機動戦艦ナデシコ ファレノプシスをあなたに

第1話


西暦2202年、9月。

月ネルガル支社の専用宇宙港、地球連絡用シャトルの搭乗ゲート前に、二人の男と一人の少女の姿があった。

「やっとその気になってくれて、こちらとしても助かったよ」

白いダブルのスーツをそつなく着こなした面長狐目の青年が、長髪を掻きあげながら軽い調子で言う。

「潮時だろう。ラピスのこともあるしな」

収まりの悪いぼさぼさの髪を掻きながら、もう一人の青年が答える。彼は狐目の青年とは対照的に、掛けているサングラス、着ているTシャツ・ジャンパー、そして穿いているデニムパンツまで全て黒色に統一している。
その隣では、桃色の髪を腰まで下ろした白いワンピースの少女が無言のまま顔を上げて、金色の瞳を黒ずくめの青年に向ける。
青年は少女の視線に気付くと、そっと手を伸ばして優しく少女の頭を撫でた。

「まあ、確かに潮時だね。これ以上あのお姫様を待たせたら、うちも庇いきれなくなるところだったからねぇ。何せ、父親のコネで宇宙軍から圧力を掛けてくるんだから。ウチとしても最上得意様との仲を悪くする訳にはいかないからね」

長髪の青年は肩を竦めておどけて見せた。その声に、それまで隣の青年に頭を撫でられて気持ちよさそうに目を閉じていた少女が、うっすらと目を開けると冷ややかな視線を声の主に向けてぼそっと呟いた。

「アカツキ、よく言う。それを待ってたくせに」
「はっはっは、適わないな、ラピス君には」

長髪の青年、アカツキは手を頭に当てると声を上げて笑った。

「まあね。どうやって君達を社会復帰させようかと無い知恵を絞っていた所だったからね。ま、渡りに船、といったところかな」

アカツキは軽い口調のまま笑顔を崩さず、手振りを交えて話し続ける。だがラピスは、アラスカのブリザードもこれほどと思えるような冷淡な眼差しでアカツキを睨む。

「それも嘘。向こうから言ってくるように仕向けたのはアカツキ」
「いや、キツイなぁ」

アカツキは被ってもいない帽子を脱ぐ真似をすると、今度は皮肉混じりの口調で話し始めた。

「そ、ラピス君のおっしゃる通り。上手く利用させてもらったよ。でも、そのお陰でテンカワ君はもう犯罪者じゃないし、ラピス君も地球市民権を取得したし。これからは大手を振って外を歩ける訳なんだから、もう少し感謝の意を表してもらってもよさそうだけど」
「すまない。本当に世話になった」
「アキト」

テンカワと呼ばれた黒ずくめの青年は、ラピスを撫でる手を止めると、サングラスを外してアカツキに頭を下げた。ラピスは青年の名前を呼ぶと、その手を強く握り締める。

「おいおい、よしてくれよ。ギブ・アンド・テイク。君と僕の間にはそれしかない筈だよ?君は新型機動兵器のテストやボソン・ジャンプ実験に協力した。僕は君に復讐のための力を与えた。それだけさ。今回のことは、まあボーナス代わりと思ってくれればいい」

アカツキはアキトが頭を下げたのに驚いて細い目を見開くと、手を振ってアキトの礼を拒否し頭を上げさせた。そして皮肉っぽく口の端を歪めると、一層軽い口調で言う。

「まあ、犯罪者じゃなくなったって言っても、それは警察や軍が捕まえに来なくなったってだけだし。君の命を付けねらう奴の一人や二人は現れるかも知れないけど、そこまでは面倒見れないから自分でやって。それから」

アカツキはにやりと笑うとアキトの顔を悪戯っぽい目で覗き込む。

「別の意味の「刺客」も来ると思うけど、まあそっちの方は、そろそろ態度決めないとまずいんじゃないかい?」

アカツキの言葉にアキトは苦笑した。そして何かを言い返そうとした時、シャトルへの搭乗を促すアナウンスがゲート前のロビーに流れた。

「アキト、そろそろ」
「ああ、そうだな。じゃあ、アカツキ」

ラピスがアキトのジャンパーの裾を引っ張る。アキトはラピスに頷くと、その手を引いてゲートに向かった。その二人の背中に向けて、アカツキはおどけた調子で声を掛ける。

「はいはい。地球に行ったら寄らして貰うよ。あっと、聞いてると思うけど、これからは君は正式にうちのテストパイロット。つまりネルガル重工の正社員だから。」

アカツキの声にアキトは足を止めて振り返ると、小さく頷いた。そして再び踵を返し、ラピスと共に搭乗ゲートの中へ消えていった。

 

