「くっ・・・・・・うぅ」

うっすらと開く瞼。頬が軽く動く―――

眩しかった。暗闇の回廊から白日の下に出でたようにも感じられる。だが実際、その明かりは蛍光灯のものであった。

「お目覚めかしら。アキト君」

「・・・・・・イネス、か。俺はどのくらい眠っていたんだ?」

思考は明晰だった。すぐに自分が気絶する前、何をしていたのか思い出す。

「5日、というところね。身体の傷の割にはよく眠ってたわ、それだけ精神にダメージがいったのかもしれないわね。

外傷は完治、肋骨一本が折れていたけど、固定は終わっているわ。内臓への負担も1週間リハビリをするうちに

ほぼ前の水準まで回復できる事を保障するわ」

事務的な口調で告げるイネス。彼女はだいたいにおいて本心を言葉尻からは捉えさせない。

その実ずっと彼につきっきりで、他の事をするにも彼の隣でこなしていた事を考えれば、彼への想いは深いものがあるのだろう。

「1週間もリハビリなどしている訳にはいかない。すぐにでも出撃を「それは無理」」

起き出そうとする彼を言葉で止める彼女。

「貴方の身体はともかく、今は周囲の状況が貴方の出撃を許さないわ。

まずルリちゃんが貴方のいない間にネルガルの作戦に従事して、怪我を負ったわ。これで数日は駄目。

次に代替の機体が用意されるまで、これも1週間は見てもらいたいわね。

今は喪った体力となまった身体を鍛えなおすのに時間を割いた方がいいわ。ルリちゃんもそうするみたいね」

適切な助言に従わないほど、彼の視野は狭窄を起こしてなかった。それに無理な事は無理なのだ。

同じように出て行っても、またあいつらにやられる。やり方を変えなければ、いつまでも勝てる訳がなかった。

「・・・・・・そうしよう」

焦って勝てる相手なら、既に彼は復讐者で無くなっているはずだった―――



























Bride of darkness



第13話 『Bruise』











「はぁ、はぁ・・・・・・」

凄まじいまでの勢い、咳き込みにさえ近い吐息。ふらふらと地面にへたり込む少女。

汗が蒼銀色の髪を伝って地面に落ちる。息があがって起きているだけでも辛そうにしている。

だが―――それは今までとまったく違う鍛錬だった。少なくとも、彼女にとやかく言う人間はいない。

全部自分の意思で―――そうだ、彼女、ホシノ・ルリは全部自分の意思で戦っているのだ。

「はぁ、はぁ・・・・・・絶対に、今度は、あんな事・・・・・・」





忘れたい思い出に、それは加わった。自分の為に、自分がいたせいで、何人も死んでしまったという事は。

忘れたい事なんて彼女には多くなかった。11歳以前はそんな感情すら浮かばなかったし、

ナデシコ以後はなにもかもが彼女にとって宝の記憶だった。ユリカが自爆での遺跡破壊を提案した時は、それ故に反対している。

だが、シャトル事故以後―――彼女はもしかしたら大人になってしまったのかもしれない。

忘れたい事が増えて、それを抱えて生きていく―――

「大人って嫌だな」、ナデシコ時代の口癖だった。でも、実際彼女は大人になるという事の意味を理解していなかった。

ただ大人達は自分達の都合で動いている、身勝手な生き物では無かった。こうして、辛い事を抱えていたのだ。

それを彼女はわかろうとしなかった。それが、子供だという事だった。それが、今事実を知った彼女をこうして苦しめている。

彼女は戸惑っていた。どんなに手を洗っても消しえない血の感触。脳細胞の一部に染み付いてしまった記憶。

忘れようと。せめてひと時でも忘れようと。こうして身体を苛めている。けれど、それは成功していると彼女自身思い込む事すら出来ない。





サンドバッグに入り混じった感情をぶつける。何度も、何度も。

身体中の筋肉が悲鳴をあげて切れてしまいそうになるまで。疲れで気を喪いそうになるまで。

息をつきすぎて、喉が張り裂けそうになるまで。手がグラブごと砕け散ってしまいそうになるまで―――

でも、そんな事は実際出来なかった。限界があるということを、彼女は否応無しに悟ってしまう。

自分がどう頑張っても、同時に北辰達を相手には出来ないように。それどころか、1対1でも負けるように。

それと同じで、限界はある。どれほど意志が強固だとしても、彼女の身体はそこまで達する前に、地面に崩れ落ちる。

ましてや―――到底強固な意志とは思えなかった。彼女自身、自分が相当に迷っている事を自覚している。

(私はこの世界にいていいの?ううん、生きてていいの・・・・・・?)

