スクリーンに映し出された映像。それはエレベーターを使い地上へと出ようとする濃いピンク色の人型兵器の姿。

私はパイロットと連絡をとるために通信を繋ぐ。

 『…………お前、そこで何やってんだ?』

ウインドウに映し出された、その機体に乗っている彼はそう言った。

 「えっと、ユリカはこのナデシコの艦長さんですけど……どこかでお会いしました?」

思い出せなかった。彼が誰なのかを。

 

 


想い出は、いつまでも


 

 

2196年。私はネルガルのナデシコという戦艦の艦長となった。

当時、地球を攻めてきていた「木星蜥蜴」と対等に渡り合えるであろう装備の施された実験艦の、その艦長という地位に着く者として、私の何がネルガルの目に停まったのかは判らない。

所詮私は戦略シミュレーションの成績が良かっただけで、総合的に見ればたいした事は無かったのだから。

だが父の庇護を離れ自身の居場所を探したかった私は、すぐさまその話を了承してしまった。

幼馴染にして友人のアオイ・ジュン君も一緒だった。

仕官としての将来が約束されているはずの彼まで、何故ナデシコに乗り込む気になったのかは良くわからなかったが、後々私は事務的なことなどで大変助けられる事となった。

そしてナデシコに搭乗したその日の事、彼に出会った。

それが再会である事に私は気付かぬままに。

 

彼はコック見習いとして採用された。

だが木星蜥蜴(当時は謎の異星人扱いだった)の無人兵器の襲撃が起きた時、一人だけ乗り込んでいた正規のパイロットが骨折により出撃できなくなっていたのだ。

その為彼が(オペレーターの少女を除いて)IFSを唯一付けていたせいで囮として出撃する事となった。

一の犠牲で百を生かす。それは戦術の基本なのかもしれない。

けれども私は彼を死なすわけにはいかないと、大急ぎでナデシコを発進させた。

何より彼はパイロットではなく、コックだ。プロの戦闘員であっても厳しい状態の中での囮なのだ。

素早い支援を行わなければ落とされる。

ボロボロになりながらも彼は囮を努め、浮上したナデシコは主砲のグラビティブラストでバッタ達を殲滅した。

 『お疲れ様です、テンカワさん。後で報告にきていただく事になりますが、今はゆっくりと休んでください』

収容したエステバリスから降りた彼に、ウインドウ越しに私は労いの声をかけた。

その時の彼の寂しそうな、何かを問いかける目を今も私は覚えている。

結局彼はコック兼パイロットとして契約を結ぶ事となった。

これ以後、度々顔は合わせるのだが、そう多くは彼と私は接点を持たなかった。艦長とコック、関わり合う事などそうはないのだから。

あの時気付いていたのなら、私は今どうしているのだろ?

ふとそう考える事もあるのだが、過ぎ去ってしまった時は戻らない。

私は上司として接する事しか出来なかった。

 

そして、今もっとも彼と親しい者は私ではない。

ホシノ・ルリという名の少女なのだ。

 

まずは彼らの出会いから語ろう。最初はウインドウ越しの出会い。

地上へと出たエステバリスのコクピットで、彼は突如映し出された彼女の姿に目を見開いた。

 『何でこんな子供がっ!?』

彼のその呟きが聞こえた時、心臓を鷲掴みにされた感覚がした。

明らかにその声には非難が混じっている。幼い少女を戦艦に乗せている事への。

 「はあ。私、少女ですから。子供ではありません」

けれど、彼女は無感動に応対する。

事務的に仕事をこなす彼女にとって、年齢などどうでもいい事なのだろう。

いつ死んでも彼女にとってはどうでもいい事だったのかも知れない。

後に話をする機会があったので聞いてみた事がある。いつ死ぬかも判らない今の状況は怖くは無いのか、と。

 「なんとなく死ぬのは嫌だな、くらいですかね」

彼女のその返事に、一緒に話をしていたミナトさんなど「ルリルリ!! だめよ、そんな事じゃ!!」などと言って色々と世話を焼くようになった。

生きる事の喜びを彼女は余りにも知らない。知らなさ過ぎた。プロスさんに確認して知った事だが、彼女は養父母に育てられていた時、愛情を注がれていたとは言いがたい状況だった。

