「もう、やめて下さい・・・・・・」
懇願。視界が歪んでいる。涙を流しているからだ。
叫ぶ元気も力も無い。96時間も休みなしで身体を弄り回されて、心底疲れている。
腕が痛い。手首、巨大なはさみみたいなクリップが取り付けられている・・・・・・
『ふふ、これから貴女には耐久実験を受けてもらうの。楽しいでしょう?』
「そ・・・そんな事」
ぴしっ!頬に灼熱感が奔る。耳に聞こえてくる、頬を平手で打たれた音。
でも、それすらもう鮮明には感じられない。疲れきって、もう精も根も尽き果てている。
『お前は人形だ。主任のおっしゃる言葉に逆らうんじゃない』
言葉が、微かに残る私の心に引っかき傷を作る。でも、もう痛みも感じない。
言われ続けて。何千回も言われて。人間殴られ続けると、感覚が麻痺してしまう。
今の私は―――そう。いえ、元々人形なのだから、痛みなんて・・・・・・
『楽しいでしょう?被験体24番?』
ここでは、もう私に名前は無い。名前で読んでくれる人は、もういない・・・・・・。
『楽しいでしょう?答えなさい』
「・・・・・・はい」
楽しくなんて、無い―――そう私のどこかが反抗する。
だけど―――もういいの。逆らっていい事なんて、一度も無かったから。
『じゃあはじめるわよ。測定機器はちゃんと隔離されてるわね?』
『はい。強力な電磁パルスですからな。我々も防護シールドに』
科学者達が私の周りから遠ざかっていく。閉まる扉、しばらく無音の世界。
急に何かが沸騰する感覚。これは―――私の中の、ナノマシンが、壊れる!?
『EMP基準値まで達しました。流石遺跡の物だけありますな』
『当たり前よ。そもそもマシンチャイルドは遺跡のテクノロジーを扱う為に作り出された人間。
ただの遺伝子強化体質者じゃないのよ。オモイカネ級電算機に対応する為に打ち込まれた
IFSナノマシンは私達人類が築き上げてきた技術体系によるIFSナノマシンとは異なって、
素材から全然違うものが使われているから・・・・・・通常IFS破壊基準値の400%まで上げてみて。
データ、ちゃんと取れてる?』
『はい。心拍、脳波共にまだ大きな乱れありません』
『ふふ・・・・・・ヤマサキ博士、喜ぶでしょうね。"電子の妖精"を好きに弄くれるって』
科学者達の喜びの声。そう、私は実験体。貴重な実証例の一つ。
だから、96時間も休み無しでずっと弄り回してくる―――少しでも多く、データを取る、その為に。
『340、360・・・・・・』
・・・・・・!駄目、もうやめて!!補助脳が焼ききれる・・・・・・!!
『脳波に大きな乱れ!脈拍が少しぶれます』
『大体420%ぐらいが限界って事ね。でもこれほど強力な電磁場に耐えられるなんて・・・・・・。
出力400%で固定。被験体IFSにデータ4201番をエンドレスで強制入力。
さぁ、何時間耐えられるでしょうねぇ。ふふふ、楽しみだわぁ・・・・・・』
主任研究員。30代半ばぐらいの女のサディステックな笑みが、私の脳裏に焼き付けられる。
そして、無理やり入力されてくるデータ。IFS伝達網と神経網が軋みをあげる。痛い・・・・・・
『2時間経過』
『まだまだいけるわね。データ4202番に切り替え』
頭の中、数字がいっぱい。何、この色・・・・・・?お花畑?気持ち悪い・・・・・・。
どんどんと切り替わっていくデータの中身。頭が混乱して、ひどく痛い。データも大部分が破損してる・・・・・・。
『データ4204番』
だ、駄目・・・・・・。もう、気が遠くなって・・・・・・。
「っ!!」
勢いよく飛び上がるように身を起こす彼女。その視界に飛び込んできたのは、白い壁。
「あ・・・・・・。そう、助けられたのに・・・・・・」
ここは彼女の病室。救出されてから大体2週間程の時が経過しつつあった。
だが、毎晩夢見るのは。救出前、2週間の間にされた実験の数々。忌まわしい思い出。
