戦争が始まってから、もう随分と経ちます。

地球全体を被うっていうビッグバリア・システムってのも稼動を始めるって、今朝のニュースでやってました。

これって地球防衛構想の一環らしいんですけど、でも、なんか、いまさらって感じがしないでもありません。

だってもう、地球には大中小あわせて千近い数のチューリップが落下しちゃってますからね。


街の近くでの戦闘も、最近では別段珍しいことではありません。

それはもう、日常的な当たり前の、ごくありふれた風景。

『非常識も長く続けば常識に』ってやつです。


だからでしょうか。

連合軍と木星蜥蜴との戦闘をまるで対岸の火のように見物しながら批評し合う人々の姿も、最近では珍しくありません。

それが最近の世間一般の様子。


でも、あなたは違いますよね。

それを初めて知ったのは、街の頭上での戦闘をあなたと目撃したとき。

黄色いバグスと連合空軍の戦闘機との格闘戦。
識別分類コードEA-003Dの違いすぎる機動力に連合空軍の戦闘機は手も足も出ず、そして、撃墜。

いまでは珍しくも無くなったその光景を目撃したとき、まるで魅入られるように見つめていたあなた。

でもその眼差しは好奇心ではなく、苦渋の、そう、苦しみと悲しみの眼差し。


理由も解らずに急き立てられる焦燥感。
失ってしまったオモイデ。
消失した過去の自分。


たった一部分でも、自分の歴史を失ったとき、そしてその失った記憶の中に、何か忘れてはいけない大切な思い出が
存在していたとしたら。

それが、あなたに突きつけられた、いま。

わたしも小さな頃という自分の過去を知りません。
ただ、数行の文字による記録だけが、今のわたしが知り得る過去であり、そして記憶です。

でもわたしは、その事を辛いとか悲しいとか思ったことはありません。

初めから覚えていなければ、あなたも辛いとか悲しいとか苦しいとか、そんな想いを懐いたりすることは無かったのでしょうか?


9歳から17歳までの出来事。
それが、いまのあなたが覚えている記憶と時間。
 
あなたの失ったそれ以前の記憶の一欠けら。
引き取られた8歳ころからの思い出なら、イネスさんが語ってくれます。

そう、イネスさんがあなたの昔のこと、いろいろと教えてくれました。
まだ小さかった頃のあなたの事や、一緒に暮らし始めた頃の事。
イネスさん楽しそうに、懐かしそうに、微笑みながら教えてくれました。

でも、あなたを苦しめているのは、あの火星開戦の頃の記憶。
あなたの失った10月1日の開戦の日から、遡って3ヶ月分の記憶。


そして、アイちゃんと言う人のこと。


あなたはわたしに優しくしてくれます。

そのアイちゃんという人は、わたしに似ていたのですか?

あなたにとってわたしは、その人の変わりなのですか?

あなたにそう聞いてみたい自分がいます。



施設内の不自然にならない程度に造成した自然公園に、青白い輝きをまとって、血にまみれた姿で、
虚空からあなた現れました。

それは木星蜥蜴が火星圏に飛来して、火星が陥落する数日前のことです。

付き合いの短いイネスさんですが、取り乱すところ始めてみました。

当たり前ですよね。
火星にいたはずのあなたが、突然に地球に来ていたら。
それも大怪我をして。

わたしの応急処置があなたの命を救ったようなものだって、イネスさんが後で教えてくれました。

それから、お礼を言われました。
大切な義弟の命を救ってくれてありがとう、って。


嬉しかったです。

わたしは、ただ言われるままに数多くのモノを学習させられていました。
医学もそのうちの一つ。
でも、あの日初めて、目に見えて役にたちました。

だからイネスさんの『ありがとう』って言葉、本当に嬉しかったです。


けれど病室であなたと再会したとき、あなたはわたしと会ったことも忘れていました。

だから、あなたがどうわたしの前に現れたのか。
そして、血に塗れたあなたがわたしを見て、わたしの手を握って、わたしに向けて言った言葉も含めて、誰にも言わずに、
誰にも伝えずにいまでも・・・・・・いまでも、わたしだけの胸に秘めています。


あなたが入院している間、あなたといっぱい言葉を交わしました。

あんなに一人の人と会話をしたの、きっと生まれて初めてです。

あなたを乗せた車椅子を押して病院の中庭を散策することが、わたしのひそかな楽しみでした。

斜め40度ドラムの洗濯から乾燥までしてくれる洗濯機の使い方も覚えました。

知っていましたか?あなたの洗濯物を持って帰って洗っていたのはわたしですよ。


・・・・・・アイロンがけをしてくれたのはイネスさんですけど。
 

日本語の勉強もしましたよね。
アキトさん、日本語は簡単な単語ならともかく、漢字に文法、読み書きはてんで駄目です。

まあ、火星の公用語は日本語ではないから仕方ありませんけど。


・・・・・・イネスさんは流暢に話せるんですけどね。


あなたは着の身着のままでした。
だから退院してから一緒にあなたの日用品の買い物もしましたっけ。

そのとき初めて知った、お肉屋さんの揚げたてのコロッケのおいしさ。
それは、わたしの初めての買い食い。
わたしがいままで食べていたコロッケとは、全然別のものです。

揚げ油にラードを混ぜているからおいしいんだって、笑いながら教えてくれたあなた。
地球の食べ物は何でも美味しいって、食べ物に関するあなたの口癖です。

思えば、この頃からですよ。
わたしの味覚が庶民的な方向で肥えていったのは。

そういえば”謎の宇宙艦隊”の名称を、”木星蜥蜴”と命名するって政府発表があったのもこの頃でしたっけ。
新聞に載ってたのか、テレビでやってたのを見たのかは忘れましたけど。


それから・・・・・・。
それから、あなたの苦しみと悲しみの眼差しを知ったのも、この頃。


無くしてしまった記憶があなたを攻め立てるのですか?

失ってしまった思い出があなたを苦しめるのですか?

戦闘を目撃してしまえば、あなたの視線は、いつもわたしの知らない情景を見つめてしまいます。

あなたは此処に存在しても、あなたの心は此処には在りません。

そんなときは、あなたの手をそっと握ります。

そうすれば、あなたの心はわたしの近くに戻ってきてくれるから。

そうすれは、あなたはわたしに優しい笑顔を向けてくれるから。

アキトさん、わたしはあなたの笑顔が好きです。















ユートピア・コロニー、おぼえてますか?

そこは火星最大規模のコロニーで、火星で唯一の宇宙港があって、でも、いまは廃墟となってしまったあなたの故郷。

九年前のクーデター未遂事変のとき、その宇宙港であなたのご両親は殺されて、その亡骸を前に幼いあなたは、
ただ泣きながら佇んでいたそうです。

身寄りの無くなったあなたは、ご両親と親交のあったイネスさんのお義母さんに引き取られて、それから
あなたたちは義理の姉弟になりました。

そう、九年前に火星で起きたクーデター未遂事変の後から、イネスさんとアキトさんは義理の姉弟。

でも、いまのあなたにその頃のオモイデはありませんよね。

血にまみれた姿で虚空から現れたとき、あなたの頭部には酷い外傷がありました。
今もあなたのいくつかの記憶が欠けて喪失したままなのは、その傷による後遺症。

でも、この記憶喪失は外的な要因による一時的なものだから、何かの拍子に思い出せるかもしれないって
お医者さんがいってました。

早く思い出せるといいですね、アキトさん。


アキトさんの義姉さんであるイネスさんは、無類の”説明”好き。
それから、何故か精神カウンセリングにも造詣が深い当年とって25歳。
専攻は考古学な、そんな人。

火星考古学の博士号の資格を所持していて『スキャパレリ・プロジェクト』の火星側の参加研究員でもあります。
総合科学者、つまりネクシャリストってやつですか。

わたしの口癖『馬鹿ばっか』の範疇から珍しく、と言うか初めて除外できた人です。
10歳の少女からすれば、25歳以上はおばさんの範疇に入りますから、ぎりぎりですがお姉さんのカテゴリーに入ります。

わたしを元いた研究所から連れ出してくれた、いまにしてみれば恩人ですね。

あそこの生活に不満はないと思っていたけど、離れてみて解りました。
わたしは、あそこが好きじゃなかったことに。
 

あ、そうそう、イネスさんとアキトさんは義理の姉弟なんですが、苗字が違います。

イネスさんは『イネス・フレサンジュ』でW表記、つまり名前・姓という構成ですが、アキトさんの方は
『テンカワ アキト』という元の戸籍のままで、E表記、つまり姓・名前の順番となっています。

アキトさんが、フレサンジュの姓を名乗っていない理由や事情はわたし知りませんし、聞いていません。
ちなみにイネスさん自身も養女なのだそうです。

イネスさんが精神カウンセリングに造詣が深くなった理由は、この頃のあなたの事が関係していたそうです。
でもそのことに関しては、あのイネスさんにしては珍しく説明してくれませんでした。

