最終話

機動戦艦ナデシコ


変わりゆく過去




最終話



あの事件、アキトとルリが北辰に襲われてから半年が経ったこの日、ミナトの家には
ルリが遊びに来ていた。
あの事件以来、交流が途絶えていた二人だが2週間ほど前からミナトの方から連絡を取ってきていた。
ルリにとっては、姉同然の彼女の誘いを断りきれず、意を決した様にやってきたと言うわけだ。

しかし、訪れたルリの様子がどうにもおかしいのは、ミナトならずとも気付くだろう。
普段のルリは、そんなに服装に気を使わないと言うか、そっけない印象があったのだが、今日のルリは
何時ものシンプルな服装ではなく、白を強調したワンピースだ。

もっとも、この服もシンプルと言えばシンプルなのだが、女性雑誌で特集されたばかりの服をルリが着ているのは、
何時ものルリらしくないと言えるだろう。


「ふ〜ん、今日が約束の日なんだ? 」

「あ、はい…今日はうまく撒けそうなので…」


ルリの近況をユキナから聞いていたミナトは、その答えにニヤリと怪しい笑みを浮かべる。
その笑みが何を差しているのか、気付いたルリは恥かしそうに顔を下に向けてしまう。


「はいはい、ごちそうさま…それにしても、あの事件の影響でこんな事になるん何てねぇ。
 人生ってわかんないわねぇ、ルリルリ? 」

「はい…」


改めてミナトに言われると、自分でも感心すると言うか、驚きは少なからずあった。
だが、この選択は後悔はしない。 たとえ、その後どうなろうとも。
あの時、自分の気持ちを打ち明けた時から。


「あの…それで私とアキトさんを助けてくれた人はどうなったんですか? 」

「ん? 気になるの? 」


自分の気持ちを再確認すると同時に、疑問に思ってきた事を口にするルリ。
あのアキトにうりふたつの黒尽くめの男の事を。
ゴートやプロスと再開した時に何気なく聞いてみたのだが、どうにも良くわかっていない様だった。
教えられた事と言えば、ミナトと何か関係があったという事だけだだが、それはもちろん
当の昔に知っているルリにはどうでも良い答えだった。

ただ、彼女はあの黒尽くめの男にお礼を言いたたかっただけなのだが。


「彼ね、あの後、大事な用事が出来たとか言って、そのまま帰ってこないのよ」

「帰ってこない? あれから一度もですか? 」

「そうよ〜男って身勝手よねぇ、ルリルリ」

「それで良いんですか!? 」


のほほんとするミナトに対して、ルリは珍しく声を荒げる。
ミナトの今の状態を知っている人間だからこそ、怒りが湧き上がるのだろうが、肝心のミナトは
そんなルリの様子を笑いながら諌める。


「まあまあ、私もちゃんと納得して送り出したんだから。 彼にも色々と事情があるのよ。
 全てがうまく行く事ってなかなか無いのよ。 今のルリルリと違って、ね」

「はぐらかさないで下さい…」


正直に答えてくれないミナトに、ため息を漏らすルリ。 その顔が横を向いているのは
呆れていると言うだけでなく、自分の事で指摘された恥かしさからだろう。


「ほ〜んと、今のルリルリって良い顔しているわね。 
 で、そろそろ出かけないと不味いんじゃないの? 」

「え? あ、すいません。 そろそろ、失礼します」


特別な日なのだろう、珍しく身につけている腕時計の時間を確認したルリは慌てた様に
玄関へと向かってゆく。


「ルリルリ、私は貴方の味方だからね」

「はい…ありがとうございます」


少し恥ずかしそうにしながらも、ミナトの家を後にするルリ。
だが、内心嬉しかったのか、小さくVサインをしながら去ってゆくルリの姿は、何か微笑ましいものに
見えたミナトであった。





その頃、ネルガルのトレーニングルームではアキトがツキオミ相手に戦っていた。
主にネルガルのシークレットサービスのトレーニングに使用しているが、今は二人の姿しか見えない。
トレーニング設備もある為、さほど広くない一室ではあるが奥の方にスパーリングを行なうスペースは確保されている。
そこで、2時間ほど前から二人は戦っているのだが、室内にはアキトの荒い息遣いのみが響くだけだった。

