敵襲を告げる、けたたましいサイレンの音。攻撃の激しさを物語る、身体の芯を震わすような振動。

それは新たな戦いの始まりを告げる使者。

アキトさんと私の、「二人だけの幸せ」を勝ち取るための戦いが、今、始まりました・・・。

 

機動戦艦ナデシコ

  〜 紫苑 「君を忘れない」 〜



Chapter 4.「初陣」

 

「艦長、起動キーをお願いします」

未だ、満面の笑みを浮かべてVサインをし続けているユリカに向かい、穏やかな微笑を引き攣らせてプロスが促す。

「あ、は〜い」

ユリカは一瞬きょとんとしてプロスの方を見たが、思い出したように手を打つと、ポケットから幅3cm、長さ15cm、厚さ5mm程の緑色の透明なプレートを取り出し、艦長席のコンソール中央にある窪みにはめ込んだ。すると、そのプレートは穏やかな光を発し始めた。そして、ユリカの顔の前に一枚のウィンドウが開く。

『起動パスワードを入力してください』

ユリカはキーボードを使ってパスワードを入力する。最後に【Enter】キーを叩くと、ウィンドウにパスワードが受け付けられ、起動シーケンスが正常に開始されたことを告げるメッセージが表示された。
それと同時にブリッジの様々なパネル類が一斉に輝きを放ち始める。

「第1・第2・第3・第4核パルスエンジン、起動。現在出力10%」
「相転移エンジン、起動シーケンスNo.23までステータス・グリーン」

ラピスとルリの機械的な声がブリッジに響く。プロスはその声に小さく頷くと、制服組の方を見やる。

「さて、お客様もいらしたようですが、どういたしますかな」

そののんびりとした口調にムネタケは不快げに片眉を上げると、オペレーターデッキに視線を向け、各種状況をチェックし続けているルリに命じる。

「オペレーター、地上の状況を報告しなさい」

ルリはムネタケを一瞥すると、オモイカネが刻々と伝えてくる艦外状況を整理して報告する。

「敵無人兵器、現在地上のサセボ守備隊第3師団と交戦中。敵の数、バッタ97、ジョロ50。守備隊の損耗率40%を超えています。敵の損耗率は2%」

その報告にミナトとメグミは息を呑んだ。既に1師団の半分近くが失われているという。それに対して敵は殆ど無傷と言ってもいい状態だ。そのとき一際大きな振動がブリッジを揺らした。

「な、なに!?」

青ざめたメグミが今にも泣きそうな声で叫ぶ。ミナトも縋るような眼差しを隣のルリに向ける。

「守備隊の武器庫が被弾した模様です。誘爆で守備隊の更に15%が失われました。現在損耗率58%」

ルリは顔色一つ変えずに状況を報告すると、ブリッジ中央にウィンドウを開いて、オモイカネが伝える艦外状況データを表示した。そこには敵を表す赤い点の群れが、点在する緑色の点に刻々と近づく様子が映し出される。

「ふう。これはとっとと逃げるに限るわね。三十六計逃げるに如かず、よ」

ウィンドウを見ながら肩をすくめてムネタケが呟いたが、ルリはその言葉を無視して後ろを振り返り、ユリカを見る。ユリカは顎に手を当てて真剣な面持ちでウィンドウを見つめている。

「艦長、君の作戦は」

今まで沈黙を守ってきたフクベがユリカに尋ねる。ユリカはフクベに顔を向けると自信に満ち溢れて口を開く。

「ナデシコは海底ゲートを通ってドックを脱出。そのまま海中を進んで敵の背後に回った所で浮上し、主砲の一撃で敵を殲滅します」

そしてまたユリカはVサインを作ってにっこりと笑う。

「あ、あんたねぇ」

ムネタケはユリカに対してあからさまに不快感を示して詰め寄るが、フクベはシートに身を静めたまま小さく頷いた。

「ふむ。それしかあるまい」
「提督!?」

ムネタケは振り向いて他人事のように呟く老人を睨んだ。冗談ではない。歴戦の兵士達が操るのならまだしも、ナデシコに乗っているのはほぼ全員が戦闘未経験の素人。そう簡単に敵の背後など取れるものではない。例え首尾よく敵の背後を取れたとしても、初弾をはずせば一気に敵に取り付かれる。そうなれば沈むのは目に見えている。