彼女はろくに抱き締めてもらう事も、その頭を優しく撫でられる事も無く育ったのだ。

幼い頃の記憶もさほど無く、ホシノ姓となった後も一人で過ごす毎日。

友達などいない、家族と呼べる人もいない。彼女が生きる事に意義を見出せなくても仕方が無い事なのだろう。

温もりを求める事を、与えられる事を知らない少女。

彼女の閉ざされた心を開く事は容易ではない。

彼はそんな一人きりの少女を、放っては置けなかったのだろう。

ミナトさんと共に、彼は彼女の世話を見ようとした。

食事の時間を合わせ、ミナトさんと一緒になって食堂に連れ込んだり。

休憩時間ともなれば、彼は彼女の趣味にあわせるためか、さほど得意でもないゲームで対戦したり。

ナデシコの他のクルーに何度か冷やかされたり、そのような趣味があるのではと陰口を叩かれるほどだった。

私は彼に聴いてみた。何故、そこまで彼女の面倒を見るのか、と。彼の耳にも入っているはずなのだ。彼の事を特殊な趣味の人間だと噂する声が。

私の心配をよそに、彼はこう言った。

 「だって、寂しいじゃないっすか、一人きりなんて、家族がいないなんて。俺なんかじゃあの子の家族になんてなれないかも知れませんけど、それでも一人きりになんてせずに済むのなら、それでいいじゃないすか」

私は心底思った。適わない。私程度では推し量れない経験をして来たのだろうと感じた。

その時の彼も、私に何かを問いかける目をしていた。

後日、プロスペクターというネルガルとナデシコのパイプ役とも言える人物に彼の事を聞くと、幼い頃にご両親を無くされ、孤児院を転々とする生活を送っていたそうだ。

そんな彼だからなのか、彼女も次第に心を開いたようで、火星に着く頃にはすっかり懐いていた。

そう、私達の乗る船の目的地はいまだ敵の勢力化にある火星だった。

火星に点在するコロニー。その地下ににあるシェルターを調査して周り、ネルガルの研究施設も調べる。

そんな地道な作業の中、生き残りを見つける事が出来たのは彼だった。

ユートピアコロニー。彼の故郷だというそこへ行く事を彼は望んだ。

そこはかつて私も住んでいたはずの場所。けれども私は良く覚えていなかった。その場所へ行けば思い出したかも知れないのだが、私はそこへは行かなかった。

住んでいた場所の名称すら私は思い出せなかったのだ。

そこは真っ先に崩壊したコロニー故に、隠れ住むには最適だったのだろう。

エステバリス一機で彼はコロニーへと向かい、時間通りに合流ポイントに現れた彼はイネス・フレサンジュと言うネルガルの研究員の一人を連れていた。

彼はすぐに他の生き残りを迎えに行きたがっていたが、それをイネスさんが押し留めた。

彼女は言った。火星の生き残り人たちはナデシコには乗らないと。自分達を置いていった軍への、そして地球への不信があると。

長く地球側から隔絶されていた彼らは、木星蜥蜴襲撃前から地球への隔意もあった。

何故信用できるだろか? 私達は彼らからみれば置き去りにしていった軍の同類なのだから。

彼らの目にはどう映っただろうか? 新型の戦艦を駆って颯爽と現れた私たち。英雄気取りの地球の人間だろうか?

少なくとも救いの手とは思って貰えなかった。

説得できれば違っていたかもしれない。だが私たちには時間などない。

食料コンテナを降ろし、僅かばかりの支援をする事しか出来ない。

そして、イネスさんがぼんやりとテンカワ氏の機体を眺めていると、無人兵器の襲撃が始まった。

遠く、そして間近に現れた戦艦たち。半径数十キロ程度の距離を彼らはすぐさま詰めてきた。

コンテナを降ろしていたエステバリスを収容し、離れていく私たち。

動くナデシコを追って無人兵器たちは動き、私達を追い立てる。

私はこれまでと思った。これ以上、火星には留まれないと。プロスさんは渋い顔をしていた。いまだ火星全域を回れたわけではないためか、そもそも目的が果たせていないためか。