そのアキトの方は、必死にツキオミに攻撃を当てようと必死になっているのだが、相手のツキオミは涼しい顔で
攻撃を避けていた。
もちろん、いくつかは当たっているのだが、威力はツキオミの動きにより完全に封じられている為に決定打に
なってはいなかった。


「ふむ、少し休むか」

「ちくしょう、まだ、無理かぁ…」

「気にするな、今のお前の動きは半年前よりは良くなっている。 半年前は、私に触れる事も出来なかっただろう。
 それを考えれば、大した進歩だ」

「でも…それじゃあ、駄目なんすよ…」


息を乱さずに立っているツキオミとは対照的に、アキトの方は荒い息をしつつ、仰向けに床に倒れこむ。
あの事件で傷を負ったアキトは回復した後、入院していた時に再会したツキオミに
格闘技の手ほどきを受けていた。

しかも、この間はラーメン屋としての活動は全く行なっていなかった。
それは廃業とも言えるかもしれないが、アキトの気持ちを聞いたツキオミはその趣旨を
ネルガルの会長、アカツキに報告してアキトを自分の部下と言う形でネルガルに向かい入れる事とした。

それからと言うもの、アキトは日が明けて沈むまで訓練に明け暮れた。



「あせるな。 お前が出会ったあの男は、木連でもトップクラスの実力の持ち主だ。
 北辰の役割を考えれば、素人のお前が死なないでいただけでも奇跡に近いものだからな。
 奴と遣り合えるのは当分先にはなるが、日々の鍛錬を怠らなければ、いずれ追いつくだろう」

「焦っても、仕方ないんすね」


自分に言い聞かせる様に呟くアキト。 だが、分かっていてもどうにも出来ない、もどかしい気持ち
が胸の奥で渦巻いていた。


「おやおや、今日も今日とて修行かい? ご苦労な事だねぇ。 
 修行も良いけど、そろそろお仕事も手伝って欲しいもんだね、テンカワ君」


声の方に二人が目を向けると、そこにはネルガルの会長、アカツキが扉にもたれかかる様に
二人を見ていた。


「アカ…会長」

「おやおや、そんなに改まる必要なんか無いよ、テンカワ君。 僕が雇い主になったとは言え、君とは
 友人として接したいからね。 今まで通りで良いよ」


会長と呼ぶアキトに笑いながら答えるアカツキ。 アキト自身、呼びにくいとは考えていたのだが、
自分の今の立場を考えると素直に納得できずに苦笑するしかなかった。


「んで、いつ頃までには使い物になるんだい? 先生」

「会長、テンカワが訓練しているのはあくまでも格闘術だけです。 我々の仕事を手伝うには
 まだ早すぎると考えております」


少し皮肉交じりに問いかけるアカツキに、ツキオミは凛とした声で返答する。
彼自身、自分がゴートの仕事を手伝っている事はアキトには伝えている。 もちろん、その内容が
決して誉められた事ではない事を。
だが、その事を話した時のアキトの反応を見る限りは、もう少し時期を置くべきではと考えていた。


「ま、いいか。 今日、明日にでもゴートたちがやっている事をやれと言うのが無理な事だしね。
 ましてや、テンカワ君がと考えればなおさらかな? 」

「アカツキ、俺は大丈夫だ。 だから、今からでもゴートさんやツキオミさんの手伝いをさせてくれ」

「あ、そうそう、大丈夫とか言うけど時間の方は大丈夫なのかい? 」


真剣な眼差しで頼み込むアキトを茶化す様に、壁にかけてある時計を指指すアカツキ。
その時計を見たアキトの顔は、みるみるうちに真っ青と形容詞した方が言いような顔になってゆく。


