ピッ、ピッ...

薄暗い部屋の中、無機質な音のみが響く。

「どういうことだ、これは。」

まるで独り言のように、感情を押し殺した声で男は呟く。

しかし、それは独り言などではない、紛れも無く自分に対して発せられた

問いであることを、金髪・白衣の女性は理解していた。

「一体、どういうことなんだ、イネス!!」

女性が自分の問いに答えなかったことに多少の苛立ちを覚えたのか、

男は怒りを含んだ声音で、金髪の女性の名を呼ぶ。


「どういうことって?一体何を説明すればいいのかしら、アキト君?」


男の怒りの声にも動ずることなく、イネスと呼ばれた女性は逆に男に

問い返す。その様子にアキトと呼ばれた男は、最近の常にも無く激しい

怒りを露にした。


「「何を」だと!?全てだっ!なぜ彼女がここにいるのか、

こんな実験室のような部屋の中で、一人だけで、こんなにやせ細って、

俺がこんな近くで大声を張り上げても目を覚まそうともしない!!」


アキトは部屋の片隅に置かれたベッドに大股に近づきながら、そこに

横たわる少女を指差して怒鳴った。銀色の髪、白磁の肌に測定機器の

ディスプレイ文字の緑色が映り、その妖精のような容姿をより一層幻想的に

浮き立たせている。


「大体この機械はなんだ!?この子に纏わりついてる、このコードは!?

一体、いったい、ルリに何をしているんだっ!?」


ベッドの脇まで来ると、アキトは鋭く踵を返し、先ほどから微動だにしない

イネスに対して、殺気にも近い怒気を向ける。ベッドの枕もとに置かれた

花瓶の中の、一輪の小さな白い花が微かに揺れる。

しかしイネスは軽くアキトの怒気を受け流すかのように、口の端に不敵な笑みを

浮かべつつ答えた。


「見れば分かるようなものだと思うけど。」


そう軽く言い放つ。


「実験よ。ナノマシンの」

「なっ!?」


アキトは絶句した。何となく予想した言葉ではあった。だが絶対に出てくるはずの無い言葉だ、
とも思っていた。

(ナンダッテ?ナントイッタ?ジッケン?ナノマシン?イネスが、ルリに?ルリに?ジッケン?...)


「イネースッッッ!!!」


一瞬の間、そして次の瞬間、アキトはイネスの胸倉を掴み上げた。イネスの足が中に浮く。

そんな状態でも表情一つ変えず発せられたイネスの言葉は、アキトに新たな混乱を与えた。


「何を怒ってるの?ホシノ・ルリを使って実験したこと?でもそのお陰で、貴方、ナノマシン・スタンビートも
起こさなくなった。五感も回復したのよ?感謝されこそすれ、こんな仕打ちを受ける謂れは無いと思うけど?」

