Prolog 2a. 「ルリ〜死の壁に向かいて猶想う人のこと〜」


目の前に見覚えの無い光景が広がる。

見たことの無い場所、見たことの無い人、そして見たことの無い「フネ」。

知らないはずのそれらを、でも、「知っている」。

どこか遠いところから流れ込んでくる、そんな感じのする「記憶」。

(ああ、またいつもの『夢』ね...)

その『夢』を眺めながら、頭の片隅で彼女は呟く。

そう、それは彼女にとって「いつもの『夢』」。

IFSを付けてから12年、欠かすことなく見続けた、

切なく、悲しく、懐かしい、あの『夢』。



機動戦艦ナデシコ


〜 紫苑 「君を忘れない」 〜


Prolog 2a. 「ルリ〜死の壁に向かいて猶想う人のこと〜」



「はぁ」

P.M.7:00過ぎ。長い昼間が終わり、辺りを夕闇が包み始めた時刻、公園のベンチで、僅かに青みがかった銀髪をツインテールに纏めた少女が一人、溜息を吐く。

「まあ、予想はしていましたが...」

少女は昼間のとある女性との会見を思い出しながら、誰に言うでもなく呟いた。




「で、ホシノルリ。お互い忙しい身なんだから要件は手短に言って頂戴」

エリナ・キンジョウ・ウォンはいつものように高飛車に言い放つと、来訪者の少女を睨みつけた。

ここはネルガル重工本社、幾つかある役員専用応接室の一つ。二人は瀟洒なテーブルを挟んで

向かい合って座っていた。

「忙しければわざわざ着替えてきたりしませんよ」

ルリは出された紅茶を一口飲み、目を閉じたままエリナに返す。

彼女の服装はいつもの宇宙軍仕官服ではなく、薄水色のワンピースだ。

「ご存知かと思いましたが?」

紅茶のカップと皿を静かにテーブルの上に戻し、冷ややかな目で相手を見返す。

火星の後継者のクーデター未遂事件からほぼ1年。

現在ルリはナデシコCはおろかナデシコBの艦長も解任され、宇宙軍作戦司令部電子戦略室副室長として地上勤務となっていた。

階級は昇進して中佐。副室長とは聞こえがいいが、仕事といえば部下の作成した電子戦シミュレーションシナリオのチェックのみ。

普通の人間ならばほぼ一日を潰す仕事量だが、彼女の能力では半日も掛からない。結果、この2ヶ月程、ルリは一日の半分を自席でボーっと過ごすことを余儀なくされていた。

「あら、このところと〜っても忙しかったから、あなたの近況なんて全然耳に入ってこなかったわ。御免なさい」

ルリの氷の視線にも全く動じる様子を見せずに、エリナは皮肉っぽくルリに言葉を浴びせる。

しばらく互いに無言で睨みあっていたが、結局ルリの方が先に折れた。

「ふぅ。では、用件です。単刀直入に言います」

ルリの瞳に強い意志が浮かぶ。

「アキトさんに会わせていただけませんか」

「駄目ね」

エリナは即答した。明確な、これ以上ないくらいはっきりとした「拒絶」。

「何故...」

「何故?あなた、『彼』に会ったんでしょう?なら分かってるはずよ」

ルリの問いを遮って挑戦的な言葉をぶつけるエリナ。その表情は怒りと嫌悪に歪んでいる。

ルリの視線が戸惑うように泳ぐ。

「『彼』はもう貴方達と一緒に暮らしていたテンカワ・アキトではない。貴方達の元に戻って『家族ごっこ』をする気はないのよ!」

エリナは激しい感情を言葉に乗せ、ルリを睨む。

「だから、『彼』が望んでいないから、あなたに会わせることはできないわ」

エリナの激しい感情−怒り・憎悪・嫉妬・・・−を浴びながら、ルリの表情からはいつしか感情の動きが消えていた。

だが、その能面のような表情の下では、エリナに対する黒い感情がどろどろと渦巻いていた。


(『家族ごっこ』ですか、エリナさん。『ごっこ』といいますか。いいですね、ちゃんと生まれた時から両親が目の前にいて、

何不自由なく育てられた「お嬢様」は。確かに貴方から見れば、私たちの関係は『ごっこ』なのかもしれない。でも、生まれてから

数年をコンピューターに育てられ、その後は名ばかりの養父母の下、実験につぐ実験の毎日。ようやく見つかった実の両親にも

「家族」という実感を持てず、そんな私がようやく手に入れたあの人たちは、私にとっては唯一無二、紛う方無き『家族』なんですよ?

