サセボドッグを出航したナデシコは、太平洋上で2、3回の小規模な戦闘を行った後、連合軍の要請によって一路北極海へと向かっていた。
「あ、ねえ、アキト君」
「ん?何スか」
いつものようにトレーニングを終え、食堂へ向かっていたアキトに声を掛けてきたのはミナトだった。
「これから食事?」
「そうですけど・・・何か?」
「ふーん、またルリルリの専属コックになるのね」
「ええ、まあ・・・」

戦艦とは思えない設備を誇るナデシコは、お湯くらいなら各自の部屋で沸かせるが、調理ができるほどの火力があるのは厨房と医務室くらいだ。
医務室はイネスの要望により、研究室を兼ねるほどの設備が運ばれており、研究用や煮沸消毒用とは思えないほどの電子コンロが設置されている。
『なんでそんな火力が必要なんだ?』
気が付いたアキトが尋ねたが、イネスは不敵な笑みを浮かべただけだった。

休暇中、あの日から4日間アキトは毎日ルリの食事を作り、一緒に食べた。
ルリもアキトのチキンライスが気に入ったらしく、休暇を終えてからのことを心配した。
『ナデシコ食堂にチキンライス置いてもらったら?俺からホウメイさんに頼んでみようか』
アキトはそう言ったが、
『私、テンカワさんのチキンライスがいいです』
甘えていいといったことが裏目に出たかな、と思いつつ思案していたのだが、丁度イネスの実験室に調理ができるほどの火力があることを思い出して、そこで作ろうかと思っていた。
実際、3日ほどそこで作り、食事を3人で取っていたのだが、どうにも気になって仕方がない。

イネスは恐らく地球上で最も優秀な科学者だ。
ボソンジャンプの研究を進めるに当って、アキトがいないところではどうにもならないのでナデシコに再乗艦したが、その研究を続けながらも、なにやら余計なものが増えている。
(余計な火力はそのためか・・・)
そう気づいたが、何しろそれらが怪しすぎる。
表現すらできないほどのおぞましい色をした液体や、象にでも使うのかと思われるほどの巨大な注射器。
棚に並べられた薬品には大概『Danger』が黄色で書かれているし、通常の医務室では存在が確認されない各種の工具や資材が並んでいる。
火星にいた頃も、説明から逃れようとする度にありとあらゆる手段で捕獲され、拘束され、気が付いたら説明に満足し切ったイネスがいた、ということを経験しているアキトは猛烈に嫌な予感がした。
(姉さんの説明好きは常識を超えているからな・・・)
こんな所で落ち着いて食事ができるわけもないし、ルリにもいい環境とは思えない。
『説明』の点で妙に気が合っている2人ではあるのだが。

そこでアキトはホウメイに頼んで、3日に1度、空いている時間帯の厨房を使わせて貰いたいと頼んだのだ。
アキトがコックであることが意外なようだったが、快くOKしてくれた。
いくら何でも毎日チキンライスでは、どんなに他のものを付け合せたって栄養に偏りが出る。
チキンライスのおかげで、以前ほど惣菜ばかりを食べることはなくなった。
これから主食にも慣れていくだろう。
だから3日に1度だけチキンライスの日を作るから、ということで渋るルリを納得させたのだ。

今日はその日である。
だからトレーニングにいつもより時間をかけ、遅い時間になってから食堂に向かっている。
「ルリルリのことなんだけどさあ」
「はあ」
「何か、変わったわよね」
「そうですね。明るくなったし、他の人たちとも打ち解けてきたみたいですよね」
「うんうん、そうよね。やっぱりアキト君のチキンライス効果かしら?」
アキトの表情を覗うように言う。
「う〜ん、どうっスかねえ。イネスさんも色々やってるみたいですけど」

アキトはまだクルーに所属を明かしていない。
1度ついた嘘はいずれ明かす時が来るにしても、タイミングが問題なのだ。

「ああ・・・少しは話すようになったんだけど、やたら説明が増えたのはそのせいね」
ミナトは昨日、『存在を拘束する時間における表象と実在を証明するための方法論に関する問題点』を聞かされたことを思い出していた。
ただ、「ルリルリ、昨日のよりおいしいわね。この味噌汁」と言っただけなのだが。

