数々の火星に散らばるモニュメント。

それは人類に在らざる種の痕跡にして、古代火星人と呼ばれる者達の築いたアーティファクト。

はるかなる昔に築かれた文明の残滓。

総じて地球人類は”遺跡”と、木連市民は”都市群”と、その文明痕跡を呼ぶけれど呼び名はどうあれ、それらは同一の文明の痕跡。

そして悠久のときの果てに、その残滓に触れた事こそが、きっと、すべての始まりのとき。

最初にそれに触れたのは、故郷を追われ、赤き星に足を踏み入れた流浪の人々。

生きるため、知らずに口にしてしまったのは、きっと、知恵の林檎の果実。

だから押されてしまったそれは、罪人の烙印。

日々の暮らしは楽ではなかったけれど、それでも故郷を追われた人々は得る事が出来た。

それは安息の地。

けれどその安息の地すらも、彼らは手放さざるを得なくなる。

放たれたプロメシュールの火によって大地を追われ、生きるために、だから再び彼らは旅立つ。

出来得るかぎり復元して見せた、火星に散らばる文明の残滓を使って。

彼らは跳ぶ。

はるかな彼方、ゼウスの地へと。

一途の希望と怨念とを、その胸に抱いて。






































それから一世紀後、”僕たちの”戦争は始まった。





































やがて知る。

人類の敵が、いつしか故郷を追われた同じ人類である事を。

やがて理解する。

その人々の末裔が築いた木連の戦争目的が、もはや復讐ではなくなっいたことを。

戦い理由が、火星の北極冠の厚い氷壁の下に眠る文明痕跡の恩恵の最たるモノ、その”遺跡”の奪い合いへとなっていったことにも。

それでも戦いは続く。

けれど、その渦中に息吹を上げた異端の者たち。

その望み、純粋なまでに愚かしく、けれど無垢なほどに一途。

声、高々と、『自分らしく』と、彼ら彼女らは歌い踊る。

裏切られ、また打ちのめされて、それでもなお起き上がり、再び夢に踊りて、道化師たちは歴史を刻む。

それは御伽噺のように優しくて、泡沫のようだったけど、夢のような楽しい時間。

そんなまどろみの中、小さな偶然を、ただ積み重ねていく。

幾つも幾つも育み育て、その果てに、戦争を終結へと導く希望の萌芽は芽吹いていて。

そして認めがたいことだけれど、挙句、異端にして道化師たちの『自分らしく』が、戦争を終わりへと導いてしまっていた。

そのことだけは、揺るぎない事実。






そして2198年3月某日。

その日、火星の北極冠遺跡の直上で三つ巴の戦闘が起こる。

その”遺跡”の最深部でひとつの物語があった。

叶ったのはわずかな再会の時間。

そして、その代償は長い離別。

その戦いと物語を経て、淡い光の時空粒子を振りまきつつ、火星の軌道上に一隻の船が出現する。

その船が懐に抱えるのは、古代火星人の遺跡の重要なピース。

戦争の原因である火星の北極冠の”遺跡”の最深部に置かれていた演算コア。

三つ巴の戦闘の最中、誰よりも早く手にした、それは戦争の原因。

地球と木連の、その双方の手に”遺跡”のコアが渡らないようにするために、彼ら彼女らは一つの答えを見出した。

それは遠く外宇宙へと廃棄すること。

その運び手として選ばれたのは、有名な地球側の相転移エンジン搭載型機動戦艦の一号艦。

戦争の中期に就航し、蛮勇、悪名をほしいままにした、それは”ナデシコ”という船。

その船が向かう先、それは人の手の届かぬ、はるかな彼方。

そして各惑星の公転軌道に干渉されない位置、太陽系の上の方向へと艦首を向ける。

巡行の比ではない最大戦闘速度の加速を開始し、すぐさま惑星間航行速度へと移行。

そしてして瞬く間に火星宙域から離脱し、去り行く、ただ一隻の艦影。

後年、たった一隻で戦争を終結へと導いてしまった船として名を馳す”ナデシコ”の、肉眼で見たそれは最後の姿。

見届けて、切り離した第二船体は反転し、道化師たちも地球への帰路へと着く。






































ただひとりの残留者を、赤き星にミスマルユリカを残したままで。






































でも大丈夫、死んでないから。





































どっこい、ミスマルユリカは生きていて、そればかりか木連でのクーデターにも参加していたりするし。






































・・・・・・いや、嘘ではないよ。



































嘘ではないその証拠に、その辺りの詳しいお話は、ごく普通に教科書やら歴史書とかに記載されている事柄。

けれどその顛末の詳細な説明を求められると、ちょっと困る。

それは資料的にも膨大で、またこの事象に平行しつつ、別途に関連してくる事項も多いためだ。

だから嫌でもお手数でもご面倒でも、その詳細とか顛末を知りたければ個々で近代歴史書を2、3冊は紐解いて読み比べ、
そして相互比較したり咀嚼する必要性が出てくる。

歴史とは本来、その前後を踏まえて説明しなければならない事柄が多く存在するのだが、歴史書で語られる際には『その行動』と
『こうなった今』のみとなってしまうことが多い。

そのため、多くの歴史書の類には何故そうなったかというような手掛かりが、自然と欠落してしまっている場合がある。

いつの世も、語り継がれるそのすべてが真実だとは限らない。

だから、まずは疑う事から始めるべきなのだ。

探究心と好奇心を満たそうとするなら、それなりの努力はいつだって必要不可決。

だから、ま、頑張れ。

もちろん難しい話は苦手という方や時系列の整理程度を望むのならば、架空戦記書あたりでも十分だと思われるし、
今日では映像化されたドラマも多数存在するから、そちらを目にするでも良いと思う。

でもね、そこに到るまでのヒロイックな展開は、数多ある架空戦記書だけが語る創作。

希望と願望を、意識してかあるいは無意識でか混同させ、様々な尤もらしい理由を作り出し、耳ざわり良く、
幾分ドラマティックな解説や解釈を伴った作品へと仕上げていく、それが架空戦記と呼ばれるもの。