だがそれでも私の火星脱出の意見に異議を出さなかった。彼にもわかっていたのだろう。これ以上は危険だと。

逃げるためにはまず戦わなくてはならなかった。

可能な限り敵の配列を伸ばし、ナデシコを反転させて上部に配置されている艦隊を狙い主砲を放つ。

大気中では相転移エンジンは十分な出力を出せない。それは敵も同じ事。フィールドの出力が下がっているはずの敵艦を何隻か落とす。

そして落ちる残骸に阻まれ、脚を止める他の戦艦たち。

落ちる残骸が下方に位置していた艦のフィールドに圧し掛かり、動力に負荷のかかりすぎたらしき敵艦がいくつか爆発を起こす。連鎖的にそれが起きた箇所ではかなりの数が落ちていた。

逃げながらそれを幾度か繰り返し、敵の攻撃が手薄になった時。私は一気に上昇、大気圏の脱出を指示する。

火星の大気を抜け、私達は地球へと向かう。

不思議な事に追っては来ない艦隊。オモイカネの分析によれば、私たちの思わぬ善戦が無人兵器群を混乱させ、艦隊の再編制のために火星全域から一箇所に戦力を集めているのだろう、と。

私達は警戒を怠らぬよう気を張り詰め、二ヶ月かけて月まで帰還した。

その帰還途中の事、まだ月へと一月ほどはかかる地点でもっとも体力的に劣るルリちゃんが倒れてしまう。

私が迂闊だったのだ。彼女は見たとおり線が細く、幼い。体力がない事がわかっていたはずのに、最も過酷な勤務を任せてしまったのだから。

彼女の代わりは誰にも出来ない。たった一人しかいないオペレーター故に何かしら異変があればすぐに呼び出される。

ミナトさんやメグミさん、彼女らはオモイカネがある程度代行可能なため比較的ゆっくりと休む事が出来る。そして私はジュン君と交代でブリッジに詰めていれば良いため、やはり休憩を取る事が出来た。

パイロットの人たちも二交代、イズミ、ヤマダ組とスバル、アマノ組。テンカワ氏は基本的にコックとして待機してもらっていた。

だが、彼女には代わりがいない。ルリちゃんの仕事を肩代わり出来る人などいないのだ。

彼女の仕事は多い。様々なデータの打ち込み、航路などは何度も修正を加えている。火器管制のチェックなども定期的に行う。いざと言う時動かないなど無い様に。様々な作業をそつなくこなすとは言え、彼女はまだ十一歳の少女なのだ。

それもさほど運動をせずに育っている。体力があるわけが無い。

私はすぐにイネスさんと相談しながらスケジュールを組み替え、ルリちゃんに一週間ほど休養を取るよう伝えた。彼女一人では言う事を聞かないかも知れないため、監視役を一人つけた。

テンカワ氏にルリちゃんの看病を頼んだのだ。

理由が無いわけではない。数少ないルリちゃんと親しい人間で、もっとも時間の融通が利くのが彼だった。

そして彼は孤独を知っている。一人で寝ている時の心細さを誰よりも知っているのだ。

年頃の女の子の看病を男性に任せるのは危険ではないのか、という意見もあった。

だが彼がルリちゃんを相手に不埒な真似などするだろうか?

それと、ルリちゃんの身に何かあればオモイカネが黙っているはずも無いのだ。

休養の初日。ナデシコの艦内時計での夕方頃、私とイネスさんとで尋ねると彼女は眠っていた。ベッドの脇に椅子を置き、彼はじっとその寝顔を眺めている。

良く見れば彼の手は、彼女のその小さな手にしっかりと握られていた。

私たちに気付き振り返った彼は、困った様子でありながらどこか照れくさそうに笑い、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。

彼女は何度か目を覚まして、テンカワ氏がそばにいる事を確認していたらしい。

あまりにも度々目を覚ますため、彼はそっとその手を握ってあげたそうだ。

それからはぐっすりと休んでいる。彼はそう教えてくれた。

初めてなのだと言われたそうだ。体調を崩した時、誰かがそばに居てくれる事などは。

いつも部屋に一人、薬を与えられて寝るだけだった。それがずっとさびしい事だと気付かなかった。

多少熱があったためか、想像以上に疲労していたためか。気弱になっていたのだろう、彼女は色々と話してくれたそうだ。

その時初めて歳相応の少女の顔を見たと、少し悲しそうな目をして彼は話してくれる。

私達は邪魔をしてはいけないと思い、会釈だけで彼に挨拶をして部屋を出た。

それから一週間程して彼女はブリッジに復帰する。

彼女は以前よりも柔らかい表情で挨拶をしてくれた。

これ以降、彼女は度々テンカワ氏の部屋を訪ねては共に過ごす事が多くなったらしい。

 