「でも、敵がいつまでも一箇所に集まっていてくれるかな。それに、今の敵の位置だと主砲の軸線上にサセボ市街も入るよ、ユリカ」

それまで黙っていたジュンが口を挟む。ユリカは待ってました、とばかりにジュンの方に向くと、やはり自信満々に答えた。

「うん、だから艦載機動兵器のエステバリスに囮に出てもらうよ。で、敵をこの位置に誘導して」

そう言いながら、コンソールを操作して中央のウィンドウ上の一点、サセボドックから11時の方向約5.5kmの地点に作戦ポイントを作成する。

「そこを主砲でどっかーん。ね、これならいいでしょ?」

ユリカの笑顔に見とれていたジュンは、尋ねられて思わず顔を赤らめ、慌てて首を縦に何度も振ってユリカの作戦を肯定する。ムネタケはその様子を見て、大きく溜息を一つ付くと天を仰いだ。
少しはましかと思ったが、この副長も所詮はぽっと出のお坊ちゃまということか。確か現在使えるエステバリスは陸戦フレームが1機、空戦フレームが1機。そして二人いるパイロットの内、一人は負傷のため出撃不能と聞いている。100機を超える敵機動兵器を5km以上も離れた場所へ単機で誘導するなど、軍のエースパイロット並みの力量が要求される。事前に渡された資料ではかなりの技量を持っているようだが、それはあくまでもテストパイロットとしてだ。戦場での能力は未知数。下手をすれば出撃した直後に撃破されかねない。

「よし、艦長、君の思い通りにやってみたまえ」

ムネタケの懊悩をよそに、フクベがユリカに作戦の実行を促す。ムネタケは、提督席に身を沈め、起きているの寝ているのか分からないフクベの後姿を一瞥すると、視線をブリッジ中央の大ウィンドウに移す。こうなったら、ジタバタしても始まらない。最悪の場合は、自分が指揮権を奪ってでも生き延びる手段を講じなければ。そこまで考えた時、ムネタケの視界に桃色の何かが入った。何だろうと思い、ムネタケは視線をずらす。そしてその桃色のものがサブオペレーター席に座るラピスの髪であることに気付く。そして、その隣に座る銀色の髪の少女に。

「・・・・そうね。なんとかなるかもしれないわね」

ムネタケは二人の少女の姿に微かに頬を緩ませると、すぐに鋭い視線をユリカに戻した。

「はい。ではナデシコは海底ゲートより海中に出ます。ドック注水開始」
「了解。ドック注水開始」
「ハッチ閉鎖。全ブロック気密確保」

今まで笑みを絶やさなかったユリカが、真剣な表情と張りのある声で命令を下す。プロスやゴートは感心の目で、ミナトやメグミは驚きの目でユリカを見るが、ルリとラピスはユリカを一瞥することも無くオモイカネにドック注水の指示を与える。

「メグミさん、パイロットに通信を繋げて下さい」
「あ、は、はい。パイロット、テンカワさん。こちらブリッジ、聞こえますか」

艦外状況を表示するウィンドウの横に一回り小さいウィンドウが開き、赤いパイロットスーツとヘルメットを被ったアキトの姿が映る。彼はエステバリスのコクピット・シートに座って計器類のチェックを行っていたが、正面左下に控えめに開いたコミュニケ・ウィンドウに気付き手を止める。

「こちら、テンカワ。いつでも出れるぞ」

アキトは座り直してIFSコネクタに右手を乗せると、コミュニケ・ウィンドウに視線を移した。

「あー、アキト、アキトだー」

途端にユリカから今までの真面目な雰囲気が消し飛び、動物園でお気に入りの動物の檻の前に立った子供のようにはしゃぎ出す。アキトはユリカの様子に苦笑すると、ヘルメットのフードを上げる。

