補給も無事終わり、今日はクレ・ドックを出航です。

 アオイさん、ミナトさん、メグミさんも出航準備で忙しく働いています。

 でも、艦長のユリカさんがまだブリッジに現れません。もう出航一時間前だというのに。

 まだ宇宙にも出ていないんですよ。お篭りには早すぎます。そう思いませんか、ラピス。

 ……………

 あれ、そう言えば、ラピスはどこ?

 

機動戦艦ナデシコ

  〜 紫苑 「君を忘れない」 〜



Chapter 6.「妖精」(中編)

 

 「本当にあたしが?」

 「他に誰がいるの」

 ナデシコの士官用居住区通路を、薄桃色の髪の少女と、大きな鞄を手に下げた金髪白衣の麗人が並んで歩いている。少女はこの戦艦のサブ・オペレーターであるラピス・ラズリ・ホシノ。そして白衣の麗人は科学班兼医療班にしてこの艦の設計者でもあるイネス・フレサンジュ。どちらも出航一時間前の艦内で油を売っていていい立場ではない。

 「ルリ姉がいる。本家だし」

 「彼女は今日の主役。それに、例の実験の間は、あなた暇でしょ」

 「むう」

 暇と言われて、ラピスは眉間に皺を寄せて唇を尖らせる。が、イネスの言葉に反論できる要素も無い。ラピスは膨れっ面のまま、横目でじとりとイネスを睨んで言った。

 「楽しそうだね、イネス」

 「あら、そう?」

 イネスは不機嫌そうなラピスの顔を面白そうに一瞥した。そして何か言いたげな金色の瞳を認めると、くすっと小さく笑って視線を正面に戻した。その様子が更に癇に障ったのか、ラピスは憮然としてイネスから顔を背けた。そんなラピスの様子に気付いているのかいないのか、正面を向いたままイネスが楽しげに口を開いた。

 「だって、過去に戻ったらもう一度やってみたかったのよ。貴方と彼女で。それがこんなに早く実現するんだから、少しはしゃいでも大目に見てもらいたいわね」

 その言葉にラピスは力無く溜息を吐くと、ふと思いついたちょっとした悪戯に目を輝かせる少女のような横顔を見て、やれやれと肩を竦めた。そんな表情を見せられては反論のしようも無い。こんな悪戯好きの子供のような心が、普段見せている冷徹な科学者の精神と同居している。イネスのそんなアンビバレントなところが、悔しいことにラピスはとても気に入っていた。

 「じゃあ、ユリカにはさっさと復活してもらわないとね」

 「そういうこと」

 ラピスはイネスを見上げ、先程までの不機嫌が嘘のように明るい声で答えた。イネスもラピスに視線を合わせて微笑む。そうこうするうちに、二人は目的の部屋の前に辿り着いた。ドアの横に貼られた白いネームプレートに、その部屋の主の名前が見える。

 ミスマル・ユリカ

 二人はどちらからともなく視線を交わすと小さく頷いた。そしてイネスが部屋のインターホンを押す。しばらく待つが部屋の中からは何の返事も無い。もう一度押す。しかし今度も返事は無い。イネスは腕を組むと「仕方が無い」といった感じに肩を竦め、ラピスに目配せをする。ラピスは気乗りしない感じで眉間に皺を寄せて目の前のドアを見つめていたが、やがて諦めたように首を振ると、ドアの脇に設置されたIDカードリーダーに自分のIDカードをかざし、ぼそりと独り言のように呟いた。

 「オモイカネ、開けて」

 そしてカードスリットに自分のカードを通す。本来なら開く筈のないドアが圧縮エアの噴出す音とともに勢いよく横に開いた。部屋の中は明かりも無く、僅かに廊下の照明が入り口付近を照らし出している。イネスとラピスはどうしたものかと顔を見合わせた。事前にオモイカネから得た情報では、ユリカは確かにこの部屋の中にいるはずだ。二人は戸口で中に入ったものかどうか躊躇っていたが、やがてラピスが意を決して中に足を踏み入れた。