「な、に...」


アキトの手から力が抜け、どさっとイネスは床に落ちた。呆然としたアキトに対し、追い打つように

言葉を続ける。

「そうよ、あなたに投与されたナノマシンは、ホシノ・ルリがあの時火星から持ち帰ったヤマサキの

実験データから特定できた。でも、一度投与されたナノマシンを除去するには、そのナノマシンの機能を

停止させる別の安定したナノマシンを投与するか、或いはターゲットのナノマシンを捕食して自分も自滅

する機能を持ったナノマシンを投与するか、ぐらいしか現在の科学では方法がない。しかしいずれの場合も

何の予備実験もせずに100%有効なナノマシンを開発することなんて、いくら私でも不可能。だから」

「ルリで実験した、というのか...」


搾り出すようなアキトの声。その声は怒りによるものか、悲しみによるものか、苦しみによるものか、

或いは「憎しみ」によるものか、ひどく震えていた。


「そう。今回は後者の方、つまり既に投与済みのナノマシンを捕食するナノマシンを使うことにした。

まず、あなたに投与されたナノマシンと同じものを彼女に投与して、そのナノマシン単体での機能をチェック。

そして、相手のナノマシンの機能を無力化しつつ捕食し、最後は自分も死んで老廃物とともに体外へ排泄される

ナノマシンを開発。そして投与。サンプリングをしながら、最大の効果を発揮するまでこのサイクルを繰り返し。

一つの対抗ナノマシンを作成したら、次のナノマシンへ。とりあえず、3ヶ月で貴方に投与された不要な

ナノマシン全ての対抗ナノマシンの開発に成功したわ。で、1ヶ月ほど掛けて順次貴方に開発したナノマシンを

投与して全てのナノマシンの除去が完了したところで、五感回復手術を施した、というわけ。」

「なぜ、だ」

「え?」

「なぜ、ルリなんだ」


イネスは一瞬、アキトが何を言っているのか分からない、といった表情をしたが、続いた言葉に、ああ、といった

風に手を叩くと、当たり前じゃない、といった軽い口調で答えた。


「だって、普通の人間じゃ耐えられるわけないじゃない。こんな実験。でも、この子は流石IFS強化体質よね。

遺伝子操作によって大量のナノマシン投与に耐えられるもの。お陰で、実験は完了。ただ、この子の方が五感のうち

視覚と嗅覚、それに味覚を失っちゃったけどね、貴方の代わりに。」


アキトの握り締めた両の拳から、一滴、二滴と赤いものが床に滴る。体が激しく震える。こめかみが激しく脈打つ。

あまりの興奮で頭の中は真っ白になっていた。何も考えられない。

ただ、許せなかった。アキトは許せなかった。

何を?

ルリを実験台にしたイネスを?

その実験の原因になったナノマシンを自分に投与した火星の後継者たちを?

復讐を続けるために未練がましく生に執着した自分を?