自分の存在が、他の人を不幸にしている。もともと頭ではわかっているつもりだった。

けれど、これほど身に切実に迫ってきた事は無かった。一度だけ、あの飛行機の中の出来事が、近いかもしれない。

だがあの時は―――ただ自分に絶望するだけだった。それと今回は、少し違う。

今回は―――もっと足掻かなければいけない気がしていた。苦しむだけ、苦しまないと許されないような気がする。

何しろ彼らは彼女の為に死んだのだ。あの壮年の隊員は、自分の為に生命を落としたのだ。

彼らの代わりになるだけの価値が、自分になければいけないと思う。そうでなければ、ほんの少しの罪滅ぼしさえ出来ない。





苦しかった。肉体だけでは無く、心が。

この心に染み付いた嫌な感覚がとれるなら、どれほど身体が痛めつけられてもいい。

でもそれが無理な事ぐらい、彼女自身よくわかっていた。心の傷は消せない事ぐらい・・・・・・

彼女の身体には傷一つ付いていない。背こそ低いが、ますます透き通るような肌は彼女により大人の魅力を付け加えつつある。

一度深々と胸から背中に抜ける刀傷をつけられたが、それすら最新の医療技術を以ってすれば完治させる事が出来た。

(一方アキトの身体は傷だらけなのだが、これは彼の意思で完治させないだけだ)

だが、この一年あまりで彼女の心は傷だらけになっていた。欠けてしまっているようにさえ、自分自身では感じられる。

「うっ・・・・・・。はぁ、はぁ・・・・・・」

まだ痛いとかそう思えるだけ、人の心が残っているのかもしれない。

一時期人形であろうと本気で志向した事があった。だが今思えば、なんて自分勝手だったのだろう。

感情や感覚を鈍磨させれば、楽だ。けれど、そんな事をしてはいけなかった。

彼女の為に死んだ人達の為に。彼らは彼女がそうなる事を望んでいないだろうし、彼女は彼らの苦しみを少しでも知る必要がある。

逃げてはいけなかった。そもそも逃げられない事を彼女はあまりによくわかっていた。

だから、時折死にたいとさえ思ってしまう自分を、彼女は懸命に押し止めているのだ。

(せめて、いえ絶対に。火星の後継者達だけは討たないといけない・・・・・・それが、あの人達に報いる唯一の道だから)





彼女なりの、それは思いつめ方だった。

ベッドの上で震えるでもなく。刃を喉に突きつけるでもなく。

成果を出そうと過剰な努力を重ねる。だから、彼女の異常は傍目にはあまり目立たない。

彼女の思いつめ。それがどのような結果を生む事になるのか―――誰も予測すらしていなかった。






























「・・・・・・はぁ」

ネルガル本社最上階。まさに摩天楼に相応しく、軽井沢より高い位置に存在する空間である。

この最上階より下に3階のみは一般公開されており、いくつかテナントが入っている。

その中でも最上階、南面全てを取ったこのバーは東京でも屈指のスポットとして知られていた。

今、バーのうち会員証が必要な一角で、彼女は溜息をついて夜景を眺めていた。

―――どうやら、大人になってそれなりに久しい者達も悩みを抱える事があるようである。





「これはエリナさん、今晩は」

「・・・・・・私を笑いに来たのね」

プロスペクターの挨拶すら、よくわからない反応を返す彼女。よほど疲れているのだろうか?