背中が冷たい。パジャマがじっとりと汗を含んでいるからだ。
「・・・・・・。本当に人形なら、こんな夢も見ないで済むのに」
それはすなわち彼女は紛れも無い人間だという事なのだが、今の彼女にそれを受け入れられるだけの余裕は無い。
いや。正確には人間だろうと人形だろうと、彼女にとっては深い意味を持っていないのだ。
(私はどうせ物言う道具・・・・・・。コンピューターを扱う為のディバイスだから)
・・・・・・これは物心ついた時よりの体験から彼女の深層意識に元々染み付いていたものを、
謎の組織―――"火星の後継者"の科学者達が拾い出して強調し、彼女に刷り込んだ為に発生した考え方である。
たとえ身体は救い出されても、精神までは"洗脳"が解けずにいた。
そういった意味で"火星の後継者"の作戦は今のところ成功している。
彼女の精神状態を悪化させて、本来ある能力を彼らに向けられるのを封じてしまっているのだから。
だが、それがいつまでも続く。そういう訳では無いのだ。
そして、彼女への仕打ちが刃となって己の喉元に突きつけられるようになる事を、
まだ"火星の後継者"達は夢想だにしていなかった。
Bride of darkness
第3話 『Resolution』
「君にはそろそろここを出てもらおうと思ってね」
アカツキの言葉に、ルリはただまっすぐ宙に目を向け、彼女にしか見えない何かを見つめるだけだった。
「君の為にかかる費用も大変でね。医療のサポートに警備のシークレットサービス員10人・・・・・・」
「一日270万円ですね」
感情を感じさせない、冷静な声で返す彼女。見つめるアカツキの瞳が細められる。
「うん。まあこれ自体ははした金に過ぎないけど、問題は人材でね。
君の治療の為にそれぞれ一流の人間が付きっ切りではコストがかかりすぎてね。うちにはあんまり余裕が無いんだ」
「私に、そこまでの価値は無いですか」
「正直無いねぇ。君がここにいても、イネス・フレサンジュ博士以上の働きが出来るとは思えないんだけど」
あえてアカツキが厳しい事を言う理由。それは、何としてもルリを一般の世界に戻す、その為だ。
ルリが後から何を思おうと今のうちに既成事実を作り上げてしまう。
それがルリの為でもあり、アカツキ達が次のステップに進む為に必要な事でもあった。
「そうですか・・・・・・。道具として、私には保持される価値が無いんですね」
「君にとっても僕達にとっても、ここから出て行ってもらって、普通の社会に戻ってもらった方がいいと思うけど」
無言の2人。傍らで見ているエリナは、ルリの様子を痛ましそうに見つめていた。
(ルリちゃん、でもこれは貴女の為なのよ。今ここで立ち直らないと)
「なら、どうして私を助けたんですか?」
そう言った次の瞬間の瞳。その物悲しさに、エリナはハッとなる。
「それは・・・・・・ルリちゃんの為に」
思わず口を出したエリナに、ルリはすげなく言った。
「ヒューマニズムにかこつけた建前はいいです。私を回収する価値があったから。
そうでなければ貴方達が行った事は無意味です。
シークレットサービス隊員11名の生命と47億円の諸経費。それに見合うだけの価値が私に無ければ」
鋭い刃のような言葉。だが、アカツキはそれに痛痒を感じた様子も無く。
「もしかしたら高い買い物だったかもしれないね」
嫌われ者になるぐらいの覚悟はあるのだ。そのくらいでなければネルガルの会長は務まらない。
「馬鹿ですね」
「さあどうだろうね。少なくとも今の君には、確かにそれに釣り合うだけの価値は無いからねぇ。
馬鹿といえば馬鹿とも言えるし。まあ、先行投資のつもりで君を救出したんだけど」
「能力の無い道具に先行投資。間違ってます」
「何、能力はあるさ。ただ今は価値が無い」
今度はルリが固まる番だった。アカツキは残酷にさえ思える笑みを顔にたたえるとさらっと言ってのけたのだ。
