注 この作品は15歳未満閲覧禁止です
〜マダム・ビオレ〜
人里離れた森の奥に建つ一軒のコテージ。普段ひっそりと人の気配の無いその建物の、隅の部屋の窓に灯りがともる。電気の光ではなく、油を使ったランプのものと思われるぼんやりとした光を背に、小柄な女のシルエットが浮かぶ。
その女は窓辺に立つと、ガラス窓を押し開けて身を乗り出し夜空を見上げた。
「やはり、曇ってますね」
一糸も纏わぬ生まれたままの姿に、腰のあたりまで伸びる銀色の髪が夜風に揺れる。独特の琥珀色の瞳はつい先程までの情事の余韻か心もち潤み、白磁の肌はうっすらと桜色に上気している。
「まだ梅雨だからな。七夕とは言っても、天の川を見るのは難しいさ」
部屋の奥のベッドで、身体を半分起こしながら一人の男が女に答える。その声に女は振り向くと、窓にもたれながら気だるげに尋ねる。
「何か飲みます」
男は少し思案すると、起こした身体を再びベッドに沈めて言った。
「スコッチ。ダブルで」
女は棚からスコッチの瓶とグラスを一つ手に取ると、それらをサイドテーブルの上においてキッチンへと入っていった。
「ストレートでいいですか。氷、まだできてませんけど」
女がキッチンから問い掛けると、男は意味ありげな笑みを浮かべて答える。
「ああ、構わない。『飲み方』はいつも通りで」
女はキッチンから出てくるとスコッチをグラスに注ぎ、それを『いつも通り』に一口含んでベッドに登る。そして仰向けに横たわる男の身体に馬乗りに跨ると、ゆっくりと顔を男の顔に近づけ唇を合わせる。
男の喉が上下し、唇の端から琥珀色の液体が零れてシーツに染みを作る。女が口に含んだスコッチを全て飲み干すと、男は女の細い首に両腕を回して抱き締め、唇を貪るように合わせると、舌を相手の舌に激しく絡ませる。
部屋の中を二人の舌を絡める音と漏れるような息の音、そしてベッドの軋む音が支配する。数分もそうしていたか、やがて男が女を抱き締めたままごろりと転がり、女を下にすると身体を起こした。
男はくせの強い髪を軽くかきあげると、その手でやさしく女の頬を撫でる。女はその手を捕らえ、男の指を自分の口元に持ってくると、その人差し指を口に含んで吸い始めた。男は、さも愛しげに自分の指を吸い、舐め、しゃぶる女を優しく見つめながら、その名前を呼ぶ。
「ルリ」
女は丁寧に男の指を舐めていた舌を止めると、上目遣いに男を見る。男は、ルリの唇にそっと自分の唇を合わせ、そのまま首筋へと舌を這わせていく。ルリは目を閉じると、時折小さく身体を痙攣させながら、その快感を僅かでも感じ漏らすまいと男の舌の動きに意識を集める。
「アキト、さん」
半開きになったルリの唇から男の名が漏れる。男―アキトはルリの首筋に顔を埋めたまま、その声に答えるように左手をシーツの奥へと滑らせる。その瞬間、ルリは大きく背を反らせ声にならない呻きを漏らす。
それから暫くの間、二人の睦みあう音、ただそれだけがこの小さなコテージを満たしていた。
ルリはアキトの胸に顔を埋め、ゆっくりとなぞるように右手の人差し指を彼の首筋から鎖骨、そして胸へと滑らせている。アキトは目を閉じてそのくすぐったいような快感を楽しみながら呟いた。
「何度目になるのかな」
アキトの呟きにルリは指を止めると、その潤んだ琥珀色の瞳をサイドテーブルのグラスに向けて、独り言のように答える。
「今日で、7度目です」
「そうか」会うたびに繰り返される、儀式のような問答。問うのは決まってアキト。答えるのは必ずルリ。
「最初は、こんな風になるつもりは無かったんだがな」
そう言ってアキトはルリの絹糸のように細く滑らかな髪を撫でる。4度目の逢瀬から、必ずアキトが漏らす言葉。言い訳のような、後悔のような、照れ隠しのような。ルリはグラスを見つめたまま、小さく円を描くようにアキトの胸で指を動かす。
