「ユリカ、綺麗」

清楚な雰囲気の白いワンピースを身につけ、胸に薄桃色の薔薇のコサージュをつけた桃色の髪の少女が、純白のウエディングドレスを纏ったユリカを見て溜息を漏らす。

「ありがとう、ラピちゃん」

ユリカはにっこり微笑む。そのとても幸せそうな笑顔を、ラピスは眩しそうに目を細めて見つめる。

あの通夜の晩から2年後、今日はユリカと、ラピスの知らない男性との結婚式・・・・・・・。



<<みたっちの部屋10000HIT感謝企画>>


ストケシアの花を探して


<<第3話>>

「いい加減にして!もうやだよ、こんなの」

ユリカは叫ぶと同時に立ち上がり、手に持った写真をアキトに投げつけた。そしてリビングのドアの前でアキトに背を向けて立ち止まる。アキトはユリカが投げつけた写真を何枚か顔や頭に貼り付けたまま、俯いて動こうとしない。ユリカは顔だけで振り向くと、視線をアキトに向けずにぼんやりと床に落とす。

「アキト。もう、十分でしょ。ルリちゃんはもういない。どれだけ探しても、見つかる訳が無い。本当にルリちゃんのことが大事なら、あの時ルリちゃんが残した言葉通りに生きるべきだよ。私と、ラピちゃんと、アキトで幸せにならなきゃ」

ユリカの言葉にも微動だにしない。その時、頭の上に乗っていた写真がテーブルの上、アキトの視線の先に落ちた。そこには明るい表情でVサインを作るユリカ、口元に微かに笑みを浮かべるラピス、そして二人の間で作り笑いを浮かべるアキトが写っていた。アキトはその写真を取ると、じっとそこに写るラピスを見つめた。その金色の瞳が、白磁の肌が、知る者にしか分からないような微かな表情の表し方が、アキトの記憶を刺激しラピスにルリを重ねさせる。

『アキトさん、あの、どうですか。これ、変じゃありませんか』
三人で屋台を引いていた頃、たまの休みで行った遊園地。ルリは、出発する前から何度も何度も、その日初めて着る水色のワンピースについてアキトに尋ねた。その、照れて赤くなった頬が、慌てたようにどもった口調が、いつもの冷静なルリと違って新鮮で、つい笑みが零れてしまう。
『な、何笑ってるんですか。・・・・・やっぱり、変ですか』
アキトが笑ったのを見て、ルリは少し怒ったように抗議し、そして寂しそうに自分を見る。その度にアキトはルリの頭を撫でて耳元で呟く。
『とっても素敵だよ、ルリちゃん』
アキトに誉められ、ルリが更に顔を赤くして俯く。その姿がとても可愛くて・・・。

「ルリちゃん・・・」

アキトが小さく呟いたその名前を、ユリカは聞き漏らさなかった。あの通夜から半年、懸命に抑えてきたものが一気に心の奥底から溢れ出してくる。

「ア、アキトの、アキトの、バカー!」

ユリカは叫ぶと勢い良くリビングのドアを開けて出て行った。その様子をアキトの右隣に座って傍観していたラピスは、普段どおりの無表情のまま立ち上がりアキトを一瞥する。そして彼女もユリカの後を追うように部屋を出て行った。
一人取り残されたアキトは、しばらく手に持った写真を見つめていたが、やがてゆっくり立ち上がると窓からベランダに出た。そして足元のプランターに植えられたストケシアの花に手を伸ばし、その花びらをそっと撫でる。

「ごめん、ユリカ」

呟くアキトの目から、涙が一粒、零れてストケシアの花びらの上で弾けて、消えた。

その頃ラピスはアキトが住むマンションのエントランスホールから正面を横切る歩道に出ると、左右を振り返りユリカの姿を探す。だが、どちらにもユリカの姿は無い。ラピスは小さく溜息を付くと、アキトの部屋に戻ろうと振り向いて一、二歩歩き出した。そして、エントランスの横の植え込みの陰に、両膝を抱えて蹲る女性の姿を見つけた。