「休暇中、何があったの?」
突然、ミナトが聞く。
「えっ?!別にこれと言っては・・・ただ、ルリちゃんにご飯作ってあげて、一緒に食べて。あとは時々ブリッジで話したり・・・それくらいっスよ」
「ふ〜ん。それくらい、ねえ・・・」
「なんっスか?」
「ルリルリには影響大きかったみたいねえ。アキト君にとっては『それくらい』でもさ」
「そうなのかな・・・?。食事作って遊んだだけなんだけどな」
本当にただそれだけのことだから、アキトにはそれがどうルリに影響を与えるのか、よくわからない。
「家族」の話をしたが、そのことの方がいい影響を与えたんじゃないかとも思う。
(それも、どうかな・・・うぬぼれだよなあ。俺よりIQ高いルリちゃんに説教したみたいなもんだからな・・・)
釈迦に説法、としかいいようがない。
人に話しても、「お前がルリに説教?」とバカにされるだけだろうから黙っているが。

「ふっふ〜ん、ルリルリも少女だってことよ」
ミナトは上機嫌である。
ナデシコに乗ってから1年と少し、最初のうちは誰がどう話しかけても素気ない返事しかしなかったルリ。
諦めずに話しかけてきたが、さほど変わらなかった。
それが、3ヶ月前にアキトが乗艦し、火星でイネスが乗艦してからは少しずつ変わっていった。
説明好きになりそうなのは、まあご愛嬌というものか。
サセボでの整備中にアキトとルリだけがナデシコに残った後は、更に変化が見られた。
ルリが自分から話しかけるようになったのだ。

(これもアキト君やイネスさんのおかげなのかな・・・)
そう思うと少し寂しい気もする。
自分の方がルリと長く付き合ってきたのに、その1年を無視して3ヶ月の付き合いでアキトがルリを変えたことに少し、嫉妬もする。
けれど、ミナトは考え直す。
ルリのために、そう思っているはずであり、自己満足のためではない。
本当にそうなら、誰が原因であれ、ルリを変えてくれたことを素直に喜ばなきゃならない。
だから、そうした。

目の前のアキトはそんなことに全く気づいていない。
自分がルリを変えたなどとは、誰に言われても信じないだろう。

「ねえ、アキト君」
「何スか?」
食券売り場で選びながら、ミナトが呼びかける。
アキトもすぐに厨房へ入ればいいものを、付き合いがいいのか、ミナトが食券を買うまで待っている。
「あのさ、ちょっと耳貸してくれない?」
アキトは不思議に思いながらも少し腰をかがめて、ミナトの口元にもっていく。
「(ひそひそ)あの、ね・・・」










「ウリバタケさん、ちょっといいかしら?」
イネスが格納庫にやってくるのは珍しい。
暇つぶしなのか、よほど大事な用か。
いずれにしても面白いことには違いないと感じたウリバタケは、作業の手を止めてイネスへ近寄る。
「悪いわね。出撃前の忙しい時に」
「なに、出撃間際になって慌てて整備するような間抜けじゃねーからな。で、何だい?」
イネスは丸めた紙を広げてみせる。

「?・・・・・・何だ、これ」
描かれたエステの図面に、用途のわからない装置が追加されている。
現在ナデシコに搭載されているエステバリスには、こんな装置はついていないはずだ。
「あまり詳しくは言えないんだけど。これをアキト君のエステにつけて欲しいのよ」
「おいおい、詳しく言えないようなモノをあいつらが命預ける機体に取り付けるわけには行かないだろう。例えドクターの頼みだとしても、俺にはそんなことできねーよ」
ウリバタケの言葉に、落胆するかと思われたイネスは微笑む。
「それでこそだわ。ただ、今は話せないのよ本当に。でもナデシコやパイロットの危険を招くような装置ではないわ。ただの箱でしょ」
「そりゃそうだが・・・」
譲らないウリバタケ。
「今は、話せないのよ。時期が来たら話すわ。信じてもらえないかしら」
そう言うと、ウリバタケの反応を伺う。
ウリバタケにしてみても、確かに単なる箱なら問題ないのだが。

火星でイネスと会ってから、微妙な変化を見せたルリを思い出す。

『そうだねえ、明るくなったかな』
『だよなあ。艦長と一緒にいるとそうは思えないけどよ』
『ははは、比較対象が極端すぎやしないかい?』
『ま、どっちにしてもいいことだよな。ドクターのおかげなのかね』
『そうだねえ。どうしてドクターとあんなに仲良くなったのかわからないけどね』