「社会復帰も出来ていないような女性に、価値を見出す事は出来ないな。
確かに君の能力は魅力だけど、能力を生かす為に必要不可欠である他人との接触に齟齬をきたすとあってはね」
アカツキにとっては、それは遠まわしの励ましの表現だった。
彼自身はこれでルリが一般社会に戻る為の路を全て整えたつもりだったし、
その後の計画もまったく問題なく進んでいくだろうと判断していた。
だが、ルリにとっては、それは違ったのだ。
「・・・・・・そう、ですか。私、もう要らない道具、人形なんですね」
「ああ、今は要らない・・・・・・って」
アカツキがルリの言葉の意味に気付いた時。ルリは彼に向けて既に頭を下げてしまっていた。
「今までありがとうございました。ただ、生命まで救ってもらう必要はありませんでしたね。
私はもう要らない道具なのですから。むしろ必要とされる場所にいた方がよかったかも知れない」
ルリは頭を上げるとつかつかとドアに歩み寄る。どことなく歩調まで機械的であった。
ドアの前で振り向いて、彼女はそれこそまるで機械のような、堅い声で室内の2人に告げる。
「提案は了解しました。2日の間に準備を整えておきます。では」
ちょこんと儀礼上適度なレベルで頭を下げて。彼女は廊下の向こう側へと消えた。
「先行投資って、確かに僕、言ったよね?」
「精神的に追い詰められた子供、いえ"少女"は、どんな発言も悪意として捉えるものだから・・・・・・」
溜息をつくアカツキ。相手がまともなルリでは無い事を、少し失念していたようだ。
結果的に彼は大きな過ちを犯してしまったようだった。ルリの心は今頃深く傷ついている事だろう。
これではせっかく一旦市井に戻したとしても、ネルガル及び宇宙軍の表看板として
ルリを利用する計画はかなりの修正を余儀なくされてしまうかもしれない。
「それにしても私達、最低な大人ね・・・・・・」
ホシノ・ルリ。スウェーデン出身、14歳。
遺伝上の両親は北欧の小国ピースランド王夫妻。
親権者はスウェーデンの研究施設長からホシノ夫妻、ネルガル本社警備部長、ミスマル・コウイチロウと変遷し、
現在は予定だったテンカワ・アキト及びミスマル・ユリカを素っ飛ばして、一応はハルカ・ミナトにある。
もっとも本当の意味での現在は、彼女は鬼籍に入ってしまっているので、親権者などいないのだが。
経歴としては、ネルガル重工製機動戦艦ナデシコオペレーターがあげられる。
オペレーターと言っても一般艦船や基地のオペレーター等とは異なり、命令発送機能そのものであり、
重要度からいえば艦長ミスマル・ユリカなどよりもあった。給料にもそれは現れている。
その彼女が望んだ物。それはくしくもテンカワ・アキトと同じ。『家族』であった。
特殊な出生及び成長から学歴すら存在しない彼女だが、その彼女の求めたのは何より人の温もりだったのだ。
人は欠けているものを欲するものだから、それは極めて自然な事ともいえよう。
ナデシコ乗艦の初期こそ彼女はそういったものに冷笑さえして、振り向きもしなかったが、
最終的には仕事人間としての理知的な部分と、年頃の少女としての多感な部分をしっかりと持ち合わせる
確固たる人格を持つことになった彼女にとって、『家族』、テンカワ・アキトとミスマル・ユリカと過ごす時は
極めて充実していて、かつ心休まる時だったのだ。
よって彼女の帰るべき場所は『家族』のいる所。だが、それはもはや存在しないに等しくなってしまった。
ミスマル・ユリカは火星の後継者によって攫われ、行方知れず。
テンカワ・アキトは心身共に変わってしまった。
そして、彼女自身も心に深い傷を負ってしまった。
あの時の『家族』はもうありえなくなってしまったのだ。もう彼女にとって安息の日々は無いのかもしれない。
だが、それで本当に彼女の感情は死んでしまったのだろうか?