「ユリカ?」

ラピスの声に、ユリカは両膝に埋めていた顔を上げた。その頬は涙に濡れ、目は赤く腫れていた。

「ラピちゃん」

名前を呼ばれ、ラピスは静かにユリカの横に座る。ユリカはラピスが座るのを見ると、再びその顔を膝に埋める。

「ラピちゃん、御免ね。二人でアキトを支えようって約束したけど。もう、私、駄目みたい」

涙に声を震わせるユリカ。ラピスもユリカと同じように膝を抱える。黙って座る二人。どれほど経ったろうか、日が暮れ、辺りが夕闇に包まれようとする頃、ラピスが口を開いた。

「ユリカが悪いんじゃない」

その声に顔を上げ、ユリカは手を伸ばすとラピスの髪を優しく撫でる。不器用なラピスの、その精一杯の思いやりが心に染みて、止まっていた涙がまた零れ落ちる。ユリカは暫くそのままラピスの髪を撫でていたが、すっかり辺りが暗くなった頃、星空を見上げて呟いた。

「ごめんね、ルリちゃん。やっぱり、ユリカじゃだめだったよ」

そして再び膝を抱えると、小さく独りごちる。

「なんだか、もう疲れちゃった」

ラピスは、ユリカの寂しげな横顔をちらりと見やると、星空を見上げ小さく一つ息を吐いた。


「それにしても、あたし達だけ?何とも寂しい新婦控え室だこと」

ラピスの脇に立つ、赤色のドレスに身を包んだ黒髪のボブカットの女性が少々皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。

「仕方有りません。参列者の殆どが軍関係の知らない人ですし、旧ナデシコのクルーには招待状出しませんでしたし。個人的な知り合いで招待状を送ったのはラピちゃんとエリナさん、それにイネスさんのネルガル組だけですから」

ユリカは少し寂しげに答えると、目を伏せた。その様子を見たラピスは、エリナの手の甲をつねる。

「エリナ」
「痛っ。分かったわよ、私が悪うございました」

エリナはつねられた手をさすりながらおどける。ラピスはまだ怒っているようで、冷たい視線をエリナに向けている。そんな二人のやり取りを見て、ユリカはころころと笑い出した。

「あら、楽しそうじゃないの」

三人は唐突に声のした方を見ると、控え室の戸口にイネス・フレサンジュが立っていた。流石にいつもの白衣は身に着けておらず、代わりに薄いピンク色のドレスを纏っている。

「イネスさん、お久しぶりです」

ユリカは笑みを絶やさずにイネスに会釈する。イネスは小さく頷くと、ふと気付いたように後ろを振り向いて、誰かに声をかけた。

「何やってるの。貴方も入りなさい、エステル」

(エステル?)

聞いたことの無い名前に、イネス以外の三人が訝しげにイネスの後ろを覗き込む。すると、一人の女性が右手に杖を突きながら、おずおずと出てきてイネスの脇に立った。

「紹介するわね。エステル・ヴァーイドゥーリヤ。二年前からうちの研究所の嘱託研究員をやってもらってるの」

エステル・ヴァーイドゥーリヤと紹介された女性は、無言のままユリカ達にぺこりと頭を下げた。スカンジナビア系特有のプラチナブロンドと透き通るような白い肌。そしてエメラルドグリーンの瞳。年齢は二十歳になるかならないかといったところ。髪や瞳の色は違うが、その顔立ちや仕草があまりにも「彼女」に似ていて、ユリカ・ラピス・エリナの三人は目を見開いたまま固まっていた。

「いつもはスェーデンの自宅で仕事をしてもらってるんだけど、今日はたまたまこっちに来てたから一緒にって誘った・・・って、どうしたの、貴方達」

イネスは三人が驚きの表情のまま固まっているのを見て紹介を止める。隣のエステルはその場の奇妙な雰囲気に居心地悪そうに立っている。

「ルリ?」

最初に正気を取り戻したのはラピスだった。思ったことをそのまま口に出す。だが、エステルはラピスに視線を移すと、小首を傾げる。ラピスの声にユリカも正気に戻り、椅子から立ち上がってエステルに向かって二、三歩近づく。