 「誰?」

 その時、真っ暗な部屋の奥から、ユリカの声が聞こえた。その声は前日にブリッジで聞いた明るいものではなく、まるで別人のように暗く、そして弱弱しい。

 「オモイカネ、電気」

 ラピスの声とともに照明が部屋の中を明るく照らした。イネスは部屋の反対側のベッドの上に、目的の人物が膝を抱えてうずくまっているのを見つけると、静かに、しかしきびきびとした歩調で近付いていく。ラピスは入り口を入った所で立ち止まり、イネスの後姿を興味津々の眼差しで見つめている。

 「ミスマル・ユリカ」

 よく通る、凛とした声にユリカは顔を上げた。眩しそうに細めたその空ろな瞳にイネスの顔が映る。

 「イネス、さん?」

 不思議そうにユリカが呟く。未だに状況が把握できないらしい。なぜ部屋の明かりが点いているのか。何故イネスが目の前に立っているのか。ユリカは明るさに慣れない目を瞬かせ、小首を傾げた。昨夜は殆ど寝ていないのだろう、目の下に薄らとくまの残るその大きな瞳を覗き込むように顔を近づけると、イネスは、ユリカのそれとは対照的な切れ長の青い瞳に厳しさを込めて言った。

 「ミスマル・ユリカ。あなたは何故ここにいるの」

 ユリカとイネスの周囲を重苦しい沈黙が支配した。ユリカは働かない頭でイネスの言葉を反芻していた。

 あなたは何故ここにいるの。

 あなたは何故ここにいるの。

 何故ここにいるのか。

 誰が。

 私が?

 私は、何故ここにいる?

 ぼんやりと力無くイネスを見上げていたユリカだったが、自分を見つめるその瞳が、ウィンドウ越しに自分を見つめていた昨夜のルリのそれと一瞬ダブって、反射的に膝に顔を埋めてしまった。そして覗き込んでいるイネスが辛うじて聞き取れるくらいの声で呟いた。

 「私、なんて・・・」

 ここでも誰からも必要とされていない。ユリカの脳裏を昨日一日の出来事が浮かんでは消えていく。自分を無能呼ばわりしたムネタケ。指揮権を剥奪したフクベ。勝ち誇ったようにアキトに寄り添うルリ。そして、硬い表情で自分の思いを拒絶したアキト。すべてが悲しいまでに自分に冷たかった。この艦に乗ることが決まった時に抱いた希望も、夢も、すべてを打ち砕いてしまうほどに。

 「私なんて、何? 質問に答えなさい、ミスマル・ユリカ」

 イネスは腕を組むと、尊大な態度でユリカを見下ろす。ユリカはイネスの追い打つような台詞にびくっと肩を震わせると、恐る恐る顔を上げた。

 「さあ、答えなさい。あなたは何故、この艦に、『ナデシコ』に乗っているの」

 ユリカはイネスの問いに答えようと口を動かす。だが、声が出ない。再び下を向こうとするその顎をイネスは手を伸ばして無理矢理上向かせて言った。

 「さあ、どうしたの。そうやって逃げるつもり? 男にちょっと冷たくされたからって、それだけのことで貴方がこの艦で果たさなければならない責任から背を向けようって言うの?」

 ユリカは驚きに目を見張った。何故イネスが、昨夜のアキト、ルリとの遣り取りのことを知っているのか。覗いていたとしか思えない。そう思うとユリカの胸に激しい怒りが湧き起こった。だが、思わず抗議しようと睨んだイネスの瞳に篭る真剣さに、ユリカは開きかけた口もそのまま、顔を逸らせて紅潮した頬を向けるしかなかった。

 「結局、私の見込み違いということかしらね。連合大学主席。戦術シミュレーション無敗。少々子供っぽい所もあるが責任感は人一倍強い。常に笑みを絶やさず、周囲の人間の信頼を得る術を自然と身につけている。私が手に入れたあなたの姿、これって虚像? 所詮はあなたも親の七光の恩恵に与るつまらないお嬢様の一人だったってわけ」

 イネスは目を閉じると本当に落胆した様子で目を閉じた。ユリカは黙ってイネスの言葉を聞いていたが、「親の七光」という一言に弾かれたように立ち上がった。

 「違います! 私は」

 「私は、何?」

 叫ぶようなユリカの言葉を遮って、挑発するようにイネスが言う。しかし表情にこそ出していないが、イネスは内心ほくそえんでいた。してやったり、というところか。「七光」にきっと反応するとは思っていたが、ここまで効果てき面とは思っていなかった。落ち込んでいる人間を奮い立たせるには怒らせるのが最も手っ取り早い。勿論、他にも方法があるし、怒らせることが逆効果になることもあるが、時間の無い今、他の手段を取る余裕は無い。