否。彼女は今、喪失したものに想いを致しすぎて、正直に自分を表現できないだけなのだ。
それだけの余裕が無いと言いなおしてもいい。あるいは自分の湧き上がる感情を頑なに拒んでいるだけだとも。
さながら、昔の、ナデシコに乗ったばかりぐらいの頃のように。
何か思っているのに、上手くは表現できない。結果斜めに構えてしまう。
ただ心は深く傷ついている、それがあの時と違うだけで・・・・・・
本人は大きな差だと思っている事が、意外に小さなものであったりする。
―――その事に気付くかどうかは、本人次第ではあるが。
部屋の隅。ダンボールを前に佇む少女がいた。
数少ない私物を積み込み、ガムテープをとり上げ―――そこで、彼女の動きはぴたりと止まってしまっていた。
その視線はダンボールそのものに濯がれているようで実際何も見ていない。
いや、見えているものはある。それは―――もう一人の彼女だった。
(アキトさんはここに残ってユリカさんの為、火星の人、そしてアキトさん自身の復讐の為に戦うと言う・・・・・・
そして自分は今、本当の意味で一人ぼっちになろうとしている。これで、これでいいの?)
脳裏に浮かぶのは、数時間前の会話。思えばあのシャトル事故以来、はじめてまともに彼と話をしたのだ。
「・・・・・・一人は嫌。でも、私はここにいるべきじゃない」
思い切ってガムテープの端を握る。びびっ、音を立てて伸びていくテープ。
(なら貴女、本当にアキトさんを置いていけると言うの?はじめての家族、アキトさん無しで生きていけるの、ホシノ・ルリ?)
自問自答。心は―――どうしたいのかよくわからない。理性は―――出て行くべきだと告げる。
彼女は無力だ。無力な人間がいつまでも人の世話になるべきでも無い。ましてや復讐の足を引っ張る訳にはいかない。
そして、まだ彼女は若かった。自分自身は否定しようとしているが、まだ子供だ。
復讐、血塗られた世界にいる資格こそが無い、彼女自身、よくわかっていた。
「だから出て行かないといけない。私には、人を殺す理由が無いから。たとえ、それが敵でも」
ガムテープの端を、ダンボールの口の端につける。
(そして貴女は自分の家族を死地に赴かせて、自分自身は何一つ傷つかないでいようとする。
アキトさんを置いて、自分だけ平和な日常に帰って。こんな風に思いながら日常を過ごしていく。
『ああ、家族をみんな喪ってなんて自分は可哀想なんだろう』
『自分にはもう感情が無い、人形だから人形のようにしか自分を表現できないの』
自己陶酔の極みね。被害者ぶっているだけ。本当はたかが幻覚を見るぐらいで、大した事無い癖に。
家族を取り戻そうという努力を放棄して、アキトさんだけに押し付ける。貴女は本当にただのお姫さまなのね、ホシノ・ルリ)
彼女の中で行われるせめぎあい。
どうしてもう一人の彼女はこうもアキトの側にいようと抵抗を試みるのだろうか?
彼女は日常の生活に戻らなければならないというのに。それ以外許されないというのに。
「駄目。私は必要とされていないから」
(必要とされてないと勝手に思い込んでいるのは、貴女自身)
・・・・・・彼女の手が、止まった。
本当は迷わないつもりだった。迷わず、言われたままにここを出て行くつもりだったのだ。
だが。ただ一度顔をあわせた事が。彼への想いの強さが―――彼女を変えてしまった。
(この人から、離れたくない・・・・・・ずっと、側にいたい)
今傍らを離れる事は、すなわち離別。光と闇は同じ場には存在できない。
傍らにいるという事は、彼女自身が闇に堕ちる事を意味する。
復讐者の隣の席。その座を占めるか、あるいは表世界に帰るか。二者択一。人生の分岐点。
「帰らない、ですか」
「ああ。俺は・・・・・・あいつらを許せない。そして、ユリカを絶対に取り戻す」
効かない視界。喪った感覚。だが、アキトは何かを睨みつけるかのように、壁に目線を向けていた。
「だからルリちゃん。今すぐ俺から離れろ。俺の側に、君はいてはいけない」