「あ、あの、不躾な質問で申し訳ありませんが、・・・どこかでお会いしたこと、ありませんでしたか」

内心の動揺と興奮を懸命に押さえながらユリカが声を絞り出す。自分の問いを肯定する返事への期待。ルリが生きていたことへの喜び。今まで全くその消息を知らせなかったことへの怒り。アキトの心を奪い去ったことへの恨み。それらがない交ぜになって声が震える。体の前で握る両手に力が入る。だが、目の前の女性から返ってきた言葉はユリカの予想を裏切るものだった。

「いいえ、初めてのはずですが」

その言葉に、失望とも安堵とも取れる複雑な表情がユリカの顔に浮かぶ。ラピスは目を細め疑いの眼差しをこの初対面の女性に送る。エリナは二人を一瞥すると、ビジネス上の上得意の相手にしか見せないような柔らかい笑みを浮かべてエステルに近づき、相手の右手が杖でふさがっている為、左手を差し出す。

「初めまして。私はエリナ・キンジョウ・ウォン。ネルガルの会長秘書をしてるわ。えっと、ミス・ヴァーイドゥーリヤでいいのかしら」

エステルもにこやかに笑みを返すと、差し出された手を握った。

「はい。お噂はイネスさんよりかねがね。ミス・ウォン」
「エリナでいいわ」
「はい。では私のこともエステルとお呼び下さい。ミス・エリナ」

互いに穏やかな挨拶を交わすと、エリナは握っていた手を離してそっとエステルの髪に手を伸ばす。

「失礼」

そう言うと、そっと右手でエステルの髪を梳き、親指と人差し指を擦り合わせるようにしてその手触りを楽しむ。

「綺麗な髪ね。スェーデンに住んでるそうだけど、出身もそちら?」

エリナの馴れ馴れしい態度に、エステルは少し不快の念を表情に浮かべるが、すぐに笑みを戻すとそっとエリナの手を取って髪から離し、逆にエリナの髪を撫でる。

「ええ、そうです。ただ小さい頃にインド系の両親に引き取られて暫く向こうにいましたので、戻ったのはつい最近ですが」
「そう」

エリナは自分の髪を撫でるエステルの手を特に気にする風も無く、イネスに目線を移す。

「2年前、ね。特に報告もなかったようだけど、貴方の独断?」

イネスはエリナの皮肉を含んだ視線に動じた様子も見せず、エステルに目配せをすると戸口に向かう。

「一応、会長の紹介よ。貴方が知らないなんて、変な話ね」

ドアの前で立ち止まり、イネスは意味ありげな視線をエリナに送る。

「じゃあ、私たちはこれで失礼するわ。式には出るけど、披露宴は遠慮させて頂くから」
「ちょっと、待ちなさいよ」

エリナの声も聞こえないように、イネスはエステルを促すと部屋を出て行った。部屋を出るとき、エステルが振り向いてもう一度三人に頭を下げる。そして顔を上げた彼女は、ラピスの射るような視線に気付き苦笑すると、背を向けて右足を引き摺りながらドアの向こうに姿を消した。

「・・・首尾は?エリナ」
「あら、気付いてたの」
「もちろん」

二人が出て行った後、ラピスとエリナは意味深長な会話を交わす。ユリカは「なんのこと?」という表情を浮かべ二人を見るが、どちらもユリカの視線に気付かずに会話を続ける。

「撫でるフリをして手に入れた髪の毛。とりあえず、これで遺伝子情報は手に入る。ま、イネスのことだから、あまり意味はないかもしれないけど」
「エリナさん?」
「あと、ボソンジャンプ研究所のこの2年間の研究成果を調べてみる。あのエステルという女が関わった研究内容、全てを洗うよ」
「ラピちゃん?」
「それから、いつまでこっちにいるかも聞いておく必要があるわね」
「もしもーし」
「IFSのタトゥーが無かった。けど・・・」
「おーい」
「そんなもの、あのイネスよ。どうにでもなるわ。現に、あのアキト君の体からナノマシンを除去したぐらいなんだから」
「ちょっと、エリナさん、ラピちゃん」
「アキトにも連絡する。今は月で新型エステのテスト中のはず。すぐにこっちへ戻るように言う」
「こらあ。人の話を聞きなさーい」

