アキトさん。あなたの心に忍び寄るもの。それはあなたの「未来の記憶」。あなたであってあなたではない人の、憎しみと悲しみの記憶。

あなたの心は、忍び寄る闇を打ち払うには優しすぎる。あの男の言葉の通りに。

『たとえ鎧を纏おうとも、心の弱さは守れないのだ』

だから、私がここにいる。私は貴方の心を守る電子の鎧。貴方の心を蝕む闇を切り裂く光の剣。

私の名は、「ホシノ・ルリ」

 

機動戦艦ナデシコ

  〜 紫苑 「君を忘れない」 〜



Chapter 5.「胎動」

 

「がああああああ!!!」

アキトの咆哮に触発されたように数体のバッタがエステバリスに飛び掛った。だがエステバリスはそれを避けようとするどころか、逆にフットローラーをフル回転させて、飛び掛ってくるバッタの一体に突進する。そして左拳をバッタの腹部に叩き込むと、動きの止まったバッタをそのまま盾のようにかざして前進する。飛び掛ってきた残りのバッタは数瞬前まで目標がいたはずの地点でぶつかり合い、腹を見せて転がった。

「貴様ら、貴様ら、貴様らあああ」

ミサイルの雨がエステバリスの行く手に降り注ぐ。だがアキトのエステバリスは、急停止と急発進をモーターとギアの限界を超える速さで切り替えながら、時にしゃがみ、時にジャンプし、凡そ人間業とは思えぬ動きでかわして行く。

 

「何よ、あれは」

ネルガルのスパイ衛星経由で送られてくる映像を艦外モニターで見ながら、ムネタケは呆然と呟いた。そこに映し出された漆黒のエステバリスの機動。到底人間にはあり得ないような反応の速さ。既にエステバリスのハードウェアがその無茶苦茶な機動速度についていけないらしく、膝関節部分から火花が散っているのが映像でも確認できる。

『やべえ、やべえぞ、あれは』

その時、ブリッジの空間に新たな通信ウィンドウが開くと、整備班長ウリバタケ・セイヤがアップになって叫んだ。

『おい、ブリッジ。とっととアキトを止めろ。膝だの足首だの、関節のセンサーが軒並み過負荷のアラームを送ってきてやがる。このままじゃ、あと一分もすればバラバラになっちまうぞ!』
「大丈夫。エンゲージポイントまであと40秒」

ウリバタケの叫びにラピスが眉根一つ動かさずに答える。自分の主張を無視した、その感情の篭らぬ口調にウリバタケはむっとすると、一つのセンサーの状況を示すウィンドウを自分の顔の横に開いた。

『これ見ろ、これ!IFSのデータ伝達量10Gbps超えてるんだぞ!? エステのパイロットどころか、AIオペレーターでもこんなデータ量扱ったら脳味噌沸騰もんだろうが!一体お前ら何を』

突然、ウリバタケの通信ウィンドウが閉じた。ブリッジクルーの視線が通信士のメグミに集まる。

「え、え、私、何にもしてませんよ」
「邪魔だから、私が切った。エンゲージポイントまであと30秒。提督」

周囲の視線に慌てて潔白を主張しようとしたメグミの台詞を遮ると、ラピスはフクベの方を振り返った。その氷の視線を真正面から受け止めると、フクベは小さく頷いてミナトに号令を下す。

「20秒後、垂直浮上。ナデシコ浮上準備」
「あ、アイ・サー。ナデシコ浮上準備」

フクベの号令にミナトは一瞬躊躇したが、すぐに気を取り直して復唱すると、操舵コンソールに浮上シーケンスコマンドを打ち込んでいく。

「艦長」
「へ?は、はい」

呆然と艦外モニターを眺めていたユリカは、急にフクベに名前を呼ばれて間の抜けた返事を返した。だが、フクベは特に気に留める風もなく言葉を続ける。

「指揮権を返す。ここからは君がやりたまえ。艦長として、やるべきことをやれるというところを見せてくれ」

「あ、・・・ はい!」

ユリカは一瞬、何のことか分からないといった表情を浮かべたが、すぐにフクベの言葉を理解して顔を輝かせ、元気よく返事をして表情を引き締めるとブリッジ中央の索敵ウィンドウに視線を移した。