「いえ、笑いませんよ。隣、よろしいですかな」

「別に」

いや、疲れている訳では無い―――彼はわかっていた。彼女は傷ついてしまったという事を。

義娘としたラピス・ラズリ。それを彼女は誠意をもって育てていた。それどころか、愛しているようでもあった。

仕事は相変らず忙しかったが、それらを手早く済ませ、なるべく早く切り上げてラピスの面倒を見ているぐらいだった。

その娘を彼女は自分達の目的とやらに"売った"。ナデシコBと抱き合わせで扱ったのだ。

その苦しさ。娘を売った母親としての罪悪感。そして、娘の愛する人、いや生命そのものを奪った事。

それらに彼女は打ちのめされてしまった。

強い女性だからこそ、今まで何も感じさせなかった。いや、今でさえ仕事はしっかりとこなしている。

それだから、プロスペクターでさえ、事態に気付くまでかなり遅れてしまったのだ。





「・・・・・・ラピスさんの事ですな」

触らずにいた方がいいかもしれない。だが、彼は敢えて彼女の傷に立ち入る事にした。

放っておいても、治るような傷ではなかった。少なくとも彼の経験はそう彼に囁いている。

上司をいい状況に保つ、そういう目的すなわち彼自身の為、また仲間である彼女の為に。彼は彼女に関わるのだ。

そっと左手の薄いオレンジ色のグラス、ミモザを差し出す。シャンパンをオレンジジュースで割った、度数低めのカクテルだ。

ちなみにこの選択は彼によるものでは無い。さり気無く客の顔色を窺う、バーテンダーの心遣いである。

「・・・・・・そうよ。あの娘を私達は、道具として扱ったのよ。救い出したくせに、科学者達と変わらない」

彼女は素直にカクテルを受け取ると、さっと煽る。

「酷い、酷すぎる大人だわ。母親なんて、引き受けるんじゃなかった。あの娘だって、こんな母親、きっと許さない・・・・・・」

アカツキ・ナガレは失意のエリナ・キンジョウ・ウォンを放置する事にしているようだった。

ほうっておいて、彼女が自然に復活するのを待つ。だが、彼が見るにそれはありえない事だった。

そして得てして、小さな古傷がいつか大いなる痛みを伴う事を、彼はよく知っていたのだ。

「・・・・・・引き受けたのは間違いではなかったと思います」

「気休めはお断り」

「いえ。気休めでは無く。引き受けた事自体は、何も間違いなんてありませんよ。

世の中には反面教師という言葉もあります。貴女がもし酷い母親を演じておられたのなら、

それはそれでラピスさんはしっかりとお育ちになるというものです」

カクテルの残りを煽って。彼女は肩を落とす。

「そう、やっぱり私はよくない母親だったのね」

「例え話です。いい母親かどうか決めるのはラピスさん自身ですからな。私も、貴女でさえ、それは決められません」

「知ったような口を利くのね」

「こう見えて昔家族がいましてな。今はやはり仕事のみに生きる悪い夫、悪い父親だったのか、離れましたが」

とろんとした眼で夜景を何とは無しに眺める彼女。ここからでは連なるビルの灯りと暗き海、2つのコントラストが一望できる。

「そうね、貴方と仕事をするとよく忘れるわ。実は2倍近くも私より生きている人間だって。

その貴方がいうのだから、間違いは無いでしょうね。そして、そんな事ぐらい、私だってわかってる・・・・・・。

確かにラピスは立派な娘だわ。きっと大過無く軍でもやるでしょう。けれど、それと個人の幸せとは別問題」





「・・・・・・ですな。そしてそれは人から与えられるものではありません」

「見つけ出せないわ、あの娘には?」

「ご自身の娘さんでしょう?そのくらい、どうして信じてあげられないのですか?」

彼の語調は淡々として変わらない。そしてだからこそ、彼の言葉は彼女の心まで届いた。

「テンカワさんを喪ったのは、確かにラピスさんにとって不幸な事でしょう。

ですが、幸せは何も彼だけではありません。他に見つけ出せるかもしれない、

新しい生活の中にこそ彼女の求めるものはあるかもしれないのです」

「わかってるわ。でも、きっとあの娘はアキト君を選ぶ」

「なら、選ばせて差し上げればよろしい。大人になった時、テンカワさんがまだ御存命であるように、

そうなるように努力する事も、彼を支えるべき我々の役割です。

それさえ出来るのなら、ラピスさんに対して私達が他に出来る事は、他にありませんよ」





無言。エリナは黙り込んで、ひたすら窓の外の光景に瞳を向けている―――