二人に無視されてユリカが遂に大声を上げた。エリナとラピスはその声に振り向くと、ユリカをきっ、と睨みつける。

「ユリカ、うるさい」
「ぶ〜、だってー」

ラピスに窘められ子供のように頬を膨らませるユリカ。エリナは一つ溜息を吐くと、ラピスの手を引いて控え室の出口へ向かった。

「じゃ、ユリカさん。御免なさい。ちょっと急用ができちゃったから、私たちはこれで失礼するわ。あ、心配しないで。ちゃんとご祝儀は受付に出してあるから」

そう言うと、ラピスと共に控え室を後にする。一人取り残されたユリカは、憤懣やる方ないといった様子でドアに向かって叫んだ。

「もう、なんだってゆーのー。・・・バカー!」


「中々の名演技だったわよ」

結婚式が終わり、式場の前で待たせてあった車に乗り込むと、イネスは連れの女性に口元を綻ばせながら言った。

「ユリカさんには悪いことをしました。せっかくの結婚式なのに」

イネスの隣に乗り込んだエステルは、式中も自分に訝しげな視線を向け表情を曇らせていたユリカを思い出し、やや俯き気味に呟く。その様子にイネスは意地悪い笑みを浮かべ、からかうように言う。

「そう思うなら今からでも本当のことを言いに戻る?『御免なさい、嘘を吐いてました。私、実はホシノ・ルリなんです』って」

エステルはイネスの言葉に冷ややかな視線で応じると、正面に向き直って自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「それができるなら、最初からそうしてます。二年前のあの時に。でも、『電子の妖精』ホシノ・ルリは死ななければいけなかったから」

イネスも意地悪い笑みを引っ込めると、車のルームライトをぼんやりと見つめながら呟く。

「そうね。そうだったわね」

車は無言になった二人を乗せて、滑るように走り出した。春先の清清しい陽光が車内に降り注ぐ。イネスはシートをいっぱいにリクライニングさせると、伸びを一つして背もたれに身体を沈める。エステルは身を起こしたまま、見るともなしに窓外の景色を眺めている。

「あの二人、何か気付いたみたいだったわね」

あと5分も走ればエステルの滞在するホテルに着くというところで、イネスは思い出したように呟く。エステルも頷くと、さっきの控え室での二人の様子を思い出す。

「そうですね。わざわざ髪を撫でるフリをして髪の毛を取ったりして。結婚式にも出てませんでしたし。きっと私の素性やこの2年間の行動とかを調べるつもりでしょう」
「あら、気付いてたの。髪の毛取られたの」
「ええ。見え見えでしたし」

エステルの言葉にイネスは軽く鼻を鳴らす。そうこうする内に車はホテルの前に着いた。エステルが車から降りると、イネスが窓を開けて顔を出す。

「まあ、調べても何も分からないようにしてあるけど。で、どうするの」
「はい?」

イネスの問いの意味が分からず、エステルはつい間の抜けた声で聞き返した。

「”彼”のことよ。ラピスなら必ず”彼”に連絡するわよ。そして私に貴方の連絡先とかを聞いてくるに決まってる」

イネスの言葉にエステルの表情が曇る。イネスは、ユリカに対して彼女が後悔の念を見せたときに浮かべた意地悪な表情を今度は全く見せず、真剣な表情でエステルの答えを待つ。エステルは俯いて二、三分逡巡していたが、意を決して顔を上げた。

「教えてあげて下さい。会います」
「いいの?」

イネスはエステルの目を下から見上げる。その瞳にはもはや迷いの色は無い。

「はい、これは私のけじめですから。ユリカさんに会ったのも、ラピスさんに会ったのも。だから、あの人にも会います」

エステルの言葉にイネスは満足げに頷くと、窓を上げて別れの言葉をささやいた。エステルも微笑を浮かべ頭を下げる。彼女が頭を上げた時には、イネスを乗せた車はロータリーを回って道路へ出ようとしていた。エステルは車が見えなくなるまでその場に立っていた。そして、どこか遠くを見るような目つきで呟く。

「二年、そう二年経ったんですから」

そう言うと踵を返し、足早にホテルの中へと姿を消した。


「ラピス、今何て言った?」

テンカワ・アキトはパイロットスーツを脱ぐ手を止めて、目の前に開いたコミュニケ・ウィンドウに映る桃色の髪の少女を見る。少女はいつもの無表情のまま、もう一度アキトの動きを止めた言葉を言う。