「核パルスエンジン、第一から第四まで出力安定。グラヴィティ・ブラスト、チャージ80%。広域放射可能」

ラピスが最低限の状況報告を簡潔に行う。その横では、ルリがナノマシンの輝きを全身から放ちながら瞬き一つせずに虚空を凝視している。

 

『アキトさん、気付いてください。それは私じゃない』

ルリはオモイカネとIFSを通してアキトの脳に直接訴える。だが、幻影に捕らわれたアキトはその声に気付かない。

(このままでは、アキトさんが)

アキトのエステバリスの状況は、オモイカネを通してルリにも正確に伝わっていた。ディストーション・フィールドの消失、IFSの過負荷、各関節部のオーバーヒート、いつ停止してもおかしくない機体。

(なら、エステバリスが止まる前にあいつらを止めてしまえばいい)

『オモイカネ、いくよ』
『他システム侵入用ポート、調整不十分。該当ポートにバッファオーバーフローの危険あり。制圧継続リミット、現状では約45秒』

ルリの言葉の意味を即座に理解したオモイカネが、現時点ではシステム制圧が完璧には行えないことを報告する。だがルリは躊躇することなくオモイカネに指示を伝える。

『了解。他システム侵入用ポート、オープン。ターゲット、E23ポイントを中心に半径200メートル内に展開する敵無人兵器』
『ターゲット確認。侵入用ポートオープン。ターゲットへのアタック開始。ターゲット側のポート確保に要する時間、後15秒と予測』

ルリの指示を受け、オモイカネが蜥蜴達にシステム制圧攻撃を開始した。オモイカネのIFSコンソールパネルに乗せたルリの両手、オペレーター用IFSのタトゥーが虹色に輝く。

(アキトさん、貴方は私が守ります)

 

 

(もう一つ、保険がいるね)

ラピスはルリの様子を一瞥すると、自席のコンソールにウィンドウを一つ開いた。

『そろそろだと思ってたわ』

ウィンドウの中で、イネス・フレサンジュが意味ありげな笑みを浮かべている。ラピスの方は無表情のまま口を開く。

「あのバカ、出せる?」
『もう格納庫についてる頃よ』

ラピスの言葉に苦笑すると、イネスは自分のウィンドウを格納庫の監視カメラに接続した。ウィンドウの中に格納庫の様子が映る。

 

 

「おいこら、何してんだ、お前!怪我人は大人しくベッドで寝てろ!」

濃い青色にカラーリングされたエステバリス・空戦フレームに向かってウリバタケが拡声器片手に叫んでいる。その視線の先、エステバリスのコクピットには、右足をギプスで固めたヤマダ・ジロウが乗り込もうとしているところだった。

「はっはっはぁ。研究所のピンチにヒーローが寝てられますかってんだ!」
「研究所ぉ?ヒーロー?」

ウリバタケが首を捻っている隙に、ヤマダはコクピットに滑り込むとハッチを閉めた。そしてエステバリスはカタパルトに向かって歩き出す。

「あ、お、おい!無茶すんな!」
『大丈夫だ、博士!研究所と隊長はこのダイゴウジ・ガイが必ず守ってやるぜ!!』
「馬鹿野郎。誰が博士だ!」
『ナデシコ浮上まで後二十秒。バカ。準備はいい?』