あのイネスさんが説明しないってことは、それなりの理由があるからでしょうし、わたしも詮索しないし、聞きません。

それはきっと、他人が土足で踏み込んじゃいけない領域のことだから。







説明好きなイネスさん、色々とわたしに教えてくれました。

でもイネスさんの色々な説明は、わたしの学んだ微分積分、物理に代数、語学、歴史、宇宙論に医学等などよりもずっと
面白いものでした。

もちろん、スキャパレリ・プロジェクトの一環として施された知能的訓練や宇宙軍航行訓練、その他専門訓練なんかとは
比べ物になりません。

そういえばアキトさん、イネスさんあなたのことも話してくれましたよ。
胸張って誇らしげに『自慢の弟』って言ってました。

知ってますか?
イネスさん、あなたのことを話すとき、とっても優しい顔をします。

血の繋がりのない他人同士の、紛い物の姉弟。
それがあなたたち。

でも、そんな他人のことを誰よりも大事と思える人って考えて、そして想い合っているのも、あなたたち。
そのことが、わたしにはちょっとだけ羨ましいです。


そうそう、イネスさん火星のことも説明してくれました。

有機性の廃棄物も火星では入植当初から立派な資源だったって話もしてくれました。
火星では重要なバイオマスの一つが穀物品だったんですね。

中でも個人的にはトウモロコシの説明が面白かったです。

たとえば地球で消費されてるトウモロコシの4割近くが、実は火星産だったって話、いったいどれくらいの人が
知っているんでしょうね。

人の口に直接に入るものではない飼料作物や、心理的な抵抗の少ない加工品なんかは、結構昔から火星産が主流に
なっているって、わたしもイネスさんから説明されるまで知りませんでした。

でもこういったことは、火星ならともかく地球では専門的な職業の人しか知らない事だそうです。

地球の人は、火星産というとナノマシンとかを連想して、とかく嫌い、忌諱する傾向があるそうですけど、
そういう偏見を持つ人たちこそ、イネスさんの説明を聞くべきです。

知ったいまでは、この種の偏見は滑稽の一言に尽きます。


ナノマシンに対する偏見だって、無理解からのモノが殆んどですし。

大体、地球の人たちは基本的にナノマシンについて無知です。
何にも知りませんし、知ろうともしません。
てか、サイエンス・ファンタジィとごっちゃにしてる節があります。

体内に異物を取り込むという行為が、地球の人たちからみると違和感を感じる要因なのかもしれません。

現在では、ナノマシン提唱期に期待された医療目的での利用法よりも、工業製品としてナノマシンが認識されて
しまったことも、多分、違和感を感じさせ、そして疑念を抱かせる理由の一つだってイネスさんも言ってました。


今日施行され、そして制定されているナノマシン規格の基本的な骨子は、ずっと昔、医療分野でのナノマシンという
ものの使用法を模索していた、そんな時代に提唱されたもの。

つまり一世紀以上前の、それこそ月独立紛争以前の分子ロボット、つまりナノマシンによる火星の惑星改造が
開始された頃から、この規格の骨子は存在していたんです。

そして現在では、あらゆるナノマシンには例外なく規格というものが存在し、当然、その安全性も安定性も確立されています。
 

ちなみに、火星の大気の改造にはナノマシンが用いられていますが、土壌改良に使用されているのはマイクロマシンです。
きちんと区別しないと駄目ですよ。



ナノマシンの基本機能は『自己修復』に『自己複製』。

サイエンス・ファンタジィで見かけるような”自己再生”とか”自己進化”とか”自己増殖”とかはしないし出来ません。
人為的な作業以外ではナノマシンは増殖が出来ない為、自分では一定量以上には増える事が出来ないんです。

基本的に”複製”と”増殖”は違いますし、ナノマシンは基本的に人体には蓄積されずに、一定期間後に
体外へと排出される設計になっています。

これがすべてのナノマシンに備わる基本的な安全性、つまりセーフティーの一種です。

だから人体内における”侵食増殖”なんてことはありえません。

『なら”IFS”はどうなの?』

そう言われる方々もいるかと思いますが、人体、つまりIFSに使用されるナノマシンも機能調整こそされてはいますが、
別に特別なナノマシンなんかを使用しているわけではありません。

これは特別な事ではなく、単に一定期間薬を服用して定着処理し、その後で微調整した結果です。
この処置をして始めてナノマシンは体内に電脳的な補助脳を形成し、IFSに対応したインタフェイスとして機能し始めます。

概念的にはIFS対応の機械が”扉”で、ナノマシンが体内に形成した電脳的な補助脳が”鍵”。

一度でも”扉”にアクセスすると、再度その”扉”との接続の際には補助脳が勝手に接続に適した最適化を行ってくれます。

つまり、IFSっていうのはIFS対応の機械と補助脳を接続させるツールの総称のようなものなんです。


そしてIFSは、慣れるという熟練過程を必要とせずに、容易に操作を可能としたシステムでもあります。

従来のように機械式の、たとえばキーボードのような入力方式とは違って、思考をダイレクトに指示できる利点や、
アクセスによるタイムラグの殆ど感知できないという利点が存分に発揮できる恩恵を受けて、現在では操縦を必要とする
マシンの多くにこのシステムは導入されているんですよ。

そのせいもあるのでしょうが、IFSというものは、地球ではパイロット職の証明のように考えられています。


でも定着処理を施さなければ、ナノマシンは『IFS』に適応した電脳的な補助脳を形成しません。

仮に短期間は擬似的に形成されても、定着処理しないからやっぱり一定期間後にナノマシンは自然と体外へと
排出されてしまいます。

あ、補助脳といっても、実際に頭部に集中するわけではありませんよ。
体内のナノマシンが並列処理するという行為であって、あくまで概念的な解釈です。

もちろん、端末の一つは確実に頭部の脳内に発生しますけど。


その他、原点は同じ分子生物学なのに地球ではナノ・テクノロジーが主流となって、火星ではナノマシン・テクノロジーが
主流となった理由とか、イネスさん嬉々として説明してくれました。

それはまるで、水を得た魚のよう。

・・・・・・イネスさん、本当に説明が好きなんですね。






イネスさんが、わたしを人間開発センターから連れ出してくれた理由ですが、元いた研究所の親会社である
ネルガル重工が推し進めるスキャパレリ・プロジェクトに関連することだったそうです。

わたしもこのプロジェクト内のコンピュータ制御とナノマシン処理に関連する計画の一環である
『ヒューマン・インタフェイス・プロジェクト』というのに、クラスAAA被験者として4歳ぐらいの頃から
参加されられていました。

そう、その頃でしたね。
わたし自身は覚えていませんが、スウェーデンの人間研究所ってところからスカウトされたらしいのは。

でも、正確には買われたって言いますね、アレは・・・・・・。

ま、とにかくそこから以前いたネルガル傘下の研究機関、人間開発センターって所に連れてこられて、そこでわたしは
ナノマシン処理を施され、大規模なコンピュータ操作に適した能力を付加させるための研究と教育を受けてました。

ちなみに研究する方じゃありません。
研究される方の、つまりモルモットってやつでした。

わたしの苗字の”ホシノ”は、この人間開発センターの所長夫妻のもので、便宜上、そして親権等の問題もあって、
少し前までわたしはこの所長夫妻の養女ということになっていました。

ええ、過去形です。

あくまで便宜上の紛い物の親子関係でしたし、いまは親権、養育権、所有権は破棄されたので、晴れて他人です。

バイバイ、仮初めの父と母。



スカウトの理由の一つには、わたしの出生にも理由があります。

自分で言うのもなんですが、わたし遺伝子操作で生み出された、ちょっと特殊な人間なんです。

ここ最近では倫理的に問題があるとか成功率が低いとか言われて禁止されてる遺伝子操作ですけど、
わたしが生まれる頃までは、結構行われていたことです。

あ、成功率が低いって言うのは、別に短命だとかそういうことじゃありませんよ。

人間が遺伝子いじり始めて、もう2世紀近く経ちます。
そんな蓄積された経験が、安易な後知恵による『不必要といわれる遺伝子』の切捨てを無意味と定義しました。

そういった行為は生命の健やかなバランスを失う要因になりますし。

つまり成功率が低いって言うのは、遺伝子を調整して知能や体力を増強させるという行為が、必ずしも成功
(発芽し開花の意ですよ)する訳ではないと言う意味での事です。

それに、潜在的なギフト(才能)を生まれる前に付与されても、育つうちに身に付けるスキル(技能)の方が
有効的なのは、ずっと昔から当たり前の事です。



ときどき、わたしをマシンチャイルドと呼ぶ人たちがいます。

本来”マシンチャイルド”という言葉は

『成長過程での環境整備の施された状況下において専門的な英才教育を受け育成された(される)子供』

という意味の総称として使用される言葉です。

ですから、わたしの生い立ちを考えればある意味は正鵠を射たものですが、わたしのように遺伝子操作あるいは
それに類する行為を受けて生まれた赤ん坊は、マシンチャイルドとは呼びません。