「・・・ユリカ、久しぶりだな」
「ほんと。10年ぶりだよ。アキトったらちっとも連絡くれないんだから。ぷんぷん」

ユリカは腰に手を当て、子供のように頬を膨らませる。その姿にブリッジ中から呆れと不安混じりの声が漏れる。

「ミナトさん、ほんとにあの人が艦長で大丈夫なんでしょうか」
「さあ。でも今は信じて自分の仕事するしかないでしょ」

メグミとミナトは横に身を乗り出してひそひそと声を交わす。その間でラピスの表情は一層硬くなり、ルリは諦め気味に小さく息を一つ吐く。

「で、「艦長」。作戦は?」

そんなブリッジの雰囲気を察したのか、アキトは敢えてユリカを艦長と呼んで作戦の説明を促した。だがそんなアキトの気遣いをユリカが気付く筈も無く。

「あー、もう。「艦長」なんて呼ばずにちゃんと「ユリカ」って呼んで。あ、そうか、アキト照れてるんだ。もう、10年振りだからって、照れ屋さんなんだから」

そう言って頬を染め、手を胸の前で握って身をくねらす。アキトは溜息をつくと、プロスの隣に無言で立つ戦闘オブザーバーのゴートに視線を向ける。

「テンカワには囮になってもらう。運搬用のエレベーターで地上へ出た後、敵機動兵器を引きつけて西進。目標地点はE23ポイント、ランデブーまでの時間は、オペレーター?」

そこまで話して、ゴートはルリに視線を向ける。ルリはコンソールに向かったまま機械的に答える。

「今から575秒後です。エステバリスコクピットにもカウントダウンを転送します」

コクピットのメインスクリーンの右下に3桁の数字が現れ、一秒ごとに数が減っていく。アキトはそれを確認するとヘルメットのフードを下ろす。

「了解した。地上に出て敵機動兵器をE23ポイントに誘導する」

任務を復唱し、漆黒のエステバリスを格納庫の外、運搬用エレベーターの前まで進める。そしてエステバリスの右手でエレベーターの開閉ボタンを押して扉を開き中に入ると、表情を引き締めて力強く言う。

「テンカワ・アキト、エステバリス出るぞ」

その声と同時にエレベーターのドアが閉まり、地上に向かって昇り始める。コミュニケ・ウィンドウの向こうではユリカが一人、アキトの名前を呼びながらはしゃいでいるが、他のクルーは一様に緊張した面持ちでアキトを見つめている。その中、白磁の肌が緊張と不安で一層白く透き通ったようなオペレーターの少女に視線を止めると、アキトは穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

「ルリ、今夜も手料理、頼めるかな」
「はい?」

ルリは突然アキトから話し掛けられ、それも全く場違いな話の内容に驚いて間の抜けた声を出した。だがすぐにアキトの意図を理解すると、無理に笑みを浮かべて出来るだけ明るい声で答える。

「あ、はい。ロールキャベツとボルシチなんかどうですか」

アキトはルリの作り笑いを優しく見つめて

「ああ、ぜひ頼むよ。だから・・・」

互いに笑みを浮かべたまま、真剣な眼差しで視線を合わせる。

「必ず生きて帰る」「必ず生きて帰って来て」

二人の雰囲気に静まるブリッジ。ミナトは目頭が熱くなるのを覚え、溢れそうになる涙を指で拭うとルリの肩に手を置く。そして振り向いたルリに無言で小さく頷く。

「・・・ミナトさん」

ルリは肩に置かれた手にそっと自分の手を合わせると、殆ど分からないくらいに微かに笑みを浮かべて頷き返した。
が、その時、ルリの後ろから上がった一際大きな声が、それまでのブリッジの雰囲気を打ち壊した。

「あーん、もう。アキト、なんでルリちゃんとそんなにラブラブなの〜。ぷんぷん。私にも「ユリカ、生きて帰るよ」って言って〜」

ルリとミナトが振り向くと、そこではユリカが頬を膨らませたかと思ったら、次の瞬間には顔を桜色に染めて目を閉じ、両手を頬に当てて身をくねらせていた。

「・・・・・・・」

そんなユリカに冷たい視線を送る二人。その横でラピスが珍しく大きな良く通る声で報告する。

「エレベーター、地上に出る!」

 

 