言うべき事は言い終わった。後は、どう彼女が自身の感情に収拾をつけるかだった。

収拾をつける時まで他人の言葉は必要では無い。むしろ、心を乱す。

彼は10分ほど共に飲み続けてから、静かに彼女の側を離れたのだった・・・・・・






























彼女の心が疼く理由。それは、何もラピスに対する罪悪感だけでは無かった。

この日の午前、彼女はテンカワ・アキトと話す機会を持った。今後の援助に関する説明が主題である。

その席上、彼に問われたのが端緒であった。

「そういえばラピスの姿が見えないが、どうしたんだ?」

いつか聞かれる。そんな事はわかっていた。ラピスがいない事を、彼が気付かないはずが無いのだ。

説明の言葉は、無論用意していた。だが、あまりに言いにくい事でも同時にあった。

「どうしたんだ、顔色が悪いけど?」

「ラピスは・・・・・・軍に入ったわ。ナデシコBのメインオペレーターとして」

そう説明した時、彼の表情は微かに曇るだけだった。そうだ、彼はこの事に付いて以前に説明を受けている―――

「ルリちゃんが前話していた通りになったのか。それが彼女の幸せの為でもあるし、当然だな」

彼が知らない事。それを彼女は話すべきか、迷い始めていた。

もし全てを知ったら。彼はどんな顔をするだろう?彼の名を騙って、ラピスを騙した事を知ったら―――





それからしばらく、2人はまた実務の事で話を続ける。

彼には反省があるようだった。今まであまりにルリに任せすぎたというものだ。

この復讐は自分のものなのだ。そう自覚して、実務面では自分もなるべく処理するように務めるようにしたようだった。

「そうか、機体にどんどん手を加えていくのか」

「新しい機体を開発するよりはずっと効率的だから。カスタマイズでどれほど出来るのか、私にはわからないけど」

「いや、結構だ。エステバリスは汎用性が高い、つまり手を加えて特化していく事も出来るはずだからな」

こういう話をしている間も、彼女の悩みは大きくなるばかりだった。

大人の前で自分の悪戯、あるいは過失を必死に隠そうとする少女。それに近いものがある事を自覚していた。

そして・・・・・・

「ところで。ラピスからは何か言ってこなかったか?」

どきり。心臓が高飛びする彼女―――納得、してくれるだろうか?

「いえ。これからも、彼女からは連絡は来ないでしょうね。こちらから連絡を入れる訳にはいかないから、当然ね」

納得してくれるだろうか?ラピスと連絡を取ろうと、アキトはしないだろうか・・・・・・?

「そうか。ラピスもそのうち俺の事を気にしなくなるかもな。それでいい。

どうしても連絡を取る時は君に依頼する事になる。その時はよろしく頼む」







結局彼は気付かなかった。いや、気付いているのかもしれないが、彼女を責めなかった。

だからこそ、彼女の中で罪悪感は膨れ上がる―――彼をラピスの制御に利用したという事を。

ラピスを彼から引き離したのは、逆に言えば彼を否応無くずっと意識し続けさせる為。

それで、彼女をネルガルの思惑通り制御する。人の想いを鎖にして、彼女を縛っている―――

エリナの罪悪感は、ラピスとアキト、2人に向いたものだった。2人より共に、本当は断罪されるべきものだったのだ。

(許せないのは、自分自身。企業人として生きようとする、そんな私自身が、私は許せないだけ)

昔は平気だった。昔は平然と人を利用して、アカツキ・ナガレすら利用して、ネルガルの会長になろうとした。

人としての感情をかなり軽視していた。アキトにこだわり艦長として不適格なミスマル・ユリカを笑った事もあった。

だが実際は。自分も同じような人間だった。結局感情のままに流される、そんな女だとナデシコで自覚させられた。

いつの間にか、テンカワ・アキトの事が気になりだしていた。いつの間にか、ネルガル会長の座は彼女にとって重要な物では無くなった。

少なくとも、人を平然と心動かさずに利用するような事は、出来なくなっていた。

弱くなったのかもしれない。だけど、これが自然なのだとも思う。ラピスの事を大事に思うのも。

名目だけではなく母親になろうとしていた自分。それを彼女は自然に受け入れられる。昔の自分なら、ギャップに戸惑ったのに。

そしてそうなったからこそ、自分のした事が許せなくなっていた。利益で全てを判断した、自分が―――

(ごめんなさい。アキトくん、ラピス。それにルリちゃん・・・・・・結局私は、私の為にあなた達を利用しているだけ)