そしてナデシコは月に辿り着く。

月の都市の多くは軍が奪還したらしく、木星蜥蜴の姿は見られなかった。

ネルガルへと通信を入れるとすんなりと私達は月のネルガル所有のドックへと誘導され、ナデシコのオーバーホールが行われた。

そして本社とのしばしの会談。今後の方針やクルーの契約更新などを話し合った。

その場で軍との本格的な共同作戦などを示され、私たちの立場は一般人でありながら軍の管轄となる。

その時火星の生き残りの人たちの事を話したのだが、彼らの救出は本格的な火星奪還作戦まで待つよう言われてしまう。

私はそれらネルガルからの通達をクルーの皆に伝えたが、その時テンカワ氏が明らかに落胆した様子を見せた。

そして補充パイロットとしてアカツキさんが。追加の副操舵士としてエリナさんがやってくる。

戦力の増強、という割には相変わらずパイロットの数が少ないのだが。ネルガルいわく、十分にエステバリスを扱える人間が少ないため、もうしばらく待つように、だそうだ。

その事を伝えてきたネルガルの重役らしき人は、かなり渋い顔をしていたが、理由は後々に判明する。

アカツキさんが原因だったのだ。訓練中のパイロット達にあと半年は時間が必要であり、今回は本来補充無しのはずだった。

なのに無理やり自分をねじ込んだのだ。そんな事をしているから道楽者、などと言われてしまうのが解っているのだろうか?

その後私達は北極を巡り白熊の救助をしたり、南の島で新型兵器を倒して海を楽しんだり。

ブラックホール兵器の破壊だのオモイカネの記憶改ざん阻止だの様々なことがっあった。

それらいくつかの出来事を経た頃。彼、テンカワ氏とオペレーターの少女の仲は益々良い物となっていく。

両親がいないと言う同じ境遇。そしてそんな少女を気遣う青年。彼女はミナトさん以外では彼にもっとも心を開いた。

最初彼は彼女の事を妹のように可愛がっていたのだろう。

思えば彼女は最初の頃は彼をほかのクルーと同じに扱い、そのやり取りを冷たい一瞥と感情のこもらない言葉で済ませていた。それが少しずつ変わり、その他大勢から信頼する人へと昇格させていったのだろう。

軍が自分たちの都合がいいようにナデシコを運用するためにオモイカネの記憶を書き換えようとした時。彼女は真っ先に彼の元へと走った。

クリスマス。一人のパイロットが補充となり、コック兼パイロットという中途半端な立場であった彼が、それを理由にナデシコから降ろされた時。降り際に必ず帰ってくると彼女に約束する青年。