別段、個々の解釈のしかたは自由だけど、でも問題点はそういった著作、作品、視覚映像に無為に慣られていく側に多くあって。

真実を知らないものが流した噂を、知らないからこそ鵜呑みにしてしまう過程で、受け止める側に副次的に無意識的に
偶像化の複製現象を発生させてしまう。

これは虚像化、偶像化の開始への基本的なプロセスであり、ほぼ例外なく虚像と史実の換骨奪胎の儀式でもある。

つまり、何を況やかというと『何故ミスマルユリカが火星にひとり取り残される羽目になったのか、その真実をご存知だろうか?』と
問うてみると、この質問には言葉に詰まる方々も多いということだ。

もちろん答えてくれる方々はいた。

けれど不思議とその答えの殆どが、ミスマルユリカという人物を幾分美化して捉える傾向にある架空戦記書を引用した答えとなる。

残念だろうが、これは共通の認識においての模範的解答ではあっても、正解ではない。

ちなみに前出の質問状況は、簡単かつ一言で説明すると、
『一方的に想いを寄せていた年下の幼馴染の少年がキスしてくれなかったから、癇癪を起こして艦長としての職務を責任放棄し、
機動兵器に乗って戦火の中に飛び出していった』と、こうなる。

疑念を抱く方も多いと思われるし、現在の世間が認識しているミスマルユリカに対する人物像とは大きく異なっているが、
これが正解。

そして、ゆるぎない公式解にして、最適解。

嫌でもお手数でもご面倒でも個々で近代歴史書を2、3冊は紐解いて読み比べる事をお勧めした理由、それは、
自らの知りうる情報とは必ず欠けた情報が存在している情報であり、その穴埋めに個々の解釈が都合よく適応されて、
混濁してしまっている情報であるからだ。

だから自分自身で咀嚼して相互比較する必要性があるために、お勧めしをさせていただいたのだ。



では実際のミスマルユリカとは如何なる人物なのだろうか?

この問いが”蜥蜴戦争”当時のミスマルユリカという人物を指し示すのであれば、『どういった理由でかは不明なのだが、
物事のすべてを一方的に想いを寄せていた年下の幼馴染の少年を中心として思考する人物』という形で処理できた。

もっとも、それはもう思考と言うよりも、カテゴリー的には、妄想とか執着とかに分類されると言っても過言ではない。

酷く失礼な言い分ではあるが、けれど、それはそれでミスマルユリカという人間を端的に表す言葉には間違いないわけで。

実際、ミスマルユリカという人物が年下の幼馴染の少年に向けていた感情は、間違いなく執着に分類されるものだったのだと
日頃の言動からも推察する事は出来た。

例えば『アキトはわたしが好き』と言う言葉も、『私はあなたがこんなにも好きだから、あなたも私を好きになれ』という、
ある種の無自覚な恫喝、または脅迫の言葉の繰り返しであることが理解できると思う。

その事からも、日常的に繰り返されていた言葉の、その殆どが、相手の意思を無視した身勝手な意思の押し付けであった事に
疑いの余地は無く、だから執着という言葉の表記は意味的には的確な表現だとも言えた。

そしてこれらの情報、及びミスマルユリカの性格的評価とを統合し判断してみると、
『こと年下の幼馴染の少年が関わる事では、視野が恐ろしいほど極端に狭まる』傾向が非常に強いことが確認できた。

これは同様のケースが、それ以前からのミスマルユリカの艦長職に対する内部査定評価の項目からも多数抜粋する事が出来る
ことから、その信憑性はきわめて高いと思われる。

つまり『艦長職を放り出してしまった』事に対して、彼女には責任を放棄したという感覚が存在したか?と考察してみると、
恐らくは欠片すらも抱いてはいなかったのではないか?と結論づけられるのだ。

そして、だからこそと理解できる事柄もあった。

たとえば、全人類の生殺与奪権が知らぬところで、それが一時にしろ、ミスマルユリカという一個人の手にゆだねられてしまって
いたというその事実を、どれ程の人が知っているのだろうか?

けれど知らぬからこそ、そして知っていたとしても、喉もと過ぎたからこそミスマルユリカという人物を
平然と偶像化する事が出来るとも逆説的にはいえるのだろうか?

ともかく、そんな人間だからこそ暴挙を、遺跡を破壊して”タイムパラドクス”を引き起こさせようというような傲慢な行為を、
それこそ無自覚に行おうとする事が出来るのかもしれない。

そして結局は、この”パラドクス”を引き起こさせようとした行為は、失敗に終わったというが、失敗と言う事は、
実行に移したことを肯定する言葉でもある。

つまり恐ろしい事にミスマルユリカはこの行為を、少なくとも一度は実行しているのだ。

もちろん、ミスマルユリカという人間のもたらした功績が、人類史に燦然と輝き続けるに相応しいモノである事は否定しないし、
疑う余地はない。

けれど、それはある意味ミスマルユリカという人間の足跡を辿れば辿るほどに、影の如く、あちらこちらに自己破滅的な行為の
残滓が多量に散らばっている事を意味し、そしてそれは否応無くミスマルユリカという人間の評価を定める際に、
二極化を引き起こさせる要因ともなっていることは疑いのない事実。

同時に、これこそがミスマルユリカの二面性を如実に表し、そして決して目を逸らしてはいけない事実でもあることを失念しては
ならないし、ミスマルユリカの崇拝者も曲解せずに受け止めなければいけない事なのだ。



さて、ミスマルユリカと年下の幼馴染の少年の関係を絡めつつ話を戻そう。

当時の二人の関係の一例を挙げると、小学生の高学年くらいから中学生頃によく見かけるような、本人たちの意思を抜きにした
クラスメート公認認定のカップルのような扱いが的確だろう。

で、ミスマルユリカのポジティブな積極性と比較して、年下の幼馴染の少年自身は優柔不断な側面が多かった。

その結果、どうしたらそう見えるのか理解に苦しむのだが、周囲はこの状況を痴話喧嘩と捉えてしまい、善意の押し付けによる
後押しで、年下の幼馴染の少年に職務放棄したミスマルユリカを追いかけろと異口同音に責め立ててしまう。