「いつでもどこでもユリカはユリカ、か」

地上へ向けて上昇するエレベーター。アキトはコクピットの中で一人呟くと、静かに目を閉じた。

初めての実戦。「夢」の中では嫌というほど戦っていたが、今「目覚めている」テンカワ・アキトとしては全くの未体験の世界だ。どれほど過酷なシミュレーションをこなしても、どれほど不利な状況での模擬戦を勝ち抜いても、ただ一度の実戦の経験には及ばない。前者は事故でもない限り破れても死ぬことは無い。だが後者は、わずかな判断ミスが即、死に繋がる。あの「夢」の中で、幾度となく判断の甘さから死にかけたことを思い出し、アキトは自分の心が萎縮していくのを感じていた。
できれば戦いたくなんか無い。なにもかもほっぽり出して逃げ出したい。アキトの心に呼応するように身体が小刻みに震え出す。右手のIFSタトゥーの輝きが失われていく。
その時、不意にアキトの脳裏にルリの顔が浮かんだ。緊張と不安を押し隠して無理矢理笑顔を作った、その顔を。

『エレベーター、地上に出る!』

ラピスの声がアキトの意識を現実に引き戻す。アキトは目を開くと、IFSコネクターに置いた右手に力を込める。

「そうだ、逃げる訳にはいかない。この戦いは」

エレベーターが音を立てて止まった。扉が開く。その向こうに見えるのは、そこかしこから立ち上る黒煙、破壊された砲台、そして蠢く「蜥蜴」たち。
アキトのタトゥーが再び輝きを増す。エステバリスは静かに右手にラピッド・ライフルを取り、ゆっくりと前傾姿勢をとる。

「この戦いは、「俺達」の戦いだ!」

アキトの叫びと共にエステバリスは勢い良くエレベーターから戦場へと飛び出した。付近に展開していた数十のバッタが反応し、激しく土ぼこりを巻き上げて走り去る黒い影に向かって機関砲を乱射する。が、弾は展開されたディストーション・フィールドに阻まれてアキトのエステバリスに到達しない。アキトは特に回避運動を取らずに100メートルほど直進した。そして左足を突っ張ってブレーキを掛け、そのまま左足を軸に反転するとラピッド・ライフルをバッタに向けて斉射する。手前にいた二体のバッタが直撃を受けて爆発する。その音に、全てのバッタとジョロが反応し、新たに現れ僚機を破壊した漆黒の機体を、標的に設定した。

「さあ、ついて来い、蜥蜴ども」

アキトのエステバリスはバッタに背を向けると、猛スピードで逃げ始めた。標的を捉えようと、バッタ達もエステバリスの後を追い始める。

アキトはメインウィンドウの左下に映る誘導ルートを確認し、ルートを逸れないよう注意しながらエステバリスを走らせる。猛回転するフットローラーが、敵からエステバリスを隠すように砂塵を巻き上げる。だが、ジョロから発射されたミサイルは、そんな砂塵など無いかのように正確にアキトのエステバリスに向かって飛んでくる。

「ちっ」

何発目かの被弾にアキトは舌打ちしてディストーション・フィールドの出力ゲージを見る。「出力70%」。続いてナデシコとのエンゲージ・カウントダウンに目をやると、「320」の数字が目に入る。

「少し、厳しいか」

アキトは呟くと、機体は前を向いたまま、右手を後ろに伸ばしてラピッド・ライフルを乱射する。何発かが命中したらしく、爆発の衝撃が伝わってくる。同時にセンサーが警告音を発してミサイルの飛来を告げる。

「くぅっ」

アキトはエステバリスをジグザグに走らせる。数発のミサイルがエステバリスのすぐ脇で炸裂しコクピットを揺さぶる。そして別の一発がフィールドを直撃した。

「出力60%」

アキトはフィールド出力ゲージを一瞥すると、歯を食い縛る。額に滲んだ汗が幾筋も頬を伝って顎から滴り落ちる。道は下り坂となり、左右へ大きく蛇行している。

「もってくれよ・・・」

アキトはスピードを緩めずに巧みにカーブを曲がりながら、流れ落ちる汗を左手で拭い呟いた。

 

 