彼が戻ってきた時。木星蜥蜴の正体が自分達と同じ人間だと、かつて月に住んでいた移住者達の子孫だと知った時。彼女は落ち込む彼のそばにそっと寄り添っていた。

そして二人の関係はピースランドへと行った時から確実に変わって行った。

ピースランドの国王夫妻は彼女の遺伝子上の両親らしい、と言う事から一時的にナデシコから離れた二人。

彼女は護衛として彼を指名し、彼はそれを受け入れた。

現地で彼等に何があったのかは詳しくは知らない。結局彼女はナデシコへ帰ってきた。その時、彼は少々顔を腫らしていた。

話によると、彼女を守るために身体を張ったそうだ。

それ以降、確実に二人の距離は狭まった。ただ何をするでもなく、休憩所で一緒にいる所を良く見るようになった。

見ているだけでくすぐったい様な感覚を私は感じた。相手の年齢ゆえに自分の想いを自覚できない青年。自身の境遇、性格ゆえに自信が持てない少女。

二人の間には余人が侵してはならない何かが生まれていた。

休憩室で休む彼らのようすをそっと見た事がある。

彼の膝の上、安心しきった猫のように眠る少女は、天使のようだった。

そしてそのようすをただただ優しく眺める彼は、優しいお兄さん。

そう、この時の二人はまだ兄妹のような仲に留まっていられたのだ。

そしてこのしばらく後の出来事、木連のある作戦によって変化する。彼等はその心の内の想いを、知ってしまう事になったのだ。

ある作戦に向かう途中、ナデシコに無人兵器が進入する。

それはナデシコの追加装備になったYユニットのコンピューターに取り付き、データ収集をしていた。

その無人兵器のハッキングユニットを排除するための作戦を練っていると、突然意識が途切れ気が付けば不思議な空間にいた。

円形のテーブル、その上に綺麗に積まれた麻雀牌のような物。並べられた椅子に座り私達は何かのゲームをしている。

私の他に居たのは彼と、ルリちゃんにイネスさん。パイロットの五人とジュン君たちの十人。

順番に牌を手にし、そのたびに流れ込んでくる誰かの記憶。それはみかんを手に笑う少女、慕っていた兄を見上げる少年などの記憶。

様々な、本当に様々な記憶が私の中へと流れ込む。そしてそれは、私の記憶も彼らに伝わっている事も意味している。

一体何を根拠にしているのか解らぬが、絵柄が揃えば役となって上がり。再び牌は混ぜられ配られていく。

 

垣間見えた少女の記憶。彼女が自分の想いを自覚した瞬間。川を遡る魚達の起こす水音に、しっかりと手を繋いで耳を傾ける二人。

彼女が彼を見上げると、優しい眼と視線がぶつかり、慌てて俯く。

少女の気持ちは、確実に育っていた。

 

誰かの思い出。少年が自転車で草原を走る抜けていく。白い帽子を被った誰かをその自転車の荷台に乗せて。

何故か私が懐かしさを感じる風の中を、ただただ彼らは駆け抜けていく。未来への不安など、欠片も抱かずに。

 

そして、誰かの涙。シャトルに乗り、遠い場所へと向かう少女。大好きだった少年を探して、窓に張り付き必死に目を凝らす。

……これは私? 幼い頃の私? 何故忘れていたのだろう。何故気付かなかったのだろう。彼がそばにいる事に。あの日の少年がそばにいた事に。

 『ユリカ……火星の、テンカワさんが……』

ふいに蘇る記憶。地球についてしばらくした頃、火星に帰りたいと呟く少女に父親が声を掛ける。

悲しげな瞳の父の口から出た言葉は少女の心を傷つけた。けれども少女はそれを覆い隠し、忘却と言う名のまどろみに逃げ込んだのだ。

 『テンカワさんの一家が事故で、皆……亡くなられていたよ……』

残酷な言葉。私のために連絡を取り合おうとしてくれたのに、その結果がこれだった。

ああ、だから忘れていたのだ。だから私は思い出そうとしなかったのだ。

強固に封じられた記憶の扉を開く勇気が無かったのだ。

その記憶が悲しみの記憶だと心が警鐘を鳴らしていた。

そうする事で私は私を保ったのだから。

視線を感じて私は顔を上げる。その先には彼がいた。呆然と、私を見つめる彼の瞳は暖かく、優しかった。

しばらくして私達は元の世界に還った。

イネスさんの説明によるとどうやらあの空間にいた私達は主人格であり、身体には副人格が残り問題の解決をしたようだ。

イネスさんいわく、あれは木連のハッキングシステムがIFSを持った人達を一種のネットワークとして認識したためらしい。

ナデシコのコンピューターに取り付いたそのユニットは、自己の中に仮想サーバーを構築して私たちの記憶を引き出していた。

私とイネスさんはIFSを持ってはいないのだが、そのことについては調査中としか教えてくれない。

その時から、イネスさんの彼を見る目が随分と優しくなった事にも気付いてはいたが、みかんを手にして笑う女の子の姿が脳裏を過って、私は何も言わずに目をそらす。

そして作戦の終了後、事後処理の終わった私は、ジュン君の気遣わしげな視線を感じながら退室し、自室へと戻る。

部屋へと帰り着き座り込むと、ふいに涙が頬をこぼれ落ちていく。それは十年前に凍りつかせ、けっして開放される事のなかった記憶が今になって溢れさせる涙。

彼は覚えていてくれたのに、彼はいつだって私の事を見ていたのに。私は気付かなかった。

もしかしたら、私は避けていたのかもしれない。悲しい記憶を思い出さないために。

思い出してさえいれば、彼が生きていた事を喜べたのに。彼と想い出を共有する事が出来たのに。

私は私の悲しい気持ちが怖くて、思い出すことを拒否してしまったのだから。

 