昨日の食堂での、ホウメイとの会話だ。
ウリバタケは悩む。
素性・・・はわかっている。
自分たちをスカウトしたプロスが引きとめようとした人物だ。
鑑定眼のある彼の目がそう判断したのなら、ナデシコにとって悪影響を与えるような人物でないこともわかる。
ここでイネスを試してみるのもいいかも知れないが、確か相手は精神医でもあり、心理学も修めているはず。
そんな人物を鑑定しようとしても徒労に終わるだけだろうことは想像に難くない。
それにさっきの台詞。
自分を信頼しての依頼なのだろう。
それに答えてやりたい気持ちはあるのだが。

しばらく考えて、結論を出す。
「わかったよ。だが、今回の作戦には無理だぜ。それにいつか必ず訳を話してくれるんだろうな」
「もちろんよ、助かるわ。できる限り早くお願いね」










ロング海峡を通り抜け、東シベリア海・ラプテフ海から北上して北極海へ向かう。
タイミル半島を左手に、セーヴェルナヤゼムリャの北は永久流氷だ。
ナデシコ艦内は当然のことながら寒さなど感じないが、窓の流氷を眺めていると、視覚だけで寒くなったような気がする。
ナデシコのブリッジでは、いつものように戦艦らしくない光景が、戦闘前にも関わらず広げられている。
「うう〜、ジュン君、寒いよお・・・」
「ユリカ・・・気のせいだって。景色を見ないでレーダーだけ見るようにしたら?」
「あ、そうか」
ユリカが訴え、ジュンが気づかせる。
ブリッジの外は白と青の2色しかない世界が広がっている。

「ねえ、ルリルリ」
「何ですか」
「何怒ってるの?」
「私別に怒ってなんかいません」
「そ、そう・・・?」
ルリの厳しい視線に当てられて、ミナトはそれ以上話し掛けるのを諦める。
反対側ではメグミがプロスペクターに質問をしている。

「ねえ、プロスさん」
「何ですか」
「後どれくらい壊したら地球上からチューリップはなくなるんですか?」
「そうですなあ。データが・・・」
「ありますよ」
急に割り込むルリ。
「オモイカネ、ウィンドウ表示。現存する地球上のチューリップ分布図をちょうだい」
《了解》
「うわあ・・・随分減ったねえ」
頭上の艦長ブリッジからユリカが呑気な声を出す。
チューリップの分布を示す赤い点はもうあと2、30といったところだ。
「もうすぐ終わるのね〜。これ以上チューリップが来なければ地球も平和になるわね」
「これが終わったらナデシコは艦隊に合流するんですか?」
メグミの問いに、
「いや、その後の予定についての命令書はまだ来ていないよ。さあみんな、もうすぐ作戦空域だ。ユリカ」
ジュンがブリッジに渇を入れるよう、目線で促す。
軽く頷くと、正面に向き直り、凛とした声を響かせる。
「皆さん、あと5分で作戦行動に入ります。各部最終チェック報告を。警戒体制から第1級戦闘配備へシフト。あと少しで地上から木星蜥蜴を排除できます。頑張っていきましょう!」



「敵影レーダーに捕捉。目標のチューリップまで距離60Km。機動兵器90・・・機、前方12Km地点に展開。来ます」
メグミが策敵レーダーを見ながら慌てて報告する。
「こう磁気嵐がひどくては、レーダーは使えませんなあ」
プロスはのんびりした声だ。
バッタやジョロの火力ではナデシコのディストーションフィールドは破れない。
自社製品への信頼であろうか。
対照的に、戦闘を預かるゴートの声は堅い。
「艦長、IFSで操作するエステバリスの方が有視界戦闘には向いているが」
「可能ですか?」
『行けるぜ』
ユリカの問いには、リョーコが答える。
「エステバリス隊、発進」
「了解。エステバリス隊、発進願います」
ユリカの指示をメグミが格納庫に伝える。
声が終わるか終わらないかの内に、左舷ハッチから5機のエステバリスが次々に発進する。
「メグミさん、テンカワ機とヤマダ機を先行偵察を兼ねて前方エネルギーラインぎりぎりまで出してください。リョーコさんたちはナデシコの防御を優先」
「はい。テンカワ機、ヤマダ機、ナデシコの前方へ展開してください」
『おいおい、大丈夫なのか?』
メグミの前に、不安げな様子のアキトが通信を繋げる。
「ごめんなさい、テンカワさん。ナデシコのレーダーがほとんど使えないんです。エステからの状況報告はキャッチできますから、それを基に戦況マップを更新して援護します」
メグミに代わって、ユリカが答える。

