

用意してもらおう。こうする事で一発目に敵の打撃を受けるであろう練馬と習志野以外にも

決戦時に動かせる戦力が存在する事になる・・・・・・どうかな、悪くない手だろう、ゴート君?」

「ですな。特に君津に最精鋭を配置させましょう。横須賀は敵の攻撃を受けるでしょうし、残り3つは少し遠い。

この部隊は比較的東京湾深部に近いですから、有事が発生してから20分以内に区内に突入できるはずです」

東京湾北岸には地球連合とネルガルの重要施設が集中していた。この地域に敵が現れるのは間違いがない。

その為のA級ジャンパー確保であり、その為のジャンプ装置取り付け方機動兵器『積尸気』だろう。

「ただし、この場合君津には思い切って主力を集結しておいた方がよいかもしれません。

習志野空挺旅団のうち機動兵器3個大隊をここに移し、一気に東京南岸奪回をもくろむべきかと」

フライウインドウの中の図柄が複雑に動く。敵が東京の重要拠点に分散して現れると同時に、君津の部隊が動く。

それらは敵に包囲される横須賀をほとんど無視して東京湾を越え、一気に港湾地帯へ。敵をそれぞれ殲滅する。

「問題は君津にはレーダー設備しか無いようなこじんまりとした基地しか無いという事なんだけどねぇ。

まあこのあたりは連合宇宙軍に言って地下に大基地を作らせる他無いか。それとゴート君、東京北部の敵はどうするのかい?」

「問題ありません。練馬の首都防衛隊はさすがに粘るでしょうから、南岸を奪還してからでも遅くないはずです」

というよりも、そんなに多くの部隊を敵は送ってくる事は出来ないはずだった。

近年のイネス・フレサンジュの研究の結果、敵はA級ジャンパーを媒体にしてB級ジャンパーを自由にボソンジャンプさせる

可能性があるらしい。ホシノ・ルリとテンカワ・アキトの関係から推測される結論でもある。

そしてそれが正しいものとしてアカツキは作戦を組み立てているが、それにしても用意できる戦力自体が

そこまで多くないはずなのだ。統合軍のステルンクーゲル隊が攻めてくるならまだしも、積尸気だけである。

積尸気のパイロット候補はすなわち、熱血クーデターの後草壁と共に行方をくらませた数部隊のみ。

これによれば敵が用意できる戦力は歩兵含めて最大3個連隊分。うち積尸気隊は4個大隊にしか過ぎない。

奇襲で警備部隊は殲滅されるだろうが、その後の局面を考えるのなら、人質さえ考慮しなければ大した事が無い。

分散した4個大隊に対して3個大隊と各防衛隊ならば、まずこちらが短期間で奪還できるはずであった。

「課題はむしろ、敵に狙わせる拠点を増やすという事になるかな。エネルギー供給施設や対空ミサイル施設とか。

ダミーの施設を東京北部に多数作って、地球連合総会議場やこの本社などの重要施設がある南部の敵を

なるべく分散させるようにすれば、勝利は確実のものとなるだろうね」

「より勝利を確実なものとする為に、私はこの本社の地下に1個大隊を埋伏させる事を提案します」

「そうだね、その1個大隊を全てシークレットサービスでかためてくれ。あとそう、東京湾周辺に重力波送信施設を

設けられるだけ設けておく事も忘れないでおいてくれたまえ。エステバリスがどこにでも動けるようにね」

「はっ」





敵は大掛かりな罠の中に自ら足を踏み入れる事になる―――目の前の地図を見て、アカツキは思った。

表面上警備部隊は分散して数個小隊、横須賀などを併せてもこちらの戦力は2個大隊程度にしか過ぎない。

だがその実はまず即応の3個大隊を中心とした6個大隊以上の機動戦力に奇襲後まもなく攻撃を受け、

更にその外輪、関東地方全体で2個師団の兵力が迎え撃つ事になる―――彼の口がにやりと歪む。

「まあ、人間身の丈にあった事をするのが、健康に長生きする為の秘訣なのさ」






























(全アヴィオニクス起動、相転移エンジン全基始動)

―――FCSコンタクト開始、全武装の最終チェック忘れずに、オモイカネ。

(了解!)

全周囲すぐ近くを覆う壁が明るくなる。艦周囲、ドッグの様子が映し出されていた。

IFSボールをしっかりと握って、データを吟味する。彼女の心は今、艦と共にある―――

(FCSコンタクト。グラビティブラストへのエネルギーラインが開いたよ)

―――メインスラスターとジャンプシステムへの回路は?