「ぐぅぅぅぅっ」


低い唸り声がアキトの口から漏れる。今にも自分に飛び掛ってきそうなアキトを冷たく見据えながら、

イネスが更に言葉を紡ごうとしたとき、まったく別の声がそれを遮った。


「ア、キ、ト、さん」


弱弱しい、にもかかわらずひどくはっきりと聞こえるその声。その瞬間、それまで部屋を満たしていた痛いほどの緊張感

が消えた。アキトは弾かれたように振り向くと、ベッドに横たわるルリの脇に跪いて、すっかりやせ細った手を

両の手で包み込むように握った。


「ルリちゃんっ、聞こえるかい?俺だよ、アキトだ!」


アキトの声には今までの激しい感情からくる震えはもう無かった。あるのはひたすら少女を労わろうとする心。

かつて義兄として共に暮らしたころの優しさ。


「アキ、トさ、ん、イ、ネス、さんを、責め、ない、で。の、ぞ、んだ、の、は、わ、た、し...」


ルリはゆっくりと目を開く。しかし、かつて「宇宙に咲いた一輪の花」と謳われたその金色の双眸は

白く濁り、焦点を結んでいない視線が宙を泳ぐ。


「なぜ...、こんな、ことを...」


呟くようなアキトの声。げっそりとこけ、潤いを失ってかさかさに荒れた頬をそっと撫でる。


「最後に、役に、立、ちたかっ、た、から。アキト、さんの」

「最後に?」

「そう、最後に」


アキトの問いに答えたのはルリではなくイネスだった。だがその口調は先ほどまでの冷徹な研究者のものではなく

憂いのみが支配していた。


「どういうこと...」


アキトは振り返り、イネスを詰問しようとした。が、言葉は途中で飲み込まれた。先ほどまでの科学者イネス・フレサンジュは

最早どこにもいなかった。そこに立っていたのは耐え難い悲しみをこらえようと両手で己の肘を抱き、僅かに背けた顔を俯かせて

震える「女」。


「最後なのよ!もうもたないのよ、ルリちゃんは!IFSによるより効率の高いAIオペレーションを行うために、

常人よりも遥かに多量のナノマシンの投与を可能とするための遺伝子操作!確かに彼女はAIオペレーションという点においては

人類最高の能力を得た。でもそこには、他の人間としての機能に何の犠牲も強いないという保証は全く含まれていなかった。

遺伝子操作は人工的に突然変異種を作成するようなものよ、そして突然変異種というものは、ごくまれな場合を除いて元の種よりも

短命...」

「20、年。それが、わたしに、「最初に」、与え、られた、いのち、だ、そう、で、す」


ルリがその続きを引き取る。

バカな、というように僅かに首を横に振るアキト。ルリの手を握る手に知らず知らずのうちに力が入る。


「そして1年前、あの火星圏制圧のためにナデシコCに乗るために、彼女は更なるナノマシンの投与を受けたわ。

より強力な電子制圧能力を得るために。その結果、あの能力と引き換えに彼女は更に2年の寿命を失った」


イネスの震える声。沈黙。そして、突然、イネスは叫んだ。この3ヶ月余り、科学者の仮面の下に押さえ込んでいた感情が一気に

爆発した。


「誰が、誰が好き好んでこんな実験を!!それもこの子で!!!わたしたちの大切な仲間で、「お兄ちゃん」の大切な「家族」で!!!

断ったのよ。できるはずないじゃないって。でも、でもこの子は、『あと1年しかないんです』って、『最後ぐらいアキトさんの役に

立ちたいんです』って。断りたかった、でも断れなかった。だから、だから、だから、うっ、うっ」


イネスの嗚咽が響く。

アキトは感じていた。握っているルリの手から、ゆっくりと、しかし確実に命が消えていくのを。


「アキトさん、お願いが2つ、あります」


アキトは耳を疑った。さっきまで途切れ途切れにしか話せなかったルリが、突然、かつての自分がよく知る声音で話し出したのだ。

ルリの光を失った瞳に僅かに力が宿る。それはルリの命の残り火の最後の煌き。


「...言ってくれ、俺に、できることなら何でもするよ」


アキトは、振り絞るような声でルリに応えた。いつの間にか、彼の両目からは涙があふれ、止め処なく流れては頬を濡らしている。

そんなアキトの様子を見えない瞳でじっと見つめながら、ルリは最後の願いを語る。


「1つは、私の死をみんなに、ユリカさんやミナトさん、ナデシコのみんなには伏せて置いてください。知ればきっと、悲しむでしょうから」

「ああ、約束する。誰にも言わない」


アキトは頷いた。もとより彼らの元に帰るつもりなどないのだ。たとえ五感が回復し、コロニー爆破の容疑が晴れた今でも、自分が復讐の

ために、ユリカを助けるために何百という人の命を殺めたことに変わりは無い。そんな自分を許せるほど、自分の心は強くない。

だが、ルリの語りだした2つ目の願いは、アキトにそんな逃避を許さないものだった。


「もう1つは、ユリカさんのところへ帰ること」

「なっ!!」

「駄目ですよ、アキトさん。もうあれから1年も経つんです。今でもユリカさんは待っていてくれているそうです。アキトさんのしたことを

全て知った上で、それでもアキトさんを待っているんです。帰ってあげて下さい。そして、幸せになってください。わたしの分まで」


沈黙。アキトは答えない。答えられない。帰るつもりはなかった。でも、帰りたくないわけでもない。否、心の奥底ではむしろ帰りたかった。

だが、それは許されない。たとえ、ユリカが、ルリが、ナデシコのクルー皆が許してくれたとしても、世界中の全ての人間が自分を許してくれた

としても、自分が自分を許せないのだ。どうして、帰ることなどできよう。


「さっき、『できることならなんでもする』って言ったじゃないですか...」

「俺は帰ることなど「できます」ない」


ルリはアキトの言葉を否定すると、アキトの手を振り払った。そして左肘で支えるように上半身を起こすと、右手を伸ばして振り払ったアキトの

手を探る。アキトはその手を再び両の手のひらで包むようにそっと握った。


「もういいじゃないですか。アキトさんが自分を許せなくても、私がアキトさんを許します。アキトさんの行いも、アキトさんの思いも、

アキトさんの心の汚さも、世界中の誰もが許さないとしても、私が許します。私の命を掛けて」


決して大きな声ではない、だが凛として反論を許さない強さに満ちたルリの声に、アキトは敗北を感じていた。そしてそれ以上にこの3年間

味わったことのない安らぎを覚えていた。

(救われた...)