例え血の繋がりが無くとも。

それを『ごっこ』ですか?イネスさんに言われるなら、それでも全く納得できませんけど、まだましってもんですが...

一体、あなたのどこにそんなことを言う資格があるというのですか?あなたのような、シアワセな、初めから当たり前のように家族がいる...)


「昔と同じ生活をしたい、なんて言いませんよ...」

ルリは溢れ出そうになる黒い感情を何とか押さえ込むと、搾り出すような声で言った。それはエリナに向けて言ったというよりも、

自分に対して、考えを再確認しているようだ。

ルリは自分が火星の後継者の極冠基地から押収したA級ジャンパーの実験記録に一通り目を通していた。もちろん、その中にはアキトの記録もあった。

報告書と映像記録からなるそれを見て、ルリは心底自分の考えが甘かったことを思い知らされた。

(「帰ってきますよ」、なんて何も知らなかったから言えた言葉。知ってたらとても言えなかった。「追いかけるまで」なんて身勝手なことも。)

更にハッキングによって手に入れたネルガルのトリプルAクラスの機密情報から、アキトが救出されてからの2年間で何をしてきたのかをも知った。

ついでに自分についての情報も手に入れてしまったのだが。

(アキトさんは、とても帰ってこれない。帰れる訳がない。きっと今も、復讐の為とはいえ、自分の犯した罪の重さに苦しんでいるはず...)

(それに、アキトさんの身体はあと半年も持たない...時間が無さ過ぎる。...私も、人のこと言えないけど)


「へぇ?じゃあ、どうしたいって言うの?何の為にアキト君に会いに来たわけ?」

居丈高に言いつつも、心底意外な様子でエリナは訊いた。

(まったく...私に偉そうにしてもなんのメリットもないと思うんだけど。)

ルリは心の中で一つ溜息を吐いた。


会いに来た理由。実はルリにも良く分かっていない。だがこのままではアキトの死に目にも会えないだろう。或いは自分の方が彼より先に逝く事になるかもしれない。

自分の、そして何より義母であるユリカのことを考えれば、アキトが彼女の下に戻らないままそれらの事態に陥ることは絶対に避けたい。

だから、何としてもユリカにアキトを会わせなければ。

そこまで考えた時、気が付いたらルリはエリナにアポイントを取る為にコミュニケを開いていたのだった。


(けど、この人に私のことを言う訳にはいかない。言えば必ずあの人の耳に届いてしまう。そうしたら、きっとあの人は...)

「ちょっと、ルリちゃん?」

返事をしないルリに、エリナは怪訝な顔で呼びかける。だが、自分の考えに没頭しているルリには届かない。

(私のことを知ればきっとあの人は帰ってくる。自惚れかも知れないけど、あの人はそういう人だから。でもそれじゃ駄目)