(ばっちし!あと、全武装ともシステムチェックが終わったよ。オールグリーン)

"2人"の間には何者も介在しない。お互いがお互いを信頼して、気持ちでやり取りできる間柄だ。

電子情報というものに温度は存在しない。人はそういうかもしれないが、確かに今彼女は、相手の体温を感じていた。

―――ありがとう、オモイカネ。もう一度、物資の集積状況を知らせて。

ぴっ。電子音が鳴るかならないかの間に多数のフライウインドウが開く。だが、彼女はそれを見てはいなかった。

IFSボール越しの電子データだけで十分なのだ。他の一般のIFSオペレーターが持ち合わせない資質を彼女は持っている。

―――うん、大丈夫。たった4日間の予定だし、80%ぐらいでいいわよね。

(大丈夫だと思うよ。1回分、多くて2回分の拠点襲撃を目的とするなら、むしろ多すぎるぐらいじゃないかなぁ)

―――万が一という事があるから。出港後、各バッタに弾薬を積み込んでおいてね。

(了解)





「ルリちゃん」

「準備はいいみたいですね」

彼女の後ろに現れたアキトに、彼女は振り向かずに声を掛ける。

振り向くとIFSボールから手が離れがちになるから、しようがない事だ。

「ああ、大丈夫だよ。"ブラックサレナ"も準備完了だ」

「なら、ジャンプにとりかかる事にしましょう。イメージ、お願いします」

ドッグ内に誰もいない事を確認して、同時に相転移エンジンの反応を上げる。

まだ反応率20%ほどとはいえ、膨大なエネルギーがジャンプシステムに注ぎ込まれてゆく。

「充填完了。いつでもいけます」

「・・・・・・ジャンプ」

次の瞬間、目の前の風景が漆黒に包まれた。






























「ふぅ・・・・・・」

ユニットバスの中に身を沈めながら、肺の底から空気を押し出すルリ。

宇宙で風呂というのも悪くない―――彼女の想いである。大体風呂に入り始めたのが、ナデシコの頃だったのだ。

ほぼ同じ頃、遠く離れた宇宙で同じような事をしている少女がいるのだが、それは彼女の知る由の無い事である。





とりあえず、艦は目標に向けて静粛航行中である。距離にすれば1000万kmほど離れている。

静粛航行というのはすなわち、センサーをパッシブで最大にしつつディストーションフィールドを解除して、

10%ほどの相転移エンジン出力と15%ぐらいの推進力で進む航行法を指す。

この場合主要航路上を外れている現在ならまず発見される事は無く、異常があった場合は

オモイカネがいつでも彼女に教えてくれるのだ。チェンバーにはエネルギーが蓄えられているから、

いつでも戦闘モードに移行する事も出来る。ちゃんと準備をして、今は自動航行というわけだ。





「・・・・・・今度こそは、絶対に私がアキトさんを護らないと」

決意を重ねる彼女。そうだ、彼女はあまりに自分が不甲斐無いのだ。

結局肝心な時、護ってもらってしまった。自分が彼を護るにも関わらず、である。

今お互いを愛し合っている2人。だが彼女は相手の捧げる愛の代償を、自分の愛だけで済ませるつもりなど無かったのだ。

(私なんかを愛してくれるアキトさん・・・・・・だから、それに報いたい。役立ちたい)

こうして常に必死なのだ、彼女は。必死で、彼の為に全てを捧げようとするから、疲れる。

だがそれは唯一彼女を充足させる疲れ。彼の為に彼女は生きている・・・・・・。

彼のいない極楽があるとして。だが、それでも彼女は彼のいる地獄を選ぶだろう。それが、彼女の愛情である。





風呂から出て、シャワーで水に混ざって見えない汗を流して。

タオルで全身を拭いた後、つかの間鏡の前でプロポーションをチェックして。

・・・・・・いつからだろうか?風呂から出た後、わざわざ下着をつける事がなくなったのは。

もはや相当昔からの気がするし、あるいはつい最近であるような気もする。

もう感覚が麻痺してしまっているのかもしれないし、あるいは一つ一つが刺激的であるから、

いちいち昔の事を思い出す事も無いのかもしれない。いずれにせよ、彼女はバスケープに身を包んで寝室に赴く。

既に待っている人。男の腕―――ところどころに傷がある、だが逞しい―――が彼女に差し出された。

(私が、アキトさんをずっと手放さないようにしているの?それとも、彼が私を・・・・・・?)