恐らくはアカツキもそう。そしてアカツキの場合は自分の感情を処理しきっているのだろう。

自分だけが甘い。プロスペクターの励ましの言葉を必要とした。だれかに背中を押されないと駄目だった。

自分を皆が必要としてくれている。その確信が無ければ、彼女は抱えているものを投げ出したかもしれないのだ。

いずれ裁きの時は来るだろう。そう彼女はどうにか自分を納得させる為に、酒と共に想いを胸の裡に飲み込んだのだった・・・・・・






























「ラピス・ラズリ、よろしくお願いします」

ぺこり。教わったとおりに頭を下げる。こういった場では丁寧な仕草をとる様に、そう母に言われていた。

態度はいくらでも作る事が出来る。内心はどうであろうと、表面上自分を作るのは、彼女にとって特に苦痛では無かった。

彼女の目の前、そこには優しそうな眼光を持った、青年士官が立っていた。黒髪を中ごろに纏めた、身だしなみも完璧な人だ。

「アオイ・ジュン。ナデシコBの艦長です。何かあったら何でも言って欲しい、ラピスさん」

もっともまだナデシコBは完成していない。だが、準備として艦橋要員はチームを組む事になっていた。

ナデシコBが完成するまでは宇宙軍総司令部で情報分析等にあたる。そういったスタッフが中心である。

試験戦艦ではあるが、いかに宇宙軍と50%出資しているネルガルの期待が大きいかこの事から窺う事が出来るだろう。

「・・・・・・未熟者ですが頑張ります」

彼女の内心は―――子供扱いされたく無かった。だがしかし、内心を顔に出してはいけない事ぐらい、彼女はわきまえている。

「僕はマキビ・ハリって言います」

彼女の斜め前、ちらちらと目線を送ってくる少年がいた。彼女と同じぐらいの背丈で、もう少し年下のようだ。

ただし外見からだと彼女の方が幼く見えてしまうのだが。天使のような容貌がそう見せるという事もある。

黒髪に碧の瞳。微かに、瞳の奥が微かに煌いていた。ナノマシンの輝きだ。

彼女の存在が公表されるまでは現存する唯一のIFS強化体質者、それがハリだった。

「軍ははじめてなので緊張してます。未熟者ですが、よろしくお願いします」

「よろしく」「よろしくな」

ジュンと三郎太の挨拶。一方彼女は何事か考え込んでいる。やがて思いついたように、一言。

「ハーリー」

「え?」

「ハーリー、か。なるほどいい呼び方だな。よし准尉、今度からハーリーでいくぞ」

戸惑いを隠せないハリ、改めハーリー。彼は彼で、何か色々と思っている事があるようだった。

その中でいきなりあだ名を決められて。緊張しているところでそれは、あまりにきついものがあったかもしれない。





それから。色々と打ち合わせをしてから、ラピスとハーリーはナデシコB用のシステム立ち上げに従事する。

ナデシコBに積まれるメインコンピューターはネルガル製スーパーAI搭載電算機、『オモイカネ・ダッシュ』だ。

第2世代のオモイカネらしく、初代オモイカネのデータが移植されているらしい。

各種能力は電算機周囲の機器が更新された事もあり、記憶容量の推定値などは初代の数倍に達する。

少なくとも戦艦に積むには贅沢すぎる電算機とAIで、その気になれば統合軍連合軍全ての管制を務める事すら出来るだろう。





マキビ・ハリ准尉は明らかに彼女に対抗心を抱いていた。

凄まじい勢いでデータを扱い、自分ひとりで十分だと主張するかのようである。

この為ラピスの扱うべきデータ領域はあまり多く残されていなかった。それを手早く片付けて、ハーリーの手際を眺めている彼女。

(私が"死んでいた"時は、ただ一人のオモイカネ対応オペレーター・・・・・・)