『おい!テンカワ!てめえ、弱気になってんじゃねえよ!』
ヤマダはそう叫ぶと、
『いいか!男の戦いってのはな、サポート気にしながらちまちまやるもんじゃねえ!見てろ!』
そのまま最大戦速でエネルギーラインを越える。
「ちょ、ちょっとヤマダさん!エネルギーライン越えちゃってますよ!」
慌てるメグミの声も聞こえないらしい。
いつもの雄叫びを繰り返しながら、バッタを屠っていく。
呆れて見ていたアキトの周りにも無人兵器が集中し始め、あっという間に囲まれる。
一画にラピッドライフルを連射すると、包囲を破ってヤマダ機の援護へ向かう。

「数、増えていきます。前方50Kmチューリップを中心に敵影200!」
「ユリカ、ナデシコの防御は大丈夫なんじゃ・・・」
「うん。メグミさん、リョーコさんを前方の援護へ。イズミさんとヒカルさんはバックアップで押し出してください」
「リョーコさん、テンカワさんとヤマダさんの援護をお願いします。イズミさん、ヒカルさんは前方で打ち漏らしをナデシコに近づけさせないようにしてください」
『了解!』
リョーコの赤いエステバリスが、ナデシコを離れていく。

「新しい敵影を捕捉しました。ちょっと大きいです」
「エステバリスの倍程度の質量です。新兵器ですね」
ブリッジの視線がルリに集中する。
同時にリョーコからの通信が喚く。
『おい!どーなってんだよ、こりゃ。でかいぞ!』
リョーコがデータを送る。
軽いどよめきがブリッジを走る。
「でかいな・・・」
「殿様バッタってところかしらね」
巨大なバッタを見て、ジュンとミナトが感想を口にする。

『おおおっ!萌える敵だぜ!』
字まで間違えたヤマダが1人で燃え上がるが、
「ルリちゃん、策敵と戦闘報告はメグミさんに任せて、エステバリス隊のバックアップを。グラビティブラストの充填時間を計算して」
「はい。フルパワーチャージまで15分間隔です」
「無人兵器群に発射した後、すぐに充填。タイミングは任せます。エステの回避を忘れないでね」
「はい」
ユリカは戦況分析で手一杯だ。各種レーダーレンジが思った以上に狭い。
メグミやエステからのデータ分析に忙しい。
ナデシコの艦内制御と防御システム、援護射撃をルリに一任する。

横からミナトが不安そうに覗き込むが、すぐに思い直して操艦に専念する。
アキト、ヤマダ、リョーコの攻撃隊は巨大バッタの連射ミサイル攻撃に苦戦している。
無駄に大きいだけでなく、1回のミサイル発射の数が多い。
1回背が開くと、そこからミサイルが雨のように降り注いでくるのだ。
それでもさすがに、
「敵無人兵器、60%壊滅。残り40%へのグラビティブラスト、発射」
「えっ?!ちょっと待っ」
メグミの声は遅かった。

『うおおおおおおっ?!』
『何だっ?!』
メグミの前にコミュニケのウィンドウが広がる。
その向こうでヤマダとリョーコが焦りの色を浮かべて叫ぶ。
が、メグミはそれを見ていない。
「アキトさん!アキトさんっ!」
インカムに叫び続けるが、アキトからのコミュニケは開かない。
事態に気づいたブリッジが騒然とする。

「ルリちゃんっ!エステ各機の状況報告!」
ユリカが鋭く叫ぶ。










機動戦艦ナデシコ
another side

Monochrome




13 Live as a man. Jealousy is memorized.

ルリの放ったグラビティブラストは前方のエステバリス隊を掠めた。
一向に開かないアキト機との通信。
ルリは青ざめた顔でコンソールに置いた手を震わせていた。








 

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《あとがき》

ちょっと気になったんで調べたんですがね。
『guinea pig』だと『モルモット』、『guinea』だと『ギニー金貨』。
どうして????

仕事しないで生きてく方法ないかな、なんてばかなこと考えてるワタクシ。
「いいから、さっさと書け」
「無駄ですよ、アキトさん。社会不適合者なんですから」
そこまで言う・・・・・・よな、そりゃ。
 

b83yrの感想

説明ルリルリ・・・・・確かに変に気はあいそうだが(苦笑)
それぞれのキャラが、自分の勤めを果たしてるのが良いです
ガイはちと暴走気味ですが(笑)

 

ちなみに、The fiance of a guineaについては、タイトル考える時、『モルモットの婚約者』じゃ酷いかなと思って、無料英訳サイトで直訳してみたと言う裏話が
ネーミングセンスの無さを英訳で誤魔化しただけだという、う〜む(苦笑)

 

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