それは周囲としては外堀から埋めるような感覚のつもりだったのかもしれない。

ああ、なるほど。

ある一面だけを見れば、それは正鵠を射た意見。

でもそれは良くも悪くも周りが、現在の自分たちの置かれていた状況を、火星北極冠遺跡で敵に十重二十重に囲まれていた
今まさに最悪の瞬間という状況を弁えもせずに、勝手に盛り上がっていただけのもの。

周囲から向けられた『追いかけろ』という言葉は、年下の幼馴染の少年にしてみれば、もはや日常的にミスマルユリカから
向けられている言動と同意の言葉にしか聞こえなかったのだろう。

頑なに、だからきっと・・・・・・あれほどまでに頑なに拒絶したのだ。

それに、仮に追いかけて、それで万事物事が問題なく済むのならそれに越したことはないけれど、でも実際には、
そんな保障は何処にもないことを当時の少年は、もう理解してしまっていた。

そしてミスマルユリカの我侭、あるいは癇癪に付き合うほどの精神的なゆとりが、このときの年下の幼馴染の少年には
一切無かったという理由もある。

当時、極冠直上に陣とったとはいえ、敵に十重二十重に囲まれているという状況には変わりはなく、その状況下から脱する方法は、
数時間前に”カキツバタ”でして見せたように、”ボゾン・ジャンプ”を用いて、船体ごと跳躍するしか方法はなくて、
そして、いまそれを可能としていたのは・・・・・・。

そして一度目のジャンプは、失敗。

焦りがさらに焦りを呼ぶ、吐き気を催すほどの重圧と、其処に否応なく”ナデシコ”のクルーと、撃沈された”カキツバタ”から
救出され移ったクルーの、総勢400人を超える人命が圧し掛かっていて。

それが当時の少年がさらされていた状態であり、それは少年1人に背負わせるには重すぎた命。

たった1人の我侭の代償のために、残りの400人を超える人たちを危険にさらすわけが許されるはずも無く、
だから否応も無く選択肢の天秤も傾いていって。

その選択は強いられたもので、その決断がきっと自分を長く苦しめることになると理解していても、それでも年下の幼馴染の少年、
テンカワアキトという少年は・・・・・・選択をした。

そして少年は決断を下し、経過は”いま”へとつながる。

例外なく事象に付属する行為。

それこそが語られざる歴史の真実というものだ。





かくして、ひとり火星に取り残されたミスマルユリカは木連の捕虜となり、時系列は、紆余曲折の末に、やがて歴史書に
記載されている”木連における若手穏健派による熱血クーデタ”の項目の

『捕虜となったミスマルユリカは『自分らしく』あるために、紆余曲折の果てに木連での若手穏健派によるクーデターに参加。
軍事政権を打破し、地球へ奇跡の生還を果たしたその後、停戦及び休戦条約成立の中核的な役割を果たす』

へと到り、その後は説明不要なほどに浸透した、かの有名な声明、

『ミスマルユリカ、恥ずかしながら帰ってまいりましたー。ブイ』

へと至ることになるのだ。


・・・・・・なんだか希望の萌芽は、土壌の違うはずの木連でも雑草のごとく、しぶとく、しっかり発芽したらしい。


そんなこんなで結局は、戦争という行為を経てもなお”遺跡”はどちらの陣営の手にも渡らず、やがて戦争は
今は昔の事となり、よく知る戦後の時代がやってくる。

火星北極冠の”遺跡”は今も変わらずに其処に存在するけど、現在では地球と木連のごった煮な再編成である
”新地球連邦政府”の行政機関の管理下に落ち着いた為に、だから結局は、どちらの陣営の手にも渡らずにとなる。

そうそう、重要なピースを乗っけたままで彼方へと去っていった”ナデシコ”の存在も、最新鋭のレーザー望遠鏡の
光学レンズが確認観測し続けていることを明記しておく。

気の長い話だけれど、いつか恒星間航行技術が確立したあかつきには追いかける気でいるらしい。

動機はどうあれ、目標を定めるのは良い事。

だけど実際には、重要なピースを抜かれたままの”遺跡”ほうが使いかっては良く、新木連とネルガル主体で行われている
太陽系全体を隈なく網羅するという”チューリップ・ハイ・ゲート”構想の方が、民衆を即物的な欲で満たしてくれて、
かつ物流業界にも革新的な進化をもたらしてくれた。

絵に描いた餅は食ベれないし、理想で腹は膨れないってことだろう。

フレサンジュ女史がボゾン=フェルミオン変換システムの論文集にて『誰がどう独占しようとも、他者のボソンジャンプを
妨害することはできない』と記載しているように、”遺跡”の重要なピース、つまり”遺跡”の建築物並びにキューブ状の
計算ユニットは、時間と空間に関係なく連動し作用するものなのだそうだ。

実際、そのことは火星で”ナデシコ”が実演して見せていたし、その後もチューリップシステムは問題なく稼働を続けている事が、
その見解を大きく裏付けている。

そのうち”遺跡”の呼称も”イワト”と改められて、『よく解んないから、とりあえず使い方の解っている空間移動現象としての
機能だけ使おう』ってことで、現在では、殆ど惑星間短縮航路である”チューリップ・ハイ・ゲート”の
中央管理システムとしてのみ機能していた。

ま、それがきっと、今の人類の身の丈に合った”遺跡”の使い方。

なにしろ人類に在らざる種の遺産は、人類のポケットには大きすぎるのだから。

先人たちの背を追い続け”イワト”の基礎的な研究は続いていくけれど、その歩みはテクテクと遅くて。

だからいつしか”チューリップ・ハイ・ゲート”としての機能が使えれば十分というのが世間の風潮になっていた。

戦後を迎えた世間での”チューリップ・ハイ・ゲート”を除いた代表的な出来事といえば、豪州有数の企業体である
クリムゾン・グループが戦中より敵将たる草壁と接触を持ち、そして密約を結んでいたことなどが停戦条約締結後すぐに
露呈されたことに端を発する、”クリムゾン・スキャンダル”が上げられる。