 「私は、私だから」

 だが振り絞るように吐き出されたユリカの言葉に、イネスはぴくりと眉根を上げた。私らしく。ミスマル・ユリカの原点。ここへ「跳ぶ」前のあの世界でも、そしてこの世界でも。
 イネスはふと振り返ってラピスを見た。そして、そこに憎々しげにユリカを睨む二つの金色の瞳を認めると、微かに哀しげな色をその青い瞳に浮かべた。ユリカの「私らしく」。それが未来のアキトを自分達の目の前から消した理由だと、この娘は今も信じて疑わない。それが誤解であることを理解させる、そのためにも、ユリカには今すぐ立ち直ってもらわねばならない。
 イネスが自身の決意に思いを巡らしている間も、ユリカは懸命に言葉を続けていた。

 「連合宇宙軍提督の娘である前に、ミスマル・ユリカだから。私が私であるために、私が私らしくあるために。それを確かめるために、私はナデシコに乗ったんです。決して七光なんかじゃない、自分の実力で艦長に選ばれたということを確かめるために。イネスさんの言った私の評価、私も知っています。そしてそれが親の七光によるものだっていう噂も。でもだからこそ」

 ユリカはそこまで一気に喋ると言葉を切った。目を閉じたユリカの脳裏に大学時代の思い出が去来する。

 友人たちとの楽しい語らい。同級生や教官、そして軍の現役士官とのシミュレーション戦と教授陣からの賞賛。そして、それらの煌くような記憶に影のように纏わりつく、様々な中傷の記憶。

 曰く、教官や現役士官は彼女の父親から負けるように言われている。

 曰く、トップという成績は彼女の実力ではなく、連合宇宙軍提督という彼女の父親におもねる教官達の捏造だ。

 当時のユリカを知るものも、あのアオイ・ジュンでさえ、その太陽のような笑みの裏で、彼女がどれほど傷つき悩んでいたか、知る者はいない。常に笑みを絶やさず、時に子供っぽい態度で誤魔化していた。しかしその裏では、ユリカ自身、あまりに酷い中傷に、今の成績は自分の実力ではないのではないか、と疑心暗鬼に陥っていたのだ。
 その思いは連合大学を卒業して、軍の参謀本部付士官となってからも払拭されることはなかった。自分の周りの軍人達は、決して自分を贔屓するような態度は見せない。だが、同期の士官達が結構手厳しく修正を受ける中、自分だけは口頭注意程度で済むようなことが度々あった。そのたびに、彼女は自分が特別扱いを受けているように感じてならなかった。気が付くと、一人で部屋にいる時は、ベッドの上で膝を抱えていることが多くなっていた。
 このままでは自分は駄目になる。自分の精神に限界を感じていた矢先、救いの手が差し伸べられたのだった。

 『ナデシコに乗りませんか。艦長として』

 スカウトに来たプロスペクターは、自分の連合大学での成績、軍に入ってからの評価を、こちらが恥ずかしくなるくらいに大げさに誉めそやした。そして最後に、意味ありげな笑みを浮かべてこう言ったのだった。

 『試してみたいと思いませんか、貴方の力を』
 『乗ります!』

 その言葉に思わず身を乗り出して叫んでいた。隣に座っていた父親が驚いて絶句するほどに、その姿には鬼気迫るものがあった。

 そこまで思い巡らして、ユリカは再び目を開くと、真っ直ぐにイネスを見つめて言った。

 「……だからこそ、私は自分の力を確かめたい。本当の私の力を。この艦で。このナデシコで」

 綺麗な瞳だ。イネスはユリカの目を見つめながら思った。この娘の、迷いの無い瞳は本当に魅力的だ。

 (お兄ちゃんが惹かれるのも無理は無いわね)

 ふとそんな思いが心をよぎり、イネスは苦笑した。今は感傷に耽っている場合ではない。今、ユリカには確かに迷いは無い。しかし、それは一時的なことかもしれない。もしまた自分の能力に自信を失ったら、同じ手で立ち直らせることは不可能だろう。
 イネスは大きく頷くと、恰も教師が生徒に質すような口調で言った。