「流石だな」

ブリッジ内のウィンドウに映ったエステバリスの囮ぶりを見ながら、ゴートが無表情に呟いた。

「しかし、かなり被弾もしています。ディストーション・フィールドも無限ではありませんからな。いつまでもつか」

その横でプロスは厳しい顔でメガネを掛け直し、発進準備を黙々と進めるラピスに声を掛ける。

「ラピスさん、注水状況は?」
「現在70%。発進可能まで後30秒」

ラピスは顔を上げてプロスに答えると、そのまま振り向いてユリカを見た。ユリカは、アキトのエステバリスが発進してからずっと「きゃー」「さすがアキト」「やっぱりアキトはユリカの王子様」とはしゃいでいた。その横ではジュンが額に手を当てて溜息をつき、ムネタケは厳しい表情のままエステバリスの様子を凝視している。

「・・・ふん」

ラピスは冷たい視線をユリカに送ると、コンソールに向き直り医務室のイネスの端末にアクセスする。

『イネス。そろそろ』

イネスはその頃、医務室で端末に向かい報告書のようなものをまとめていた。その端末のスクリーンにウィンドウが一つ開き、中にデフォルメされたラピスが現れた。

「あら、もう?」

イネスは端末を操作してオモイカネから索敵情報を引き出し、ウィンドウに表示する。そこにはブリッジに表示されている艦外状況ウィンドウとは異なり、アキトのエステバリスを追撃するバッタ・ジョロとほぼ同数の敵が、海上から接近中であることが表示されていた。

「ふーん、ちょっと多すぎない?」

イネスは視線を別ウィンドウのラピスに移す。ウィンドウ内のラピスは首を横に振り答える。

「これぐらいで丁度いい。で、使うデータはHKSN003でいい?」

イネスは顎に手を当てて考える風だったが、ラピスの問いにすぐに別の端末に向かう。そして何かのデータ一覧を表示すると、「HSKN003」とタイトルの付いたデータを選択し、プロパティを確認する。

「・・・これ使うの?ちょっと早過ぎない?」
「無問題。暴走しても、ルリ姉がいるから」

確認した内容に眉を顰めたイネスだが、ラピスの返答に苦笑するとデータのセキュリティ設定を変更する。

「これでいいわ。貴方の方からも使える筈よ。あと、この索敵情報もロック解除しておくわね」
「よろしく」

ラピスはイネスの言葉に軽く頷くとウィンドウを閉じた。イネスは端末で幾つかオモイカネに指示を与えると、再び報告書の整理を始めた。

「始まり、か」

そう呟いたイネスの青い瞳にウィンドウに表示された報告書のタイトルが映る。そこには以下の文字が見て取れた。

『IFS強化体質者における、新型ナノマシンによるスペックの向上について』

 

 

「注水80%完了。ナデシコ発進可能」

ブリッジでラピスが発進可能の報告をする。それまでエステバリスの映るウィンドウに向かって黄色い声援を送っていたユリカは、正面を向き直って張りのある声で命令した。

「はい、ゲートオープン。ナデシコ、発進!」
「了解。海底ゲート、オープン」

ルリが復唱して海底ゲートのオープンをオモイカネに指示する。すると、今までナデシコの前方を塞いでいた壁が中央から割れてゆっくり左右に動き出し、出来た隙間から大量の海水がドック内に流れ込んだ。

「注水100%」「アイア〜イ。ナデシコ、発進しまーす」

ラピスの報告を受け、ミナトが緊張感の無い声で発進を告げて操舵卓を操作する。艦を固定していたアンカーのロックが外れ、ナデシコはゆっくりとゲートに向かって前進する。

「核パルスエンジン、第1から第4まで出力安定。相転移エンジン、出力30%。主砲グラビティ・ブラスト、チャージ45%」
「艦内気圧、各ブロック異常なし。第2デッキ装甲に微小の歪みあるも、航行に支障なし」

ラピスとルリが艦の状況を報告する。その間にもナデシコはゲートを出て海とドックを結ぶトンネル内を進む。

「ミナトさん、トンネルを抜けたら現在の速度のまま3000前進、その後面舵一杯、反転して海岸まで距離200のところで浮上します」
「はーい、微速3000前進、その後面舵一杯、反転して浮上しまーす」