アキトさんも一緒に帰るものだと思っていた。でも・・・・・・思えば、それは無理な相談。
自分よりも遥かに重症のアキトさん。だけど、その彼の身を動かしているのは、復讐の決意。
それを奪い取ってしまう事は、すなわち生き甲斐を奪ってしまうという事。
そして、私はそれを止めてはいけない。私の、勝手な感情で・・・・・・
最後に残った家族に側にいてほしい、それだけの理由で。アキトさんの路を遮ってはいけない・・・・・・。
でも、気持ちに嘘はつけなかった。アキトと別れる事は、彼女には無理だ。
たとえアキトが変わってしまうとしても。それでも、ただ一人の、かけがえの無い、大事な人。
別れてしまうのが一番彼の為になる。復讐、修羅の道に傍らを離れない彼女の存在は邪魔なだけだ。
だけど、それを何も感じず実行できるような彼女でも無い
―――彼女は人形では無いのだから。そうあろうとしても、過去の自分は捨てられないから。
必要とされない自分。だが、心の奥底で"そうしたい"と望む、自分。
彼の為に自分を役立てられるなら。側にいる為の理由を探してしまう自分。
(弱音を吐いてしまうような自分は、感情を捨てられない自分は、復讐の路になどむかない)
そう願望を押さえつけようとしても、駄目だった。もう一人の自分が反論してくる。
(貴女は人形になる資格こそが無い。人形になるには、自分を感情を大事にしすぎてきた。
もし貴女が人形なら彼の手伝いをするのに相応しい身でありながら、
彼の身を去らなければいけなくなる。彼の意思とネルガルの意向には逆らえない。
でも貴女、そして"私"は人形では無い。だから、感情を置き忘れる事なんて出来ない)
身が震える。衝動的な感情を押さえつけようとする理性。
どちらの自分に従うか、どの選択を取るべきか―――いよいよ決断するべき時だった。
「・・・・・・それは困りましたなぁ」
ネルガル本社ビル地下施設、イネス・フレサンジュの研究室。
戸籍上は既に死んだイネス。その彼女がこれまで通り科学者としての能力を発揮する為に用意された場所。
元々非合法の設備が多い、本社ビル地下500mに設けられた施設だが、その中でもこの区画は機密に属する。
全てが完結できるよう、研究部屋多数の他に書斎、寝室、居間、キッチン、ユニットバス等が彼女に与えられたが、
その中、地下研究部応接室で現在彼女と来訪者、プロスペクターが向き合っている、そういう構図だ。
「貴方の上司が蒔いた種よ。もっともそうじゃなくても、こうなってしまう可能性はあるのだけど」
「そうおっしゃられると耳が痛いですな。確かに言葉というのは大事で、私などは商売道具として珍重していますが、
特に会長がそのようなミスを犯されたとなると・・・・・・もはやどうにも出来ませんから」
イネス・フレサンジュの2時間に及ぶ説明を聞き終えて、現在プロスペクターは出されたコーヒーを味わっている段階だ。
黒い、だが水がいいのか半ば透き通るような液体を眺めながら、彼は彼女の発言を要約している。
(つまり、会長のお言葉がルリさんに人形である事を強いてしまった。そしてその事で自分の感情をより抑圧してしまった
ルリさんでしたが、かえってそれが感情の暴発を招く結果に繋がる、と・・・・・・
アキト君とルリさんの会話の分析から、ルリさんは今極度にアキト君と離れる事を恐れている事がわかる。
結局、ルリさんが我々の意に反して表世界に戻らず、アキト君と共に復讐、そして修羅の道を歩む事になる、と)
「もう彼女を止める事は出来ないわ。もしここで無理やりアキト君から引き離したら、
彼女は間違いなく自分の感情を抑圧し続けて生きなければならなくなってしまう。
その場合、貴方達が考えている新造戦艦での艦長及びオペレーターとしての彼女の使用には大きな支障を来たす事になるわね」
「まったく痛い話です。ルリさんの為になるように、我々は努力したつもりなのですが」