それはすぐに戦争被害者や遺族などを巻き込んでの訴訟問題へと発展し、世論を騒然とさせたことでも、まだ記憶に新しい。

グループ全体にまで広がる”クリムゾン・スキャンダル”の混乱の波紋は、終戦を経た今日においても、その自体収拾の目途すら
立っておらず、極東に拠点を置く某重工グループ系が戦争責任のスケープゴードとして情報を暴露した説とかの憶測等が公然と
囁かれているほどだった。

ともかく、戦時中から失策続きだった連合四軍共々に、戦後を正式に迎えた今日においても、いま暫くは非難の矢面に
立たされ続ける事に間違いは無いだろう。

そんなこんなで、まだまだ色々とゴタゴタは多いけれど、おおむね世界は戦後という平穏な日々を歩みだしていた。






































さて、火星で袂を分けたあの日以降、火星圏を離れて地球圏に帰還しつつあった”ナデシコ”は、月を勢力下に取り戻した
連合宇宙軍の展開していた艦隊に保護というか拿捕される。

それが火星圏を離脱してから約3週間ほど経過した頃のことだ。

その頃には遺跡を独占するという目標を失ったネルガルも以前ほど戦争には積極的ではなく、また木連側からの積極的な交戦も
少なくなっていた事もあって、戦況は一時的なのだろうが小康状態の様相となり、相変わらず多数の死者を出しつつはあったが、
俯瞰的に見れば戦争自体はその規模を縮小させていたようでもあった。

ただ、この小康状態の理由には木連のクーデタに関連する事項を多分に含んでいるため、別途に”熱血クーデタ”の年表と項目も
一覧する事をお勧めする。

またクーデタと名のつく行為で血の流れなかったものは唯の一つも無く、故に計らずとも敵と味方とに分かれてしまった
その双方の将兵にも、少なからぬ死傷者が出てしまった事にも一応の記述をしておく。

さて、このクーデタに参加と前出したミスマルユリカではあるが、これは秋山源八郎がミスマルユリカを、柔軟な思考力を持った
有能な指揮官であると認めていたため、どちらかと言えば乾坤一擲になりがちな木連の立案作戦に対して、参謀的な視点からの
助言を求めたのだ。

実際問題、木連の基本的な戦術論というものは、ほぼ百年前の戦術論のままで停滞しており、それと比較するとミスマルユリカの
学んだ対艦隊戦を前提とした戦闘に主観を置く近代宇宙軍の戦術論というものは、百年分の戦術的な蓄積の差をまざまざと
見せ付けられるものだった。

だが彼女の真価が発揮されたのは、むしろ戦場に立った時であったという。

そう、彼女もまた戦場に立ったのだ。

地球連合大学時代のミスマルユリカは卒業時まで、戦略シュミレーション実習に関しては終始主席を誇っていた。

こう聞くと眉に唾ものだけれど、このクーデター時における彼女の指揮を見るかぎり、あながちに偽りであるとは言い難く、
いや、むしろ”ナデシコ”のような単独艦の指揮よりも、広域を指揮運用するような作戦こそがミスマルユリカの能力を存分に
発揮できるのかもしれなかった。

人的な損害を考慮する必要上、両軍がその戦力の大半を手足のように動かせる無人艦隊でまかなっていたことも、その事を
後押しする理由の一つとなっていたのだろう。

まるでゲームのように指揮棒を振るい、無邪気に敵を表す戦術記号の一つ一つを沈黙させ無力化していくその様は空恐ろしくすら
感じたと、のちに居合わせた秋山源八郎らが語ったほどだ。

空恐ろしく感じるのは、同じ釜の飯を食っていた仲間を相手にしていたクーデター側と、顔も知らない木連の軍人を相手にしている
というミスマルユリカとの精神的なゆとりの差なのかもしれないし、殺し合いをしているという意識がミスマルユリカには
相変わらずに薄かったからなのかもしれない。

けれどそれは軍という組織に属する軍人を育成する教育機関で学んだ人間である以上は、別段におかしな事でもなく
むしろ当然の事だとも言えた。

軍人の仕事とは、突き詰めていけば敵と定めたものを殺す事であって、対峙した先に誰がいるのか、そこにどんな人間が居るのか
を考える必要は、何よりも軍人にとっては不必要な事なのだから。

実際に”ナデシコ”がまだ現役で運用されていた頃に、いま戦っている敵がその実人間であると発覚したときも、ミスマルユリカや
アオイジュンといった軍人を育成する教育機関で学んだ人間には、他のクルーと比較しても、さしたる動揺はなかったことからも
この事は理解は出来ると思う。

建前上とはいえ個人の感情を引きずる事は許されない、それが軍人というものなのだから。

けれどミスマルユリカは違う。

個人の感情を引きずり、自らの思考で平然と敵を定めてしまう事が出来るほどの歪さを持ち合わせた、ある種危険な人間。

それが目を逸らしてはいけない、ミスマルユリカという人間の本質だ。



そしてわずか数日のうちに、草壁春樹中将以下の徹底抗戦派は軒並み拘束され、このクーデターは決起した穏健派側の完全勝利と
いう形で終結する。

そしてこの争いの終結を見届けた後、月臣元一郎もまた木連の暗部ともいえる多数の資料と共に、自分たち優人部隊に刻まれた
罪人の烙印をただ一人で背負い、表舞台に留まることなく何処かへと姿を消していったという。

結果、残された秋山源八郎が政治体制の激変に伴う事態の混乱を避ける為に暫定的ではあったが、代わって木連の指導者的立場と
なっていく。

ただ暫定的とはしながらも、木連の今後のことを考え多様性のある感覚を持ち合わせた後継者を望んだ為、思いがけず長期的に
その座に留まる事を強いられてしまうのだが、それはまた別の物語。