 「なら、こんなところで油を売ってる暇は無い筈よ。ミスマル・ユリカ。今、あなたのなすべきことは」
 「はい。急いでブリッジに向かいます。あ〜、もうこんな時間。また副提督に怒られちゃう、ぐえ」

 枕元の時計が差す時刻に、ユリカは慌しくベッドから降りて駆け出したが、その襟首をイネスが捕まえた。

 「けほっ、けほっ、う〜。な、なにするんですか、イネスさん」

 むせながら喉を押さえ、涙目になってユリカが抗議する。が、イネスはユリカの言葉を無視すると、持って来た大きな鞄を開けてごそごそと何かを取り出した。

 「ナデシコの艦長として、今あなたがすべきことは、これよ」

 今までとは打って変わって楽しげに振り向いたイネスが手に持つものを見て、ユリカは呆気にとられて言った。

 「う、うさぎさん?」

 

 

 イネスとラピスがユリカの部屋に向かって歩いていた頃、作戦ブリッジではウリバタケとアキトが、出航準備に追われるオペレーターブリッジの面々を他所に、手持ち無沙汰な様子で雑談に興じていた。

 「だからよ、言ってるだろ。お前さんのIFSのトラフィックは大き過ぎるんだ。そんなのに合わせたら、エステの可動部分はすぐにお釈迦になっちまわぁ」
 「セイヤさんなら何とかできるでしょ。こんなこともあろうかとって」
 「無茶言うな」

 アキト達がエステバリスの強化について話しているのを、ルリは複雑な表情で見下ろしていた。エステバリスのチューンアップ。昨日のアキトの状況を思えば、それは当然対応すべきものだ。アキトの生存確率を上げるためにも。一方、あの異常なまでに高いアキトのIFS能力そのものに、言い知れぬ不安を覚えもする。
 一体、何がアキトと自分に起こっているのか。ラピスとイネスの行動も気になる。昨日のバッタの増援が索敵ウィンドウに最初は映らなかったこと。突然アキトの脳裏に浮かんだ北辰の声、そして遺跡に取り込まれた自分の姿。どちらもあの二人が関係しているであろうことは想像に難くない。
 今のところ、二人がアキトと自分で何をしようとしているのか、或いは何をさせようとしているのか、それはルリにも分からない。今分かるのは、彼女達が時間を遡った経緯を考えれば少なくとも敵ではないだろうということ。だが……。

 (もしも、もしも二人がアキトさんと私の邪魔をするのなら、その時は)

 ルリの琥珀色の瞳に暗い決意の色が宿る。が、それも一瞬のことで、すぐに何事も無かったかのようにルリはコンソールに視線を落とした。そしてふと思い出したように顔を上げると、そっと後ろを振り向き、主の居ないの艦長席を見て顔を曇らせる。
 ユリカがまだ来ていないのは、やはり昨夜のことが原因だろうか。ルリはコンソールに向き直りながら、泣き叫びながら走り去ったユリカを思い出して目を伏せた。
 なぜ、こんなにユリカのことが気になるのか。実際に会ったのは昨日が初めてであり、昨夜のインターホン越しの会話を除けば、交わした言葉は仕事関係の二言三言。全くの赤の他人の筈なのに、何故か、昨夜の彼女への仕打ちが自分の心をざわつかせる。アキトと共にいることが、とてつもない罪悪であるかのように。自分の行為がユリカへの酷い裏切りのようで。

 (裏切りも何も)

 ルリは自分の考えに眉を顰めた。初対面の人間に、何故罪悪感などを感じねばならないのか。ましてやユリカとアキトの間には十年前に分かれたきりの幼馴染みという関係以外、何も無い。あの「夢」の中のユリカとアキトならともかく。
 そこまで考えて、ルリの心に振り払った筈の不安が再び頭をもたげる。自分のアキトへの想い、これは「未来の自分」のもので、自分自身の想いではないのではないか。皮肉にも、一昨日の晩にルリが否定したアキトの不安とまさに同じものが、今、ルリの心の奥底に静かに根を張ろうとしていた。ユリカに対する罪悪感も、それを感じているのが未来の自分の心なら理に適っている。つまり、自分が「これは自分のものだ」と確信したはずのこの思いは、やはり実は未来の自分から与えられた、言わば「借り物」の思いなのではないのか。