プロスペクターの、珍しく苦りきった言葉に、イネスは薄い笑顔で返答した。
「努力が正しく報われない事はよくある事ね。この場合私のも含まれるわけだけど」
ルリが"そう"ならないように、努力してきたはずのイネスだが、その彼女もまた万能という訳では無かった。
彼女は基本的に何一つ救えなかった。アキトの五感も、アキトとルリが、復讐へと堕ちていく事も。
―――全ての問題を誤謬無く解き明かすのは、存在するかどうかすらわからぬ神ぐらいしか出来ぬ相談なのだ。
常闇。ほとんど何も感知できない視覚。触ってもほぼ何も感じない触覚。
彼の世界は閉ざされていた。後にバイザーによってある程度視覚は回復するが、
今の彼、テンカワ・アキトにとって、世界はあまりに狭かった。
だが、狭いからこそ。燃える感情を決意へと昇華させるまでに想い続ける事が出来た。
彼の婚約者、ミスマル・ユリカ。本来なら既にテンカワ・ユリカとなるべき女性。
まず、彼女は救い出す。家族であるから。そのまま敵に与え続ける事など出来ない。
次に死んでいった者達。ジャンプの実験、人体実験。彼の前で死んでいった50名を超える者達。
ルリよりも幼い少女。温厚な老紳士。何の罪も無い人々が、"奴ら"の狂気に殺された。
慣れないジャンプでイメージを集中できず、永遠に戻らない女達。
残酷で興味本位の実験を受けて、苦痛に呻き、最後はゴミのように纏めて捨てられた男達。
ただ火星出身者というだけで。A級ジャンパーであるというだけで。彼らは文字通り人柱とされた。
その彼らの為にも。彼は復讐してやるつもりだ。全員、あの科学者達を皆殺しにしてやるつもりだ。
彼らの魂が休まる事は無いだろう。だが、彼に出来そうな手向けは、そのくらいしか無い。
散々地獄を見せられた。そして、苦痛も味わった。
だから、彼にはもう迷う理由が無い。躊躇う理由が無い。殺しに、心を痛める事も無いと誓う。
必ず、この暗闇から抜け出して、"奴ら"を根絶やしにする。"奴ら"の正義とやらを、彼は認めない。
彼は―――闇の王子となるのだ。
不意にドアが開くのを、彼は音で感じ取った。目が見えなければ、耳が自然と良くなる。
そうで無くても、ドアが開く音は決して無視できるものでは無い。
だが、訓練をはじめた後の彼ならいざ知らず、今の彼ではまだ歩みよってくる人物が誰なのかはわからない。
ただ何となく―――何となくだが、大事な話のような気がした。だから、居住まいを正す。
「・・・・・・私を、使ってください」
「ルリちゃん?」
第一声でやっと誰がそこにいるのか、判別する。だが・・・・・・
だが今何か、何か重要な事を言われた、そんな気がした。
「一人で戦った方が足手纏いがいなくて済む。それは確かだと思います。
だから、一度は離れるべきだと思いました、でも・・・・・・
側にいさせて下さい。そして、放さないで下さい」
「ルリちゃん!!それは、駄目だ」
ふ・・・・・・ルリが微笑むのを、何となくだがアキトは気配で感じ取った。
アキトは変わった。復讐者になった。しかし、変わらないところもある。それをルリは敏感に感じとっていた。
「優しいんですね、アキトさんは。でも私、アキトさんがいないと・・・・・・生きていけそうにありません」
「俺などにかまうな。ルリちゃんはルリちゃんの幸せが「いいえ」」
アキトが口をつぐむ。ルリの両手が、彼の右腕に回される―――
「かまいます。私の家族だから。それに、アキトさん無しでの幸せなんて、欲しくありません。
勿論、ユリカさん無しでも、です。だから、私も戦います」
「ルリちゃん・・・・・・それでも駄目だ。君は、戦いになんか向いていない」
沈黙。しばらくして、ルリが何かをアキトの両手に握らせた。そして、手を自分の胸へと導く・・・・・・
「る、ルリちゃん!?」
アキトの声が裏返る。自分の手にある物、触覚がほとんど利かないので中々わからなかったが
―――ナイフだ。ナイフを、自分はルリの胸に突きつけている・・・・・・!