「やばっ! 時間に遅れちまう! 」

「そうだな、今日はこの辺にしておこう」

「すいません、ツキオミさん。 ありがと、アカツキ! 」



「お〜い、シャワーぐらいは入りなよ〜。 ベッドに入る前から汗かいていたら嫌われちゃうよ〜」



飛び出す様にトレーニングルームから出ていったアキトに、届く様に大きな声で喋るアカツキ。
その声が届いたのか、廊下の方で盛大に何かが倒れるような音が鳴りひびいた。


「会長、下品ですよ」

「何言ってんの、今のアキト君の状況を考えたら無いとは言えないんじゃない?
 今のアキト君の方が、大関スケコマシの名はふさわしいと思うけどねぇ」


アカツキの言葉に何とも言えない表情で答える事しか出来ないツキオミ。
アキトの今の状況は、ツキオミも聞いているがあえてその事には触れないようにしているからだ。
もっとも、ツキオミもアキトが抱えている問題に関して言えば、かなり疎いと言うか、苦手だからと言うのが
本音だからなのだが。


「ま、僕としてはこういうのも嫌いじゃないんだけどね。 どっちに転ぶか楽しみだよ」

「はあ…」


「あら、アキト君はもう出かけたみたいね」

「ん? おんや、珍しいね。 こんな所に来るなんて」


アキトと入れ替わる様に二人の前に現れた人物は、アキトを探していたのか、辺りを見まわしながら入室してきた。


「うまくいけば、アレが見れるかもしれなかったから、と言う事にしておきましょうか」

「あなたもですか…」


ツキオミは、彼女が何を言いたいのか察したのか、小さくため息をついて見せる。
その姿に、女性は人差し指を横にふって、それだけでは無いとばかりの顔を見せる。


「ここに来た目的は半分はそれだけど、後の半分はそうじゃないわよ」

「と言うと? 」

「おいおい、ツキオミ君。 彼女に説明をさせるつもりかい? 勘弁してくれよ」


女性の意味深げな答えに、興味を示したツキオミを止めようとするアカツキ。
彼女の説明がどれほど細かいかは、ナデシコに乗っていた頃から充分に身にしみているからこそだ。


「…随分な言いぐさね。 まあ、いいわ。
 今回、ここに来たのはアキト君たちを助けた人物についてよ」

「おんや、ゴートたちがあれだけ手を尽くしても見つからなかったテンカワ君そっくりの男の
 正体が分かったとでも言うのかい? 」

「博士、簡潔にお願いします。 我々でも正体を掴めなかったあの男の事を」


長すぎる説明を避けようと、ツキオミは間髪いれずに話を切り出す。
その様子に、説明の準備をしようとメガネを懐から取り出そうとした女性は軽く舌打ちをして、メガネをしまう。

何時もの彼女なら、周りの人間の事など気にもせずに説明をするのだろうが、話の内容が重要過ぎる為か、
おとなしく指示にしたがった。
もっとも、説明を趣味とする女性、イネス・フレサンジュが説明を止めたのは
後にも先にも、この時だけだったとツキオミ、アカツキの両名は後に語ったそうだ。


「証拠も何もないけど…いえ、証拠が何も無いからこそ、この考えにたどり着いたと言うべきかしら?
 もっと早く気付くべきだったわ」

「どう言う事だい? 証拠がないからこそなんて? 」

「会長は知っているでしょ? 私がボソンジャンプによって過去に行って、今にいたると言う事を」

「それがどうかしたのかい? 」

「まだ分からない? 彼も過去から、いえ、彼の場合は未来からやってきたかもしれないと言う事よ」

「まさか…あの男は未来のテンカワの…」


何を言いたいのか分からなかったアカツキに対して、イネスの言葉に何か聞き覚えがあったのか
ツキオミの方は何が言いたいのか、すぐに理解が出来た。
その彼の言葉に、アカツキもようやく察したのだが、言葉は続かなかった。

イネスの推測、それは彼女にしか考え付かないものだった。
だが、その推測はこの時代を生きる者、現在のアキトを知っている者にとっては決してあり得ないものだと言えよう。 
最初の頃こそアキトを疑っていたのだが、別人と分かって以来安心しきっていたからこそ、アカツキとツキオミの
ショックは大きかった。