そしてこのクーデターで若手穏健派(後の熱血派)が実権を握って以降、地球との戦争終結を模索する動きが現実的に
表面化してくることになった。

そして6月某日、チューリップ・ハイ・ゲートを使用して一隻の木連有人戦艦が地球に出現する。

出現したその艦は、すぐさま現役時代に”ナデシコ”がネルガルとの連絡用に使用していた専用の”ホット・チャンネル”に
重力波通信で呼びかけてきた。

かくしてこの日を境に、地球と木連は水面下での停戦交渉を進め始め、結果、後の休戦協定へと結実していくこととなるのだが。
それもまた別のお話。





さて、帰還後、というか拿捕後、ナデシコクルーたちはサセボ基地内に用意された施設に抑留され、軍の監視下のもとでは
あったが、相も変わらずに賑やかに騒がしく日々を過ごすこととなる。

ともかく、艦から長屋に場所が変わっても、良くも悪くもナデシコクルーはナデシコクルーのままで、曲がりなりにも
拘留生活中のはずなのだが、外出して嗜好品を購入してくる者もいれば、近所の食堂に修行に行っている者もいた。

さながらここは一度でも慣例を作れば、あとはすべての規則がグダグダになってゆくという、悪しき事例の見本市の
ようでもあったが、もっともそれらは、火星に散っていった(と、思われていた)ミスマルユリカの行動理念であった
『自分らしく』を信条としているが由縁のことなのかもしれない。

何しろ『気にしない』『くよくよしない』『後ろを振りかえらない』が”ナデシコ”クルーの三原則なのだから。

ただ近所の食堂に修行に行っている者、つまりアキトの場合は、ミスマルユリカとの一件もあってか少し異なっていた。

単純にこの長屋に居て仲間たちと顔を合わせていたくなかっただけなのだ。

どう言い訳をしようとも、自分の選択の結果でミスマルユリカを見捨てたことには変わりはないのだし、
だから修行と理由をつけてみんなを避けていた。

だから朝早くに出かけて、夜遅くに帰宅する生活を続け、たまの定休日でも練習のためと店の厨房を借りて、それこそ極力、
アキトは長屋には居ようとはしなかった。

それは一見すれば逃げているとも取れるかもしれない行動だったけれど、自分の取った行動を後から振り返り、
見つめ直すという行為は、いつ如何なる場合でも蔑ろにしてはいけない大切で、そして必要な事。

つまりアキトは、あの長屋に居ては絶対に得られない考えるという時間を欲したからこそ、外に居場所を求めたのかもしれない。

それはそれで悪い選択ではない。

深く考えての結果なのか、それとも違うのかは判らないけれど、周囲に流されるきらいがあるアキトだから、それが”ナデシコ”で
過ごしたほんの一年ほどの時間から得た教訓なら、何かを学ぶ機会は何処にでも、幾らでもあるということなのだろう。

そんな環境下で日々仕事をこなしつつも、ミスマルユリカを見捨てる選択を選んだあの日のことを、アキトはずっと考えていた。

あのとき火星遺跡で取った選択に後悔はあるのか?と自問すれば、あるとしか答えようがないし、取った方法だって最良の選択では
なかったのかもしれない。

でも世の中は、どうにもならない事の方がずっと多いのだ。

その事実がアキト短い半生の中で、骨身に染み込んでいた。

都合のいい説明をつけたいからと言って自分を責めてみたところで、どうしたって望む答えは出るはずもない。

いつだって残るのは後悔ばかり。

けれど考え続けたいまなら、胸を張って言えることがあった。

確かに後悔が残る選択をしたけど、あのときの選択は決して間違ってはいないと、いまならそう言えた。

駄々をこねても甘やかされるのは子供だけだし、いい大人なら義務に生じる責務を放棄してはいけない。

でもその事は、義務と責務の放棄とはミスマルユリカだけを指す言葉ではなかった。

あのときは、誰も彼もが子供だったのだ。

一時の後悔はしても、其処から何も学ばずに反省もしなかった、そんなあの頃。

だから降ろされた”ナデシコ”にもう一度乗り込み、はしゃいで浮かれて、回りを見ずに単独で木連との和平交渉をおこなおう
なんて考える事が出来てしまったのだ。

その行為を思い返せば今更のように怖くなってくるし、いまも、よく拘留程度の処置で済んでいるとも思う。

それは自分の想像もしないような場所で、複雑な力学が作用していた結果なのだけれど、そんな当たり前のことにも、
ようやく悟る事が出来るようになった。

子供だったのだと、そう自覚する事が出来たことが、きっと、精神的な幼年期の終わりのとき。









昼の営業を終え、夜の営業の為の仕込みの最中に、少年は息抜きに表へ出て空を仰ぎ見た。

高く雲が流れていくその空を見上げ、眩しげに眼を細める。

気が付かぬ間に、いつしか季節は夏を迎えていた。

優しくもあり、そして残酷でもあったけど、時間は一切の容赦なくすべてを変えていく。

幼少の頃を含めて、すんごい迷惑をかれられ続けていたのに、ふとした拍子にアキトが生前のミスマルユリカのことを思い出しても、
そこに苦痛は・・・・・・もうなくなっていた。

だからいくら思い出してみても、それはもう甘い思い出を伴う、ただの記憶でしかなく。

吹っ切れたわけではないけれど、自分の中では不思議と整理がついていて。

そうやって折り合いをつけて、何かを積み重ねて、人は生き続けるのだとアキトは思い知る。

うたかたの夢が、もう静かに終わりを告げたそのことを、この日、少年は自覚した。











公式上ではまだ戦争中だったのが、この頃。

でも実際のところ、既に非公式に休戦協定が連合軍と木連との間で執り交わされていて、内密の和平交渉は日進月歩の
大また歩きで進展していた。

同時に、すでに戦後を見据えての政治が展開されていたのもこの頃だけど、どのみち、その手の公式非公式な政治的会談の、
その内容の多くは約100年間は閲覧不可に分類されるファイルに収められ、積み重ねられて歴史と情報に埋もれていくが定め。

木連との交渉の仲介にネルガルが入ったあたり、”チューリップ・ハイ・ゲート”構想や”クリムゾン・スキャンダル”に
まつわる推測や憶測は否応なく信憑性を増すけれど、噂はあくまで噂でしかなくて。