ウリバタケとガイ(ヤマダ)の漫才にラピスが割り込んできた。ガイはコクピットに現れたウィンドウに映る桃色の髪の少女に向かい、親指を立ててニヤリと笑う。

『ああ、いつでもいいぜ!って、誰がバカだ!』
『こら、お前、怪我はどうした!?』

ウリバタケがウィンドウ一杯にアップになって突っ込む。しかしガイはそのウィンドウを片手で払いのけると、エステバリスの足をカタパルトに乗せながら言った。

『そんなもんは気合と根性でなんとでもなる!』
『気合だぁ?』

再び漫才が始まりそうになったところへ、今度はイネスが割り込んだ。

『大丈夫。一時間は保証するわ』
「おいおい、保証って」

ウリバタケが何かを言いかけた時、格納庫が一瞬大きく揺れた。

「な、なんだぁ」
『ナデシコ浮上開始。エステバリス、カタパルト接続。システム、オールグリーン』

よろめきながら情けない声を上げるウリバタケに、ラピスが状況報告とエステの発進準備完了を簡潔に告げた。

『おおっしゃあ。ハッチ開けろ!』
『ナデシコ、水上へ出た。高度二十メートル』

ガイ、ラピス、二人のウィンドウを交互に見比べると、ウリバタケは激しく首を横に振ると整備員達に怒鳴った。

「ええ〜い!どうなっても知らねーぞ。おい、第二ハッチ開けろ!空戦、出すぞ!!」

ウリバタケの怒鳴り声を合図に、エステバリス発進ハッチのシャッターがゆっくり上に向かって開き始めた。それを見ながら、ガイはニ、三度指を鳴らしペロリと舌なめずりをすると、IFSコネクタに右手を乗せた。

『バカ。アキトを頼むよ』

メインスクリーンの隅に小さく開いたウィンドウの中で、少しも表情を変えずにラピスが言った。ガイはそれを見ると、ニヤリと口の端を歪めて笑った。

「任せとけって言ったろ、桃ちび。うおおっしゃあ、ダイゴウジ・ガイ、行くぜ!」

気合一閃、掛け声と共にガイのエステバリスがカタパルトの上をハッチ目指して滑り出す。ラピスはその姿を見ながら、微かに眉根を寄せて呟いた。

「・・・ ・・・ 桃ちび?」

 

 

ガイが発進する少し前、アキトは既にディストーション・フィールドを張ることもできないエステバリスを駆りながら、バッタの大群の中を目的地に向かって疾走していた。

「!!」

ナデシコとのエンゲージポイント50M手前、アキトが追いすがるバッタの群れをようやく振り切ったと思ったとき、前方に数十体のジョロが待ち構えているのが見えた。そして正面から百を超える小型ミサイルが水平発射される。

「邪魔だああああ」

エステバリスは、バッタを捧げ持ったままの左手をワイヤードフィストで前方に向かって発射した。コンマ数秒後、ミサイルがエステバリスの左手ごとバッタを吹き飛ばす。その爆煙の向こうに、蜥蜴たちは標的を見出すことが出来なかった。ロストした標的を探して右往左往するジョロ。
だが、すぐに彼らは標的を再発見することになった。一台のジョロの上に、上空から漆黒のエステバリスが落ちてきたからだ。激しい衝撃にひしゃげるジョロ。エステバリスも左足首関節が完全にいかれたらしく、バランスを崩して傾く。

「ぐふぅっ」

着地時の衝撃にアキトは思わず声を上げた。メインスクリーン脇に幾つものアラームウィンドウが開いている。
『左足首関節大破』
『右膝関節損傷』
『左腕肘関節より下部消失』
『損傷度50%超過』
『危険』

「ぬううっ」

アキトはアラームを無視すると、辛うじて動く右足でエステバリスを立たせ、イミディエイト・ナイフを右手に構える。周囲のジョロは目標を再認識すると、間合いを取ってアキトのエステバリスを取り囲んだ。

 

「きゃあっ」
「ああっ、アキト、死んじゃいや!」

ナデシコのブリッジでメグミとユリカが同時に叫ぶ。今、周りを囲むジョロに攻撃を受ければ、アキトのエステバリスはひとたまりも無く大破することは誰の目にも明らかだった。

その時、IFSコンソールに置いたルリの両手のタトゥーが一際明るく輝いた。
『侵入ポート確保。システム介入』

 

「あ、あれ?」

思わず目を覆ったユリカが、指の隙間から艦外モニターのウィンドウを見て素っ頓狂な声を出した。

「なんで?」
「止まってる?」

メグミとミナトも驚きの声を上げる。艦外モニターに映った光景。ボロボロになった漆黒のエステバリス、それをぐるりと取り囲むジョロ。エステバリスにとっては絶体絶命の危機、ジョロ達にとっては千載一遇の好機。しかしそのジョロ達は、なぜか今、一切の動きを止めていた。