 「ルリルリ、大丈夫?」

 考えに耽るルリの横からミナトが心配そうに声を掛けた。ルリはその声に顔を上げると、覗き込むように顔を寄せるミナトに少し退きながら、いつものように作り笑いを浮かべて答えた。

 「はい、大丈夫です」

 そうして何事もなかったかのように再びコンソールに向かう。その様子に、ミナトは半ば諦めたように肩を竦めると、操舵コンソールに手を伸ばして航路データの再チェックを始めた。ルリは、ミナトの様子を盗み見ながら、微かに自己嫌悪を覚えていた。未来の記憶の中でも、そして現在でも、この人は本当に自分に良くしてくれる。なのに自分は、その好意に作り笑いで応えるだけ。どうしても他人に心を開くことができない。信じることができない。それは何年も見続けたあの夢の所為なのか、自分を人間としてではなくただの研究材料としてしか見ない、養父母を始めとするラボの研究員達の所為なのか。或いはその両方か。自分の精神の形成にあの未来の記憶が大きな影響を与えていることを認めざるをえない。その事実が、ルリの不安に拍車を掛ける。
 そのとき、ふと視線を感じてルリは顔を上げた。そして、そこに自分を見つめる優しげなアキトの視線を捕らえると、思わず頬を染めて俯く。が、すぐにもう一度顔を上げると、頬を染めたまま、作り笑いではない心からの笑みでアキトの視線に答えた。
 そうだ。何も不安に思うことなどない。このアキトの視線が自分に向けられている限り。他に何が必要だというのか?

 (ルリ……)

 ルリのはにかむような笑みにアキトの頬が緩む。ルリの顔から先程までの暗さが嘘のように消えている。アキトは内心胸を撫で下ろしながら、精一杯のやさしさを込めてルリを見つめた。
 昨日は自分の不甲斐なさの為にルリをどれだけ悲しませたか。そして昨夜のユリカとの一幕。ルリの様子がおかしかったのも、きっとそれが原因だろう。自分が態度をはっきりさせなかった為に、ルリに辛い役をさせてしまった。自分達が共有する「あの記憶」を考えれば、ユリカに辛く当ることがルリに罪悪感を覚えさせたであろうことは想像に難くない。

 (もう、悲しませない)

 アキトの握り締めた拳に力が入る。ルリのあの笑顔を守る。その為に自分は生きている。愛しげにルリを見つめながら、アキトは決意を新たにする。自分の命も、魂も、すべてはルリの為に。

 

 「で、艦長はまだなの」

 ルリとアキトがそれぞれの決意を再確認した丁度そのとき、耳障りな甲高い声がブリッジに響いた。

 「一時間前よ、一時間前。艦長たるもの、ブリッジでやらなきゃならないことは山ほどあるでしょ」
 「あの、一応僕でもできますし、ユリカも色々あるみたいですから。あ、レイナードさん、ドックへは海上からの発進であることを再度連絡しておいて下さい」
 「はーい。こちらナデシコ、こちらナデシコ。クレ・ドック、聞こえますか……」

 ムネタケ副提督の怒鳴り声に副長のアオイ・ジュンがおずおずと答えた。通信士のメグミ・レイナードへの指示も忘れずに。そのジュンの横顔をムネタケはじろりと睨むと、今度はプロスペクターに向かって言った。

 「じゃあ、始めちゃって頂戴。ともかく時間が勿体無いから」
 「はあ、ではお言葉に甘えて」

 どこか疲れた感じのムネタケに促されて、プロスペクターは、ごほんと一つ咳払いをすると、ブリッジにいるクルーの顔を一通り眺め回した。そして自分の集めたクルーに対する満足感からか、にこやかに大きく頷いて言った。

 「皆さん、昨日は予想外の襲撃のために急遽このクレ・ドックに寄港した訳ですが、今日、あと一時間弱で私達は出航します。ところで皆さん、その私達の、ナデシコの目的は何か、ご存知でしょうか」