 

「ふう」

送迎ロビーの窓から遥か遠くに太陽の光を反射して輝くシャトルの後姿を見送り、アカツキは小さく溜息を吐いた。そしてロビーの奥のカウンターに歩み寄ると、中で暇そうにしている店員に声を掛けた。

「君、ドライマティーニを一つ」

店員はのろのろと、しかし手馴れた手つきで注文されたカクテルを作ると、アカツキの前のカウンターに無言で置いた。アカツキはそのカクテルグラスを取ると、窓の外に向かってグラスを軽く上げた。

「ではテンカワ君。君の新しい門出を祝って」

そして一息にグラスをあおると、しばらく余韻に浸るように窓の外を眺めていたが、ふと何かを思い出したのか、悪戯っぽい目つきに戻って呟いた。

「さてと。後はあの二人次第だね。昨日は昨日、そう気付くことができるかな」


話は少し遡る。

西暦2202年、7月下旬。

月と地球のほぼ中間の宙域を、地球に向けて航行する艦隊があった。
一隻の戦艦と二隻の巡洋艦、及び五隻の駆逐艦からなるその小規模な艦隊は、現在月・地球間主要航路の哨戒任務に当たっていた。
艦隊の旗艦ナデシコCは、白を基調とした色合い、両舷より大きく艦前方へ突き出た可動式ディストーションブレード、艦首に口を空けるグラビティブラストといったその独特のフォルムと、史上最年少・美少女・先のクーデター未遂事件の英雄等など、様々な意味で有名な艦長の存在で知られていた。

そのナデシコCの艦長室では、部屋の中央に据えられた卓袱台を挟み妙齢の女性が二人、向かい合ってお茶を啜るという、宇宙戦艦内としてはなかなかシュールな光景が展開していた。
二人の内一人は黒髪を腰まで伸ばし、健康的な顔色に白い士官服が映える20代前半の女性。大きなやや子どもっぽい、表情豊かな目が印象的な、連合宇宙軍第4艦隊所属、ナデシコC副長ミスマル・ユリカ中佐。
もう一人は青みがかった銀色の長い髪をツーテールに纏め、やや病的なまでに白く透き通った肌の、女性というよりも少女。同じく白い士官服を身にまとい、自然にはあり得ない金色の瞳に理知的な光を宿す、連合宇宙軍第4艦隊所属、ナデシコC艦長ホシノ・ルリ中佐。

「アキト、今ごろ何してるかなぁ」

ユリカは頬杖をつき、溜息交じりに呟く。その声に、ルリはユリカの顔を一瞥すると、両手で包むように湯飲みを持ち、中の緑茶を一啜りした。そして、この艦のメインコンピューターであるスーパーAI「オモイカネ」を呼ぶ。

「オモイカネ」
『ミスマル・ユリカさん、あなたのその問いは本艦乗船以来377回目です』
「ありがとう」
「ぶう〜」

ユリカの目の前に緑色のウィンドウが開き、オモイカネのメッセージが表示される。ルリはウィンドウを一瞥すると一言オモイカネに礼を言い、また湯飲みからお茶を一啜りする。ユリカは小さな子どものように頬を膨らませると、頬杖をはずして顎を卓袱台に直に乗せ、ルリに恨みがましい視線を向ける。

「ルリちゃんは気にならないのぉ?」
「何がですか?」

ルリは湯飲みを置くとユリカには目を向けず、脇の小皿に乗った栗羊羹を楊枝で刺し、艶やかな愛らしい口へと一切れ運ぶ。
ユリカも自分の小皿に手を伸ばすと、乗っていた栗羊羹を鷲掴みにして全部を口に放り込んで身を乗り出す。

「ひゃにがっへ、む!?ぐ、うー、うー」

ユリカは羊羹を頬張ったまま何かを喋ろうとしたが、すぐに目を丸くして唸り出し、胸を叩き始めた。
ルリは何事もないかのように目を閉じて口を動かしていたが、やがて喉を小さく鳴らして羊羹を飲み込むと、おもむろに急須を取って、空になったユリカの湯飲みに出がらしのお茶を注ぐ。そして、顔を真っ赤にしてもがくユリカの前に静かに差し出した。