(・・・ ・・・ やったわね)

ムネタケは内心ほくそ笑むと、金色の輝きに包まれたルリに視線を落とした。ジョロの突然の停止は、おそらくあのオペレーターの仕業だろう。乗艦前に渡された資料、そこに記載されたホシノ・ルリの「能力」。

(この「実験艦」の目的、やっぱりあの「二人」絡みということかしらね)

ムネタケは視線をプロスペクターに向けた。他のブリッジクルー同様、艦外モニターを見ていたプロスペクターは、ムネタケの視線に気付くと一瞬意味ありげな笑みを浮かべたが、すぐにいつもの「営業スマイル」に戻ると誰にともなく呟いた。

「しかし、テンカワさんももう動けそうにありませんな。このままでは蜥蜴達と一緒に・・・」

そのプロスペクターの言葉にユリカは表情を引き締めると、彼を睨みつけるように言った。

「いえ、アキトは必ず助けます」
「しかし艦長、一体どうやって」
「ナデシコ浮上まで後二十秒。バカ。準備はいい?」

ユリカとプロスのやり取りに混じってラピスの声が聞こえた。

「え?バカ?」

その声にユリカが思わず反応した。他のクルーも一斉にラピスの方を見る。その視線の集中する先、ラピスの後頭部付近にウィンドウが一つ開いた。

『説明しよう!』
「イネス、時間無い。要点だけ」

緑のベレー帽を被り、指示棒を手に嬉々とした表情でホワイトボードの前に立つイネスに、背中越しにラピスが釘を刺す。

『わ、分かってるわよ。昨日骨折したパイロット、応急処置で動けるようにしたわ。一時間なら問題なく動作するはずよ』
「ど、動作って」
「人間、よね」

イネスは不服そうに顔をしかめて要点だけを説明した。その言葉尻を捕らえて、メグミとミナトが顔を寄せ合ってひそひそと言葉を交わす。

「いや、しかしそれは」「分かりましたぁ!」

流石に怪我人を出撃させる訳にはいかないと思ったか、プロスが口を挟もうとしたが、それをユリカが大声で遮った。

「問題無しです。どーんと発進しちゃってください。ラピスちゃんだっけ?浮上地点まで後どれくらい?」
「ナデシコ浮上地点到着」

ユリカの問いに答えたのか、それとも単に状況報告を行っただけなのか、ラピスが抑揚のない口調で浮上地点に到着したことを告げる。ユリカはそれを聞くと大きく頷いてミナトに向かって号令する。

「よーし。ナデシコ浮上!」
「はいはーい。ナデシコ浮上」

ミナトがおよそ戦艦のブリッジには似つかわしくない明るい声で復唱する。同時に、ナデシコは静かに停止するとゆっくりと浮上を開始した。

「ミナトさん、なんで提督には『アイ・サー』で私には『はいはーい』なんですかぁ!?」
「ナデシコ浮上開始。エステバリス、カタパルト接続。システム、オールグリーン」

ユリカが頬を膨らませながらミナトに抗議するのを無視して、ラピスが淡々と現状を報告する。ユリカの横では副長のジュンがこめかみを手で押さえながら、疲れたように力なく首を横に振った。

(ユリカ・・・、今はそんなこと気にしてる場合じゃないだろう)


 

アキトは焦っていた。
片足で辛うじて立つエステバリス。それを取り囲む何十というジョロ。前に進むことも攻撃することも侭ならない。
そして何より、脳裏に浮かぶルリ。遺跡と融合し、石像のようにぴくりとも動かないその姿に、アキトは譬えようも無い焦燥を覚えていた。
早く助けなければ。その思いが強くなればなるほど、思うように動かないエステバリスに苛立ちが募る。顔に現れたナノマシンの光輝が更に輝きをまし、アラームランプの赤い光と共にコクピットをぼんやりと照らし出す。

『ア・・・さ・・・』

何かが聞こえた気がした。アキトはふと周りを見回す。赤く点滅するアラームランプ、『警告』『危険』の文字が躍るステータスウィンドウ、自機を包囲するジョロの大群が映るメインウィンドウ。

(空耳か?)

