※このSSは、私のSS「ゼフィランサス」の続編です。

Gimnaster Savatieri




<<0>>

「行っちゃうの、やっぱり...」

藍色の長髪を腰まで伸ばした女が、玄関に腰掛けて靴を履いている男に呟く。

「ああ、このまま居ても、お互い傷つくだけだから...」

男は靴を履き終わると、旅行鞄を左手に提げて立ち上がった。

「帰って来ないの、もう」

小さな、縋り付くような声。帰って来て欲しい、その願いを込めて。

「...」

沈黙。それは肯定。女の願いは無残に断ち切られる。そして男は玄関のドアに手を掛けた。

「じゃあ」

ドアが開く。

「あ...」

女が何かを言いかけて、男に向かって手を伸ばす。そのとき、今までずっと背を向けていた男が、

ゆっくりと振り向いて言った。

「さよなら、ユリカ」



<<1>>

「はぁ...」

ベッドの上で彼は今夜何度目かのため息をついた。

(眠れないな)

彼はこのひと月ほど、毎晩のように眠れぬ夜を過ごしていた。復讐に身を捧げていた間、どんな場所でもすぐに眠ることができるよう、

そして何か異変があればすぐに目覚めるよう訓練を積んでいた彼だが、あの晩から殆ど眠ることができなくなっていた。

(もう、一生安眠なんかできないのかもな)

心の中で一人ごちる。彼女を失った、その事実がこれほど自分を見失わせるとは、全く予想もしていなかった。

(だからあのとき、あんなことが言えた。「君の知っているテンカワ・アキトは死んだ」なんてな)

