一月一日、初日繋がりって事で

ユリカがナデシコ就任の初日から遅刻したって話がありますな

ユリカ派やユリカ擁護派の人達は、そんな事は無いデマだと言ってる人も居るようですが

もし、ナデシコTV版の第1話を見れる人が居たら、ちと見直してみてください

私の見る限りでは、確かに『ユリカが遅刻したと明言』されるシーンは無いです

でも、『この話の流れで、本当にユリカが遅刻してないと言い切れるか?』が正直な感想

話の流れを追っていってみましょうか

まず、ユリカが自宅に居る時点で、既に遅刻を心配されてます

これって、自宅を出発した時点で、ギリギリの時間に近かったって事ですよね

次に、アキトとの最初の再会、トランクから落ちた荷物がアキトにぶつかった時

ここで、ただでさえ時間ギリギリだった状態で、また時間をとってます

この先は、どうも不可解で納得出来ない物もあるのですが

どうも『自転車で』追いかけたアキトよりも『車で』向かっている筈のユリカ達の方が後から到着したっぽい

『ぽい』っていうのは、その辺りをはっきりと描写されていない以上、推測するしかないからだが

で、ゴートがムネタケに『艦長は何処にいるのよ!!』と詰め寄られた時にゴートはどう答えたか?

実は、この部分のゴートの台詞は、よく聞き取れなかったんだが、どうも、返答に詰まってるっぽい

もし、『まだ予定の時間になっていない』のなら、『艦長は、まだ予定の時間になっていないから来ていない』とあっさりと答えれば良いだけの話だと思いません?

まあ、ムネタケの剣幕に押されて言葉に詰まっただけって可能性もありますが

ともかく、これだけ、『遅刻を暗示させる内容』が揃ってるんです、第1話には

むしろ、『この流れなら、ユリカって遅刻してた方が自然なんじゃ?』っていうのが、私の正直な感想

確かに、『ユリカが遅刻したと明言されるシーン』はありません

でも、こんな状態で、『ユリカが遅刻していないと言い切る事は出来るか?』と問われれば、『出来ない』です、私には

もっとも、『ユリカが遅刻したと明言』されるシーンも無いわけだから、『遅刻したと言い切れるか?』と問われても、『出来ません』と答えるしかないですが

 

『物証は無いが、状況証拠は灰色』

 

これが、ユリカの初日から遅刻って話に対する私の正直な感想ですな

『ユリカが遅刻したと明言』されるシーンが無い事だって、『それは物語の都合上で入れなかっただけ』って見方だって出来る

『物語のテンポを良くするために、あえてシーンを削る』ことだって、結構あることであって

『遅刻したと明言されているシーンがない=遅刻していない』

と言い切る事は出来ません

それに、少し考えて欲しい事があります

これは、ユリカ派やユリカ擁護派の人達と、アンチユリカ派の人達の両方に対してです

それは、『ナデシコという作品の世界観』や『その中でユリカというキャラはどういうキャラなのか?』って事

ユリカというのは

『艦長がそんなんじゃ駄目だろうって事を『あえて』やらせる事でギャグにしているキャラ』

でしょう、違ますか?

そういうキャラであるユリカが、初日から遅刻してたとしても『ギャグ』じゃないんですか?、本来なら

『ギャグ』というのは、『落差』が激しい方が面白くなり易いものであって、『艦長ともあろうものが、初日から遅刻』なんてのは、『ちゃんと決まれば、面白いギャグ』じゃないですか

『ユリカ本来のキャラ』から考えた時、『初日から遅刻』と見られたとしても、それは嘘だと言えるんですか?

ちなみに、漫画版ナデシコの方では、今、本が手元に無いんで確認は出来ませんが、ユリカは初日から遅刻しているという話です

もし、ユリカが初日から遅刻うんぬん言われたとしても

『いや、ギャグとしてやってる事にそんな突っ込みいれられても(苦笑)』

で良い筈なんですよ、本当なら

では、なんでユリカの遅刻がそんなに責められるかと言えば、『笑えない』からでしょう、はっきりと言えば

ユリカの遅刻についての問題点は、『ユリカが遅刻したかどうか?』とは思えないんですよねえ、私には

『本来、ギャグとしてやっている筈の事が笑ってもらえなかった事』

もっと実も蓋もない事を言えば

『ギャグをギャグとして見てもらう事『すら』出来なかった事』

こういう問題だと思ってますよ、私は

ちなみに、遅刻ということなら明確に遅刻しているキャラが居ます

ミナトなんて朝寝坊して悪びれる様子もありませんでしたよ、多くのSSでは比較的常識人として扱われている、ミナトが

ナデシコというのは、そういう世界観のお話でしょう

これって、『なんでユリカがあんなに嫌われるか?』にも繋がってくる話ですが

『艦長がそんなんじゃ駄目だろうって事を『あえて』やらせる事でギャグにしているキャラ』から、『笑い』の要素を引いたら、どうなります?