 「目的って」
 「そういや、聞いてなかったな」

 プロスペクターの問いに、ミナトとウリバタケがそれぞれ呟いた。ユリカやジュン、及びフクベやムネタケといった制服組、そしてアキトやルリ、ラピス、イネス、ゴートといったネルガル所属者は別として、殆どのナデシコクルーは自分達の乗る艦の目的も知らないまま、プロスペクターの巧みな交渉によってナデシコへの乗艦を承諾し、提示された契約書にサインしていた。それも大抵は、それまで勤めていた仕事を止めてである。考えてみればおかしな話だ。自分の職場の目的とする所を知らないままに、わざわざ転職までしてしまったのだから。そこがプロスペクターの「交渉人」としての面目躍如というところか。

 「ナデシコの目的、それは」
 「か」
 『説明しましょう!』

 それまで沈黙を守って静かに座していたフクベ提督が突然立ち上がり、プロスペクターの言葉を引き取って喋ろうとしたその時、ブリッジ中央の空間に巨大なウィンドウが開き、押さえきれない喜びに満面の笑みを浮かべたイネス・フレサンジュが大映しになった。そして

 『3!』

 「え」

 ウィンドウからイネスの顔が消え、代わりに数字の3が、まるでクレヨンで殴り書きしたようなタッチで描かれる。それを見て、思わずルリが声を上げる。

 『2!』 

 「……おい」

 進むカウントダウンを見ながら、アキトが誰にとも無く呟く。今、目の前で何が起ころうとしているのか、彼は嫌というほど知っていた。あの、未来の記憶によって。

 『1!』

 『なぜなにナデシコ〜♪ わ〜い♪』

 「やっぱり……」
 「何でまたこのタイミングで」

 ルリとアキトは、三頭身にデフォルメされたユリカとラピスが乱舞するウィンドウを冷ややかに見つめながら、呆れたように呟いた。だが、ブリッジにいた他のクルー達は、突然の出来事に呆気に取られて声も出ない。ただ呆然とウィンドウを見つめているだけだった。

 『みんな集まれ〜!』
 『……集まれ』
 『なぜなにナデシコが始まるよ〜♪』
 『……始まるよ』

 いつの間にかウィンドウには、うさぎの着ぐるみに身を包み幼児番組のおねーさんのようなハイテンションではしゃぐユリカと、Tシャツにジーンズのオーバーオール、頭には緑色のツバ付き帽を被り、ユリカとは正反対にこれ以上無いほど低いテンションでそっぽを向いて呟くラピスが映し出されていた。

 

<<続く>>


<<次回予告>>

「うさぎ」と「おねーさん」の掛け合いによって明らかになるナデシコの目的。

艦内のおちゃらけた空気を他所に、新たな敵がナデシコを待ち構える。

戦いの始まりを告げる銅鑼が鳴り響き、そして「電子の妖精」が戦場を支配する。

次回、 〜紫苑 「君を忘れない」〜 『妖精(後編)』

を、みんなで読もう!

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<<後書き>>

皆様、こんにちは。みたっちです。

短いですね。半年以上も更新していなかったのに……。それに本当は「後編」の筈が「中編」……。

本当は「なぜなにナデシコ」を最後まで書いて今回は終了、と思っていたのですが、仕事の方が忙しくてとても書いてる余裕がないため、キリのいいところで切らせていただきました。

今回はユリカさんのフォローが半分を占めてしまいましたね。なんかフォローしとかないと、ユリカさんが艦長を降ろされるような展開になりそうだったので。で、ついでにユリカさんに「陰影」をつけて厚みを増してみましたが、なんかユリカさんじゃないみたいな。

という訳で『紫苑』第六話、如何でしたでしょうか。楽しんでいただければ幸いです。

次はいつ投稿できるか、ちょっと見当がつかないような状況ですが、投げ出すつもりはありませんので、どうか気長にお付き合いいただければと思います。

それでは、またお会いしましょう。


b83yrの感想

わ〜〜〜い。うさぎさんだぁぁぁぁぁぁ♪、ヾ(ーー ) オイオイ

でも、呆れさせるのもギャグの内ってね(笑)

まあ、ユリカが何時までも沈んだままじゃ、『いらないかんちょうさん』になっちゃいますし

それに、これ以上無いほど低いテンションのらぴは、見てみたいぞっ(笑)

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