けど火の無いところに煙が立たないのも、また事実だけれど、その真相と詳細は不明のままってことで。

そして交渉の山場を過ぎた夏の盛りを迎えた頃、木連との休戦協定の締結が間近に迫っていることがオフレコでだけど
ナデシコクルーに伝えられ、その結果、拘留も正式に解かれる事も通達される事となった。

すると”ナデシコ長屋”では、ルリを誰が引き取るかで騒動が巻き起こる。

その騒動をアキトが知ったのは騒動が佳境へと移行した頃のことで、随分と遅いけど、それはその当時アキトが殆ど長屋に
いつかなかったのだから仕方がない。

いつの間にか回覧板すらもアキトの部屋を飛び越えて回るのが当たり前の状況では、当然、噂の類などアキトの耳に入る機会も
無かった為だ。

で、その騒動をようやく耳にしたとき、一度はアキトもルリを引き取る事を考えてはみた。

でも結局は名乗りを上げる事は出来なかった。

将来の事も解らないし、自分が子供だったのだと自覚してしまっていたのが、その当時のアキト。

それに何よりも自分も守れない人間が、どうして他人を守れるのだろうかという思いもあった。

だから名乗りを上げる事が出来なかった。

結局、様々なクルー達がルリを引き取ると言い出したそうだけれど、そのときは結局、ルリは誰の世話にもならないと辞退した。

だから、その話はこれで終わり。

でも同時に、後にして思えばこの話が二人にとっての切欠でもあったわけで。







その騒動が終局した翌日の早朝の朝靄の中、出かける準備を済ませたアキトの自室を珍しくも訪ねる客人がいた。

アキトが扉を開けた先に佇んでいたのはルリ。

久方ぶりに自室に誰かを招き入れるという奇妙な感慨に耽るアキトに向け、佇んだままのルリが開口一番に告たのが、
どこか遠い日に聞いた、懐かしい言葉。

「アキトさんじゃなきゃ駄目なんです」

その言葉を再び聞かされたその理由を聞いてみて、ああ、とアキトは納得できた。

その場所に実際に足を運んだのはアキトとルリだし、其処での出来事を知っているのもアキトとルリだけ。

他人に語るような出来事ではなかったし、訊かれても安易に答えられる出来事でもなかったから、其処での出来事は
いまでも二人だけで共有する思い出。

とはいえ、それを実行に移すには関係各所に許可をもらったり、確認をしなければいけない事柄も多かったし、
それ以前にアキトは出かける直前。

話はまた帰ってからと思ったけれど、何気にアキトはルリを誘ってみた。

その行為に深い意味は無くて、ホントに、ただ何となく。

そしたらルリは、こくんと首肯。

かくしてルリはアキトに付いて修行先の近所の食堂にやってきた。




預かっている合鍵で厨房に入ると、アキトはいつもどうりに慣れた様子で手際良く仕込みを始める。

カウンター席にちょこんと腰掛けたルリは、厨房の中のそんなアキトを飽きる事無く見ていた。

あの日、あの選択を選んで以降、ずっと悩んで、そして苦しんでいたアキト。

でも、いま久しぶりに間近で見るかぎり、あの頃の面影は、もう何処にも無くて。

なまじ身近にいて親しかった人たちの中には、あのときのアキトの選択を責める人もいた。

半年近く経ったのに、いまだって責めている人もいる。

馬鹿ばっか。

ルリは本当にそう思う。

責められる選択をしたのは、どう考えたって艦長の方なのに。

もちろん全員が全員アキトを責めているわけじゃない。

責めている方がすっと少数で、逆にアキトの判断を肯定して弁護する人たちのほうがすっと多い。

あのアオイ副長だって、あの選択は同然の選択だったって、血涙流さんばかりの表情だったけれどアキトを弁護している。

なのに何で気が付かずに、解ろうともしないのだろう。

いつしかルリの思考は、ぐるぐるとループし始めていて。

良くない傾向。

だけど、つぼにはまると仕方がない。

そんな思考を断ち切ってくれたのは、アキトが運んできてくれたお盆から立ち上る良い香り。

きっとアキトが気を利かせて作ってくれた、それは朝食。

困った事に、都合よくお腹が鳴ってしまった。

「・・・・・・わたし、少女ですから」

頬を赤らめ、自分でも訳の解らない言い訳をしつつ、いただきますと一礼し、お箸とお茶碗を手にして半年振りに口にした、
それはアキト手ずからの料理。

美味しくて。

それは本当に美味しくて。

万国共通、美味しいものを食べているときは、みんな笑顔が浮かぶもの。

それはルリだって例外ではなく。

箸を動かして口に運び、咀嚼して、嚥下する。

黙々と、でも流れるように繰り返されるその行為が、何よりも雄弁に語ってくれていて、だからアキトにも自然と笑みが
浮かんでいた。



米粒一つ残すまいと綺麗に食べ終えて、食後のお茶をすすりつつ、悪いと思いつつも、申し訳ないと思いつつも、
ルリはアキトに聞いてみた。

ずっと聞く機会の無かった、火星での、あの選択の事を。

食べ終えた食器を洗う音が、一瞬だけ止まる。

そこにいるのはルリの知っているテンカワアキトという人だけど、どこか見知らぬ人のようにもルリは感じてしまって。

沈黙はわずか。

それから、己の中で既に定まっている答えをアキトは言葉にした。

「後悔はしてる。でも、間違った事はきっとしていないから」

言いきったアキトのその横顔に、ルリは見惚れてしまった。

悔しいけれど、見惚れてしまっていた。

頬が赤くなるのが、どうしてだか抑えきれない。

それからアキトが語ってくれたのは、半年もかかったけれど、自分自身でたどり着いた答え。

その答えに、ルリは静かに耳を傾けていた。





イネスの所属する研究所の公式の始業時間まで待ってから、アキトは彼女のプライベート・アドレスに直接連絡を入れた。

建前上、長屋は軍の監視下にあるため外部との通信手段は設置されてはいない。

いないのだけれど、殆ど外出自由な状態なので家族持ちのクルーなどは外から連絡を取り合っていたりもする。

・・・・・・ああ、ちなみにイネスはナデシコ長屋に拘束はされてはいない。

当たり前の事だけど現在ナデシコ長屋に拘束されているのは奪取した”ナデシコ”に自分の意思で乗り込んだ214名のみで、
当然その中には”カキツバタ”側のクルーは含まれてはいない。

あの時、イネス・フレサンジュは”ナデシコ”ではなく”カキツバタ”に搭乗していた事を忘れてはいないだろうか?