ふいに聞こえたコール音。それは彼からの呼び出し。展望室で待つと言う彼の伝言。

私は顔を洗い涙の後を消し、鏡を見て髪を整えると彼の待つ展望室へと向かう。

そして、彼は居た。遠く星々を眺め、私を待っていた。

私に気付いたのか、振り返ると彼は寂しげな笑みを浮かべて、何かを言おうと口を開き、すぐに噤んでしまう。

彼が何を言いたいのはおおよその見当が付いたが、私はあえてそれを追及しない。

何度か彼が繰り返した時、私は息を吸い、呼吸を整えてから切り出す。

 「これからもお願いします……テンカワさん。この船を、ルリちゃんを守ってください」

結局私達は幼馴染には戻れない。戻るためには、出会いという名の再会からあまりにも時が経ちすぎていた。

そして何よりも彼は、大切な人を見出していたから。

彼にとって、それはまだ不確かな想いかもしれない。けれども、彼女を大切に想うその気持ちには一点の曇りも無いのだ。

見る者に暖かな物を与えてくれる彼らを、そっと見守りたいと思えたから。

私はくるりと彼に背を向け歩き出していた。懐かしい想いはきっと、すぐに薄れ行く事だろう。

今の私の感情はあの記憶に誘発された物。だから押し込めるのだ。

 「ごめん、ユリカ……ありがとう……艦長……」

彼の囁きは私の耳に届いた。それは決別。もう、私にあの目を、懐かしさと寂しさの入り混じった目を向ける事は無いだろう。

こうして私は彼にとって、『艦長』でしかない存在になれたのだ。

戦いは続く。望むと望まぬと関わらず人と人が争う。この戦いの行く末に、過去の平和だった頃の火星に私は想いを馳せ、歩き出す。

私は私の守るもののために戦おう。それが私の誇りなのだから。

幼き日の思い出にさようなら。

そしてナデシコでの今を胸に、私は未来へと進む。

色褪せない想い出達を、いつまでも、いつまでも大切にして。

 

 

 

<了>

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後書き。

 

 

・・・・・・・・・いや、ほんとにあんた誰? (ユリカを指差しながら)<マテイ

 

 

 

 

 

 

こんにちは。ADZです。

・・・・・・・・・・・多少の手直ししかしていませんのであしからず。

構成などもう少しましなものにするのが、今後の作品への課題という事で。

ちなみにこのアキト君、まだまだルリは「妹」位置ですので、あらぬ期待をしないように。<マテ

 

 

ではまた、いつの日にか。


この作品は、らいるさんとぴんきいさんのHP『そこはかとなく存在してみたり』内の企画、festa-sokohakaの参加作品です

『もし、ユリカがアキトの事を覚えていなかったら?』というIFで書かれています

festa-sokohakaは残念ながら2005年の3月いっぱいで閉鎖ということになりました



b83yrの感想

え〜と、これって誰の話ですか?

と、冗談とも本気ともつかないような感想はおいておいて(笑)

このユリカなら、この後いくらでもアキトに選んで貰うチャンスありますな、ユリカ自身は諦めちゃったようだけど

私も『もし、ユリカがアキトの事を覚えていなかったら?』ってIF祭りに参加してみて思ったけど、ユリカってアキトの事覚えてない方が、よっぽどユリカ×アキトにしやすいという(苦笑)

ユリカって、『長所になってくれても良い筈の所が行き過ぎて短所になっちゃってるキャラ』だと思ってますからね、私は

本来、『主人公のアキト一筋で純粋で天然ボケ』って、ヒロインとしてはかなりの資質の筈なんですけど、『行き過ぎれば』かえって逆効果、『作者が』魅力的なヒロインのユリカにしてるつもりが、『読者から見れば』単なるストーカーにしか見えない・・・なんて事も

といって、ユリカの行動を抑えさせれば、今度は、『誰これ?』ってキャラになってしまうという・・・・

私の所にも、『ユリカがユリカらしくない』とか『ユリカが物分かり良過ぎて優秀過ぎる』って感想来ます、その辺りのバランス難しいですわ、ユリカを扱う場合

ADZさんも、その辺り感じていたのか、後書きの不自然な余白に何かが(苦笑)

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