「私は、望んでいました。貴方に抱き締めてもらうことを。貴方に口付けてもらうことを。貴方に愛してもらうことを。貴方に」
ルリは言葉を切ってアキトを見上げる。そして、いつの間にか目を開けて自分を見つめていたアキトの視線に、自分の潤んだ琥珀色の瞳を絡ませて言葉を続ける。
「貴方に、女にしてもらうことを」
ルリの視線に誘われるように身を起こすと、アキトは両手をルリの脇に通し、その白磁の頬を桜色に染めた顔が自分の顔の上にくるように引き上げた。そしてそのままルリの唇を自らの唇で塞ぐ。
ルリはしばらくアキトのなすがままに唇を合わせていたが、やがて静かに唇を離すとアキトの耳元へ顔を埋め、微かに皮肉な響きを含んだ声で呟いた。
「でも、決して叶うことの無い願いだと思ってましたけど」
アキトは身体を横向けると、シーツに埋もれているルリの顔にそっと手を添えて自分の方へと向ける。そして、その目鼻立ちの整った顔をじっと見つめる。
「また、綺麗になった」
アキトの言葉にルリは頬を赤く染めると、恥ずかしさに思わず目を反らした。アキトはルリを見つめたまま頬に添えた手を耳元へと滑らせ、豊かな銀髪から可愛らしい耳朶を探し出すと、その凹凸に沿ってゆっくりと指を動かす。ルリはくすぐったさと快感のない交ぜの中で身をよじり、目を閉じると小さく口を開いて切なげな吐息を漏らす。
「本当に、会う度に、ルリは綺麗になる」
アキトの執拗な愛撫にルリは次第に息を荒くしながら、潤んだ琥珀色の瞳を開いてアキトに向けて言葉を紡ぐ。
「一年に一度、七夕の逢瀬。本当に、牽牛と織女みたい」
そう言うとルリは再びアキトの胸に顔を埋めた。アキトは耳朶への愛撫を止めると、強く抱き締めれば折れてしまいそうなほど華奢な背中にそっと腕を回す。ルリは、既に知り尽くしている筈のアキトの胸の感触を確かめるように頬を摺り寄せて言う。
「牽牛と織女が年に一度しか会う事が許されないのは、愛に溺れて働くことを忘れた罪から」
ルリは顔を上げてアキトの瞳を覗き込む。
「なら、私たちの罪は」
アキトはルリの琥珀色の瞳の直視を正面から受け止めると、ルリが期待している答えを、小さな、しかしはっきりとした声で告げる。
「互いに愛し合ってしまったこと」
ルリは心の中で今聞いたアキトの言葉を反芻する。アキトが自分を愛している。もし出来るなら、このまま二人で命を終わらせてしまいたい。ルリはまたアキトの胸に顔を預け、うっとりとした表情を浮かべて目を閉じた。
「愛し合う」
その言葉はルリにとって至福の言葉。決して自分には許されないと思っていた、いや、今も思っているアキトとの相愛。自分はアキトの義娘だから。アキトの相手は「あの人」でなければならないのだから。そう自分に言い聞かせて、もうアキトには会うまいと、何度考えたことだろう。だが七月七日が近付くにつれ、そんな思いは嘘のように姿を消し、気付けばアキトに会えるその日を指折り数えて待っている自分が居る。そんな自分に嫌悪感を抱きつつ、毎年ルリはこのコテージを訪れる。アキトとの一夜を過ごすために。
アキトはルリの幸福感に満ちた表情を複雑な表情で見つめていた。
始まりは「同情」のはずだった。関係者の都合で一日早く開かれたルリの17歳の誕生パーティ。そこから戻ってきたアカツキが独り言のように言った言葉。
『あれは、誕生日を迎えた17歳の少女がしていい表情じゃないよ、うん、断じてない』
その言葉に動かされ、気が付けばアカツキが準備したこのコテージでルリと会う段取りが出来上がっていた。
「魔が差した」