それはつまり、イネスが長屋に拘束される必要性が一切無い事を物語っているのだ。

さて、アキトはイネスに用件と希望の件を伝え、どっかの会長に伝言を頼むと、それから少しプライベートに属する類の話を始めた。

いつか時間が解決してくれるかもしれないけれど、他人には解れない、それは二人の問題。

まだまだ整理も折り合いも付け難い、それは難解な問題。

だからルリは二人の会話を聞かないようにと、気を使って席を外していた。

そんなことを自然としていた自分に、内心驚きつつ。





それから、やって来た店主の人やら、アルバイトの女性やらと挨拶を交わしつつ、暖簾を出す時間が来て、何でか
姉さんかぶりにエプロン姿で、接客やら配膳をまめにお手伝いするルリがいた。

その姿がアキトには、ふと逃亡中だった頃のミスマルユリカの姿と重なってしまったけれど、やっぱりそこに苦痛は一切無く、
ただの記憶、ただの思い出でしかなくなっていた。

微妙にダウナーな「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」も慣れれば慣れたで味があるし、まめに細かに気が付く
ルリの仕事っぷりを見て、

「ルリちゃんて、意外とお店屋さんとかの店員さんに向いてるのかもね」

と、アキトは評価してしまった。

いやいや、人生、どう転ぶかは本当に判らないもの。

その何気なく漏らしたアキトの言葉が、後のルリの人生の選択を、ずいっと後押ししてしまったわけで。



暖簾を下ろす頃には夏の長い日差しも暮れていて、どっぷり帳が下りていた。

何時もなら、それから跡片付けをしつつ居残って厨房で修行するけれど、今日は流石にそういう訳にもいかず、
アキトにしては珍しく早い時間に、ルリを伴って長屋へと帰宅する事に。

帰り際にルリに手渡されたのは、大変だったけど、でも楽しかった今日の労働報酬。

別にそういったつもりで手伝ったわけではなかったので、受け取るつもりは無かったのだけれど、結局は受け取ってしまっていた
それは”ナデシコ”時代に稼ぎ出した金額に比べれば微々たる額。

でも、ルリにはずっと価値あるモノのように思えて。

澄んだ月に照らしあげられる街並みをアキトと並んで歩きながら、何でか嬉しくて微笑んでいたルリだった。



それから数日後、正規の外出届の申請と駄元での出国の手続きの許可は、あっけないほど簡単におりる。



かくしてアキトとルリは、ネルガル船籍の武装商船に乗っでスウェーデン国内の連合空軍基地まで飛び、そこで
エステバリス空戦フレームを借り受けて、さらにスカンジナビア半島にある研究所まで飛んだ。

ちなみにピースな国なぞ、端から眼中には無く。

だってルリが行く事を望んだのは、かつてスウェーデンに存在した研究機関。

そこはルリが生まれ、四歳の頃まで育った場所。

そして戦争中に再び訪れたルリは、この場所で自分という存在のルーツを見つけて。

ふわりと着地したエステバリスから降りた後、ルリは廃墟となっている建物には一瞥しただけで、裏手を流れる河へと
足を向けていた。

何も言わずにアキトも後に続く。

ここはルリの故郷だけれど、でも故郷ではない場所。

なら、ルリの故郷は何処なのだろう?

川辺に立ち、見つめる寂しげな眼差しのその意味に、アキトは気が付かされた。

あの場所こそが、『馬鹿ばっか』だった、あの”ナデシコ”こそが、ルリが思い出も、そして記憶も、そのすべてを
自分で手に入れて、そして勝ち得たルリの故郷、自分の居場所。