「そうか…未来のテンカワ君と考えれば、納得がいく、と言うべきかな…」

「確かに、施設で立ち会ったあの男の動きは間違い無く木連の柔でしたが、同一人物とは…」

「アキト君を疑っていたけど未来の姿とは、ね。 考えたくないけど、一番の可能性がそれよ」



「テンカワ君をあそこまで変わらせる未来か…あんまり考えたくないね、何があったかなんて」


アカツキの言葉に二人は只黙って聞くしかなった。
未来から来たアキト、彼がどのような想いでテロをおこしたのか、何故そこまでの事をやろうとしたのか、
只一人を除いて、この時代の者には理解できないだろう。


その時、廊下をけたたましい足音で走る人物の姿があった。




「アキト知りませんかぁ!? 」


髪を振り乱し、荒い息を吐きながら3人に問い掛ける女性。
その様子を見る限り、ここ、ネルガルの他の部屋も見て回っていた様だ。


「おんや、ユリカ君じゃないの。 テンカワ君なら、とっくの昔に出かけたよ」


「ええ〜!? まさか、ルリちゃんとデート!? うう〜〜アキトは私の王子様なんだからね!! 
 ルリちゃんの王子様じゃないんだからぁ!! 」


イネスとツキオミは視界に入っていなかったのか、ユリカはアカツキの一言を聞くと、叫びながら
部屋を飛び出して行ってしまった。


「彼女にとってはある意味、最強のライバルと言うべきかしら? 」

「まあ、今は幸せと言うべきですか? 」

「やっぱりあれが未来のテンカワ君なんて、考え過ぎかもしれないねぇ」


今のユリカの様子を見ていると、そんな事を考えてしまう3人であった。
現在のアキトは未来から来たアキトとは徐々にではあるが、確実に変わりつつある様だった。







「ルリちゃん、御免! まった? 」

「いえ、さっき来たばかりですから」


白いオープンカーの前で待っていたルリの前に、トレーニングルームを飛び出た時と同じように
息を切らしながら現れた。 せいぜい先程と違うのは、髪が濡れている事ぐらいだが。


「髪が濡れていますけど、どうかしたんですか? 」

「ん? ああ、トレーニングをしていたからね。 ちょっとシャワーを浴びてきたんだ。
 さっ、乗って乗って」


屈託の無い笑顔でルリに答えると、オープンカーの助手席の扉を開き席に座る様に進めた。


「んじゃ、行こうか」

「はい」


ルリと出かけるのが嬉しいのか、笑顔で運転するアキトに対してどこかぎこちない表情のルリ。
こうしてアキトと二人きりで出かけるのは楽しみにしていたのだが、
二人きりになると、どうしても気になる事があった為に素直に喜べないでいた。


「アキトさん」

「なに? ルリちゃん」

「あの…本当にこれで良かったんですか? 」

「良かったって、ユリカの事? 」

「はい…」


アキトはルリの問いかけに、少し困った様な顔をして見せる。
この問題は、既にアキトの中では解決済みであったはずだからだが、ユリカと一緒に住んでいるルリだからこそ
気になるのだろう。 


「まだ言ってなかったね。 なんでユリカと別れたかは」

「私が原因なんですか?…」


アキトがユリカに別れを切り出したのは、ルリがアキトに告白した直後だった為に
告白した時にユリカに罵倒される事は覚悟していたのだが、まさかすぐに別れる事になってしまうとは
流石のルリも想像出来なかった。

自分の気持ちを伝えた事に関して言えば、ルリは今も後悔していない。
だが、肝心のアキトはどう思っているのか? それだけが気がかりだった。


「ルリちゃんが原因じゃないと言うか、その前、入院していた時に考えていたんだ。
 あの時、意識が戻った時にルリちゃんが横で看病していた姿を見てさ、俺って馬鹿だなぁって思ってさ」