「ふぅ」

彼は小さく息をつくと、自分の左腕を枕にして寝ている藍色の髪の女性を起こさないようにそっと起き上がる。

「・・・う..ん、アキトぉ、...」

女性は寝言を言いながら反対側へ寝返りを打つ。その拍子にシーツがはだけ、露わになった白い背中が

カーテンの隙間から差し込む月明かりに美しく浮かび上がった。

「・・・」

アキトは無言のままそっとシーツを女性の肩へ掛け直すと、音を立てずにベッドを降りて寝室を出た。


ミスマル邸の中庭、池の周りを巡らして置かれた石の一つに腰掛け、アキトは月を見上げていた。

「ルリ...」

アキトの口から自分に命を分け与えて死んだ、かつての義娘の名前が漏れる。

「やはり、俺、だめだよ...」

俯き、両の手で顔を覆う。

「ユリカと、幸せになれそうに、ない...」

アキトはほんの2時間ほど前、ベッドでユリカと愛を交わしたときの自分を思い出していた。

抱きしめる腕に伝わる温もりに、合わせた唇の柔らかさに、恥らうように声を押し殺してすすり泣くさまに、そのひとつひとつに

知るはずのないルリのそれを重ねていた自分。目の前で自分の愛を求めるユリカを見ず、全てを自分に与えて最早二度と手の届かない

ところへ逝ってしまったルリを見ていた自分。

「ルリ...」

「俺、どうしたら...」

呟きながら顔を上げ、もう一度月を見つめる。その淡い輝きの中に、アキトはルリの面影を重ねていた。

微かに悲しげに微笑む面影を。



<<2>>

アキトがユリカの元へ帰ってから、ほぼ1ヶ月が過ぎようとしていた。

「史上最悪のテロリスト」のはずの彼がどうしてユリカと共に暮らしていられるのか、といえば、世間一般には「テンカワ・アキト」は

「テロリスト」などではなかったからだ。

そもそも、「幽霊ロボット」と言われたブラックサレナのパイロットがアキトであると知っていたのはごく一部の人間のみ。

そのうち、ネルガル関係者やナデシコクルーが当局にアキトのことを話すはずもなく(証拠が出れば偽証罪に問われかねないが)、

「火星の後継者」の関係者の証言は「証拠が無い」ということで採用されなかった。

その背景には宇宙軍総司令でユリカの父、ミスマル・コウイチロウの巧みな根回しもあったのだが。

その結果、テンカワ・アキトに関する公式見解は、ミスマル・ユリカと共に「火星の後継者」により拉致・非人道的実験の犠牲となり、

その後、「火星の後継者」のクーデター鎮圧の際にミスマル・ユリカと共に救出され、つい最近までネルガルのイネス・フレサンジュの元で

治療およびリハビリをしていた、ということになっていた。


「明日はラピスが来る日か」

カレンダーで曜日を確認しながらアキトは呟いた。

ラピスは現在エリナと一緒に暮らしており、週に1回、ミスマル邸に遊びに来ていた。

アキトとのリンクはアキトの五感が回復した時点で切れていた。

アキトはユリカの元に戻るときにラピスに一緒に暮らそうと持ちかけた。きっとラピスは自分と離れたくないだろうと思ったからだ。

だが、予想に反してラピスはその誘いを断った。

「だって、ワタシを見るたびに、アキトはルリをおもいだすから。そして、とってもかなしそうにするから」

そう言ってアキトをじっと見つめるラピスの金色の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。

ラピスはラピスなりにアキトを思いやって、アキトのために、アキトと離れることを選択したのだった。

(それなのに俺は...)

アキトはまた自己嫌悪に陥っていた。ラピスの精一杯の思いやりを無駄にして、ルリの面影ばかりを心で追いつづけている自分に。

(こんなことで、約束守れるのか?)

そろそろ限界が近い、そんな思いがアキトを余計苦しめる。

そんなことを考えながら、リビングのカレンダーの前で佇んでいたアキトの背後から、例のごとくテンションの高い大声が聞こえてきた。

「あー!アキト!!やっぱりアキトも明日のこと気にしてたんだね!!!」

「ユリカ?」

アキトが振り向くと、リビングの入り口に「うんうん、やっぱりね!」といった感じで頷くユリカが立っていた。

「なんだ?」

ユリカの表情に怪訝な顔をしてアキトは尋ねた。

(「やっぱり気にしてた」?ラピスのことにしては変だ...)

アキトの表情に、ユリカの嬉しげな雰囲気に影がさす。

「...アキト、明日が何の日か忘れちゃったの?」

瞳に少し悲しげな色を浮かべながら、アキトに近づく。

「明日?明日は土曜日だから、ラピスが遊びに来る日、だろ?」

「やっぱり、アキト忘れてる!!」

アキトの答えにユリカはプンと頬をふくらませ腕組みをした。

「明日は7月7日、ルリちゃんの誕生日じゃないの!!」

「あ...」

忘れていたわけではない。アキトは思った。

忘れていたわけではない。ただ、思い出さなかった。いや、むしろ意識して思い出さないように、気が付かないようにしていた。

だから、カレンダーを見ながら、曜日だけを見ていた。もちろん、日付も視野には映っている。でも、それを意識しないようにしていただけ。

アキトは何気なくユリカを見た。ぷうと頬を膨らませて自分を睨むユリカ、その瞳の奥に微かに疑念のようなものを感じる。

ユリカがこのところの自分の様子から何かに気づいているのか、それともユリカに対する後ろめたさがそう感じさせるのか。

アキトはそれ以上ユリカの瞳を見ていることができなくなって、目を逸らした。

「アキト、いくらルリちゃんがいなくなっちゃったからって、ちょっとひどいよ」

「あ、ああ、そうだな。ルリちゃんに怒られそうだ」

アキトはできるだけさり気なく、わざとらしくならないように苦笑したつもりだった。

だが、ユリカはアキトの口調に何か不自然なものを感じていた。

(アキト、なんか隠してる?でも...)

ユリカはとりあえず初期の目的を果たそうと、アキトの手を取ると半ば強引に引っ張ってソファーに座らせ、自分もその隣に座った。

「とりあえず、ルリちゃんに代わって誕生日忘れてたの許してあげるよ♪」

とても26歳とは思えない子供っぽい口調で言うと、とびっきりの笑顔をアキトに向ける。

「でね、今日アキトも時間空いてるよね。ユリカも今日は軍の方、お休み取ったから、一緒にルリちゃんの誕生日プレゼント、買いに行こっ♪」

みしっ。

アキトの中で、何かが壊れた。

(プレゼント?ダレノ?ルリチャンノ?ダレガカウ?オレ?オレガ?...)