この場合は、マシンチャイルドではなく”デザイナーズベビー”と呼ばれるそうです。
意味はそのまま『意味を持たせて創られた赤ん坊』と言う直訳の言葉の解釈通りですよ。

みなさん誤解の無いように。

でも、イネスさん曰く、広域的には男女の産み分けというのも”デザイナーズベビー”の範疇に入るそうで・・・・・・。


 





・・・・・・いけません。

イネスさんの説明癖がうつってしまいました。







ごほん。

ま、実はわたし、このほかにも『S機関搭載戦艦』のオペレータとして選出されていたりとかで、一部の人たちには
別の意味でも有名人だったんですよ、色々と。

このプロジェクトの中核的な物は、その開発から設計までのすべてを火星で行っていたとかで、当然、
イネスさんも関わっていました。

関わっていたと言うよりも、むしろ中核的な人物だったそうです。

でも、不思議です。
イネスさんの専門は専攻は考古学で、火星の遺跡をほじくり返すのが仕事のはずです。
なら、どう関わっていたんでしょう?。

ま、その事は今度、説明してもらうとしましょうか。

さて、このプロジェクト内で『S機関』とか『ディストーション・フィールド』とか呼ばれている技術があります。

これらは、ぶっちゃけ言いますと、いま地球を襲っている謎の宇宙艦隊とか木星蜥蜴とか言われている
敵の技術と同じ技術です。

それはつまり言い換えれば、ことごとく無力化されている現状の地球連合の装備とは違って、今後は確実に対抗し
戦術的に殲滅できる武装が造れるってことを意味しています。

でも企業にはすべての研究内容を公開しなければならない義務はありませんから、その技術は現在進行形で
企業秘密というヴェールに包まれ続けています。

ちなみにこのプロジェクトから派生した結構な数の技術は、すでにパテント申請されちゃてます。
つまり軍需産業であるネルガル重工は法的にも抜かりなく、すべての技術を独占しているって状況なわけ。

解りやすく言うと『欲しけりゃ、金払ってウチの新製品買えや』ってことね。
競合となる製品なんて当然ありませんから、マーケティング理論も無視で、プライス設定も結構強気だそうで。 

大人ってやだな。















本来なら本社づきの研究所に出張に来ていたのがイネスさん。

ですが火星の陥落、そして開戦など、その煽りを受けて大幅な人事異動があって、その結果、現在イネスさんは
サセボ支部で進行中のあるプロジェクトに従事しています

スキャパレリ・プロジェクトの中核的な物は、その開発から設計までのすべてを火星で行っていましたので、
火星側の生存者、とりわけプロジェクトの中核的な人物であったイネスさんの存在は重要かつ必要な人材。

つまりライト・スタッフってやつです。

・・・・・・だれですか?変な訳し方したのは。
ライト・スタッフというのは”有能な人材”の意ですよ。

だからでしょうか、結構いろいろなことに無理が通せたそうです。
そんなわけで、わたしは現在アキトさんたち義姉弟とサセボシティにある社宅で同居中。

共同生活する上での懸案である家事の役割分担も自然と決まって、現在こうなってます。

お金稼ぐ大黒柱はイネスさん。
料理に掃除がアキトさん。
で、わたしのすべきことは洗濯です。

何処で何が役に立つって分からないもので、あの日に覚えた、斜め40度ドラムの洗濯から乾燥までしてくれる
洗濯機の使い方というスキルが、いま役に立っています。

だから言ったでしょう。
潜在的なギフト(才能)よりも、身に付けたスキル(技能)の方が有効的だって。

ごほん・・・・・・。

ところで、よく晴れた日のお日さまの下で干した洗濯物の匂いって知ってますか?。
あの匂いが、最近のわたしのお気に入りです。

アイロンのかけ方だって、抜かりなく学び覚えましたよ。
衣類を選別して、洗って、干して、取り込んで、必要ならアイロンかけて、そしてたたむ。
その一連の作業にぬかりはありません。

日々の労働に汗を流す、そんな平穏な毎日を過ごしています。

・・・・・・戦争中だけどね。




それから買い物は、わたしとアキトさんの共同作業。
買い物帰りに決まってする買い食いと言うものは、わたしの舌を楽しませてくれる欠かせないイベントですから。

だから、アキトさんにたいへんお世話になっているのが、食です。

調理師を目指していただけあって、アキトさんの作るご飯は美味しいんです。

食べやすいようにって、ニンジンとかピーマンとかも細かく切ってくれたりします。
嬉しいですけど、わたし子供じゃありません。
それにニンジンとかピーマンとか、わたし苦手でも嫌いでもありませんよ。

わたしが苦手なのは、米類や麺類なんかの主食品。

あ、でも最近はきちんと食べるようにしてますよ。
作ってくれる人の顔が見えるご飯なんて初めてですし、そんなご飯を粗末には出来ません。
最近はわたしも料理の手伝いしていますから、なおご飯を粗末には出来なくなりました。

でも、計量カップが手放せないからでしょうか。
失礼な事にアキトさん、わたしのお手伝いの様子を見て科学の実験と称します。

だって料理って、適量とか適当ってのが多すぎます。
分量とかはきちんと明記してほしいです。

ちなみに野菜を細かく切ってくれたのには理由があって、アキトさんも小さい頃は、イネスさんが好き嫌いしないように
って同じことしてくれていたからだとか。

多忙だったお義母さんに代わって、よくちっちゃい頃のアキトさんのご飯とか勉強とかの面倒を見ていたのは
イネスさんだったそうです。

ご飯はともかく、勉強の面倒もって・・・・・・よく、ひねくれなかったものです、アキトさん。


嘘です、冗談ですよ、イネスさん。
だからホワイトボードを持ってこないでください。









で、そんな暮らしが日常になり始めていた頃のこと。
お昼を済ませた頃でしたか、イネスさんから『可及的速やかに来なさい』とのお呼び出しがかかりました。

サセボシティのすぐ近く、市内から見て西側に、標高240メートルぐらいの赤崎岳って山がありまして、
その山頂の辺りに見える建物が、ネルガル重工のいろいろと地元でも有名なサセボ支部。

さっきも言いましたが、その支部がイネスさんの現状の職場です。

そんなわけで、その山の頂までアキトさんと一緒にちょっとしたドライブ開始。
車使うから、帰りに大きめのスーパーに寄って買い物も済ませてしまいましょうか。

さて、今日の特売品は何でしたっけ?。



長期リース中の車のステアリングを握るのはアキトさん。
ちなみに火星では15歳頃から各種資格免許を取得できるんだそうです。

火星では欧州の自動車規制を参考にしているそうで、最初の頃こそ、この左側通行ってのに違和感があったって言ってました。
ま、たしかに左側通行の国って、地球でも数えるほどしかありませんからね。
でも、最近はもう慣れたそうです。


桜の花びらの舞い散る専用道を登り終えると、関係者用の駐車場に車を入れて、適当なスペースに駐車したら、
はい、ドライブ終了。

もう桜の咲く頃なんですね。
ふと、あなたと出会ったあの日のことを思い出してしまい、ちょっとだけ感傷に浸ってしまいました。

車を降りたその足で受付に赴いて、それからイネスさんを呼んでもらいます。

出迎えてくれたイネスさんに案内されて向かうその先は、ネルガル重工サセボ支部所有の地下ドック。

サセボ支部内の直通エレベータに乗り込んでから、安全管理規定上の理由とかで黄色い安全帽をかぶらされて、
地下に降ること約300メートル。

そして視界に飛び込んできたのは、そこで着々と建造されている見慣れない形状の、いろんな意味で規格外の一隻の艦船。

イネスさんの説明によるとその艦船は、敵陣の中央に切り込み、その火力と艦載機による多重攻撃によって
一気に戦局の流れを変えるという強襲的な戦術下での運用を主目的として建造中の、新規格の戦闘艦。

ある意味、一転突破のために設計され生まれる予定の『S機関を搭載した特務機動戦艦』。
そしてそれは、わたしがオペレータとして乗船する船。


それは火星が陥落してから5ヶ月近く経った、桜の咲く、2196年3月中旬頃のことでした。


その船は、いまの暮らしの終わりを告げるものでもありますが、仕方がありません。
初めから決まっていたことです。
わたしには選べる選択肢なんて、きっとありませんから。