「ルリらしい人間を見つけた。データ、送ったから見ておいて」

アキトはラピスの言葉に自分の耳を疑った。確かに、ルリは生きている、そう信じて生きてきた。だがこの二年間、ラピスと共に寝食を惜しんで探してきたが、全くその消息はおろか、手がかり一つ掴めなかった。それが突然、それらしい人物を見つけたという。

「一体どうして」
「ともかく、データを見て」

ラピスはアキトの問いを遮って、送ったデータを見るよう促す。アキトは訳が分からないまま、言われた通りにコミュニケを操作してデータウィンドウを開く。

「・・・エステル・ヴァーイドゥーリヤ?」

アキトは送られてきたエステルのデータに目を走らせる。

エステル・ヴァイドゥーリア。18歳。スェーデン在住。出身地:スェーデン。5歳の時に両親と死別。7歳まで孤児院で暮らし、その後インド出身のヴァイドゥーリア家に引き取られる。13歳で連合大学に飛び級入学。16歳で卒業と同時にIFS研究でP.H.D取得。卒業後はネルガル・ボソンジャンプ研究所の嘱託研究員・・・。

そしてエステルの顔写真。それを食い入るように見つめるアキト。髪の色、瞳の色は確かに違う。だが似ている。その顔立ちも、その雰囲気も、一度たりとも忘れたことの無い、あの少女に。そしてそのプロフィール。天才、IFS。それらのキーワードが一致する。この二年間、求めつづけたあの娘に。間違いない。直感的にアキトは確信した。エステルはルリだ。間違いない、と。だが腑に落ちない点もある。

「どうして、今まで気が付かなかったんだ。2年前からネルガルの嘱託研究員をやってたんなら、すぐに分かった筈だが」

アキトの問いにラピスは首を小さく横に振った。

「分からない。少なくとも前に調べた時には、エステル・ヴァーイドゥーリヤなんて研究員はいなかったし、このデータも見つからなかった。多分、今まで3Aクラスのセキュリティが掛かっていたみたい。それが何らかの理由で、突然通常の権限で閲覧可能になったみたい」

ラピスの言葉にアキトは眉をしかめた。

「どういうことだ?」

そこでラピスは、エステルがユリカの結婚式にイネスと一緒に現れた話をした。

「なるほどな。イネスの仕業か」
「で、これが髪の毛から採取したエステルの遺伝子マトリクス。ルリのとは完全に一致はしないけど、かなり似通ってる。あと、エステルはIFSを持ってない」

そう言ってラピスが別ウィンドウにエステルとルリの遺伝子マトリクスを並べて表示する。それは素人目には同じ物のように見えるが、専門家の目から見れば血縁があるといった程度の別人物のものだった。だが、アキトは首を振ってラピスに答える。

「イネスが絡んでるんだ。遺伝子もIFSも何とかしてしまうさ」

アキトはパイロットスーツを脱ぎ捨てると、テストパイロット用の制服に着替える。ラピスはそれを恥ずかしがる様子も見せずに見つめている。アキトは着替えながらラピスに尋ねた。

「で、彼女は今どこにいるんだ?スェーデンか?」
「ううん。明日まで日本にいる。今はトウキョウ・シティのネルガル系列のホテルに泊まってるよ」

ラピスの答えにアキトの手がまた止まる。ズボンを履きかけたまま顔を上げると、ウィンドウにくっ付かんばかりに顔を近づける。

「ほ、本当か!?」

ラピスはウィンドウ一杯に広がったアキトの顔にも驚く様子も見せず、また別ウィンドウを開いてエステルの宿泊しているホテルの名前と住所、アクセス手段を表示する。

「本当。そっちのウィンドウにホテルの情報出しといたから保存して。行くんでしょ、アキト」
「当たり前だ!」

アップのまま叫ぶアキトにラピスは思わず耳を塞いだ。アキトは脱ぎ捨てたパイロットスーツを乱暴にロッカーに放り込むと、駆けるようにしてロッカールームを出ようとし、出口のところで思い出したように立ち止まる。そして振り返ると、まだ開いたままのウィンドウに映るラピスに微笑みを浮かべて礼を言った。