でも、その故郷も今はなくて。

抱いてしまった疑念を、アキトは迂闊にも訊いてしまっていた。

アキトから投げかけてしまった質問のうけて、困ったような、寂しげな微笑を浮かべてしまったルリ。

でも泣き出しそうなそのルリの儚さが、すべてを肯定してしまってもいて。

気が付くべきだった。

『一人で生きていく事ぐらい出来ますよ』

それは誰の世話にもならないと言ったときルリが口にした台詞。

事実だけど、それでは生きていく事しか出来なくて、そして何より寂しくて。

その事を経験して、そして誰よりも知っていたのは自分のはずなのに。

その想いがアキトの胸を締め付ける。

ルリはみんなとは違う。

まだルリは駄々をこねて、甘やかされる事が許される年頃。

まだ、たくさんの何かを積み重ねるのに相応しい年頃で、折り合いをつけるにはずっと早すぎる年頃の少女。


だから・・・・・・。


伝えていた。

あのときに伝えられずにいた、名乗りを上げる事が出来なかったそのことを。

そして君と暮らしたいと、言葉にしていた。

無くなってしまったのなら、また作ればいいと、そうも言葉にしていた。

思っていることのそのすべてを、言葉にして伝えていた。

そのときの想いに、守るとか、守れないとか、義務感とか責任感とか、そんなものは一切関係なくて。

ただ、そうしたいと、自分の味わってしまった辛さを、寂しさを、ルリにだけは知ってほしくなくて。

それは自己満足かもしれないけれど。

それでも・・・・・・。








驚いたように俯いてしまったルリ。

でも、やがて恥ずかしげに顔を上げ、そして金瞳と鳶色の瞳の視線が重なり合って。

そんなルリに向け、アキトは手を差し出していた。

おずおずと、けれどしっかりと、その手を握り返してくれた少女の手。

その手は小さくて、そして柔らかかった。








そして9月、停戦協定が正式に発足したことが発表される。

式典が催される最中、協定の立役者としてその場に立つミスマルユリカを、ウインドウ越しにだけどアキトは見ていた。

見捨てた事に対するわずかな罪悪感は、いまでもある。

けれど会いたいとも、会って謝りたいとも思わなかっし、思えなかった。

いや、その頃には彼の傍らには一人の少女が寄り添っていたから、会えなかったのかもしれない。

その少女は、いとおしく、守りたいと思えるアキトの大切な家族。

もしもミスマルユリカ会ってしまえば、今の二人の関係が壊されてしまうと理解していたから、だから結局は会わなかった。

会えない時間が愛を育てることは無く。

ミスマルユリカとテンカワアキトの人生はその後、二度と交差すること無く進んでいく。




そして世界は戦後と呼ばれる時代を向かえ、そんな時代の最初の数年を、まるで兄妹のように二人は暮らした。

血の繋がらない者同士演じるのは、家族。

日々の暮らしの中で互いに境界線を引いて、ルールを定め合って、笑いあって、寄り添いあって、あるときは些細な事から
喧嘩しての、そんな日常の繰り返し。

けれどそれは、少しづつ確かに積み立てていった二人の暮らし。

でもこの頃定めたルールが、後々のテンカワさんちの基本ルールになっていることは疑いようもなく。

やがて月日は流れ、あの日握った小さかった少女の手も、もういまでは女性の手。

共に歩んで積み重ねていく日々が踏み固めた過去となり、やがては振り返れば懐かしいと思えるモノへと姿を変えていく。

それは自分を支えてくれる、積み重ねてきた過去。

それが思い出。

それは未来への始まり。

そして季節の巡るたびごとに、二人を隔てる境界線もまた引き直されていって。

やがて二人は・・・・・・。









































情熱の痕跡を色濃く残すように色付いた肌をさらしたままで、でも枕に顔を埋めて隠れていたルリは、恥ずかしげに顔を上げてから、
潤む金瞳でアキトを睨む。

「酷いです、サディストです、変態さんですかアキトさんは」

まだ本当に数えるほどの経験しかないのに、あんなに乱れさせられて。

「だからああいうのは止めてくださいって、いつも言ってるのに」

何よりも思い出すたびに恥ずかしくって。

だから頬をふくらませて、ルリは必至にアキトに抗議する。

けれど、そんな様子のルリを見つめるアキトは、いつものように優しい微笑をたたえたまま。

その微笑みはルリ限定だけど、ルリを恍惚とさせる術を心得た巧みな誘惑の初手。

解っているのに、抵抗できると、いつだってそう思っても、その微笑を向けられると、怒りの気持ちまでもが萎えさせられて。


「ホントに、やめてくださいね・・・・・・」


言っても聞かないんだろうな、と思いつつも、でも、どこかでまた期待している、そんな自分がいる事は、
とっくにルリも自覚していて・・・・・・。

でも恥ずかしいから、そのことは、まだ秘密。

耳元で囁かれる許しを請うアキトの謝罪の言葉に、奥様は寛大にも許しを与えて。

そしたらこのお小言は、もうおしまい。

それからアキトに身をゆだね、その両腕の中に抱きしめられたら、ルリは幸せをかみしめつつも、そのまま瞼を閉じていて、
そっと、トクン、トクンと耳を打つその音色に耳を傾ける。

いとおしい人の腕に包まれたまま、素肌を重ねる心地よさに誘われて。

銀糸の髪を指で梳かれる心地よさに眼を細めつつ。

まどろみの中で次第に瞼は重くなり。

そしてアキトの耳に届くもの。

それは、いとおしい妻の安らいだ寝息。

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b83yrの感想

ユリカ・・・・置いてけぼり・・・・

いや、まあ、多分私でもそうするけど、ナデシコの多数のクルーとユリカ一人を天秤にかけるなら

で、『無人機を指揮するユリカ』の話

ユリカの能力が疑われる大きな理由の一つ、『ああいう人間に人はついて来るか?』

仮に、ユリカについて来る人達の話をした所で、『なんでユリカなんかに従う気になれるの?』って思われてしまえば、それは、『違和感が先に立つ作品』になってしまう

そうなれば『ユリカを引き立てる』筈が、『ユリカを美化してるだろ、この作者』になってしまう事も多々ある

怖いのは『美化と感じられてしまった』場合、かえってキャラを嫌わせてしまう事が多々あると言う事

これが、二次創作じゃなくて、『本編の時点で既に起こってないか?』って言うのが、ナデシコって作品の困る所で

でも、『無人機』には心が無い、命令されればされた通りに動く、ユリカがどんな人間であろうと関係なく

でまあ、このSSみたいに、『ユリカは、無人艦隊を指揮するのであれば、それなりに優秀』って事にしてみれば、違和感を多少は減らす事も出来るかなあと

で、もう一つ思った事、これってユリカ派からみたら、『ヘイト』の範疇に入るのか?

私は別にヘイトとは思わないけど

実はあばたもエクボにみえてる人にとって、『不当に貶められる事』よりも『あばたはあばただと、『本当の事』を指摘される事』の方が腹が立つ、なんて事が多々ある

日本人は、相手を怒らす事を嫌う傾向が強くて、相手が怒った場合、怒らせる方が悪いって感じる人も多いけど、『本当の事』を言って怒るなら、それは、言われて怒る方が悪いんですけどねぇ

それが『解っていて』余計なトラブルを避ける事を考えるなら、『浅知恵にさえならないなら』って条件付で『智恵』だけど、『解っていないで、相手を怒らせる事自体が問題』だなんて考えてるなら、『ただの馬鹿』だと思ってる私

ちなみに、私が感想でユリカの事に言及する事が多いのは、私自身がユリカの扱いに色々と悩んでいるからだったり・・・・

もし、ミスマルユリカってキャラを、ちゃんと使いこなす事が出来るなら、大抵のキャラは使いこなせると思う

それに比べれば、ルリの方が扱いは楽

ユリカみたいに、『本編から来るマイナスイメージ』の克服を考えないで『0から』始めれば済むから

ちなみに、「酷いです、サディストです、変態さんですかアキトさんは」でアキトがナニをしたかは、し〜のHPにアップされた、『5W1H ぷらす・わん』の方にあったりします、本当は向こうの方が完全版

実は、こっちの正式名称は、『5W1H ぷらす・わん -えっちは抜いた健全版-』だったりします(笑)

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