星の数ほど人がいて、星の数ほど出会いがある。

そして、別れ・・・。



ただ、それだけのことです。

でも、いまはその別れが辛いと感じます。
からっぽのままだったら、こんな気持ちも抱かなかったのに。

知らないことは悪いことじゃないけど、でも知る機会があっても、それでもまだ知らないままでいるのなら、
そのことこそが、きっと良くないことだって、そう、イネスさん教えてくれました。

でも、目を逸らして知らないふりをしていれば、傷つくことはないんです。
思い返してみると、それがわたしの昔の生き方、処世術でした。

昔の、です。

いまは、目を逸らして知らないふりをすることも、知らないままでいることも、もう出来そうにありません。
経験が成長の糧となることを、わたしは知り、そして学んでしまいましたから。

そのことを教えてくれたのはアキトさんにイネスさん。

このお別れは辛いけど、この経験を糧として、ホシノルリ10歳はこれから残りの人生を生きていきます。

それでは、ごきげんよう。







































嘘です。

わたしがオペレータとして乗船する船ですが、乗船するのはわたしだけではありません。

だから訂正します。

それがわたしたちと、その後、結構長い付き合いになるこの船との、最初の出会いだったって。


ちなみにイネスさんは言うには、実はこの船、火星に向かうその為に建造されているそうです。

あ、でもまだこの事は社内機密ですから、誰にも言っちゃいけませんよ。



 



































 
 

1世紀前の月独立派紛争の最中、地球側は初の移動型攻撃拠点、つまり多国籍宇宙軍備を誕生させました。

これが今日の宇宙戦艦とかの雛形です。
 
この辺りの経緯はトンデモ本とか、架空戦記小説とか、その時-歴史の裏側-とかのドキュメンタリで、
結構好き勝手に書かれたものが沢山ありますね。

多いのが、月独立運動から宇宙軍設立までの経緯が、21世紀初頭に衰退の道を歩み始めていた兵器産業の
仕組んだ陰謀説ですか。

ま、月独立派との紛争の収束とともに残された宇宙軍備の管理を巡って、各国間で会談が持たれたとか。

で、21世紀末に地球連合発足して、同時に多国籍宇宙軍備は連合政府直轄の連合宇宙軍へと再編されました。

これが、いまから、約1世紀近く昔のこと。

その設立以降、地球連合宇宙軍は『他の宇宙生命体の侵略に備える』って連合政府が発表した地球人類宣言ってのを、
その存在理由に置いています。


・・・・・・負けたけどね。


じゃ、異種文明の痕跡って見つかっていたの?って言われると、当時から結構見つかっていたそうです。

でも、実際に接触の可能性はきわめて低いってんで、長い間、存在理由のための大義名分になってました。

実際に宇宙軍は何してたのかっていうと地球連合政府への反乱分子への威嚇とか鎮圧とか。

宇宙空間を自在に移動できる戦闘拠点は、地球を含んでの全制空権を得たようなものですし、ま、実際に
1世紀近く地球圏の治安は維持されてました。

 
西暦2195年10月1日、標準時18時30分。
その日、火星軌道上の絶対防衛圏にて人類が初めての宇宙戦争を経験するまでは。


ちなみに、火星開戦の前年にあたる2194年頃から、火星と木星の間の小惑星帯付近に頻繁に出没し侵犯を
繰り返していたそうですが、いまさらそんな事言われてもね。


さて、結果はみなさんご承知の通り。

前記の通り、設立されて以降の連合宇宙軍の想定していた敵は地球圏(これは月自治政府や、火星自治政府を含みます)
の反政府活動や軍事クーデターへの威嚇とか鎮圧。

当然、その戦術論も対艦隊戦を前提とした戦闘に主眼が置かれており、艦艇の主装備たる加粒子砲やレーザーが
敵艦隊及び敵機動兵器に対して一切の損害を与えられずに無力化された段階で戦術的な敗北は決定的なものでした。

とりわけて、艦内や施設内に侵入してくる無数の小型無人兵器に対しては、なす術もなく、こうして人類始まって以来
初となる宇宙艦隊戦は、連合宇宙軍の大敗という結果に終わりました。

この結果に対して地球連合は、残存艦隊に対し地球防衛を最優先事項とする通達をおこないました。

つまり、逃げたってこと。
 
この戦闘で、火星で唯一の宇宙港があるコロニーが消滅したことにより、地表と火星軌道上の中継ステーションとの
往来は既に不可能。

結果として。大多数の火星の民間人を残留させたまま第一艦隊の残存兵力は撤退へと移行。

直後、火星に降下した敵艦隊は各コロニーを殲滅させる。

このことから地球側は火星における生存者を絶望視しています。

記録にある地球に引き上げが適った火星の民間人も、火星軌道上の中継ステーションのスタッフや、入港していた
貨客船の乗員といった、開戦当時火星地表を離れていた若干名のみだそうです。

イネスさんのように開戦以前から地球に来ていた人たちを含めても、それは火星の総人口の数%程度。

昔のわたしなら、それをただの数としか思わなかった。

でも、わたしはあなたたちと出会えた、あなたと出会って・・・・・・。

だから、いまは・・・・・・。
 



















 
理由も解らずに急き立てられる焦燥感。

失ってしまったオモイデ。

消失した過去の自分。

あなたは火星へ戻る事を、誰よりも何よりも求めていた。






















うなされて目覚めたとき、あなたは決まってテラスに出て星空を見上げています。
その視線の先はきっと約7800万キロの彼方にある、あなたが生まれ、あなたが生きてきた、あなたの故郷の赤い星。

薄暗闇の中で思いを馳せるあなたのその背を、わたしは何度も見ました。
はるかな彼方、遠い高みへと、届かないその手を伸ばすあなたの姿、わたしだけじゃなく、イネスさんも知っています。

ナデシコという火星へと赴く手段の存在を知ったアキトさんがそのクルーになることを望むのは、きっと必然。

ホントはイネスさんの権限ならアキトさんをナデシコに乗船させる事は出来ました。
だからあなたの気持ちを知っているイネスさんは、最初は調理師補助としてあなたを乗船させようとしたんですよ。

でもあなたは、そんなコネにすがることなく自力で乗船資格を得ようとしました。
でもアキトさんの火星で取得した資格では、残念ながら・・・・・・。

でも手段がないわけではありません。

火星生まれのアキトさんは、既にIFS処理を施しています。
なら何の問題ありません。
むしろ、それって最大の強みになります。


”第二種情報管理士資格”と”情報処理技術者特種資格”。


呼んで字のごとくのその資格が、ナデシコの存在を知ったアキトさんが地球で得た資格です。

でもちょっとだけ違うのは、それが『IFSを使用したコンピュータ・プログラミング』で、だということ。

IFS処理者=パイロットと思われがちですが、IFSはコンピュータ・プログラミングにも使用出来るんです。
コンピュータにアクセスできるIFSの利点を生かした新しい利用法ですね。

この利用法の構築を目的としたのが、わたしが被験者になっていたコンピュータ制御とナノマシン処理に関連する計画、
つまり『ヒューマン・インタフェイス・プロジェクト』。