明晰な彼女には対抗心の理由を読み解くのは簡単な事だった。

いきなりぽっと出で自分の上官になった彼女に、彼が対抗心を抱くのは当然の事である。

これがもし彼女ではなく、当初の予定通りホシノ・ルリが彼の上官なら、また少し違った結果になったに違いなかった。

(なりたくてなってる訳じゃない・・・・・・勝手に一人で仕事すれば)

ハーリーの手際は悪くなかった。凄まじい速度で自分用にプログラムをカスタマイズしていく。

だが、ラピスが見るに、それは余人への配慮が足りないように思えた。"ダッシュ"と付き合うのは、何も自分達だけでは無いのだ。

秘かに、かつ手早く書き換えてしまう彼女。彼は一切気付かなかった。自分の作業に夢中なのだ。

微かに失望する彼女。対抗心だけ彼女にぶつけてきて、少しも分かり合おうともしない。そんな気がした。

寂しい。彼女は寂しかった。この広大な情報の海で、何者も彼女に話しかけてこない。

AI"ダッシュ"もこの作業中は眠ってしまっている。彼女と話してくれる人は、誰もいないのだ。

(アキト・・・・・・私、貴方に会いたいの。でも、会えない、絶対に貴方は私に会ってくれない・・・・・・寂しい)





誰しもが自分しか見えていない世の中。そして彼女も、その中の一員なのだ・・・・・・。






























ウサギは寂しさで死ぬと言う。

勿論それは俗諺で、実際にそんな事は無いが。人間が見て、感受性の鋭い動物は辛そうに見えるものらしい。

そして―――彼女、ラピス・ラズリも人の形をしたウサギだった。

一見無表情だから、感情などに斟酌せずに生きる人間にさえ見える。だが、無表情は無感情では無い。

彼女は―――感受性の鋭すぎる少女だった。鋭すぎて、常に心が刺されるようだから。表情を選択できない。

白い頬のまま、寮の一室に帰宅する彼女。疲れきった身を迎える、誰もいない、冷め切った空間。

一日見てきた人の世もそうだった。たまに優しくしてくれる人はいる。でも、みんな本当は他人に冷たいのだ。

初日にも関わらずいくつか嫌がらせを受けた。冷たい視線で何百人から刺されるように見つめられた。

誰一人彼女の真実の姿を見ようとしてくれないようにさえ思えた。いきなり誕生した"史上最年少の大尉"という視点だけで。







ふと、机の上。いくつか新しく入る上での備品が置いてある。

その中、剃刀。それを見て、想像を浮べてしまったのは仕方が無い事だったかも知れない・・・・・・

(これで手首を切って死んじゃったら・・・・・・これ以上アキトの事、想わないで済むのかな)





それはとてもいい考えのように思えた。生きていれば、ずっとアキトに優しくされた記憶を背負ってしまう事になる。

永遠に彼に優しくされる事はもう無い。生きている意味を、彼女は見出す事が出来なかった。生きているのが辛くさえある。

そんな彼女に差し出された、それは極楽への切符だった。





ベッドの上に座って、不眠になって以来処方されている精神安定剤と睡眠薬を隣において。

いつもよりほんの少しだけ―――その実24錠も口の中に含んで。飲みづらかったが、残らず飲み干した。

何錠だろうと彼女には興味が無かった。ふらふらになった手で剃刀を反対側、左手の手首にあてて。

まるでいつもと同じ夢を見る。それと感覚的には大して変わらなかった。ただ、永遠に起きる事はなくなるだけで。

死への心理的防壁を軽く乗り越えて、剃刀で動脈を切断してしまう。痛みは、思ったより無い。

(怖くない・・・・・・そうよね、ただずっと眠り続けるだけ・・・・・・眠るのは、好き)

血が勢い良く噴き出して白い肌とシーツを共に紅く染めていく。

それを眺めているうちに眠くなる。頭を壁に寄せて、彼女は意識を闇へと預けていった・・・・・・
































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あとがき(乱雑手記)