ユリカの指示に相変わらずの調子で復唱すると、ミナトは操作卓に航行データを入力していく。ルリはその様子を横目で一瞥した後、再びコンソールに向かいオモイカネが伝えてきた艦外状況を確認して眉を顰めたが、声を出すことなくデータをブリッジ中央のウィンドウとアキトのエステバリスに送った。

「な、なによ、あれは」

その時、艦外状況を表示するウィンドウに視線を移したムネタケが驚愕の声を上げた。ラピスを除くブリッジ中の視線がムネタケに集中し、次いでムネタケが見つめるウィンドウへと移る。そこには今まで存在しなかった筈の敵が、海上から刻々とアキトのエステバリスに向かって接近している様子が映し出されていた。その数は、今エステバリスを追っている敵とほぼ同数・・・。

「ミナトさん、作戦変更です。海中に出たらすぐに転進、そのまま浮上してください。新手はナデシコで殲滅します。メグミさん、アキトに繋いで下さい」
「駄目よ」

ユリカは矢継ぎ早に指示を飛ばすが、横からムネタケが鋭く遮った。

「敵が近すぎるわ。このタイミングでナデシコが浮上して主砲を撃っても敵を殲滅できない。10機も撃ちもらせば今度はナデシコが沈むわよ」
「でも!」

ユリカは反論を試みたが、ムネタケの圧するような鋭い視線に思わず身を竦めた。

「あなた艦長でしょう。艦長なら艦長の仕事をしなさい。今あなたがすべきことは何」

ユリカは顔を歪めると俯いて黙り込んだ。ムネタケの言うことは分かる。艦長として、今自分がなすべきこと。優先すべきこと。それが何か。だが、ユリカは艦長の責務よりも自分の感情に忠実にあろうとしていた。ともかく、アキトを助けたい。その思いに。

ムネタケは大きな溜息を一つ吐くとユリカを見限るように視線を移し、オペレーター席のルリに向かって挑戦的な口調で言った。

「ホシノ・ルリ、だったわね。貴方なら答えられるでしょう。もし貴方が艦長ならどう?」

ブリッジ中の視線がルリに集まる。ルリは顔色一つ変えず、コンソールに向かったまま静かに答えた。

「ナデシコは当初の作戦通り、海中を3000前進後転進。エンゲージポイントまで前進、浮上。その時点でエステバリスが「回収可能であれば」回収後、集結した敵機を主砲の広域放射で殲滅します」
「そんな!?」「ルリルリ!?」

メグミとミナトが同時に声を上げる。特にミナトの声には強い非難が込められていた。だがルリは二人に構わず言葉を続ける。

「もしもエンゲージタイミングまでにエステバリスが沈黙した場合、ナデシコは敵との距離を十分取って浮上。敵機動兵器群に主砲で一撃を加えた後、ディストーションフィールドを最大出力で展開。転進して安全空域へ離脱」

そこまで言うと、ルリは無表情な顔でミナトを見る。

「ナデシコの安全、それが最優先事項です」
「それに、結局その作戦が一番アキトの生存確率が高い」

ラピスがルリの発言をフォローする。ミナトはまだ納得がいかない、といった顔をしていたが、ムネタケは満足そうに頷くと振り向いてユリカに言う。

「聞いた通りよ。今、艦長である貴方が最優先すべきことはナデシコの安全であって、あのパイロットではないわ」
「で、でも、アキトが」

ユリカは涙を溜めた目でムネタケを縋るように見る。ムネタケはユリカの視線を切り捨てるように顔を背け、隣のフクベに目で合図する。フクベはムネタケと視線を合わせると、大きく溜息を吐いて提督席から立ち上がった。

「艦長は艦の指揮を続行できないと判断し、提督権限によって私が指揮を行う。本艦は予定通り作戦を続行。テンカワ君」

フクベはウィンドウに映るアキトに呼びかける。アキトは視線をコクピットのメインウィンドウに置いたまま答える。

「何ですか、提督。こっちは今忙しいんですが」

フクベはアキトの声が思いのほか落ち着いているのに頬を緩ませた、が、すぐに厳しい目に戻るとはっきりとした口調で言った。

「聞いていたかとは思うが、支援は出せん。すまんが、死んでくれ」
「そんな!」

フクベの言葉に、ユリカ・ジュン・ミナト・メグミの4人が一様にフクベを見て抗議の声を上げた。だがアキトは、接近する蜥蜴の第2陣の位置とエンゲージ・カウントダウンの数字を見比べると、ようやくコミュニケ・ウィンドウに目を向け口元に笑みを浮かべて答える。