アキトはそう思い直すと、幾分冷静さを取り戻してメインウィンドウに視線を戻した。そして、あることに気付く。

「止まってる?」

思わず呟くアキト。メインウィンドウに映る数十体のジョロは、まるで電池の切れた玩具のように、今や全く動きを止めていた。何が起こったのか。一台二台なら故障とも考えられるが、数十という無人兵器が一斉に停止したのだ。到底、故障とは考えられない。その時、アキトはこれとよく似た現象があったことを思い出した。正確には未来に「あった」出来事。ルリとナデシコCによる火星の後継者の制圧。突然システムダウンする機動兵器・戦艦。そして今、目の前で一斉に停止したジョロ。極めてよく似ている。

「まさか!?」
『そのまさかです』

アキトの呟きに答えるように、ルリの声がアキトの頭の中に響いた。その瞬間、脳裏に浮かんでいたルリのイメージが消滅した。同時にコクピットのメインウィンドウの脇にコミュニケウィンドウが開き、ナデシコブリッジにいるルリの姿を映し出した。アキト同様、活性化したナノマシンの輝きに包まれ、ツーテールの髪は生き物のように動き、大きく見開いた金色の瞳は瞳孔が針の穴のように収縮し時折ノイズのような輝線が走る。纏う服こそ宇宙軍の艦長服とナデシコのブリッジクルーの制服という違いはあるが、その姿はまさしく「あの」電子の妖精・・・。

「ルリ・・・」
『ようやく気が付いてくれましたね。アキトさん』
「ごめん」

半分溜息混じりにルリが言った。その声音はどことなく非難めいていたが、それは内心ほっとしていることをアキトに悟らせないための照れ隠しに過ぎない。アキトもそれは分かっていたが、自分でもよく分からない激情に翻弄されてルリの呼びかけにずっと気が付かなかった事を後ろめたく思ったのか、ウィンドウに映るルリに向かって頭を下げた。そして、再びメインウィンドウに映るジョロの様子を一瞥すると、ルリに尋ねた。

「あれは、ルリが?」
『はい。ただオモイカネが調整不足です。足止めしておけるのも、あと三十秒といったところですね』

ルリの言葉にアキトは眉を顰めた。自分が不甲斐ないばかりに、「また」ルリに負担を強いている。アキトの心にやり場の無い怒りと自嘲の念が満ちてくる。

『アキトさんが何を考えているか大体分かりますが、今は帰還することだけを考えてください』

アキトの表情に感じるものがあったのだろう、ルリは一層冷ややかな眼差しで事務的に言い放つ。

「・・・ ・・・ ふふっ、確かにそうだな。ルリの言う通りだ」

アキトは苦笑すると、気を取り直してエステバリスをナデシコとのエンゲージポイントへと向かわせようとした。だが、アキトのエステバリスは前へ進むどころか片足で立つのがやっとの状態。到底、エンゲージポイントへ辿り着くことなど出来る状態ではない。

「くっ、この」

IFSを通して懸命にエステバリスへ指令を送るアキト。だが前へ進もうとする度に、エステバリスは前のめりに倒れそうになる。それを腕と膝で何とかバランスを取って持ちこたえる。五度ほど同じことを繰り返すと、アキトは諦めたように溜息を吐く。

「くそっ。やはり駄目か」
『アキトさん』

アキトはシートに深く身体を沈めると、ヘルメットのフードを上げてルリの映るウィンドウに視線を移した。

「ごめん、ルリ。やっぱり俺」
『アキトさん、カッコつけてる暇なんかありませんよ』

ルリは少し怒り気味にアキトの言葉を遮る。

「別にカッコつけてる訳じゃ」
『時間です。迎えが出ますからそこで待っていて下さい』

アキトの反論をルリが再び遮る。それとほぼ同時に、エンゲージポイントの断崖の向こう側で海面が大きく盛り上がった。そして巨大な滝さながらに落下する海水の中から白亜の戦艦が姿を現す。