当然、このような利用法は現状ではごく一部でしか実用化されておらず、そして担当者にも専門的な教育の必要があります。

でも、問題ありません。
だってわたしは2090年からこのカリキュラムを受け、これに類する資格を既に有していますから。
だからアキトさんに教える事ができました。

詰込み教育の短期決戦でしたけど、でもズルはしてませんし、もちろん贔屓もしてません。

それは本当に、アキトさんが、アキトさん自身の実力で得た資格。

『探究心と好奇心と向上心』という、アキトさんが小さい頃からイネスさんに刷り込まれ、そして、いまも
脈々と息づいている教育方針の成果です。

最近ならともかく昔のわたしには、その3つともありませんでしたね。



アキトさん、この4ヶ月の間、わたしは誰よりもあなたを見ていました。

だからあなたが、どれだけがんばったかも、わたしはよく知っています。

目的も無く言われるままに学ばされたわたしと、目的を持って学んだあなた。

わたしはあなたより多くの知識を有しています。

けどそれは経験の伴わない薄っぺらな、多面性の一面だけを見た、思い込みの知識。

いまなら解ります。

そんなものは、本当の知識じゃありません。

けれどあなたの知識は、経験を伴った、カタチのあるもの。

この4ヶ月間、わたしはあなたに教えているつもりでした。

でも、教わっていたのは、きっとわたしの方。

この4ヶ月間、誰よりもわたしはあなたを見ていました。

アキトさん、わたしは・・・・・・。







































あ、そうそう、ところでアキトさん、ナデシコ乗船クルーの求人およびスカウトの方針って知ってますか?。

『実力重視で集めよう。性格に多少問題があっても一流の腕を持った人材を』だそうで。

・・・・・・ふう。

それって聞こえはいいけど、性格面で問題があっても無視ってわけね。


それとアキトさんの乗船許可取得を受けて、イネスさんもナデシコに乗船することにしたんだそうです。

だからまた、みんな一緒。

ちなみに、アキトさんの所属は科学班。
そこでアキトさんは書記のような仕事をするそうです。

この部署はイネスさんが主任を務めるんだそうで、それを聞いたアキトさんは頭抱えてました。

・・・・・・素直に調理師補助になっていればよかったって言葉は、聞かなかったことにしておきますよ、アキトさん。








































地下ドック入り口のある赤崎岳の山頂部。

そこに登って海側を見下ろすと、眼下にはネルガル重工所有の湾口が見えます。

そしてその湾口が、わたしとアキトさんがいま立っている場所。

本来は民間企業所有の湾口なんですが、戦時下だからか連合宇宙軍所属の駆逐艦も数隻程停泊しています。

対岸には連合海軍の基地も見えますが、そっちにも宇宙軍所属の艦艇が数隻停泊してますね。

ちなみにそちらの連合海軍の基地施設自体は、過去、所属する国家、組織、機関は幾つも変わっていますけど、
2世紀以上前から存在するものです。
 
 
日は暮れて、日中の暑さも和らいで、照らす月にはむら雲が。
頬を撫でる潮風が心地よいです。

今日着てきた服装はオレンジ色のワンピースに、白のミュール。
出かけるときに、この服装に着替えてきました。

実はこれ、アキトさんとイネスさんからのわたしへのバースディ・プレゼントなんです。
こんなことされたの、初めてかもしれません。

でも嫌じゃありません。
嬉しいくらいです。

左手にはちょっと無骨な、いつものコミュニケ。
この服装にはいつも以上に無骨ですね。

あ、”コミュニケ”っていうのは”コミュニュケーション・ツール”の略。
これも火星主体で開発していた”ナデシコ”搭乗員に支給される予定の、艦内通信システム用携帯型パーソナル端末です。

常時、”ナデシコ”に搭載予定の中枢コンピュータ”svc2027”を介して交信可能なこの端末は、従来普及している
携帯端末と比べても桁違いの機能を有しています。

いまはまだ理由があって、コミュニケ同士による相互通信機能程度に機能制限されていますけどね。

でも着信があった場合、目の前に重ね合わせたりする事が可能のウインドウの展開の機能は使用可能ですので、
わたしたちは結構重宝しています。
 
ちなみにこのウインドウは、最近ネルガル系の研究室でディスプレイの代わりに使用されたりしています。
もちろんパテント取得済み。


さて、髪型もいつもとは違ってバレッタを使ってみました。
でも、こういう道具とかはわたし持っていませんので、全部イネスさんからの貸りものです。
そのほか、見立てとかも含めてイネスさんにはたいへんお世話になりました。
 
でもね、結構少女趣味入ってたのはアレでしたよ。

イネスさん、わたし服装とかはシンプルな方が好きです。
 
・・・・・・人の視線を気にするのって、結構不思議な感じ。
どうですか、アキトさん?
わたしの精一杯のおめかしです。

出かけには褒めてくれましたね。
似合っているよって、可愛いよって言ってくれましたよね。

その言葉、すごく嬉しいです。
思わずその場でくるくる回りたくなりました。

でも・・・・・・。
でも、いまのあなたの視線を独り占めするのは、ゴトゴトと牽引されているロボット。

わたし、ロボットに負けたんですか?

腹ただしいです。
結構、腹ただしいものです、こういう状況って。

アキトさん、少女の心をわかっていません。


ま、アキトさんも男の子ですから・・・・・・。
気にしませんよ、わたしは。
ええ、全然。
ちっとも。
これっぽっちも。


ぐすん。


・・・・・・キャリアに寝かされてゴトゴトと牽引されている憎たらしいロボット、これが以前言った
ナデシコの艦載機”エステバリス”です。

開発中は仮名称”エクザバイト”って呼ばれていた時期もあったそうですが、知ったこっちゃありません。

以前流し読みした”エステバリス”の仕様書、てか連合軍向けに作成され配布予定のパンフレットによると、
ロボットの名前”エステバリス”は機体名ではなく、兵器体系の総称だそうです。

”アサルトピット”と呼ばれる”コックピットコア”を中心として、各種フレームと呼ばれる装備を換装するという
特殊な構造を持つ機動兵器の総称、それが”エステバリス”。

既存の機動兵器が、例えば”デルフィニウム”が航空機や宇宙ポッドに延長されるようにそれ単体で完結しているのに対して、
”エステバリス”は母艦とかの運用も視野に入れて開発されたものだとか。

あ、”デルフィニウム”ていうのは現在連合宇宙軍が正式採用して使用している有人機動兵器で、ロケットの先に
手がついたような不恰好なロボットです。

でも構造が単純、かつ安価なこともあって相当数が配備されています。

いちおうIFS制御ですが、レバースティックやペダル操作でのマニュアル運用も可能。
てかIFSを嫌う人、パイロットの中にも結構いて、マニュアル操作で運用する人も多いらしいです。

本来は無重力戦闘用とかで宇宙戦闘部隊に配備されていたらしいのですが、ビックバリア・システムの稼動以降は
宇宙戦闘部隊が第3次防衛ラインの主力戦力として各有人宇宙ステーションに配備されたためいまはそっちに配備されてます。

それ対して”エステバリス"は初めからIFS制御を念頭において開発された対敵無人機動兵器用の機動兵器。

IFS制御の機体というのは突き詰めると操縦者のイメージングの伝達精度によってはスペック以上の性能を引き出すことも
理論上は可能なんだそうです。
 
きわめて特殊な用途に限定して開発されたこの局地戦兵器は、結果、逆に高い汎用性を与えられる事となり、
あらゆる局面での運用を可能にするとかしないとか。


そんな機体が収納用車両、通称”機関車”に牽引されて、わたしたちの目の前をドナドナされています。

プレゼンテーション・モデルというか、デモンストレーション用というか、全体的に蒼く塗装され、胸部に肩部、膝カバーに
”NERGAL WARKS"とか”AESTIVALIS"とかでかでかとマーキングされていますね。

先行生産された39セットの量産試作機のうちの一機で、たぶん機動テストにも使用されていたものでしょう。

ドナドナされてる機体は、見た目”01”装備、つまりスタンダードな陸戦装備。
なら一緒に分解されているかフレームの状態で”02”、”03”、”04”も同時に搬入されているはずです。

ちなみに割り当てられたナンバーによってフレームの使用用途が分類されていて、

”02”:空戦用
”03”:無重力戦用
”04”:砲撃戦用

となっています。

エステバリスが兵器体系の総称って言われる所以は”01”から”04”までを1セットと数え、
運用することを基本としているため。

フレーム換装によって適応力を変更することで、あらゆる状況、環境下での運用を可能としているそうですが、
エネルギー供給用の重力波が水中には到達しない為、さすがに水中戦はちょっと無理です。

そんな理由で”エステバリス”には水中戦用フレームとかはありません。

あしからず。

だから、仮にエステバリスを水中で使用しなければならない状況下では、気密性の高い”03”フレームに
外付けバッテリーを付けて運用するしかありませんね。

あ、エステバリスのテストはどうやって行われていたかと言うと、もちろん外付けのバッテリーも同時に
開発されていますからそちらを搭載して各種テストを行っていました。

ちなみに、エステバリスは電気駆動です。

S機関・・・じゃなくて、相転移エンジン搭載艦から重力波を使用したエネルギー供給方式を採用している
”エステバリス”ですから、”ナデシコ”が艤装どころか船体も完成していない頃はそうするほかありませんでした。

ま、この辺りが良くも悪くも”エステバリス”が母艦とかの運用も視野に入れて開発されたものって言われる所以です。


いま搬入されている”エステバリス”は、母艦との連動運用データの収拾がすんだら、一旦ラボに回収される予定になってます。
その後に正式な量産品の一次ロッドが、10セットぐらいまとめて進水式、てか出航前に搬入されるんだそうです。












だいぶカタチになってきた”ナデシコ”の船体のイメージは、なんだかグデって寝そべってる犬のような、あれです。

初めて見たときに、行きつけのお肉屋さんの飼い犬のようですって言ったら、アキトさんに笑われました。
笑うなんて、ひどいです。
少女の素直な感想じゃないですか。

もう中にも入れますが何度乗船しても、相変わらず中枢コンピュータの”scv2027”は影も形もありません。
まだ暫くは到着しないそうなので、ここに足を運んでも実質的にわたしの仕事はありません。
アキトさんやイネスさんはあるのにね。