「どうしてですか? 」

「あの時さ、俺にそっくりの人が助けてくれなかったら、ルリちゃんはどうなっていたんだろうって考えたら
 自分の力の無さが悔しくってね」

「でも、ツキオミさんは私たちを襲ったあの男が相手じゃ仕方がないって言っていましたし。 アキトさんは普通の男性
 なんですから、そんなに気にしなくても」


慰める様に話しかけるルリ。 だが、その想いが余計にアキトを苦しめる事になっていた。
いや、その気遣いが今のアキトの行動を決心させたと言うべきかもしれない。



「ルリちゃん、俺は普通の人間じゃないよ。 ボソンジャンプが出来る人間なんだよ」

「でも、だからと言って…」

「考えてみたらさ、ボソンジャンプが出来る人間って貴重なんだから、遅かれ早かれ襲われていたかもしれないよね。
 それなのにさ、俺は特に何も考えずに普通にラーメン屋をやろうとした。
 今考えてみたら、甘すぎるよ」

「だって、それはアキトさんの昔からの夢ですし…」


自分も普通の人間ではないルリだからこそ、アキトが何を言いたいのか理解できる。
考えてみれば、アキトは自分以上に重要な存在だ。 なのに、身辺に気遣う事無く普通の人として生活
しようとしていたのだから、非難されても仕方ないのかもしれない。


「うん、俺の昔からの夢だよ。 それは今でも変わらない。 でも、俺がもう少し自分の立場を考えていたら
 ルリちゃんをあんな怖い目に合わせなかったと想うんだ」

「アキトさん…」

「だから…ユリカには悪いけど、今は普通の生活をしようとは思わないんだ。
 あいつらから狙われなくなるまではね」


ルリはここまでアキトの言葉を聞いて、内心驚きを隠せないでいた。
あの事件の前までは、良い意味でお人よしのアキトだったが今のアキトは違う。
己の立場をしっかりと自覚して、尚且、真正面から取り組もうとしているその姿は何処か男らしさを増したようにも見える。


「でも、だからと言ってユリカさんと別れなくても良かったのでは? 」

「そうかもね。 でも、少し距離を置いた方がいいかなって思ったし。
 これをきっかけにユリカも俺と同じ立場だって言う事に気付いて欲しいからね」


アキトの口から何度もユリカには自分の考えを話したのだが、うまく伝わらないのか
父親であるコウイチロウに任せておけば大丈夫と、その一点張りだった為に自分の考えを理解してくれない
ユリカとはしばらく距離を置こうと、別れる決心がついたのだ。



「じゃあ、私にもチャンスがあるんですね」

「ん? 何か言った? 」

「いえ、アキトさんって凄く大人になったんだなって思ったんです」

「ありがと、さ、もうすぐで遊園地に到着だよ。 前はユリカばっかり楽しんでいたけど、
 今日はルリちゃんの好きな物に乗って良いからね」

「はい」


未来のアキトの介入によって、こうして3人の関係も変わってゆく。
はたして、アキトはどちらを選ぶのだろうか?






「北辰よ、傷の具合はどうだ? 」

「は、義眼は問題ありません」


外の光りが入ってきていない一室。 そこでは、木連の軍服に身を包んだ中年の男性が木目の模様をあしらった
机の前で腕組みをしながら、編笠のをかぶった男に話しかけている。
その編笠の男、北辰の右目には普通とは異なる色の眼球が納まっていた。

あの事件の時、アキトの手によって右目を失った為に義眼にしているのだがだが、北辰は右目を失った事を
さほど気にしていないのか、心配する目の前の男性、草壁のねぎらいのの言葉にもいつも通り静かに答えるだけであった。



「部下の方も軍から戻ってきました。 ご命令を頂ければ、すぐにでも例の作戦を開始致します」

「そうか…では準備が出来次第、取りかかってくれ」

「御意」

「それで、おまの右目を奪った男のその後の消息は掴めたのか? 」

「いえ、ネルガルの方でも探している様ですが見つかりません。 ですが、再び現れるかもしれません」

「分かった、他の者にも伝えておこう」

「では、失礼致します」


淡々とした面持ちで部屋を出る北辰。 だが、部屋から出るとその顔には不気味と形容するしかない
笑みを浮かべていた。


「あの男…楽しみだ…」


そう呟くと、北辰は廊下の奥へと消え去っていった。 
彼ら、草壁を支持する集団が本格的に動くのはまだ先だが、裏ではこの時から戦いは始まった。

そう、火星の後継者との戦いが……









「ミナトさ〜ん、ただいまぁ〜」

「ただいま〜今日は違うお店で良いお塩が買えたよ〜」

「あら、お帰りなさい」


ルリが出かけてしばらくしたミナトの家に、元気な声が響く。
買い物に出かけていたユキナとラピスの二人だった。
二人共、両手に大きな買い物袋を下げているが、ラピスの方の片方の袋にはどうやら塩だけが詰まっている様だ。