アキトは素直にそう感じた。正義を狂信した者たちによって地獄に叩き落されて以来、復讐のための殺戮に明け暮れていた自分を

この少女は自らの命と引き換えに救い出してくれた。今や、どうしてこの少女の願いを拒否することができよう。


「分かった...。帰ろう」

「...ありがとうございます」


一瞬、少女はその瞳を大きく見開き、そして安心したように呟く。


「だが、帰るならルリちゃんも一緒だよ。俺とユリカだけで幸せになるなんてできない。俺たちは家族だ。幸せになるなら3人一緒に...」

「だめなんですよ...」

「何故だ!!俺を治せたならルリちゃんも治せるはずだろう。寿命だって、遺伝子を操作すれば...」


必死にアキトは食い下がった。なんとしてもルリを助けたい。自分の為にルリが死ぬなど到底受け入れられない。何か方法があるはずだ。

だが、そんなアキトの思いはルリの口から吐き出された言葉以外のものによって、無残にも否定された。


「ア、ぐっ、げほっ、ごぼっ」


何かを言おうとしたルリが、突然口を抑えて咳き込んだ。抑えた手からは赤黒い液体があふれ、シーツを染めていく。

イネスが素早く近づくと、ルリを抱きかかえるようにしてそっとその体を横たえさせた。


「お、わ、か、れ、で、す」


もはやルリの声には先ほどまでの力は無かった。瞳も再び焦点を失い、急速に命が失われていく。


「ルリちゃん、ルリちゃん!」


アキトはルリの体に縋りついてその名を呼ぶ。

(いやだ、いやだ、いやだ、ルリがいなくなるなんていやだ、ルリがいなくなるなんていやだ、ルリがいなくなるなんて...)


「いやだ、逝くな、逝かないでくれ、ルリちゃん、ルリ!俺を置いていかないでくれ!!」


アキトの言葉にルリの頬が僅かに緩んだように見えた。


「もう、一度、生ま、れ、変わっ、て、逢、えた、ら、ア、キ、トさ、んの、いち、ばんに、なり...」

「ルリ?」


ルリの声は途切れた。アキトは、掴んだだけで壊れてしまいそうなほどやせ細ったルリの肩を抱きしめ、


「ルリ、ルリぃ、ルリぃぃぃっっっ...、があぁぁぁっっ」


慟哭。アキトの慟哭。それはいつ終わるとも無くその部屋に響いていた。

ベッドの枕元に生けてあった花がいつの間にか散っていた。



花の名前は「ゼフィランサス」。



花言葉は、「純白な愛」。

 

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後書き

終わった。ついに書いちまった。皆様、はじめまして、みたっちといいます。

さて、では早速投稿して...

ドンガラグワッシャーン!!!

ぐはっ!!て、誰だ、後ろから椅子ごと蹴り飛ばした奴は!!

「...死ね」

あ、アキト君?ど、どうしたのかな、そんなに殺気だって...

「貴様が、貴様がルリを殺したーっ!!!」

て、それキャラ違うって、ぐぼぅっっ

「安心しろ、じっくりゆっくり、苦しませて殺してやるよ...」


b83yrの感想

みたっちさん、初投稿ありがとうございます

感想を一言で言うなら

「安易なハッピーエンドよりも愛情の強さを見せてくれるバッドエンドの方が嬉しいことも有る」

私は、基本的にはハッピーエンド派なんですが

現実的に考えれば、ルリって、ただでさえIFS強化体質としての遺伝子操作されてるのに、更にB級ジャンパーとしての遺伝子操作までされてるんだから、短命であっても少しも不思議じゃない、というか、短命の方が自然でしょう、悲しい事ですが

「くっくっくっ、言いたい事はそれだけか?」

あっ、アキト君どうしてここに?(汗っ)

「今からそっちに向かうから、俺の分も残しておいてくれよ、そっちの俺(にやり)」

あ〜あ、みたっちさんの所に向かっちゃったよ、大丈夫だろうか?(汗っ)

みたっちさん、無事を確認する為にも次回作を〜〜〜〜(おぃ)

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