「死にませんよ。まだルリのロールキャベツとボルシチ、食べてませんからね。そちらこそ、落とされないようにして下さいよ。帰る所が無くなっちまいますから」

フクベはウィンドウの中で微笑むアキトの目を見た。強い意志を感じる、それでいて気負った印象の無い瞳。
(ふっ、いい目をする)
フクベも笑みを浮かべるとアキトに大きく頷いてみせる。

「転進ポイントに到着」

ラピスがナデシコの転進ポイントに到着したことを報告する。フクベは頷くと、ミナトに向かって号令する。

「よし。面舵一杯、ナデシコ転進」
「アイ・サー。面舵一杯、ナデシコ転進」

ミナトは復唱すると操舵コンソールを操作してナデシコを右回りにゆっくり回頭させる。

「微速前進」
「アイ・サー。微速前進」
「エンゲージ・ポイントまで後70秒。予定通り」

フクベとミナト・ラピスのやり取りを聞きながら、ルリはオモイカネから受け取る索敵情報を見やすいように整理し、最も被害の少ないと想定されるルートを算定してアキトのエステバリスへ送信していた。

『死なせない』

ルリの強い思いがIFSを通じてオモイカネに伝わる。それはデータとなり、電気信号となってエステバリスに送信される。そしてIFSを通してアキトの意識へと伝えられる。

 

 

「とは言ったものの、さすがにきついな、これは」

アキトはエステバリスを走らせながら、追いすがるバッタにラピッド・ライフルを一浴びさせ呟いた。メイン・ウィンドウに映る誘導ルートは刻々に少しずつ変更されている。ルリが算定して送ってくる最適ルート。アキトはルートが変更されることに何ら不平を感じない。ルリが送ってくるのだ。なら、それは疑うべくもない。

『死なせない』
「え?」

アキトの脳裏に突然、ルリの言葉が響く。一瞬、アキトは驚いたが、すぐにそれがIFSを通じて届けられたルリの思いだと気付く。

『死なせない、アキトさん』

再び脳裏に響くルリの声。IFSコネクターに置かれたアキトの右手に力が入る。

「俺も、死なせない」

アキトは前方に展開し始めた新手のバッタを確認すると、IFSリンクのレベルを上げる。

「ルリ」

アキトの顔に、パイロットにはあり得ないはずの深いIFSリンクを示すナノマシンの輝線が、うっすらと現れた。

 

「え・・・、アキト?」

艦の指揮をフクベに奪われ、ユリカは呆けたようにアキトが映るウィンドウを見ていたが、アキトの顔に現れた光に驚いて声を漏らす。

「エステバリス、IFSリンクレベル上昇。リミッター制御入る」

ラピスが、アキトのIFSリンクレベルがリミッターが掛かるレベルまで上昇したことを報告した。ミナトはルリの様子を見ようとコンソールから目を離し、ルリの顔を下から覗き込んで目を見張る。

「ル、ルリルリ」

ルリの顔にもアキトと同じナノマシンの輝線が現れていた。ツーテールに纏めた髪が浮き上がり、そこだけ風が吹いているかのようになびく。時折、髪の根元から先に向かって、輝線が輪になって走っていく。

『舞台は整った』

ラピスはオモイカネにデータ「HKSN003」のロードと、IFSを通じてのアキトとルリの意識への転送を指示する。

『ショーの、始まり』

アキトのエステバリスは窮地に陥っていた。前後をバッタの大群に囲まれ、突破口を開くことができない。ディストーション・フィールドの出力は既に30%を切り、ラピッド・ライフルの残弾はゼロ。

「くうっ」

アキトはラピッド・ライフルをバッタに投げつけると、イミディエイト・ナイフを右手に装備する。そして飛来するミサイルの群れを掻い潜り、ルリが示したルートを塞ぐバッタに左手のワイヤード・フィストを飛ばす。バッタが一台弾け飛び、他のバッタに激突して爆発する。