「確かにルリちゃんはいなくなっちゃったけど、きっと何か私たちにも言えない事情があったんだと思う。
そうでなきゃ、ワタシやアキトやミナトさんに何も言わずにどっかへ行っちゃうはずないもん。」

(そうだよ、言えなかったんだよ...だから、言えずに、言えずに、あの子は...)

知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せるアキト。

そんなアキトに気づかず、膝の上で合わせた両手の指先を見ながら、いつもと変わらない調子で話しつづけるユリカ。

「で、きっとルリちゃん、今でもどこかで私たちのことを気にしてると思うんだ。」

(気にしてたよ。死ぬ間際まで、お前と俺のことを、ナデシコの皆のことを。)

「で、できることなら帰りたいって思ってるんだと思うの。だってルリちゃん、寂しがりやだから。」

(帰りたかったろうさ、帰れるものなら...。でも最後まで俺の、俺たちのことばかり考えて...)

「でね、ルリちゃん、あれで結構頑固なところもあるから、一度決めたこと、なかなか変えないけど。
でも、きっとしなきゃいけないことが終わったら、必ず私たちのところに帰ってくるよ。だからね、」

そこでユリカは言葉を切ると、アキトの目を覗き込む。

「ルリちゃんがいつ帰って来てもいいように、「お帰り」と「お誕生日おめでとう」をちゃんと言えるように、プレゼント買っておくの。
ね、だからアキトも一緒に「来ないよ」、えっ?」

ユリカの明るい言葉が、アキトの重く暗い呟きで遮られた。

いつの間にかアキトは両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせている。

「アキト?」

ユリカは心配そうにアキトの顔を覗き込む。しかし手に隠された表情は見えない。

「アキト、どうしたの?...え?」

ユリカの二度目の問いかけに、アキトは顔を覆っていた手を下ろしゆっくりとユリカに顔を向けた。涙に頬を濡らした顔を。

「泣いてるの?どうして...」

(どうしてアキトが泣いてるの?わたし、アキトを泣かすようなこと言ったかな?ううん、言ってないはず。
言ったのはルリちゃんのことだけ。ルリちゃんにお誕生日のプレゼントを買ってあげようって言っただけ。なのに、なんで?)