「ありがとう、ラピス」

ラピスは久しぶりに見るアキトの笑顔に、思わず頬を染めて呟いた。

「・・・バカ」


トウキョウ・シティの湾岸沿いに建つネルガル系列のシティホテル。その13階の一室、まだ時刻は昼の1時を過ぎたばかりだというのに、浴室からシャワーを浴びる音が聞こえる。そこへフロントからのコール音が鳴り響き、シャワーの音が止まる。そして浴室のドアが開き、バスタオルを一枚身体に巻き、別のタオルで濡れた髪を押さえながら部屋の主の女性が出てきた。
彼女は特に慌てる様子も無くガウンを羽織ると、静かにベッドの端に腰掛けてヴィジュ・フォンの通話スイッチを入れる。

「ハロー?」

ウィンドウに女性のフロント係が映し出される。彼女は相手の姿を見ると申し訳無さそうに頭を下げた。

「入浴中失礼します。ミス・エステル・ヴァーイドゥーリヤ。ミスタ・テンカワ・アキトという男性がご面会を申し込まれておりますが、如何なさいますか」

エステルは時計を見た。1時5分過ぎ。約束の時間は1時半だった筈。エステルは少し思案すると、フロント係の女性に視線を戻した。

「15分後に部屋まで来て頂くように伝えてもらえますか」
「はい、かしこまりました。15分後にお部屋へご案内いたします」

フロント係はエステルの言葉を復唱すると一礼してウィンドウを閉じた

「ふう」

エステルは小さく溜息を吐くと、髪を丹念にタオルで押さえる。それが済むとドレッサーの前に座り軽くブラッシングをして髪を整える。そしてピンク色のルージュを手に取り、軽く捻って先を出すと丁寧に唇をなぞる。ふと時計を見ると、約束の時間まで後5分しかない。エステルは急いでガウンを脱ぎタオルを外すと、クローゼットの扉を開き、引出しから下着類を取り出して素早く身に着け、薄い水色のワンピースをハンガーから外して着る。そしてたたんで置いてあった白いサマーセーターをその上から羽織り、脱ぎ捨てたガウンとタオルをランドリーに放り込んだその時、来訪を告げるチャイムが鳴った。

エステルは緊張と興奮で早鐘のように打つ鼓動にその陶器のように白い頬を赤く上気させる。気を落ち着かせようと一つ深呼吸すると答えのわかっている問いを投げる。

「どなた?」
「ご面会の方をお連れしました」

フロント係の落ち着いた声がインターフォンのスピーカーから聞こえる。エステルは大きく息を一つ吐くと、覚悟を決めてノブを回し、扉を開けた。
扉の外には先程ヴィジュ・フォンでやり取りしたフロント係の女性と、収まりの悪い髪をした二十代の男性が立っていた。フロント係は扉が開くのを見ると脇へ下がり、男性に前へ進むよう促す。

「あの、どうぞ入ってください」

男性は前に出るのを躊躇う風だったが、エステルの言葉に心を決めたのか、小さく一つ頷くとフロント係の脇を通って部屋に入った。エステルは外に残った女性に一礼すると、部屋に一歩入ったところで立ち止まっている男性に声をかけた。

「どうぞ、適当に掛けて下さい。テンカワ・アキトさん」

エステルは声を掛けながらアキトの横をすり抜けると、備え付けの簡易キッチンに向かう。アキトは無言のまま前に進むと、ぎこちなく部屋の中央に置かれた椅子に腰掛けた。

「紅茶でいいですか」
「あ、ああ、お構いなく」

エステルが飲み物を尋ねる。アキトはとりあえず答えるが、心ここにあらずといった感じでエステルを見つめている。エステルはアキトの視線を感じつつも表情を表に出さずに、黙々と紅茶の準備をする。

やがてトレイにティーカップを二客乗せて、エステルがキッチンから出てきた。そしてアキトの前にある背の低いテーブルにカップを置くと、トレイをアキトの向かいの椅子の横に立てかけ、自分もその椅子に座る。