そうそう、なんでも雇った料理長の意向で、ナデシコは軍艦に比べてはるかに『食事』に充実した船になるって話でしたので、
ちょっと厨房も覗いてきました。

だからでしょうか?この手の船にしては珍しい事に、ガスが使用可能となっていました。
最近のわたしは舌が庶民的な方向に肥えているので、ちょっと楽しみです。

ちなみに、たいていの軍艦はキッチンヒーターと大型の電子レンジの組み合わせのが厨房が主流となっています。
あ、ナデシコって登録上は民間船だけど、軍艦の規格で製造されているんですよ。
ガスの使用可能が珍しいってのは、そういう理由からです。


普通、わたしたちが思い浮かべる宇宙戦艦の見慣れた、つまり装甲船体に各モジュールをレイアウトした、
ある程度の流線型、そして上下左右対称形と言う従来のデザインは、基本的に1世紀前からさしたる変化がありません。

それは技術的にも設計的にも、前時代的な制約に縛られていたからです。

ですが、先に述べたようにナデシコの船体デザインは、これまでの宇宙戦艦のデザインとは大きく異なっています。

”ナデシコ”は、そういった前時代的な制約から離れた、そして宇宙工学という学問的な分野から見ても
先進的かつ画期的なデザインらしいです。

じゃ、どこら辺が先進的かつ画期的かって簡単に言うと、具体的に一切の無駄の無い合理的な設計、つまり
船体を構成する各部に徹底的なユニット化を図っているってところが。

ぶっちゃけ言うと、それって敵艦の構造のコピー、つまりパクリてヤツなんですけどね。
でも、ま、『敵の持つものを持て』ってやつってことで。

相手側の兵器の優れた点を取り入れることは、いつもの事だし。


ここまでの話からもう判ると思うけど、このナデシコの船体は戦争が始まってから設計されたものです。

『S機関』てのは『相転移エンジン』の仮称コードだったから、『S機関搭載戦艦』と『相転移エンジン搭載艦』は
実質的には同一のものです。

けど、船体のデザインとかレイアウトとかはまったくの別物ですから、混同しやすいけれど、区別しとかないと駄目ですよ。

ちなみに開戦前に規格設計されて、船体設計やデザインが前時代的な制約に縛られていたままで図面を引いていたものが、
『S機関搭載戦艦』。

それに対して、開戦後、敵艦の構造をコピーして、再度、図面を引き直したものが『ナデシコ』です。


さて、はじめて見た頃に比べれば船体もだいぶ形になってきました。

でも、まだ船体のエンジン部分の類は影も形もありません。

そんな遅れに遅れていた相転移エンジンを含む、船体のエンジン回りですが、先日ようやくに完成したそうで、
本日夕刻過ぎに、試作機の”エステバリス”1セットと一緒に貨物船で輸送されて来ました。

あ、ナデシコの造船は、最終的なアッセンブリのみをサセボドックにて行っているだけで、”ナデシコ”の各部の
設計、開発、建造に関してはなんでもリスクの分散だとかでネルガルの各支社で同時に進められていたそうです。

で、到着後、相転移エンジンを最優先で積み降ろして、資材搬入用エレベータを使って地下ドックに運び込んでました。

平行して船体の艤装も始めるそうですから、今頃遅れを取り戻そうと、急ピッチで組み立てを開始しているのでしょう。


ま、がんばって。




















ちなみに本来なら今日と明日は休暇だったはずのイネスさん。
でも、遅れていた荷物が到着したので、今夜は急遽、泊り込みのシフトに変更だそうで・・・・・・。

ご苦労様です。

で、わたしたちは悲しみにくれるイネスさんをサセボ支部に送って来たついでにナデシコを見学。
その後、わたしたちは港の方に出て涼んでいました。

そこでアキトさんを夢中にさせる、あのロボットのドナドナに遭遇。
パンフレットで見たときには興味無さそうだったのに、実物を目撃したらアキトさん、お散歩中のお肉屋さんの犬のように
なっちゃいました。

ぐすん。

せっかくお洒落したんですよ。
もちょっとわたしにも目を向けてほしいです。

イネスさんに言いつけますから、ホントに。


でも、自分自身に驚きですよ・・・・。

解ってます。

解ってますよ、この感情の正体が何なのかは。


嫉妬。

やきもち。

つまり、”じぇらしぃ”ってやつです。


・・・・・・それもロボット相手に、ですか。


 

だめですね。

どうにも思考の堂々巡りってやつですよ。

なんだか理知的に思考できません。

違います、思考が理知的に機能してくれないんです。

だから模範的な解答とか、正確な答えとかも出てきません。

・・・・・・てか、そんなのわたし元々知りませんし。


困りましたね。
 

そんなわたしの深遠な思考を妨げるように、わたしの名前を呼ぶ声が聞こえますが・・・・・・。

うるさいです。

仕方なく顔を上げると、そこにはいきなり、それも真近にアキトさんの顔がありました。

それって・・・・・・。

く、口づけというものを、ご、ご所望なのでしょうか?


・・・・・・ごくっ。

 
と、当方は覚悟な遊撃で完了有りと思考回路は算出しました。

も、問題ありません。

く、来るならきやがれ、です。

大丈夫、大丈夫です。
何ら問題はありません。
そう、イネスさんの定期購読している女性誌の特集で記載されていた統計学上のファ・・・・・・。

・・・・・・は?。

あ、違いました。

当たり前ですが、わたしの勘違いです。
アキトさんは、山頂のサセボ支部にイネスさん迎えに行って帰ろうか?って聞いていただけです。
わたしが顔を赤くしていたんで、心配してくれていただけ。

馬鹿?
いえ、わたしがです。
・・・・・・ほんと馬鹿。

 













つないでくれたアキトさんの手は少し筋張った大人の手。

でも、あたたかくて優しい手。

いつものわたしなら、そんな子供っぽい真似は、「わたし少女です」って断ってしまいますが、今日は、いまこのときは、
そんなもったいない真似はしません。

てか、出来ません。

だからわたしは、つないだその手をしっかりと握り返します。


港から山頂のサセボ支部に行くには、産業道路を通って一旦市内の戻ってから赤崎岳に上ります。
でもそれは車の場合。

乗ってきた車は、元々、山頂のサセボ支部の専用駐車場に止めて来ていますから、わたしたちは地下ドックを経由して、
上に戻ります。

ま、来たときと逆の道順ですね。


資材搬入用エレベータの方に向かって、てくてく歩いているわたしたち。

困りましたね。
てくてく歩きながらも、わたしの視線はちらちらとアキトさんを窺ってしまいます。

途中、搬入待ちで停車している収納用車両”機関車”と、牽引されてるドナドナ・ロボットとすれ違いましたので、
もちろん忘れずに恨みの視線、ルリ・ビームを注いでおきます。

あ、運転席のおじさんが、何故だかびくっと怯えた表情をしました。

・・・・・・ごめんなさい、運転席のおじさん。

あなたに罪はありません。
でも、キャリアに乗っけてるロボットにはちょっと恨みがありますので・・・・・・。

そんなわけで、アキトさんの手を引いて足早に通りすぎます。

理由も判らずに、ぽかんとして、されるままに手を引かれていたアキトさん。
でも、そんなアキトさんにわたしは突然、抱きしめられました。

い、いきなりです。

わたしの顔がアキトさんの胸に押し付けられて、わたしの胸はトクンと高鳴ります。

あなたのにおいがわたしの鼻腔をくすぐります。

もうわたしに聞こえるのは、あなたの胸の鼓動だけ。


どこかで聞こえる爆発の音すらも・・・・・・爆発?

疑問は一気に氷解しました。

視界に入るのは、赤い多脚戦車を抱え、あるいは切り離し、低空で飛行する識別分類コードEA-003D。
黄色いバグス。

近くで炸裂するミサイル。

その爆風に吹き飛ばされるわたしたち。

それは、敵襲でした。





















爆風にあおられて、わたしとアキトさんは二転三転と地面を転がります。

わたしはアキトさんに抱えられながらでしたから、たいした怪我はありませんでした。
ちょっとだけ、すりむいたくらいです。

アキトさん、アキトさんは?