さてと、今回は3人の女性のお話となりました。

作者は男なので女性がどういうときにどういう傷を負うのかまではわかりません。固有のは特に、です。

ただしこの話でのルリ、ラピス、エリナはとても優しい女性だという設定にさせてもらいました。

それが正しいかどうかはわかりませんが、世の女性がこれほど情にもろいかは置いておいて、

とりあえず彼女達はこれからも苦しみ続ける事になります。無表情だからこその苦しみを描き続きます。

さて次話、まるで周囲に心からは適応できないラピスはどうなってしまうのか。

出す出すと言っておいて中々出てこない次の機動兵器はどうなるのか。

次話のBride of darknessもお楽しみに!(これも読者の皆様が楽しんでいるという設定です←おい)





まあ何だかんだ言って。優しいからこそ、無愛想だったりする事ってあると思うんですよね。

特にラピス。様々なSSで色々なラピスが出てきます。アキトが全てのラピス。他人の感情を斟酌しないラピス。

小悪魔なラピス。ルリルリと仲がいいラピス。子供らしい、幼稚だけど微笑ましいラピス・・・・・・

この小説での彼女の目標は、理性と感情にギャップがある、でも次第にそれが近づいていくようなラピスです。

人から愛を与えられるだけじゃなく、自分から愛を与えられる人物になれるように。

そう変化していく、過程の説得力があるラピスを上手く描ければいいなと思っています。

勿論同じ事はルリにも言えます。どうやってルリの場合は、アキトに愛を与えていくか。それが課題になりますか。

どんなエンドになるにせよ、アキト×ルリを確立させる。そろそろ一話を入れていきたいと思います。

次話、この2人の関係はまた一歩進んでいきます。多分(おい)






ではでは。次回もアキト×ルリで行こう!




・・・・・・ふぅ。なんとかローテーションを保ってます。かなり限界が近づいていたり。

一度筆が止まると永遠にとまってしまう―――そんな恐怖を抱えつつ、短期決戦で進んでいます。

とりあえず、現在スポットがあたっているのはルリやラピスの内面です。派手な戦闘を繰り広げつつ、

同時に彼女達を描く事は難しかったので、こんなに短くなってしまった・・・・・・それが裏面の事情です。

ともかく次もなるべく待たせずに。かといってつまらなくならないように。全力を尽くして暇な時間を注ぎ込む所存。

―――黒塗りに何故か真面目な事を書いている、訳わからん作者が何か言ってます。続く。



b83yrの感想

この作品を見る度に、疑問が浮かびまして、それは、

『こういう女性達相手に、助け出された後に、ユリカは『勝負』が出来るか?』

『勝敗』じゃないんですよ、まず、『真っ向勝負が出来るかどうか?』が問題で、もし、『勝負してユリカが勝つ』のなら、まあ、『負けた悔しさ』があるにしても、『仕方ないかな』って気持ちも、多少は出てきます

でも、『『勝負すら出来ないヒロイン』が、ただ、『本編でヒロインだった』というだけの理由』で

苦しんでる女性達を差し置いて、のうのうと主人公とくっついたら、『読者のヒロインへのイメージ』は、上ると思いますか?、それとも下ると思いますか?

ユリカ派の人達は、それに近い事ををやってしまって、かえってユリカへの反発を強めていってしまったんじゃないのか?、ってイメージがあるんですよ、私には

主人公の方だって、『苦労を共に背負った相手』『共に苦労を乗り越えた相手』『自分の為に苦労させてしまっている相手』を選ぶ可能性が高くなるのは、おかしな事でもなんでもない

ユリカに本当にヒロインとしての資格、力量があるなら、こういう女性達相手に、少なくとも互角の勝負が出来ないといけない、出来ないなら、ヒロインの資格が無い

ユリカ×アキトモノを『面白く』したいなら、ここで終わりじゃなくて、この辺りからが『始まり』にすべきなのに、『始まり』にすらたどり着いてないから、ユリカ×アキトモノ見てても、面白くないのかなあ?と

正直、この辺りまで来ると、『ユリカの方がはるかに不利』で、何時ルリ×アキトになっても、少しもおかしくない(苦笑)

むしろ、話の展開次第では、エリナやラピスやイネスの方が、ルリの恋敵役としては、『怖く』なりかねないと思ってるぐらいで

まあ、ラストまでみない事には、なんとも言えませんが

次話へ進む

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