アキトが帰ってくるときは、彼自身がその心に抱えるわだかまりを解決してからでなければ意味が無い。

間違ってもルリの寿命のことで彼女に同情して、などという理由ではいけない。ルリが死んでしまえばアキトがユリカの下を再び去るのは目に見えている。

だから、ルリはエリナに自分のことを言えない。

「ホシノ・ルリ!」

痺れを切らしてエリナが怒鳴った。

「あ...」

その声にルリはようやく現実に帰ると、驚いたように目を見開いてエリナを見つめた。

エリナはその様子にますます不審なものを感じて、眉をひそめた。

「どうしたの、一体。ぼうっとして。もしかして、あなた何か隠してるんじゃないの?」

「いえ」

エリナの問いに即答すると、ルリはもう一度紅茶に口を付け、さっと立ち上がった。

「会わせていただけないのなら、これ以上ここにいるのは時間の無駄です。失礼します」

そう言い放つとぺこりとお辞儀をして、そそくさと出口へ向かって歩き出す。

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ」

突然のルリの行動にエリナも立ち上がると、あわてて引き留めようとした。

エリナにしても、ルリがアキトを連れ戻しにきたわけではないのであれば、理由如何では二人を会わせることに吝かではない。

もちろん、アキトの方にその気があるかは別問題だが。

しかしルリはエリナの声に立ち止まることも無く扉を開けると、顔だけ振り向いて涼やかに言った。

「紅茶、ご馳走様。あの人によろしく...」

そしてルリは部屋を出て行った。後に残されたエリナは、しばらくルリが出て行った扉を呆然として眺めていたが、突然力が抜けたように座り込んだ。

それからティーカップを取ると、冷めた紅茶を一口啜って、誰にとも無く毒づいた。

「もう、何だって言うのよ!」




「どうしよう、これから」

ベンチに腰掛けながら、ルリは呟いた。アキトに会えない以上、説得してユリカの下へ帰らせるのは不可能だ。いや、たとえ会えたとしても、

今のアキトの状況を考えると不可能だろう。

そしてユリカ。果たしてユリカは今のアキトを支えることができるだろうか?

ユリカもアキトの実験記録を、報告書からのみ知っていた。だが、映像の方は見ていない。何故なら、報告書の記述を読んだだけで

ユリカが号泣して冷静さを失ってしまったため、とても映像記録など見せられないとルリが判断したためだった。

ユリカのあの様子では、とうていアキトの全てを受け止めて共に生きることなど出来そうに無い。日がな一日アキトの境遇に泣いて暮らすか、

無理やり明るく振舞ってアキトの心の闇を隠そうとするか、どちらかなのではないか?それは、結局アキトの現在を否定することにしかならないのではないか?

アキトの「今」を受入れ、ともすれば暗い心の淵に沈みそうになるアキトを支え、その暗闇の中で共に生きる道を模索する、そうでなければ

とても現在のアキトと「共に」生きていくことなどできないのではないか?

ルリはそこまで考えると、ため息を一つ吐いた。

(私だって、あの記録を見て、自分の命があと少ししかないって知って、ようやくアキトさんの「今」を受け入れる覚悟が出来た。

ユリカさんのことをどうこう言う資格なんて私には...)

萎えていきそうになる自分を感じて、ルリはまたため息を吐いた。このままではいけない、何とかしなければ。そう思うのだが、

如何せん事態は通常の手段ではどうにもならない袋小路にはまりこんでいるようだった。


「えっ、もうこんな時間?」

ルリは何気なく腕時計を見て小さく叫んだ。時刻は既に8時を過ぎている。あたりはすっかり暗くなり、空には星が瞬いていた。

宿舎の門限は10時。ここからまだ1時間以上掛かる。

「いけない。急がなきゃ...」

慌ててルリはベンチから立ち上がったが、その瞬間激しい眩暈に襲われてその場にしゃがみこんでしまった。

「うっ」

思わず声が漏れる。その顔には冷や汗と、オモイカネと高レベルでIFSリンクしているかのようなナノマシンの奔流が走っていた。

「ぐぅぅ...」

うずくまるルリの口から漏れるくぐもったうめき声。彼女に押し寄せる眩暈・吐き気・そして酷い頭痛。

1ヶ月ほど前から始まったナノマシン・スタンビートの発作。最初の頃は3日に1度ぐらいだったが、今では毎日、特に夜に起こりやすい。

「はぁ、はぁ」

10分程うずくまっていると、ようやくナノマシンの輝きも落ちついてきた。ルリは息を切らしながらも立ち上がると、ベンチの背もたれに手をついて呟いた。

「やはり、もう時間がない。...こうなったら、手段を選んでいる場合ではないですね」

ルリの瞳が一つの強い意思を宿して煌いた。そして、ここにはいない彼女の大切な人達に向けて語りかける。

「...私、覚悟を決めました。くす。アキトさん、あなたも覚悟してください。ユリカさん、待っていてくださいね。必ずアキトさんを貴方の下へ帰らせますから」

夜空を見上げたその金色の瞳に、煌く天の川の仄かな輝きが映っていた。




「で、何しに来たの?あの子は」

「知らないわよ」

白衣を羽織った金髪の麗人の問いに、スーツを着こなす黒髪の麗人が拗ねたように答える。

「ふうん...」

その答えに金髪の麗人は何もかも分かったような素振りで頷く。その仕草が黒髪の麗人の癇に障った。

「なによ、イネス、その態度は!大体、会わせろっていったかと思ったら、ちょっとこっちが焦らしたぐらいで『時間の無駄です、よろしく』って、何しに来たのかこっちが聞きたいぐらいよ!」