わたしに覆いかぶさる格好のままで、周囲を、そして黄色いバグスを見つめるあなた。

「・・・・・・アイちゃん」

・・・・・・また、その人の名前。
その人は、あなたにとって、その人は。

「・・・ったんだ・・・」

あなたの瞼を熱くするものが零れて、わたしの頬にかかる。
それは涙。
 
怪我をしたときのあなたの血潮も、そしていまのあなたの涙も、人の中にあるものは、こんなにも熱い。
でも、あの頃のわたしは、そんな当たり前のことも知らなかった。

「助けたかったんだ。あの子は、まだ小さな子供だったんだ」

子供だったんですか、アイちゃんて。
嫌だけど、そのことに、どこかで安心している自分がいました。

「助けたかったんだ・・・・・・」

唇を噛みしめて嗚咽するあなたのその苦しみ。
経験の何もないわたしには、知りえなくて、理解できなくて、何よりも、そんな自分をひどくもどかしく感じて。


炎に照り返され、すべてが赤く染まる世界。

立ち上る黒煙も、焼け焦げる、鼻をつく臭いも、これがあなたの苦しみと悲しみの原風景なのだと、固く握りしめられた
その手が、言葉なく語っています。

無力さに憤りを感じても、急き立てられる焦燥感に急かされても、如何すれば、何をすれば良いのかが分からない。
欠けた記憶をわずかに取り戻せても、それが苦しみとか悲しみを取り除いてはくれなくて。
だから、ただ積み重なっていくオモイデに、忘れてはいけない記憶に、あなたはいま耐えることしか出来ない。


起き上がって回りを見渡すと、そこは爆風に煽られたのか、横転しているロボットとキャリアがありました。
牽引する”機関車”も無残に損壊していましたが、そのむき出しの運転席に人影はありません。

運転席に座っていたさっきのおじさんは、その体にはたくさんの破片が刺さったまま、そしてたくさんの血を流しながら
近くに投げ出されていて、そしてもう、こと切れていました。

たぶん即死。

近寄って脈を取って、その事実を確認。
触れた指先には、まだ温もりがありますけど、わたしの医学的な知識が、理性的にそう判断します。
でも感情はそうはいきません。

さっきまで生きていた人が死ぬ。
その光景をわたしは初めて見て、経験して、そして知りました。

いくら死者を数字で数えて誤魔化しても、それでも人が死ぬことには変わりなくて。
非常識が常識にすり替わっても、このおじさんが死んだら、きっと何処かの誰かが悲しむ。
明日のごとく訪れる、人の生命の破壊。

それが、死。

もしも、ここに倒れていたのがおじさんじゃなくて、もっと親しい知っている人、たとえばアキトさんや
イネスさんだったとしたら・・・・・・。

そう考えてしまったら、怖くて体が震えていました。

でも震えていたわたしの手に、添え重ねてくれていた手がありました。
それはさっきまで固く握りしめられていたけれど、知らぬ間に解かれていた、あなたの優しい手。

そんな優しい手に、縋るように、そして決して離さないようにと、わたしはしっかりと握り返していました。


アキトさん、あなたは過去に何度もこんな光景を経験したんですね。
その都度あなたは傷ついて、でもだからこそ、こんなにも優しくて・・・・・・。

あなたは視線を逸らすことなく、この光景を脳裏に焼き付ける。
忘れてはいけない、生きる限り積み重ねていく自分の歴史だから。
それは存在していたという記憶。



どこかで立ち上る爆炎と共に、また、吹き付けてくる爆風。



一瞬だけの、瞑目。

そして見開かれたあなたの双眸。

その眼差しが見つめるのは、過ぎ去った、戻れない過去ではなくて、いま。

機会が二度扉を叩く事はなく、だからこれは、よく似た別の光景。

でも、すべての出来事が、其処から何かを学びとる為に存在するのなら。

そしてあなたが見つめる、その視線の先にあるものは・・・・・・。


それは敵無人機動兵器に対抗する為に新規開発された機動兵器”エステバリス”。
過ぎ去った過去には存在せず、でもいまは存在するもの。


いまこの時が、あなたが苦しみと悲しみを乗り越える事が出来る機会なのなら、わたしもあなたに付き合います。

誰に言われたからでもなく、それはわたしが自分で考え、望んで、そして決めた、きっと初めてのこと。
正しい選択なのか、それとも間違った選択なのかが分からない不安感は、たしかにあります。
でも同時にこの胸に湧く高揚感、初めてだけど嫌いじゃありません。

一緒に逃げるのは、このロボットが動かないって分かってからでもいいです。
それに、もし動くのならこの炎の中を逃げ回るより、きっと、このロボットに乗っていた方がずっと安全。


そして、わずかな躊躇のあと、わたしたちが出した結論。

それは・・・・・・。













 


























IFSコントロール・ボールを握ったアキトさんの右手の甲で輝くナノマシンのパターン。

その輝きにコンソール・ボードのインジゲータも同調し、連動するように同時に起動。

そして全方位スクリーンに輝きが灯り、紅蓮の炎に包まれた周囲の様子が映し出されます。

同時にコミュニケの情報スクリーンみたいのが多重に展開され、機体のチェックを開始しますが、投影され表示される
POP調の文字を見てアキトさん呻きます。

エステバリスの情報ウインドウ表示って、いまのところ基本的に日本語表示。

まだまだ日本語の、とりわけて漢字とか文章が苦手なアキトさんですので、代わってわたしが逐一それらを音読します。

でも、帰ったら久しぶりに漢字の書き取りドリルを再開しましょうね、アキトさん。

そう、帰ったらです。



幸いな事に外部ユニットは背部に接続されたままで、バッテリー・ゲイジもフルチャージのラインを指し示しています。

やりました。
これはスタンド・アローンでの長時間の運用が可能だと言う事です。

固定武装以外の武装は、当たり前だけれどなし。

これは仕方がありませんが、兵器でありながら人型である”エステバリス”の最大の利点は、格闘戦時には最終的に
徒手空拳による戦闘も想定されているため、機体そのものを武器として使用できるという点があります。

だから問題はない筈・・・・・・です。

たぶん。

アキトさんは何度か頷き、いくつかの確認をした後、IFSを通じてコマンドを思考します。


”ウエイク・アップ”


その指令を受け、全関節のロックが解除。
各関節が独特の駆動音を響かせるなかで、機体はゆっくりと、姿勢を正しながら起き上がる。

パイロットはハーネス等を使用したり、専用のスーツを着用しなくても、背中の接合点で直接シートに固定されますが、
それはシートに着座したパイロットだけ。

わたしはアキトさんの左の太ももの上に腰掛けているだけですから、落ちないようにとアキトさんが、
わたしの腰に手をまわして支えてくれています。

触れるあなたから伝わる温もりが、心地よくて、何よりも安心できて。


で、でも・・・・・・お、重くはありませんか?


ごほん・・・・・・。

必然的にわたしはアキトさんに代わって、左手でコンソール左側のコントロール・スティックを握り、
トリガー・スイッチに人差し指をかけています。

IFSを採用していても、武器のトリガーは人の手で物理的に制御します。
これも一種のセーフティでしょう。


わたしのおなかに添えられたアキトさんの手は、小刻みに震えていました。

だからわたしは、開いた右手をそっとアキトさんの震える手に重ねます。

そうしたら、驚いたようにわたしを見て、笑いかけてくれて。

それは、少し引きつっていたけれど、わたしの好きなあなたの優しい微笑み。

わたしたちは、ちょっとだけ見詰め合っていました。


あ、わたしはこんな風にも微笑めたんですね。

あなたのとび色の瞳の中には、わたしが映っていました。

そして、わたしの金瞳のなかにも、きっとあなたが。


それから、あなたは視線を戻す。

見つめる先は、紅蓮の炎に包まれた世界と、その世界に蠢くもの。

それは黄色いバグスと、対地攻撃時にはセットで現れる赤い多脚戦車。


あなたは此処にいて、あなたの視線も、いまを見て。


「今度は・・・・・・」

わたしの耳をくすぐる、アキトさんの低い呟き。

「もう二度と・・・・・・」


それはあなたの決意の言葉。

そして、いまのわたしはきっと、アイちゃんて人の代わり。

でも、構いません。

いまのわたしには、まだあなたの背を追うことしか出来ないから。

だから背伸びはせずに、少女らしく、いまはあなたに甘えます。


でも、いつか、きっと・・・・・・。








































ああ。

この感情、やっと解りました。

わたしはあなたが好きなのですね。


・・・・・わたしは、あなたが好きです。

 







