「だからです。アキトさん、目的の為には手段を選ぶ余裕は無いから・・・・・・
私を刺す覚悟を持ってください。私を、戦場では道具として使うだけの冷酷さを持ち合わせてください。
そうじゃないなら、私はアキトさんの復讐を認める事は出来ません」
感情のままに動く女は強い。
そして、アキトは今恐怖に囚われていた。自分のしようとしている事が、いかに恐ろしい事か・・・・・・
「・・・・・・それでも、復讐するんですよね。アキトさんは、優しいから」
「優しい?俺は、復讐鬼なんだぞ・・・・・・」
「それでも、優しいです。A級ジャンパー達の為に、死んだ人の為に、アキトさんは戦うのだから」
「・・・・・・わかって、いたのか」
だが、それも自分の為に戦う事の言い訳に過ぎない―――そうアキトは感じていた。
ただ犠牲になっていった人々を理由にするだけで、自分が人殺しをするのには変わらない。
「そして、自分の為にも戦う。そんなアキトさんだから、アキトさんの決意だから。
私は止めません。でも、だからこそ躊躇う事があってはいけないと思うんです」
「ルリちゃん、俺・・・・・・どうしていいか、わからない」
彼の腕を放す。だらりと垂れ下がる彼の両腕・・・・・・
そんな彼に、ルリは飛びつく。堅く、息が苦しくなるほど。抱きしめて。
「私の我侭です。私をアキトさん以外の人形にしないで」
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あとがき
ルリがころころと変わるお話です。とりあえず、題名どおりルリとアキトが共に歩む事になりました。
アキト×ルリ・・・・・・の片鱗ぐらいは見せられたかな、と思っています。
話としてはコンパクトに―――なっているといいんですけど、とりあえず話の大筋で取り逃がすとか、そう言った事はありません。
尚、あえてはぶいた部分は物語後半などで回想等の形で触れる事になるかと思います。
ルリの心が揺れるきっかけになったアキトとの会話の、別の部分とか。
ルリが本気で"人形"として一般社会に帰ろうとする描写とか。たぶん、後で触れます。
あ、一つ言っておきます。
今のところ自分の小説の題名などは英語の表記が多いですが、特別そうしている訳ではありません。
というか、作者は英語が苦手なので、もしかしたら不適当な表記になっている―――かもしれませんね。
英語の題名表記がおかしかったりした場合は、嘲笑しながら微笑みながらどんどん御指摘ください。
それでは。次回もアキト×ルリで行こう!
ふぅ・・・・・・今回はトリノ五輪のフィギュアスケートを見ながら執筆しました。
なので、めちゃくちゃ表現がおかしかったり、とちくるっていたり―――してなきゃいいんですけど。
荒川静香選手、金メダルおめでとうございます。
b83yrの感想
火星の後継者ってのは、ホントむかつく連中でして
火星の後継者に限らず、『被害者意識が肥大化した連中、歪んだ正義感を持った連中、独善的な連中』とかって、こんな風になる事も多い
『被害者』とか『弱者』だからって、甘やかし過ぎるとどうなるか?、今の日本なら、『実感として理解出来る』人も、多いでしょう
『被害者』や『弱者』がやろうと、『犯罪は犯罪、悪い事は悪い』事に変わりは無い
『被害者』『弱者』だかといって、その犯罪を見逃すようなマネをしていれば、『被害者、弱者』が『新たな加害者』になって、人を苦しめる事になるのは当たり前、その程度の事すら解らない、解ろうとしない、解りたくない『人道主義者』は多いが
で、この手の連中から身を守る手段は、『力』しか無いのが実情、この手の連中は、『自分達にとって都合の悪い話は聞こうとすらしない、都合の悪い『現実』は見ようとしない、仮に話を聞き、現実を見たとしても、『自分達の都合の良いように捻じ曲げる』』ように成り果ててる
こういう連中にとっての、『悪』とか『加害者』ってのは、『現実』ではなくて、『自分達の脳内』に住んでるから、『現実』の人間がどんなに歩み寄ろうとしても、無駄どころかか逆効果になる事も多いから困る
まあ、大抵の人間なんてものは、基本的に『自分に甘く、人に厳しく』だから、大なり小なりそういう所はあるし、『現実』に問題が皆無になる事なんてあり得ないから、全て、『脳内』で片付ける訳にも行かないが
でも、やっば物事には、『限度』って物があるんですよねえ
この手の連中から身を守る為には、この手の連中と同じレベルまで下がらないとならない事もあるのが、物凄く困る・・・・・・・・出来れば、やりたく無いのに・・・・
次話へ進む
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