「時間の無駄?」

エリナの怒鳴り声のうちの一語にイネスは反応した。

「そう言ったの?ルリちゃんが」

「ええ、言ったわよ。それがどうかしたの?」

途端にイネスはその美しく形のよい両の眉を互いに寄せると、何かを考えるように左手を軽く握って頤に当てる。

イネスはルリの寿命のことを知っていた。ルリがアキトに会いに来ながら、一回断られただけで潔く引き下がったのも腑に落ちないが、

それ以上に引っかかるのは彼女が「時間が無い」といったこと。どちらの寿命のことか。アキトか。ルリ自身か。或いはその両方か。

「イネス?」

その様子に何かを感じ取ったエリナがイネスの方に2、3歩近寄ったが、不意にイネスは顔を上げると強い視線でエリナの動きを止めた。

「駄目よ。エリナ。あなたは何も知らない。知らない方がいい。知ったら、何もかもが終わってしまうから」

「どういうことよ。『説明』しなさい、よっ...」

イネスの言葉に思わず「禁句」を発してしまい、あわてて口を手で塞いだ。

だがイネスは悲しげに首を振るとエリナに背を向け歩き出して言った。

そう、この黒髪の麗人はクールに徹しきれない。

「とっても残念だけど、こればかりは説明できないの。それがどういう意味か、あなたなら分かるわね」

そこまで言うとイネスは立ち止まり、身体を半分だけエリナに向けた。

「あなたを仲間はずれにするつもりはないわ。けど、あなたは情に脆すぎる。特に、...」

特にアキトがらみでは。

そしてイネスはエリナを残して立ち去った。放心したように呆然として立ち尽くしているエリナを残して。







後書き

すみません。前後編に分かれてしまいました。そもそもアキトPartが短編2本分先にあるわけだから、当たり前といえば当たり前です。

完全に構成ミスです。このProlog2を短編で書いてから『紫苑』の連載を始めるべきでしたね、と今更言っても仕方ないので。

或いはアキト視点でProlog1の続きからそのまま話を進めていって、このProlog2は何れ外伝という形で、とも思いましたが、

どうしても話を進める前にルリがどういう思い・経験を経てきたのかを書いておきたかったので。完璧に作者の我侭です。お許しください。

私の拙文を読んでくださっている方々に感謝を込めて。





<<予告>>


「戦略シミュレーターですか?」


「それは、私に貴方を殺せって言うのと同じことよ。冗談じゃないわ」


「アキトさんに起こった全てをこの心と身体に刻み込まなければならないんです」


「必ず正気で戻って。狂ったりしたら許さないよ。ユーチャリスのグラビティブラストで跡形も無く吹き飛ばしてやる」


「私、やっぱりずるい女ですね...」


「ルリ。君の幸せが僕の幸せ。失われた過去、既に抹消された有り得ない過去を、僕が蘇らせてみせるよ」


Next Phase:

Prolog 2b.「ルリ〜死の壁を越えて後想う人は〜」


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b83yrの感想

恋愛ドラマは、一人だけでは成立しないし『お互い』があってこその物ですから

やはり、アキトのパートがあるならルリのパートもあった方が嬉しい、ただ、悲劇な事に複雑な物を感じますが

エリナとルリのお互いのお互いに対する、どす黒い感情も『人間味』を感じさせてくれます

この『人間味』があればこそ『今』のアキトを真っ向から受け止める事が出来るんじゃないかって気にさせる

この辺りが、私が劇ナデアフターで、ユリカ×アキトよりもエリナ×アキトの方が納得出来る大きな理由でもあるし

余談ですが、区別の付いていない人も多いみたいだけど、人間なら当然持っている、黒い感情、負の感情がみせてくれる『人間味』といわゆる『壊れキャラ』は似ているように見える事もありますが、別物です

『壊れキャラ』っていうのは笑えれば良いですが、笑えなければ『最低以下のシロモノ』になりますからね

本当は、このSSの感想として言うべきじゃないのでしょうが、どっかで誰かが言っておいた方が良いような気がしてるんですよ、私

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