『助けたかったんだ・・・・・・』


それは、コミュニケごしに聞こえてきたその言葉は、あの子の、あの人の真実の叫び。

そしてそれは、私の心の奥底に埋もれていた琴線に触れる言葉。

だから瞼を熱くしたものが、耐え切れずに零れてしまっていた。


失っていたのは、うつろだった過去と思い出。

でも、ずっと立ち込めていた過去を遮る厚い霧は、大怪我をして、血に濡れていた弟を前にしたあのとき、一気に晴れた。

そして、そのときになって、すべてを思い出せた。



「お兄ちゃん」

それは、万感の思いを込めた、呟きの言葉。

私は、過ぎ去ったあのときのことを思い出し、そして噛みしめる。



背を押してくれたおばちゃ・・・・・・お姉さんとの会話を。

コミュニケ越しに交わした、お兄ちゃんとの会話を。

お姉さんと一緒に食べた、お兄ちゃんがくれた蜜柑の味を。

交わした、お姉さんとの約束を。



青白い光の粒子をまとって虚空から現れた、蒼いロボットの記憶。

いまなら分かる、あれは02装備の”エステバリス”。

反重力推進機関を使用して、ふわりと舞い降りる”02”。

停止した電磁駆動ラムジェット推進機関の余熱が作り出す、頬を撫でる暖かな風の感触。

かしずいて、頭をたれた巨人。

胸部装甲が上方にスライドして、腹部装甲が圧搾空気の開放音と共に展開されて。

そして降りてきたのは、大好きだったお兄ちゃん。

駆け寄って、抱きしめてくれて、それから、一緒に泣いて。

それに、ほんの少し背伸びしての、つたないはじめての口づけ・・・・・・。


思い出すだけで、熱い想いが、ただただ胸を満たす。


大好きで、きっと初恋だったお兄ちゃん。

あの時、交わした言葉も。

あの人の優しい笑顔も。

あの人の声も。

そのすべてを、いまならこんなにもはっきりと思い出せるのに。


でも、それはどこかぼやけた、甘やかで切ないもの。

だからそれは、もう、過ぎ去ってしまった思い出だと・・・・・・判かっているし、そして理解もしていた。



自分にとっての忘れえぬ日々だと思っていたけれど。

どんな事があっても、あの人の事だけは、忘れないつもりだったけれど。

でも実際には、多くのことを忘れてしまっていた。

自分の名前すらも忘れていて、そして、結局・・・・・・。


知らないうちに再会していた、あの日。

そして、一緒に暮らし始めていた、月日。

そんな積み重ねていた時間が、そんな日々が・・・・・・大好きで、きっと初恋だったあのひとを、いまは大切な弟へと
変えてしまっていた。


それはきっと、守れなかった約束のために支払った代償。


でも、あの子の喜ぶことだって、あの子の嫌いなものだって、あの子のことなら何だって知っている。

そしてそれは、家族として、姉として、それだけの時間を一緒に積み重ねてきた証明。

なら・・・・・・。

なら、いまの自分とあの少女は、もうよく似た別人。

そして同じように、あの人とあの子も、よく似た別人。

それが・・・・・・。

それが、すべてを思い出せたあの日から、九ヶ月近くかかって私の出した、最終結論。



ぐずりと、鼻をすする。

うん、大丈夫。

まだ少しだけ悲しいけれど、あの日の思い出はこの自分の胸のうちに、いまもしっかりと息づいていて。

その事実が嬉しいから、私に自然と微笑が、とても優しい笑顔が浮かんでいた。

それにあの子の、あの人の真実の叫びを聞くことも出来たから。

だから、それで十分。

いま、その言葉が聞けただけで、もう私には十分だった。




でもわたしの経験した過去も、私の弟にとっては、まだ確定しない未来に属する事象の一つ。

無数に存在し、そして将来起こり得る可能性の世界のうちの一つ。

それは、あの少女との再会を果たせない可能性も包括すると言うこと。

そのことにも気が付いて、私の表情が少しだけ曇る。

けれど、それでも・・・・・・。

それでも進むしかない。

だって、望み欲するのなら、まず自分から動かなければいけないのだから。







































その光景に、彼女は予感を覚える。

それが確信に変わったのは、登録済みのコミュミケの”パーソナル・マーカー”の反応が、戦闘中の”エステバリス”の
中にあったとき。

それは彼女が家族に、弟と妹に持たせていたコミュミケの反応。



展開されていた赤い多脚戦車数機が、爆散。

生じ、立ち昇る爆炎と黒煙に風穴を開け、まとう煙を引き裂いて、背部のスラスターに輝きを灯らせ、飛翔する巨人。



それは眼下の港で、いま起きている現在進行形の戦闘。

いま赤崎岳の頂に立つ彼女は、涙で霞んだ眼差しで、その戦闘を見つめる。

碧眼の双眸に懐かしさと、ほんのわずかな悲しみを浮かべつつ、彼女の視線は蒼い巨人を追う。



飛行中の黄色いバグス数機と空中戦を繰り広げていた”エステバリス”。

”01”の上昇限界高度に達し、機体は自然と自由落下状態に入る。
それでも、その状態から両手に掴んでいた黄色いバグスを投げつけ、狙いは違わず黄色いバグス同士が激突。
そしてバグスは圧壊し、周囲を巻き込んで爆発。

”エステバリス”は巨体を捻り、姿勢を整え、スラスターを使用し減速、そして着地。

脚部のバリアブルショック・アブソーバ・ユニットが可能なかぎりその衝撃を吸収し、同時に可変式膝カバーから
気化した衝撃吸収剤が噴出。

炎に照らされ映える蒼い装甲に、音を立てて当たる、落下してきたバグスの細かな破片。

頭部のセンサは周囲を絶えず周囲を索敵し、搭乗者に最新の情報を提示、凶暴な力を潜ませたまま、
搭乗者からの次のコマンドを待つ。

一泊の呼吸の後、踝のフライ・ホイールが起動、踵のキャタピラが路面を蹴りつけ、鞭を打たれた機体が駆け、
陽炎の中にゆらめき踊る。



その光景を見た、彼女の脳裏に浮かんだ光景。

それは、シェルターで守ろうとしてくれたあの人の姿と、青白い光の中に消えていくあの人の背中だった。

そしてその幻影は、彼女の長い旅路の始まりのとき。

何故だか懐かしさを覚えてしまったのは、きっと、あの日の出来事と重なってしまったから。





でも、あのときとよく似た状況なのに、配役が変わっていて。

その事が少しだけ悲しく、そして寂しかった。

けれどそれは、あの人と、あの子の本質が、何の違いもない事を物語っている事でもあった。

だからその事が、彼女には嬉しくて、そして姉として誇らしくもあった。




彼女は、ふと視線を対岸へ向ける。

目と鼻の先で始められた戦闘に、連合海軍基地から駆逐艦と戦艦が数隻、離水している様子が見て取れた。

上空に目を向ければ、スクランブルで飛来してきた戦闘機の姿もあった。

心強いかは別として、それが援軍である事は間違いない。



彼女は眼下の戦場に、いや、ただ一機の、拳を振り上げた”エステバリス”に視線を戻す。



そこでの光景が、あの子の想いが、十分に胸を満たしてくれた。

だからだろうか、彼女の唇から、知らずにもれる言葉が、あった。


「会える、会えるから」


それはまだ様々な感情を含んではいたけれど、昔弟に寝物語を聞かせたときのような優しい声音。


「今は会えなくても、絶対に、絶対に会えるから」


それは、昔よく弟に言い聞かせていたときのような、優しい声音。


でも、その呟きをあの子に伝えるに到るその日、そのときは、いったい、いつになるのだろう。

きっとそれは、まだずっと先のこと。


知る価値のあるものは、いつだって教えられないものばかり。

本当に、その通りだ。

だからいまはまだ、自分だけの胸のうちに秘めておこうと、そう彼女は決めた。


いつか、伝えるその日まで。

その言葉は、その日が来るまで、まだ聞かせる者のいない言葉。

だからいまその言葉は、四散し、霧散して、誰の耳にも届く事無く、すぐに消えた。

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この作品は、らいるさんとぴんきいさんのHP『そこはかとなく存在してみたり』内の企画、festa-sokohakaの参加作品です

『もし、ユリカがアキトの事を覚えていなかったら?』というIFで書かれています

festa-sokohakaは残念ながら2005年の3月いっぱいで閉鎖ということになりました


b83yrの感想

舞鶴の栗原さんより、festa-sokohakaからの移転です

でも、改定して30KBほど増量したそうです

ちなみに、このSSを私がfesta-sokohakaで最所に読んだ時の感想

「あれ、ユリカが出てこない」

「でも、これはこれで有りかな」

でした

無理にユリカ出して扱いに悩むよりも、思い切って出さないっていうのも、一つの選択だなと

ルリは子供らしくない子供が子供らしいけど、子供らしくなかったりもするなと

訳解らん事言ってるように感じるかもしれませんが、正直に思った事がそうだから仕方ない(苦笑)

でも、『元々のTV版ルリのキャラ』だって、そういうキャラな気もする

イネス=アイちゃんは、『失恋した時に魅力を感じさせるキャラって魅力があるな』と

やっぱ、『悲恋、失恋話に感情移入出来ないようじゃ、恋愛絡みの話の登場人物としてはどうか?』と思うんですよね

TV版でアキトに失恋した女性キャラってほとんど感情移入出来なかったし・・・・

というか、公式カップリングの筈のユリカ×アキトすら、『えっ、なんでこれでくっつくの?』っていうのが私の正直な感想ですし(苦笑)

ユリカの事を『キャラとしてなら好き』と『ユリカ×アキトが納得出来ているか』は別問題

そういう事考えていくと、やっぱユリカを出さないってやり方も有りだなと

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