「ナデシコ」

その姿にアキトは何故か一種の懐かしさを憶えていた。ほんの一日前に初めて見たばかりの艦だというのに。未来の自分、受け継いだ記憶、それがこの戦闘を通して少しずつ自分の記憶へと変化しているのか。アキトは奇妙な感慨を抱きながら目の前に浮かぶ巨大な戦艦の姿を眺めていた。

『隊長ー!』
「な!?」

アキトの感慨など一気に吹き飛ばすような大音声とともに、一機のエステバリス・空戦フレームがナデシコから飛び出してきた。そのまま一旦アキトの機体の脇を猛スピードで通り過ぎると、数百メートル後方の上空で停止する。

「ガイか!?」
『ふっふっふ。天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。悪を倒せと俺を呼ぶ!正義のヒーロー、ダイゴウジ・ガイ!ただ今見参!』

コクピット内のメインウィンドウ中央に開いたコミュニケ・ウィンドウの中で大見得を切ってガイが叫ぶ。

「正義のヒーローって、なあ、ガイ」
『アキトー!!』
「のわあ!?」

気が遠くなる程の大声と共に、ガイのウィンドウを押しのけて現れるユリカのコミュニケ・ウィンドウ。あまりの大声に、アキトは一瞬エステバリスの姿勢制御から意識を離してしまった。その途端、辛うじて片足でバランスを取って立っていたアキトのエステバリスは派手な音を立てて尻餅をついた。

『もう!さっきからずっとオペレーターの、えっと、そう、ルリちゃんとばっかりお話して。アキトったらひど〜い!ね、ユリカとも一杯お話して!!』
『ユリカ、そんな場合じゃないって』

ウィンドウ一杯にユリカのアップが映る。怒って頬を膨らませたかと思えば目をキラキラさせて満面の笑みを浮かべたりと忙しく表情を変える。そんなユリカの横に小さくウィンドウを開いてジュンがユリカを窘める。二人の様子にアキトは思わず苦笑した。その時二人のウィンドウの間に割り込むようにルリのウィンドウが移動した。

『和やかな雰囲気のところすみません。制圧、限界です。侵入用ポート強制クローズ』

そう言い残すとルリのウィンドウが閉じた。それと同時に、アキトのエステバリスを取り囲んだジョロのカメラ・アイに光が戻り、再び攻撃態勢に入る。

「くっ。ガイ、来い!」

アキトはユリカとジュンのウィンドウを押しのけると、ガイに向かって呼びかける。だがガイはアキトのエステバリスが尻餅をついているのを見て首を振った。

『無茶だ、隊長。足が邪魔だ。引き摺っちまって速度が落ちる!』
「いいから来い!俺に考えがある!!」

アキトは怒鳴るとエステバリスの上体を起こし右手のイミディエット・ナイフを構え直す。それに呼応しているのか、周囲を囲むジョロ達が今にも飛び掛りそうな様子を見せる。ガイはその状況に舌打ちをすると、IFSコネクタに置いた右手に力を入れる。

「おおーっし、いちかばちか、行くぜ!隊長!!」

その声を合図にアキトはエステバリスの右手を高く上げた。その手首を、後方から猛スピードで飛んできたエステバリスの左手が掴む。上から引っ張り上げられて半立ちになったその瞬間、アキトのエステバリスの両足が腿の付け根から勢いよく切り離された。

「おおっ!?」

突然抵抗力が減ったため、エステバリスはガイの想定を遥かに超えた速度と角度で急上昇した。

「ちいっ、この野郎」

ガイは危うくバランスを崩しそうになるのを懸命に堪えて体勢を立て直すと、アキトのエステバリスをぶら下げたままナデシコの後方へと退避する。

 

「エステバリス、主砲射線上より離脱」
「主砲照準合わせ。微調整、水平角右0.2、俯角0.03」
「主砲拡散率128%で、敵機動兵器群全て射程内に入ります」

メグミ、ラピス、ルリの声がナデシコ・ブリッジに響く。ユリカはそれらの声に大きく頷くと、右手をびしっと伸ばして号令する。

「目標、アキトをいじめた敵ぜ〜んぶ!主砲、てーっ!!」
「了解。主砲、発射」

ユリカの号令をルリが復唱する。それと同時に、ナデシコの艦首から黒い光の奔流が放たれた。その光は先へ行くほど広がりながら、ナデシコ前方に展開した木星蜥蜴の機動兵器群を飲み込み、その悉くを粉砕した。

