評論家の評論を評論してみる・・・・ってタイトルが(苦笑)
投稿を受け付けていると、厳しい感想を求められる事も多いです
感想と言うものは基本的にその作品が好きな人、『作品を誉める』内容が来る物、それが解っているからこそ、少しでも作品を良くする為に、誉めるだけでなく『厳しい感想を』って言われるのでしょうが、そこで私を悩ませる事があります
それは、
『評論家や評論家気取りの素人の言う事聞いて話が面白くなった例を見た事があるか?』
と言う事です
『厳しい意見』は実は簡単なんです、どんな作品であろうと欠点の無い作品は存在しないのだから、そこを指摘して行けば良い
でも、問題は欠点を直す事で話が面白くなるのか?と言う事
プロの作家さんの話でも、こんな事を見た事がありません?
初期の頃は荒削りでも勢いの面白さがあったのに、話が進んで行くにしたがって、かえってつまらなくなっていく・・・
『技術』は上がっている、『欠点』も減ってる筈、でも面白くなくなって行く
『面白さ』って言うのは、欠点も長所も全てひっくるめた上での面白さだから、欠点を減らす事で面白さまで減ってしまう・・・・・なんて事が、『プロですら』ある
もっとも、欠点が大きくなり過ぎると、それはそれでつまらなくなるから難しいんですが
私は、趣味でSS書いてるだけの素人です
『自分がどう思ったか』、『自分の趣味に合うか』ぐらいの事しか言えない
そして、それはあくまで『b83yrの意見』であって、もし、読者が千人いれば千分の一の意見でしかない、『残り、999人の意見』は私とは違うかもしれない
だから、b83yrの好みに合わせる事で、残り999人を失望させる事だって、無いとは言えない
これが、『感想の落とし穴』だと思うんですよ
だから、私のHPに投稿してくださる作者さん達には、『自分の作品』を書いて欲しいんですよね、私の付けた感想なんて気にしないで、せいぜい、『参考にする』程度にとどめて欲しいです、作品を面白くしたいんだったら
『評論家に酷評されながら大ヒットした作品』
『評論家の絶賛されながら、売れない作品』
どっちも見た事があるんじゃないですか?
だから、私のHPではカウンターつけてます
まあ、人気があれば良いって物でも無い・・・・・
『売れる作品』、『カウント数の多い作品』が良い作品って訳じゃないですから
好き嫌いは激しいが、好きな人は凄く好き嫌いな人は滅茶苦茶嫌いなんて作品だってある
どんなに人気が有ったって
『だから、ど〜した!!、こんな作品にどれだけ人気が有った処で知った事か(怒)』
と言いたくなる作品だって有る
作品が面白いかつまらないかは、私でも作者さんの問題でもなく、読者さん一人一人の問題なんです
さて、では何故評論家の言うことを聞いても話が面白くならないのか?を考えてみましょう
1、読者と評論家じゃ見方、読み方が違う
2、読者は評論家ほど甘くない
3、面白さに答えは無い
この辺りが、評論家の意見を聞いても話が面白くならない理由だと思ってます
読者は、『面白ければ読む、つまらなければ読まない』のであって、つまらないと思えばとっとと読むのをやめます
評論家は、作品の評論の為にともかく最後まで読まなければなりません
もう、この時点で『作品の読み方』が違いますよね、最初の作品への態度で既にずれがある
その後も、評論家は作品に対して辛辣な意見を述べたりしますが、読者は
『つまらないから読んでない、知ったこっちゃ無い』
読者というのは、つまらない作品に対して徹底的に冷たいんです、それに比べれば評論家の酷評ごときがなんです
『感想が来ないのも感想の内』
『つまらなくて読むのをやめた』作品に対して、なんで読者がわざわざ労力を使って感想書いたりするんです?、それがたとえ辛辣な内容であったとしてもです
そう考えていくと、一見厳しい事をいう評論家がいかに甘っちょろいかって事になりますね
『自分の頭で考える』これが出来ないのなら、結局は話は面白く出来ないんです、その答えが合っているにしろ間違っているにしろ
プロの作者さんだって、試行錯誤の繰り返しなんですよ、でも、間違いから新たに生まれるネタだってあるし、その間違いが結果的に作品を面白くする事もある
それに、『良薬口に苦し』って言葉もありますが、一つ考えて欲しい事があります
『良薬』というのは何をもって『良薬』なんです?
『良薬口に苦し』とは言いますが、『苦ければ良薬』じゃない
薬というものは、病気の種類、症状、その人の体質諸々をちゃんと考えて、『効く』薬が『良薬』なんです
処方箋を間違えた薬は、『毒薬』にすらなる
甘かろうが苦かろうが、『効く』のであれば良薬ですが、評論家や評論家気取り素人の感想の中には『処方箋を間違えてないか?』って感じる物も多くないですか?
かえって、作品をツマラナクしてしまうモノが
そして、『面白さ』という物の難しさ
『王道』と『お約束』と『ありきたり』
この3つって、厳密に区別出来ますか?
病気には原因があって、その原因を潰していけば病気は治ります
でも、『面白さ』はどうです?
『何処が面白いのかは説明出来ない、でも面白い』
『ぶつぶつと文句を言いながらも、結局最後まで読んでしまった』
こういう事だってあるでしょう
ギャグにしたってそうです
『喜劇と悲劇は紙一重』どころか、実は『同じ物の視点を変えただけ』って事すらあります
ハーリーがふられる話は多くの読者さんにとっては、『ギャグ』でしょう
でも、ハーリーやハーリーファン視点でみればどうです?悲劇でしょう
私は、ルリ×アキトのSSを書いてます
ありがたい事に、私のSSを面白いと言ってくれる人も居ます
でも、ユリカ派の人達からみたら?
ルリ×アキト派にとっての『面白さ』はユリカ×アキト派にとっての『つまらなさ』と表裏一体
ルリアキト派の人にだって、色々な人がいますよ
『b83yrのSSは、ルリとアキトの仲が中々進展しないから面白くない、自分はルリとアキトがとっととくっ付いている方が好みだ』
こういう人だって居るでしょう
でも、逆の意見の人
『b83yrのSSは、最終的にルリ×アキトになるにしろ、安易にルリとアキトをくっ付けない所が好きだ』
こう言ってくれる人も居るんです
ある人にとって『面白い』SSを書こうとすれば、別の人からの『つまらない』を切り捨てないとならない
これが、『おもしろさ』と『つまらなさ』って物でしょう
そう言う事を考えていくと、投稿してもらったSSに評論家気取りで感想つける気にはなれないんですよ
『b83yrにとっての面白さ』
『より多くの読者にとっての平均的な面白さ』
『読者一人一人にとっての面白さ』
全部違うからです
だから、さっきの繰り返しになりますが、私の感想はあくまで、
『b83yrがどう思ったか?、b83yrの趣味にあうか?』
でしかないし、私の感想なんて気にしないで精々『参考にする』程度にとどめておいて欲しいんですよね私が言う事があるとすれば、たった一点です
文章は、出来る限り解りやすく意味が通じるように書く
と、評論家の評論を評論家気取りで評論してみましたとさ(笑)
でも、この『評論家の評論を評論してみる』を読んでも、評論家や評論家気取りの素人の評論がよくなったりはしないだろうなあ
だって、これだって『評論』だから(笑)
結局、『評論』とか『評論家』とか『評論家気取りの素人』ってなんなんでしょう?
まあ、馴れ合いの誉め合い、内輪での誉め合いでも話が面白くはならないのが難しい所なんですが
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