二人は押し黙ったまま、互いに目の前のカップを見つめて座っていた。十分が経ち、二十分が過ぎた。そして時計が二時の時報を打った時、アキトが顔を上げた。

「ルリちゃん、なんだろ」

短い、だがいきなり核心を突く言葉。エステルは心臓を鷲掴みにされたように感じ、思わず顔を上げる。そしてじっと彼女を見つめるアキトと視線が合う。その訴えるような、縋りつくような視線に、エステルはアキトを抱き締めたくなる衝動を感じながらも、無理やり自分を押さえ込んで最小限の言葉で答える。

「はい」

その言葉にアキトは感極まったように天井を仰ぎ、深深と椅子に沈み込むと、両手で顔を押さえる。そして搾り出すように尋ねる。

「どうして、どうして教えてくれなかったんだい。生きてるって」

アキトの問いにエステルは感情を押し殺したまま、遠くを見るような瞳でアキトの後ろの壁を見つめながら答える。

「教える必要がなかったから・・・」
「そうか・・・」

アキトは自分の思いを押しつぶすようなエステルの答えに、3年前の墓地で交わした会話を思い出していた。

(つらいな。ルリちゃんもつらかったんだな、あの時)

今更のように湧き出る後悔の念。あの時、たとえそうしなければ戦う意志を保てなかったとは言え、もう少し言葉の掛けようがあったのではないか。これほど相手を思う心に突き刺さる言葉を使う必要はなかったのでは。

(ミナトさんに叩かれて当然か)

自嘲の思いがアキトの唇を知らず知らずのうちに歪ませる。そんなアキトにエステルは嘗ての自分を重ねる。
あの時と同じ言葉を使うのは、あの時自分が味わったつらさ、悲しみからアキトに復讐しようなどという訳では、決して無い。ただ、あの時と同じ言葉を使うことが、より今の自分の立場をアキトに伝えられるだろうから。傍にいたい、でもそれができない。自分は死人なのだ。その現実を、同じ立場に身を置いたことのあるアキトに、はっきりと理解してもらうために。

「ルリちゃん」

アキトが再び語りかける。そしてエステルは再びあの時アキトが言った言葉を放つ。

「アキトさん。貴方の知っているホシノ・ルリは死にました。だから、もう忘れてください、私のことは」

エステルの言葉にアキトは言葉を詰まらせた。エステルの悲しげな瞳を見ては、とても「カッコつけてるよ」などとは言えない。ホシノ・ルリは死んだ。でなければ、テンカワ・アキトは日の当たる世界で生きることができないから。

アキトは俯き、拳を握り締める。爪が掌に食い込み、裂けた皮膚から血が滲んで滴る。

「忘れられるくらいなら、今日、ここへは来ないよ」
「アキトさん」

アキトはジャケットの内ポケットから一輪のストケシアの花を取り出して、エステルの前にかざす。エステルは怪訝な表情をして、その花とアキトを見比べる。

「ルリちゃん。この花、知ってる?」
「いいえ」

エステルは首を振る。アキトは愛しげにエステルとストケシアを交互に見つめ、言葉を続ける。

「これはストケシアって言うんだ。別名は瑠璃菊」
「瑠璃菊・・・」

エステルは何気なく手を伸ばしてストケシアの花をアキトから受け取る。瑠璃色というにはやや色が薄いが、清楚な感じのする美しい花。

「でもね、ストケシアの花はその色だけじゃないんだ。赤や白のストケシアもあるんだよ」
「え?」

その言葉にエステルは思わず顔を上げてアキトを見る。するとアキトはいつの間にか椅子から立ち上がってエステルのすぐ横に立っていた。そしてそっと包み込むようにエステルを抱き締める。

「ちょ、ちょっと、何するんですか、アキトさん。駄目です、離して」

エステルはアキトを引き離そうともがくが、アキトはしっかりエステルを抱き締めて離さない。

「名前が違っても、髪の色が、瞳の色が違っても、IFSタトゥーが無くても、ルリちゃんはルリちゃんだ。ストケシアの花が赤や白でもストケシア、瑠璃菊であるように」
「そ、そんなのヘ理屈です」