「やったー!」
「すごーい」
「ぶい!」

ミナトとメグミが歓声を上げた。ユリカも得意気な笑みを浮かべてVサインを出す。プロス、ゴートのネルガル組も、満足の行く結果だったのか互いに視線を交わし小さく頷きあう。だが、フクベ、ムネタケの制服組とルリ、ラピスの二人は緊張を解かずに艦外モニターを注視している。

「悪いけど、喜ぶのはまだ早いわよ」
「ふえ?」

ムネタケがモニターの一点に鋭い視線を向けたまま呟いた。その声にユリカは首を傾げる。そんなユリカを嘲笑するように、ラピスの冷ややかな声がブリッジに響く。

「五時の方向に敵戦艦待機中。数一。距離三万」
「ええっ!?」

ラピスの報告にユリカ、ミナト、メグミが悲鳴にも似た驚きの声を上げる。

「後から来た奴らの母艦、といったところか。どうするね、艦長」

ユリカとは対照的に落ち着いた声でフクベが問う。ブリッジ内の視線が一斉にユリカに集中した。

「え、えーと」

ユリカは冷や汗を浮かべると、艦外モニターに敵戦艦の艦影を求めて視線を彷徨わせた。


「さて、どうするかな、あのお嬢様」

照明を落とした部屋の中、木製の重厚な机の向こうに座る一人の男が組んだ両手の上に顎を乗せ、目の前のモニターに映るナデシコの映像を見ながら呟いた。

「もう一戦、やらせるおつもりですか?」

男の横に立ち一緒にモニターを覗いていた、男の秘書らしきショートカットの黒髪の女性が尋ねる。男はロングの髪を左手でかきあげると、皮肉な笑みを浮かべて女性を一瞥し、再びモニターに視線を戻した。

「そうだね。できればあのお嬢様の能力も見ておきたかったんだが、ま、いいか。テンカワ君とルリ君の『実験』は成功したみたいだし」

そう言うと男はクッションの効いた背もたれに身体を預け、細い目を更に細め唇の端に皮肉気な笑みを張り付かせたまま天井を見つめた。その横では、彼の秘書がコミュニケを使ってどこかに戦艦撤収の指示を出している。

「あ、後で彼によろしく言っといて。ご協力、感謝するってね」

天井を見つめたまま、男は秘書に軽薄な口調で言った。その言葉を受けて、秘書も意味ありげな笑みを浮かべて答えた。

「かしこまりました。会長」

そして部屋の出口まで歩いていくと、振り向いて一礼しドアを開けて出て行った。

「くっくっくっく」

会長と呼ばれた男は、秘書の出て行った部屋で椅子に深深と身を預けたまま、一人静かに笑い続けていた。

 


<<次回予告>>

初陣を飾ったナデシコに与えられた、束の間の休息。

アキトとルリは、発現した互いの能力についてイネスとラピスを問い詰める。

そんな二人に、ネルガルは更なる実験を強いる。

次回、 〜紫苑 「君を忘れない」〜 『妖精』

を、みんなで読もう!

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<<後書き>>

皆様お久しぶりです。みたっちです。

大変長らくお待たせしてしまいましたが、『紫苑』第5話をお届けします。

え?誰も待ってない?・・・しくしく。

 

執筆ペースがひところに比べて大変落ちてますが、どうか気長にお付き合いいただければと(汗)。

では、次回作でまたお会いしましょう。

 


b83yrの感想

こういうルリやラピスの『一見』冷たい態度は好きです

実際の戦場じゃ、私情を出来る限り排除した方が結果的には良い事が多い

まあ、戦ってるのが人間である以上、私情を完全に捨て去る事は難しいし、あまりに無情過ぎても兵の反発を招く事もあるから、『現実の戦い』は更に難しいんですが

でも、ラピス・・・ガイに『バカ』ってそんな・・本当の事言わんでも(苦笑)

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