「あらら、ラピスったら、こんなにお塩を買ってどうするつもりなの? 」

「そうだよ、ちょっと言ってやってよ、ミナトさん。 自分がアキトさんの変わりにラーメンを作るとか言って
 聞かないんだよ! 」

「だって…もう少しで塩ラーメンが出来たのに、アキトさん、ラーメン作るの止めちゃうんだもん…」


アキトがラーメン屋をしばらく止めるといった時に、もっともショックを受けた一人のラピスは
せめて、自分も制作に関わったラーメンだけでも完成させたかったのだが、
それにしては塩の量が多すぎると言わざる得ないだろう。
ユキナも購入の際に注意はしたのだが、頑として聞き入れないラピスに呆れつつ諦めてしまった次第だ。


「そっか、それじゃ仕方ないか」

「そうそう、それじゃ仕方がない…って、それだけ!? ミナトさん! 」

厳しく叱りつけてもらおうと考えていたユキナは、ミナトの意外な答えに
間の抜けた声をあげるしかなかった。


「そのかわり、アキト君が美味しいって言ってもらえるように頑張るのよ」

「うん、ありがとうミナトさん」

「ミナトさぁ〜ん、ラピスに甘すぎるよう…」

「いいの、いいの。 ラピスに趣味が出来たんだから、それを考えれば、ね」


ラピスに普通の生活になれて欲しいと願っていたミナトにとっては、嬉しい事ではあったが
ユキナにしてみれば、自分の場合は間違い無く叱られるのに、と不満を露骨に顔に出している。


「はいはい、ユキナは今度にでもお塩を買ってあげるから」

「いや、塩はいらないって・・・」

「あ、ミナトさん、そろそろ時間じゃないの? 」


ユキナをからかう様にあしらうミナト。 その時、時計を見たラピスが何かに気付いた様に声をかける。


「あら、ほんと。 じゃあ、行って来るわね」

「は〜い、ミナトさん、いってらっしゃ〜い」

「ミナトさん、一緒に行かなくても良いの? 」

「大丈夫。大した事無いし、すぐに終わっちゃうから」


まだ不満なのか、ほっぺを膨らましたままのユキナとは対照的に笑顔のラピス。
二人が玄関先まで見送った後、ミナトは何処かへと出かけてゆく。


「うん、こういう人生も悪くは無いわね。 ね、アキト君? 」


そう言いながら、ハンドバックから取り出したサングラスに語りかけるミナト。
側にいる筈のない未来から来たアキト、彼の事を考えても今のミナトはもう悲しみはしない。 
ただ、寂しさだけは残ってはいるが。

そのサングラスをしまうと、ミナトは一度大きく深呼吸をして歩き出す。
彼女には分かる。 この先の未来は絶対に未来のアキトがいた時は違うと言う事を。




アキト君、心配しないでね 未来は…絶対に変わるから…







変わりゆく過去










はい、KANKOです。 やっとでの完結です。 
いやはや、短編のつもりで書いていましたが、思いの他時間が掛かりました。

後、黒アキトがどうなったかについては、思いっきりあいまいにしてみました。
どうなったかは、読者の皆様にお任せします(笑)
当初からそうなる予定でしたので、その辺がご勘弁下さい。

まあ、最近はこの設定で劇ナデの話を書いたら面白そうだなって考えてはいますけど、何となく蛇足っぽいので
止めておきます。
なんせ、主役はミナトさんだし、黒アキトはどうすると言う問題もありますから(笑)

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

まだ連載が残っていますが、今後も私の駄文で良ければお付き合いくださいませ。
それでは。

2003年5月25日 完結

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