尚もアキトから逃れようともがくエステル。だがアキトは彼女の耳元に顔をよせ、二年間の思いの丈を告げる。

「そうかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいんだ。俺にとって重要なのは、君がルリちゃんだってことだけなんだ。ルリちゃん、頼む。もう俺から離れないでくれ。俺と一緒にいてくれ。頼むから、俺を、俺を一人にしないでくれ」

アキトの、聞きようによっては情けないような告白が、今、エステルの心を揺さぶる。アキトが自分を必要としている。自分を欲している。そう思うだけで、心の底に封印した熱い思いが込み上げてくる。

「ずるい、ですよ。あの時私が出来なかったことを、アキトさんが今するなんて」
「ルリちゃん」

エステルの瞳から涙が一粒、二粒と零れては落ちる。アキトは身体をエステルから少し離し、そのエメラルド・グリーンの瞳を見つめ、そっと指で零れる涙を拭う。

「本当に、私なんかでいいんですか」
「ルリちゃんじゃないと駄目なんだ」

エステルの問いにアキトは一瞬の迷いも見せずに即答する。

「でも、私、今すぐは戻れません。少なくとも、今の連合議会と政府の任期が終わるまでは」
「そのぐらい待つよ。あと一年も無い」

エステルがそっと瞼を閉じる。アキトはそのピンク色のルージュを引いた唇に自分の唇を優しく重ねた。


翌日、トウキョウ・エアポート。その展望デッキにテンカワ・アキト、ラピス・ラズリ、そしてイネス・フレサンジュの姿が有った。

「行っちゃったわね」

たった今飛び立ったストックホルム行きの旅客機を見上げながら、イネスが呟く。

「ああ」

アキトも同じように見上げながら、感慨深げに頷く。そんなアキトを見上げてラピスが尋ねる。

「いいの、引き止めなくても」

アキトは振り向いてラピスを見ると、その桃色の髪を撫でながら答える。

「帰ってくるさ。帰ってこなけりゃ、追いかけるまでだ」

そして、ここ数年見せたことの無い、満面の笑みを浮かべて。

「あの子は、大切なひとだから」

 

<<Fin.>>

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<<後書き>>

一人歩きのMy Revolution♪

というわけで、『ストケシアの花を探して』完結です。第1話・第2話とかなりシリアス路線を走って、一時は本当に「ハッピーエンド」にできるのか、と

作者本人が疑問に思うほどでしたが、何とかカンとか「ハッピーエンド」に漕ぎ付けました。色々書き足りない所とか、ご都合主義が入ったりしましたが、それなりのものには出来たかと思っています。いかがでしたでしょうか。

とりあえず、「ルリ殺し作家」の二つ名は返上できたかと(笑)。

あと、ルリの偽名「エステル・ヴァーイドゥーリヤ」ですが、「エステル(Estelle)」は古スカンジナビア語で「星」を表す語。「ヴァーイドゥーリヤ(Vaidurya)」はインドの古典語(サンスクリット)で「瑠璃」のことです。もともと「瑠璃」はこのヴァーイドゥーリヤの音写「吠瑠璃」の「吠」が落ちて出来た言葉です。

では、拙作をお読み頂いている有難い読者の皆様、今度は『紫苑』でお会いしましょう。


b83yrの感想

『ご都合主義』楽しませていただきました(笑)

まあ、ご都合主義は出来る限り減らした方が良いんですが、完全になくす訳にもいかんものです

そもそも、『本編のナデシコ』で既にご都合主義が多々あるし

ご都合主義がなければ、『ユリカのような艦長』もありえないし、第1話でいきなり囮をやらされる羽目になった『ど素人の』アキトなんて、そこでとっとと死んでます、ええ(笑)

世の中の『ハッピーエンド』になってる作品で、『ご都合主義皆無』なんて作品あるんだろうか?

だから、『現実』と『物語』は別けて考えないといかんのですよねえ、現実にご都合主義は無いから

私が印象的に感じたのはラピス

『紫苑』のラピスとこっちのラピスじゃ、ユリカへの態度が随分違うなと

『同じ作者が同じキャラ』を扱ってるのに、『話の流れ次第』でキャラも変わる、当たり前と言えば当たり前なんだけど、なんだか印象に残りました

最後に、完結おめでとうございます、これでルリ殺し作家の汚名返上って事で(笑)

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