彼の前でケープをばさりと落として。今日も彼に酔う夜が、はじまる・・・・・・。






























休息から、だが次第に戦いへはやる心は鼓動を早めていく。

ユーチャリスは目的地へと近づいた。光学迷彩を展開しながら、完全にエンジンをカットして。

ここからは、船体の横に臨時につけた予備推進タンクの力を使う事になる。圧縮された液体を気化させて噴き出すのだ。

これなら熱源も発生せず、文字通りユーチャリスは「見えない艦」になる。索敵に引っかかる事は無いだろう。

「・・・・・・あと1時間で、近傍宙域に到達します。それ以降はブラックサレナ単体のボソンジャンプで敵を奇襲してください。

作戦開始後、撤退時の会合は15分後、A3で行います。格納庫に直接ボソンジャンプで戻ってきちゃってください」

「了解した」

昨晩以前の事は感じさせない2人だった。他に誰も会わないが、だが2人の間でも、夜と昼とでは"違う"のだ。

「ブラックサレナ、どうですか?」

「宇宙用って感じだね。ミサイルに120mm大型カノン砲だから、完全にこういった拠点を襲うのに向いている」

「ちゃっちゃとミサイルをぶっぱなして帰ってくる、そんな感じですか?」

「いや、それだと不完全だから。もう少し敵基地の中に入り込んで、カノン砲で内からも破壊する予定だよ」

「そうですか・・・・・・」

また嫌な予感―――だがそれをルリが口にする事は無かった。説明しても、恐らく彼ではわからないだろう。

それにわかったとしてもこの作戦を中止するわけにはいかない。何の根拠も存在しない事だからだ。

「気をつけてください。危険になったらいつでも戻って、この基地だけが何も敵の全てではありませんから」

「ああ、わかっている」





1時間後、艦内ボソン反応。アキトと"ブラックサレナ"が出撃する。

(軌道、基地から離れるコースに変更するよ?)

オモイカネの言葉に、一瞬だけためらってしまう彼女。だが、最後は結局うなづく。

―――そうね、お願い。

(・・・・・・あの人の事、心配なんだね?)

オモイカネは、勿論事情をわかっている。これはある意味意地の悪い問いではあったが、だがルリの心そのものでもあった。

―――ええ。時折叫びたくもなる、行かないで、とか、私の側にずっと居て、とか・・・・・・。そんな事、要求する資格なんてないのに。

ルリは素直だった。オモイカネが彼女に素直で忠実であるように、彼女もオモイカネには地の自分自身を見せられる。

(アキトとルリ、本当に難しい関係だね。僕にはよくわからないけど・・・・・・人を愛するって、弱くなる事なのかもしれない)

―――そうね。私、弱くなったのかもしれない・・・・・・。守る事しか考えなくなったから・・・・・・






























「作戦実行者名テンカワ・アキト。これより作戦を開始する」

一言呟いてから、イメージ。淡い燐光に包まれて、彼は千里を奔る。

全周囲スクリーン目いっぱいに現れる、施設群。敵秘匿基地のど真ん中だ。

迷わず目標を定め、まずは大型ミサイルを全弾発射。追加装甲板の上につく4発のこれらは、かなり重い。

港湾施設に突っ込み、中にある輸送艦ごと吹き飛ぶ敵基地。1発は司令室あたりに命中したようだ。

遅ればせながら気付いた敵機が、8機ほど。積尸気6、ステルンクーゲル2。決して大きな戦力では無い。

(追加装甲板つけてのはじめての戦闘だ、このくらいがちょうどいい)

あまり強力な敵は抱えたくなかった。この追加装甲板ブラックサレナはとりあえず宇宙用のエステバリスのパーツだが、

火力が大きい代わりに機動力と運動性に不安がある。小回りは効き辛いから、このくらいの敵が対するに適正といえる。

120mmカノンを向けて、発砲。重い反動を装甲板についたスラスターで抑えつけて、連射。

ステルンクーゲル2機が吹き飛ぶ。ディストーションフィールドも大口径の砲弾の衝撃には耐えられず、

バラバラに四肢がもげてしまう。そんな敵機に一瞥も送らずに、カノンを連射しつづける。

積尸気を狙った砲弾。積尸気のうちいくらかは避ける。だが、避けた砲弾は全て基地を構成する小惑星に吸い込まれていった。

全長800mぐらいの岩塊の各所で火球が生じる。小規模な補給用小惑星として建設された基地は、崩壊をはじめつつあった。

近づく積尸気をディストーションアタックで殲滅して、基地の内部へ。補給港に入り込んで、カノンを連射。

同時に小型ミサイルも全弾発射。紅炎に包まれる基地、唯一の出口たる港をやられたので、生存者はいないだろう。

貴重な酸素を炎で喪えば、宇宙では生存者が出ようはずも無い。彼の目的は達成されたのだ。

(・・・・・・。本当ははやくユリカを見つけ出して、ユリカとルリちゃんには元のように暮らして欲しいけど・・・・・・)

もはや自分達が変われない事を、彼はどこかでわかっていた。だがそれでも、望んでしまう事でもあった。





こうして帰還しようと、港口より外に出る彼―――その時だった。まさに勝負は一瞬である。

紅い姿を認めたのと、衝撃が同時。凄まじい揺れとアラームが彼の全身を叩く・・・・・・

「くっ・・・・・・こんなところにも、北辰だと!?」

彼の機体を包囲する、7機。襲撃を知って跳んできたらしい、まったく厄介な敵である。

「そうか、北辰。そうだ、貴様が俺達の幸せをずたずたにしたんだ・・・・・・!今ここで決着を」

そう言いながら機体を前に進めようとして―――思いとどまる。むしろ、機体は彼の要求に応えなかったのだ。

右肩装甲板全壊、スラスター4基が破損、カノンも使用不能。動くはずが無く、戦えるはずも無い。

(危険になったらいつでも戻って)