「ユリカさん、お茶」
「むー、むー」

ユリカは差し出された湯飲みを引っ手繰るように掴むと、ごくごくと喉を鳴らしながら一息にお茶を飲み干した。

「はー、死ぬかと思った」
「勘弁して下さい。戦艦の中で羊羹を喉に詰まらせて死んだ、なんて恥ずかしすぎます」

肩で息をしながら安堵の溜息を漏らすユリカに、ルリは冷ややかな視線を投げる。ユリカは息苦しさと気恥ずかしさから頬を少し赤く染める。

「だってぇ」
「そういうのは、せめて私の乗っていない艦でお願いします」
「ぶう〜」

ユリカが反論しようと開いた口を言葉で塞ぐと、ルリは、急須から出がらしのティーパックを取り出して新しいものに入れ替えお湯を注ぐ。そして自分の湯飲みに淹れたてのお茶を注ぐと、口を可愛らしく尖らせて息を吹きかけて冷まし始めた。ユリカも、こちらは言いたいことも言わせて貰えず拗ねた子どものように口を尖らせる。

「やっぱり月に着いたとき、アキトに会いに行けばよかった〜」

卓袱台に突っ伏して溜息混じりにユリカが言った。ルリは目を閉じて新しいお茶を一啜りしたが、まだ熱かったらしく眉根を寄せて小さく下を出す。

「懲りませんね。もう2回もエリナさんに門前払いにあったのに」

ルリの半分呆れの混じった口調に、ユリカは顔を上げて反論した。

「三度目の正直、って言うじゃない。今度は会えたかもしれないよ」
「この場合、二度あることは三度ある、が正しいかと」
「ルリちゃん!」

言うこと言うこと、悉くルリに否定され、ユリカは遂に癇癪を起こして立ち上がった。だが、ルリは特に気にする風もなく、あらためて冷ましたお茶を静かに啜る。

「もう、一体何時になったらアキトを追いかけるのよ」
「追いかける?」

問い詰めるユリカに、ルリはきょとんとした顔で目を瞬かせた。そのルリの態度にユリカは一層苛立って、卓袱台の向こうから身を乗り出し、ほとんどルリの鼻の頭に自分の鼻が付くぐらいまで顔を近づかせる。

「帰ってこなかったら追いかけるまで、って言ったのはルリちゃんでしょ。もうあれから一年も経つのに、アキト全然帰ってこないじゃない。どうして追いかけないの」

顔のすぐ近くで大声を出されて、ルリは思わず耳を塞いで顔を背けた。

「もう、ルリちゃんってば!」

肩を掴んでがくがくと揺するユリカの手を静かに払うと、ルリは内ポケットからハンカチを取り出し頬を拭う。

「あんまり興奮しないで下さい。唾が飛びます」

ルリはそう言って立ち上がると、未だ自分を睨みつづけるユリカに背を向け、部屋の奥、ベッドの横に据えられた私用デスクの前に座る。そしてメーラーのウィンドウを開いてメールチェックを始めながら言葉を続けた。

「もう一年も経つって、まだ一年しか経ってないじゃないですか。アキトさんが心の整理をつけるにはもっと時間が必要だと思います」

そうして一通りメールをチェックし終わると、椅子を回転させてユリカの方に身体を向け、真剣な眼差しでユリカを見つめる。

「私は待ちますよ。アキトさんの心の整理が終わるまで。五年でも十年でも」
「じゅ、十年!?」

ルリの言葉に、ユリカは慌てた。

「う〜、十年も経ったらユリカ、おばちゃんになっちゃうよ〜」
「私はまだ二十代ですから」

澄ました顔で言うルリに、ユリカは焦りを感じ始めた。

(やっぱりルリちゃん、アキトのことを。でもアキトの奥さんは私なんだから。う〜、でも、アキト、戸籍上死んだことになってるし〜。法律上は婚姻関係も解消されてるし〜。む〜)

心に湧き上がる不安に、視線を泳がせるユリカ。そして黙って自分を見つめるルリと目が合う。相変わらずその表情からはルリの内心を伺うことは難しいが、ユリカにはルリの視線の奥に自分に対する優越感が隠れているように感じられた。

(そんな、そんな。このままじゃ、ルリちゃんにアキトを取られちゃうかも。ナデシコAに乗ってたときも、三人で暮らしてた時も何かとアキト、ルリちゃんの世話を焼いてたし。料理の味見はいつもルリちゃんだったし。あうう〜。ううん、信じるのよ、アキトを。アキトは私のことが好き。アキトは私を助け出してくれた。昔どおりの私の王子様!)