世間ではそういうのだろう。墓地での再会以来、頑なに会うことを拒否してきた少女との、二人っきりの逢瀬。それが自分にとって、ルリにとって、どういう意味を持つことになるか、決して予想できなかった訳ではないというのに。ほぼ一年ぶりに会ったルリは、少女の可憐さの中に女性の艶やかさが見え隠れする、魅力的な「女」に成長していた。アキトはその晩、ルリを抱きこそしなかったが、同じベッドの上でルリの髪を撫でているうちに、今まで押し殺してきた想いが首をもたげて来るのを感じていた。
離したくない。
ずっとこうしていたい。
できることなら、一緒に暮らしたい。
そのたびにアキトは激しく被りを振った。だが、悲しげに自分を見つめる琥珀色の瞳に気付くと、そっとその肩を抱き締めていた。そして気付けば翌年の逢瀬を誓い合っていたのだった。
会うたびに美しくなるルリに心動かされつつも、アキトは懸命に自分に言い聞かせた。ルリは自分の義娘だとか、自分には既に妻がいるとか、そんなことはアキトにとって重要ではなかった。それよりも、自分と一緒になってルリが幸せになれる筈が無い、そのことの方が重要だった。自分は、理由はどうあれ、大量殺人者なのだから。そんな男がルリを幸せにできる筈がないのだから。そう思いつつ、気が付けばいつも翌年の再会を約束している自分が居る。なら会わなければいい。約束など破ってしまえばいい。そうは思うのだが、ただ一人、深い森の奥の誰も居ないコテージで一人自分を待つルリの姿を思い描くと、そんな決心は脆くも崩れ去ってしまう。そしていつの間にか、ルリに会えるその日を指折り数えて待っている始末。あまりに意思の弱い自分を情けなく思いつつ、毎年アキトはこのコテージを訪れる。ルリとの一夜を過ごすために。
いつの間にか二人は再び互いの身体を貪るように求め合っていた。明日になれば、また離れ離れにならねばならない。ルリは日の当たる表の世界へ、アキトは日の当たらない裏の世界へ。互いに生きる世界が違うことを知っている。もし、明日も共にいられるとすれば、どちらかが生きる世界を変えねばならない。そして、アキトが表の世界へ戻ることは・・・。
『連れて行ってください』
『一緒に行こう』
互いに喉元まで出かかっている、でも決して言えない言葉。それが分かってしまっているから、二人の情事はより激しくより深く、幾度も飽くことなく互いを求め合う。来年の今日まで、互いの温もりを、互いの思いの熱さを忘れてしまうことの無いように。
7月8日の、夜明けがくるまで。
<< Fin. >>
後書き
皆様こんにちは、みたっちです。
初めて書いた「ホシノルリ生誕記念SS」が『これ』です。如何でしたでしょうか。
R15は確定ですから、果たして『び〜のHP』に掲載していただけるか、正直不安ですが(汗)。
一応、タイトルについて補足。マダム・ビオレ(Madam Violet)は薄紫色の花がポピュラーなバラの一種です。花言葉は「背徳」。
では、また連載の方でお会いできることを。
b83yrの感想
ルリって、本来、アキト争奪戦には参加すらしていなかったキャラなのに、こういうシリアスな不倫物とか似合います
むしろ、参加すらしていなかったからこそ、こういう話が似合うのかもしれないけど
男って、このルリみたいな態度とられると、結構弱い人多いんですよねえ
所で、ちと気になった事
アキトってユリカの元に帰っていてルリとも関係を持ってるんだろうか?、それともユリカの元には返らないで、ルリとだけ関係持ってるんだろうか?
私は、ユリカの元には帰っていないように感じたけど
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