ルリの言葉が脳裡に浮かぶのと、7機が突っ込んでくるのが同時。苦々しげに呟く以外、彼には手段が残されてなかった。

「ちっ、次こそは・・・・・・!ジャンプ」









(帰ってきたよ、アキトが)

―――機体が襤褸なのは仕方無い事ね、でも、生きててよかった。

格納庫内、収容されたブラックサレナは外見上半壊していた。だが、彼自体は無傷である。

機動格闘戦といっても死ぬまで戦うとは限らない。今日みたいな不完全燃焼も、当然ありえた。

だが、ルリにとってはそれでもよかった。何故なら、彼女にとっては彼の存在自体が必要不可欠のものであったから。

(このまま真っ直ぐ、太陽に向けて補助推進材である程度推進するね)

―――ええ、お願い。







こうして2人を乗せた白亜の艦は闇に溶けていった―――


































次話へ進む

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あとがき




宇宙での一話でした。とりあえずブラックサレナS型とユーチャリスが今話の主役です。

前者は早速半壊して、今度はブラックサレナA1型へと。段々と皆さんの知るブラックサレナへと近づきます。

さて。掲示板にも書きましたが、なんともアキトとルリの関係はいいような悪いような、ですね。

ただくっ付くだけでもお腹一杯な読者さんもいるでしょうし、まさにその方々にとっては今の状態でも

2人の関係は悪くないものなんでしょうけど・・・・・・言うまでも無く作者の意図は別にあります(苦笑)。

まあ、アキトが本当はどう思っているのか、どうしてルリを抱いているのか考えれば、

今後ルリルリを待つ運命もある程度読み解けるかもしれません。

アキト君の立場は、あるいは貴方ならそうする(=ルリを抱く)しかないものかもしれませんよ?はい。

・・・・・・なんて一見よくわからない事を書き連ねてみました。とりあえず話全体としてもう16話になりますが、

自分としてはまだ話は破綻していないと思いますし、今後もとりあえずはそうならないように全力を尽くす予定です。





さて、例の如く次話予告。

(劇場版の)ルリの代わりにその位置に収まったラピス。彼女はネルガルの思惑の下、活躍を重ねます。

だがその彼女を狙う影。攫われた彼女を救うために、男が全力を尽くします。

次話、第17話。時代は23世紀はじめての春を迎え、一陣の風が駆け抜けます。お楽しみに!

・・・・・・ありがちな展開ですって?いや『パターンは永遠の真理』ですから(以下自粛)






それでは。次回もアキト×ルリで行こう!




さてと、最近執筆速度が落ちていますが。どちらかというと執筆する時間自体が無いんですね、はい。

作者の身と心境に色々と変化がありまして・・・・・・まあ気になる方はチャットでりべれーたーに

聞いていただければと思いますが、作者にとっては喜ばしい事が起きたので、今後もこんなペースのままです。

まあ、最初のあの勢いは異常だったわけですから、いつまでもあんな速度が続く訳も無く。

でもまあどうにか完結までは見えてきているので、今後もどうぞ御贔屓に!

さてと、次話の主役はルリルリでなくらぴらぴです。作者の陰謀(おい)で可哀想な立場におかれてしまった

らぴらぴですが、彼女は彼女でちゃんと成長を遂げていって欲しいものです(←願望ですか!)。

というわけで、次話は薄桃色の髪の少女の生態について迫っていきます(嘘ばっかり)。

以上、御報告終わり!



b83yrの感想

ラピスか・・・

人の上にの立つってのも、結構大変なんですよ

以前

「下にいる時は、上司の愚痴ばっかり言ってたのに、いざ自分が上の立場になると、今度は昔俺が言ってたような愚痴を部下に言われてるんだよな・・・・・」

なんて、言ってた人がいましたから

『感想』の扱いも、難しいものがあります

確かに、他の人の感想は参考になる事も多いですし、感想を完全に無視すれば、独りよがりの作品になっちゃいます

でも、一方で、感想を気にし過ぎると、かえって読者を裏切る事にだってなってしまうんですよ

何処だったかは解らなくなってしまったんですけど、

『読者の感想を参考にして作品書いていたら、かえって誰の意にも沿わない作品になってしまった・・・』

なんて事を言ってた人もいましたし

感想の何処までを参考にして、何処までを切り捨てるか、結局は作者次第

『自分で考えなければいけないこと』なんですよね

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