きっとルリの瞳を見返すユリカ。それを眉一つ動かさず受け止めるルリ。暫くにらみ合った後、ユリカは勢い良く立ち上がると右手を伸ばしてびしっとルリを指差した。

「指、ささないで下さい」

ルリは眼を細めて不機嫌な口調でぼそっと呟く。だがユリカは構うことなくルリを指差したまま言った。

「ルリちゃん!負けないからね。アキトは私のだんな様なんだから!」

そして両手を胸の前で組むと、遠くを見るような目つきで言った。

「待ってて、アキト。あなたの奥さんのユリカがきっと貴方を帰って来れるようにしてあげるから!!」

ユリカはアキトの名を連呼しながら、足音やかましくドアから走って出て行く。ルリはその後姿を黙って見送ると、机に向き直りIFS端末を操作してウィンドウを一つ表示した。そこには自室に戻ったユリカが通信端末に向かって操作している姿が映っていた。

『ルリ、それはプライバシーの侵害です』

ウィンドウが開き、オモイカネがルリの行為をたしなめる。

「問題ありません。艦長として、クルーの問題行動を監視する義務があります」

ルリはそう言うとユリカの映るウィンドウに視線を戻す。オモイカネのウィンドウには『問題行動?』『犯罪!』『私はお前をそんな子に育てた覚えは無い』などといったメッセージが次々と表示されるが、ルリはそれらを悉く無視した。そしてユリカの向かっている通信ウィンドウにユリカの父、連合宇宙軍総司令ミスマル・コウイチロウの姿が映ったのを確認すると、そのウィンドウを閉じて新規メールのウィンドウを開く。

『お姫様は王様に泣きついた』

本文にそれだけ書くと、ネルガル重工会長秘書エリナ・キンジョウ・ウォン宛に、最高セキュリティレベルの暗号化を掛けて送信した。

「あとは、良い者だか悪者だか分からない人次第、か」

ルリは背もたれに身を預けると、誰にとも無く呟いた。

「アキトさん」

 

【続く】

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<<後書き>>

こんにちは、みたっちです。『紫苑』も終わってないのに性懲りも無く新連載です。

今度は少々長くなる予定です。『紫苑』と交互に更新していくことになります。

では、次は『紫苑』で会いましょう。

 


b83yrの感想

>>(そんな、そんな。このままじゃ、ルリちゃんにアキトを取られちゃうかも。ナデシコAに乗ってたときも、三人で暮らしてた時も何かとアキト、ルリちゃんの世話を焼いてたし。料理の味見はいつもルリちゃんだったし。あうう〜。ううん、信じるのよ、アキトを。アキトは私のことが好き。アキトは私を助け出してくれた。昔どおりの私の王子様!)

これってアンチユリカの人達には今回一番カチンとくる台詞かも

公式のアキトの相手役はユリカだし、『ユリカ×アキトがちゃんと納得出来ていれば』そんなに気にならないんだろうけど

ユリカ×アキトがちゃんと納得出来てない、拒絶や反感すら抱いている人には、『身勝手な独りよがり』にだってみえてしまうんだろうなあ

でも、もしかしたらこれってユリカ派の人達から見れば、ユリカが可愛いと思う台詞なのかもしれない

同じ台詞を言っても、『ユリカ×アキトが納得出来ているかどうか?』って前提が変われば、評価は180度変わってしまう事もある訳で

言っておくけど、公式カップリングがユリカ×アキトである以上、『横恋慕してるルリの方が身勝手』なんだからね

でも、『いや、確かに言われてみればその通りなんだけど・・・何だろう、この納得の出来無さは?』ってくっ付けれられ方をしちゃってるのが本編のユリカ×アキトだから困る

『公式カップリングを公式カップリングらしく扱う』事を、これほど悩ませる作品って他にあるんだろうか?(遠い目)

どうも、自分でもSS書いてると、読者の視点じゃなくて自分でもSS書いてる人間の視点で物をみてしまう

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