『笑い』の要素を引いてしまえば、ユリカに残るのは、『艦長がそんなんじゃ駄目だろう』だけ

『ユリカは本当は優秀な艦長なんだ』って言われても、『本編の中にそれを納得させられるだけの内容』が足りなければ、無意味

こうなると、残るのは、『ユリカは最低の艦長』って所だけ

それに『ギャグ』としてやってる事にそんなに目くじらを立ててユリカを嫌わなくてもと思ってる人も居るでしょうが、逆なんです

『ギャグだからこそ』、益々ムカツクって事もあるんです

低俗番組とかワースト番組って言われる番組には、どんな番組が入ってます?

大抵、『お笑い番組』が幾つか入ってませんか?

『ギャグというのは、そういう物』でしょうが

私もお笑い番組は、今はあんまり見なくなりました、もっとも、お笑いが低俗だからとかの高尚な理由なんかじゃなくて、『ただ単に、笑えなくなったから』ですが

『低俗とかワーストとか言われるお笑い番組』がどんな物かを考えてみてください

その手の番組って、『自分にとって』ツマラナイですか?

それは人気番組でもあって、『自分にとっては面白い番組』である事も多のでは?

ユリカのようなギャグ要素の強いキャラは、好き嫌い激しくて当然なんです

ヒット商品の法則って物があって、『好き40%、嫌い40%』ぐらいだと、その商品はヒットする事が多いそうです

一番マズイのは、『無関心』

好き40%と嫌い40%を合わせれば、『関心をもってくれている人が80%も居る』って事なんだそうで

そりゃ、自分の好きなキャラは嫌われるよりも、好かれる方が嬉しいでしょう

でも、ユリカのようなタイプのキャラにとっては、アンチの多さは、ある程度までは、宿命的な物、んなもん一々気にしててどうするんですか

『嫌いな人には滅茶苦茶嫌われてアンチも多い、でも好きな人にとっては最高』

これで良いじゃないですか

ユリカの場合、問題なのはアンチの多さじゃない、むしろ、支持者の少なさ

どんなにユリカをボロクソいう人が多くても、『だからどうした、俺はユリカが好きなんだよ』って人が、ユリカを嫌いだという勢力に拮抗出来るだけいれば、良いんです

ユリカが好きなら、SS書きたい人は書けば良いし読みたい人は読めばいいんです、周りの事なんて気にしないで

好きだから書く、書きたいから書く、好きだから読む、読みたいから読む、SS書くのにも読むのにも、他に理由なんていらないでしょうが

ちなみに、なんでこんなコメント書く気になったかというと

どうも、ユリカ派の言い分聞いてると、かえってユリカが嫌いになってくる事が多いんですよねえ

よくよく考えてみれば、私って、アンチユリカ派の言い分聞いてユリカが嫌いになった事って無いです

『まあ、そういうふうに見られても不思議はないよな、ユリカって』でお終いです

でも、ユリカ派の人達の、ユリカは初日から遅刻なんてしてない、そんなのはデマだの嘘だの言い分聞いてると、『元々のユリカのキャラの否定』に見えるんですよ

『あばたもえくぼ』って言葉がありますよね

でも、『あばたもえくぼ』状態で人を好きになったとしても、『あばたはあばたなんだ』と気づいた時はどうなると思います?

一気に気持ちが冷める事だって多いですよ、むしろ、そんな相手を好きだった事の反動で、かえってその相手が大っ嫌いになる事だってある、『かわいさ余って憎さ百倍』って奴です

人を好きになる時に大切な事は、『あばたはあばたと解っていて』その上で好きと言えるかどうかでしょう

『あばたもえくぼ』にみえているのは、そのキャラが好きな人達だけです

特にそのキャラが好きでもない人達からみれば、『あばたはあばた』でしかない

それなのに、『あばたをえくぼ』として語られても、その意見に賛同出来ると思いますか?、かえってそのキャラを嫌いになる事も多いのが人間ってモノじゃないですか

『あばたはあばた』として語ってくれた上で、『でも、やっぱり好きなんだよなあ』なら、解るんですけどね、好き嫌いなんてそんなものだし

ユリカ派の人達の言い分聞いてると、『わざわざアンチユリカを増やしてないか?、自覚はしてないだろうけど』って思うこと多いです、マジに

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