「なんで、アキトは泣いてるの?」

アキトは再び両手で顔を覆うと、感情を殺すようにゆっくり声を絞り出した。

「...ルリちゃんは、もう帰ってこない。」

アキトの言葉にユリカは眉をしかめた。

「なんで、アキトはそんなふうに思うの?帰ってくるよ、きっと帰ってくる。生きてる限り、きっと。
それとも、アキトはルリちゃんを信じられないの?」

『生きてる限り』その言葉がアキトの心の最後の防壁に穴を穿つ。

「生きてる限り、ああ、そうだ、『生きていれば』帰ってくるよ!『生きていれば』!だけど、だけど、...」

アキトは俯いたまま激しく首を横に振り、湧き上がってくる何かを懸命に押さえ込もうとする。

だが、身も心も磨り減った今のアキトにその衝動を押さえることは到底できない相談だった。

「ルリちゃんは、もう、いない。俺を助けるために、あの子は、ルリは、...」

アキトの動きが止まる。重苦しい沈黙が流れる。ユリカはアキトを見つめたまま、瞬き一つしない。

「ルリは...」

「ルリちゃんは?」

その先を言おうとしてどうしても言えない、そんなアキトにユリカはつい先を促してしまった。

アキトが何を言おうとしているのか、薄々感ずいていながら。聞きたくない、でも、聞きたい。

アキトのルリへの呼び方が変わっていることにも、不安となぜかあせりのようなものを感じていた。

そして、促した。全ての終わりをもたらす言葉を。


「...死んだ。」


時間が、止まった。



そのあとのことを、ユリカはよく覚えていない。

何となく覚えているのは、アキトがユリカを残して自室へ戻っていったこと。

コウイチロウが帰宅したあと、コウイチロウの部屋で二人、長い時間何かを話し合ったらしいこと。

その晩は二人別々の部屋で眠ったこと。

翌日、来るはずのラピスが来ず、代わりにアキトが旅行鞄を持って自分の部屋に現れたこと。

そしてアキトの言葉。

「すまない、ユリカ。俺たちは、もう、一緒に幸せにはなれない」

「俺はもう、お前の王子様じゃない」

「俺にはもう、...」

ユリカの瞳を見るのをつらそうに、顔をそむけながら言葉を紡ぐアキト。

アキトのその様子に、昨日から止まっていたユリカの時間が動き出した。

心の奥底に、昨日感じた不安がはっきりと形を成し始める。

「...いやだよ、アキト。置いてかないでよ」

愛するもの、アキトの喪失。そしてその後に自分を襲うであろう孤独。

「いや、絶対いや!アキトと私は夫婦だよ。どうして別れなきゃいけないの?ね、どうしてっ!?」

アキトは何かを決意したように、逸らしていた目をユリカの瞳に向けて、縋るユリカの肩に手を置く。

「ユリカ、俺、もうお前を見れないんだ。お前を見ているはずなのに、見えるのはお前じゃなくて..」

「ルリちゃん...」

ユリカがアキトの言葉を遮る。ユリカの心が黒く煮えたぎるもので満ちていく。それはかつて義娘と呼んだ少女への嫉妬。

「すまない、ユリカ。これ以上は...」

アキトは最後まで言葉を紡ごうとせずに、床に置いていた旅行鞄を左手に提げるとユリカの部屋を出て

玄関へ降りる階段の方へ向かっていった。


<<3>>

アキトが出て行ったあと、ユリカは息をするのを忘れてしまったかのように、身じろぎ一つせず、呆然と玄関に立ち尽くしていた。

が、ドアの向こう、門の辺りで車のドアが勢いよくしまる音ではっと我に返った。

「待って、行かないで!!」

裸足のまま土間に下り、そのまま玄関のドアを開ける。と、ちょうど黒塗りの自動車が門の左手へ向けて走り出した。

「行かないで、一人にしないで!!」

「アキトーっ!!!」

ユリカは叫びながら、自動車を追って走り出す。だが、門の外に着いた頃にはもうアキトを乗せた自動車は影も形も無かった。

ユリカは力なくその場に崩れた。

「・・・ずるいよ、ルリちゃん...」

しばらく無言で俯いていたユリカの口から、かつての義娘をなじる言葉が紡がれる。

「ずるいよ、ルリちゃんは...」

「勝手に一人で手の届かないところへ行っちゃって...」

「アキトの心まで連れて行って...」

「・・・・・・・」

「返してよ...」

「返してよ」

「返してよ!」

「アキトの心を返してよ!」

「返してよ...、ルリちゃん!!」

「返して...」

「うっ、うっ、うっ、うぅ」

あとは言葉にならないユリカの嗚咽のみ...。


Fin.

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後書き

題のGymnaster Savatieriは、和名「ミヤコワスレ」という日本原産の紫色の可憐な花です。
花言葉は「別れ」。


b83yrの感想

う〜ん、やっぱりこうなっちゃいましたか

確かに、アキトの性格から考えて、ルリがあんな死に方した後に、ユリカと幸せになれるとは思えない

それでも、ユリカが普通のヒロインなら、ルリの死を乗り越えて再び愛情を取り戻す二人って展開にも出来るんでしょうが、ユリカの場合って、『この後』が浮かばない、仮に愛情を取り戻す事が出来たとしても何か違和感を感じてしまう

結局、TV本編でのユリカ×アキトの納得の出来なさが、後々まで響いてきてるんでしょう

逆に言えば、その辺りの違和感を克服出来れば納得出来るユリカ×アキトになるのかもしれませんが

このSSがこの後どうなるかは解りませんが、次も期待しています、みたっちさん

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