「まだまだぁっ」

アキトの叫びと共に爆炎に飛び込むエステバリス。そして一瞬標的を見失ったバッタにナイフを突き立て、爆発するより早く次の標的へ向かう。エステバリスの持てる性能の全てを出し切って血路を開こうとするアキトだが、その進路を嘲笑うように再びバッタが塞ぐ。

「くっ、・・・これまで、か」

避け損なったミサイルがディストーション・フィールドの出力を更に10%削った。バッタは徐々に包囲を狭めてエステバリスの動きを封じ込める。

「ごめん、ルリ。晩飯、食べられそうに無いよ」

アキトは呟くと、観念して目を閉じる。

『だめ、アキトさん。諦めないで、お願い』

脳裏にルリの悲痛な叫びが響く。アキトは再び目を開いたが、その瞳にはもはや先程の力は無い。
その時、ルリの声とは違う、しかし聞き覚えのある声、不快な記憶を呼び覚ます男の声がアキトの脳裏に響いた。

『くっくっく、未熟者よ』
「なっ!?」

アキトの心の奥深くで、今まで深い眠りについていた何かが目を覚ました。再び、アキトの目に光が宿る。殺意を伴った光。ナノマシンの光輝は激しく明滅し、形相のもの凄まじさを強調する。

『女の前で死ぬか』
「!?」

その言葉とともにアキトの脳裏に展開するイメージ。幾何学模様に覆われた黒い立方体。それが中央から割れて、内部の各層が恰も蕾が花開くように開いていく。そしてその中央に胸まで埋まり、同化して、彫像のようになった「ルリ」の姿。

「がああああああああっ」

エステバリスのコクピットに獣の咆哮が響き渡った。

 


<<次回予告>>

開かれた運命の扉。生と死が交錯する戦場で、絡み合う憎悪と愛。

突如発現した人ならざる力に翻弄されるアキトとルリ。

そして更なる敵がナデシコを襲う。

次回、 〜紫苑 「君を忘れない」〜 『胎動』

を、みんなで読もう!

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<<後書き>>

読者の皆様、こんにちは。みたっちです。久方振りの『紫苑』の更新、いかがでしたでしょうか。

今回、少しTV本編とは設定を変えてみたところがあります。

1.起動キーの形 およびパスワード入力
本編の起動キーは大きな『ゼンマイのネジ』のような形をしていましたが、『紫苑』の雰囲気にそぐわない気がしましたので、ちょっと変えてみました。
あと、パスワードの入力は本編にはありませんが、「起動権限」「起動キー」「パスワード」と、セキュリティとしてはこれくらい必要でしょ、という個人的な「趣味」で追加してみました。あんまり深い意味はありません。今後も特に物語にからむこともない、と思います。

2.ヘルメット
本編のエステバリス・パイロットはヘルメットを被りません。これ、私としてはかなり「?」でした。戦闘中はコクピット内が激しく揺れて頭をぶつけることもあるでしょうし、宇宙空間では気密が保てなくなることも考えられる。劇ナデではリョーコもサブもアキトも皆メット被ってるし。という訳で、この話の中ではパイロットは皆ヘルメット被ります。
読者の皆様の中には違和感を感じる方もおられるでしょうが、ご了承頂きたく。

では、今回はこの辺で。また、お会いしましょう。

 


b83yrの感想

うん、やっぱ、緊迫感を感じさせる戦闘シーンは良いです、最強物が悪いとは言わないけど、そればっかだと飽きる

『物語』が面白いかつまらないかを決める要素の中に、『飽き』っていうのは、間違いなくあります

その作品その物が主人公最強物としては優れた作品であったとしても、最強物ばかり読まされて食傷気味の人には、その作品の面白さよりも、『またか・・いい加減飽きた』って気持ちの方が上回る事も多い

逆に、緊迫感のある戦闘シーンばかりみてると、『たまには』な〜〜〜んの緊迫感もない安易な最強物のぬるさが心地よく感じられる事もありますが(笑)

ユリカは・・まあ、ユリカだなぁと(苦笑)

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